
テレビドラマ「岸辺のアルバム」1977年放送・計15回
私が、このテレビドラマをあらためて観たいと思ったは、ジャニス・イアンの歌う主題歌の「ウィル・ユー・ダンス」が好きだったのと、名脚本家の山田太一さんがシナリオを書かれていたからです。
そして、もう一つの理由は、八千草薫さんがご出演されていらしたからです。
私にとって、八千草薫さんはまさに理想のお母さんそのものなんです。
美しくて、優しくて、ご主人さまを愛し、家庭を大切にする。
そんなイメージを、私は八千草薫さんに持っているのです。
それに、私は男性の八千草薫さんにまつわるこんなエピソードも好ましく思っていました。
「俺は八千草薫みたいな女としか結婚しない。」と言って、とうとう結婚しなかった70代の男性がいたかと思えば、ある映画評論家は、八千草薫さんが映画監督の谷口千吉さんと結婚すると決まった時、「おれはもう二度と谷口千吉の映画は観ない!」と宣言し、それに同調した男性が多かったらしいです。
これらのエピソードに、私は男性をそこまで思わせた八千草薫さんをすごいなと思いますし、男性のそうした姿勢にもある種の好感を抱かずにはいられないのです。
ですから、このドラマを先日、数十年振りに観て、どんなストーリーなのか、初めて知った時、私の八千草薫さんのイメージとあまりにもかけ離れていて、かなりショックを受けてしまいました。

こんなにもスキャンダラスで、センセーショナルで、エロチックで、誰もが人に知られたくない心の闇に踏み込んだドラマだったとは思いもしなかったのです。
そして、私はこのドラマから発するパワーの凄まじさを、ひしひしと感じずにはいられませんでした。
なんでも、このドラマはそれまでのホームドラマの殻を破り、その後のドラマ界に多大な影響を与えた記念碑的作品と呼ばれているそうです。
「岸辺のアルバム」は、週刊誌「現代」の思い出のテレビドラマ・ベスト100の中で、堂々の1位に選ばれ、こんな賞もとっています。
第10回テレビ大賞
第15回ギャラクシー賞
ギャラクシー賞30周年記念賞(1993年度)
テレビ大賞主演女優賞(八千草薫)
ゴールデン・アロー賞放送新人賞(国広富之)
それに、このドラマの第一回目の放送を観た名脚本家の倉本聰さんと、向田邦子さんは、演出した鴨下信一さんに、「良かった」とすぐに電話をかけて、祝意を贈ったというエピソードまであるとか。
ドラマの歴史を変えたと言えば、私はこの頃、ある著名な女性プロデューサーのホームドラマをよく家族全員で観ていたのを思い出します。
そのドラマに登場する人物はみな善人で、涙あり笑いありのストーリーで、最後はいつもハッピーエンドで、家族全員で安心して観る事が出来ましたが、なんとなく違和感を感じていたのです。
世の中、悪い人だっているんじゃない?
それに、誰でも、人に知られたくない秘密の一つや二つは持ってるはずだし、みんながみんな幸せになれるなんて、世の中、そんなに甘くはないと思う・・・
でも、この「岸辺のアルバム」は違ってたんです。
と言いますか、一瞬、そうだと思わせといて、ごまかしや知らんぷりで塗り固められた虚偽の人生という名の仮面を次々にひっぺがして、嫌がる私の目の前に、真実をまざまざとぶちまけてくれた、そんな衝撃を受けたのです。
でも、だからといって肩肘張らなくても、このドラマは普通に十分に楽しめる作りになっていますので、そこがさらに素晴らしいところだと思います。
このドラマは都心から離れた和泉多摩川に一戸建ての家を持つある家族のお話です。
夫・田島謙作(杉浦直樹)は中小商社の部長職にあり、仕事人間で、あまり家庭を顧みない頑固なタイプです。
妻・田島則子は専業主婦で、謙作から預かる給料で家計をきりもりし、足りない分は洋裁の内職で補っていました。
二人には、秀才の大学生の長女、律子(中田喜子)と、大学受験を控える高校三年生の長男繁(国広富之)の子供がいました。
一見、なに不自由なく幸福そうに見える則子ですが、何事にも仕事優先で、家庭の一切を自分に押しつける夫に何かしら物足りない淋しさを感じていました。
専業主婦で、外の世界との接触があまりなく、夫にもかまってもらえない。
しかも、夫は仕事上の悩みから、毎晩のように泥酔して帰宅する始末。
そんなある日、一人家にいる則子のもとに、見知らぬ男性からアンケートの名目で電話がかかってくるのです。
それを発端にして、初めは電話でお喋りするだけの関係が、そのうち喫茶店で逢うようになり、やがてラブホテルで逢瀬を重ねるまでになってしまうのです。
その男性は、北川徹(竹脇無我)という男性でレコード会社の課長代理をつとめているのですが、そのテクニックがすごいのです。
則子の心をつかむのに、こんなセリフがあります。
「信じていただけないと思いますが、私は自分でも嫌になるほど常識的な人間なんです。
子供の頃から、非常識なことはした事がないと言っていいくらいなのです。
しかし、一方で、いつもそんな人生は情けなくないかという気持ちがありました。
途方もないいたずらをしたり、狂ったような世界に首をつっこんで、夜も昼もわからないほど、何かにおぼれてみたいなどと思うところがありました。
でも、自分は本当は決して、そんな事はしないだろうという事も知っていました。
ところが、気がつくと、ほんの一二度お見かけした奥さんに電話をかけようとしているのです。
自分の中にこんな非常識な情熱があったのかと、こんな歳になって、自分を見直す気持ちになりました。
勝手なことを言うとお思いかも知れませんが、こんな情熱を引き出して下さったのは奥さんなんです。
電話だから言えることですが、奥さんの美しさなんです。」
めちゃめちゃ、お上手!
夫にまったくかまってもらえない毎日を送っていて、こんなことを言われたら、私まで不倫に走ってしまいそう・・・
いいえ、きっと世の人妻で、そう思わない人は誰もいないんじゃないかしら?
しかも、不倫相手の北川が、則子に話すのは、ショパンやモーツァルトやドビュッシーなどの高尚なクラシック音楽や絵画などの話題で、あまり後ろめたさを感じさせず、かえって素敵な事のように思えてしまうのです。
女性って、雰囲気に弱いから・・・
でも、それに待ったをかけたのは長男の繁でした。
母親が隠し事をしてるのに、それと気づいた繁は、母親を尾行してラブホテルに入っていくところを見て、何とか母親と北川を引き離そうと、やっきになるのです。
そうやって、繁は家族が元通りの生活に戻れるよう努力するのですが、父親の会社は経営危機に陥り、心ならずも自衛隊の小銃の受注や製造を請け負ったり、東南アジアの女性を斡旋する業務を任され、苦悩の度は増すばかりで、家庭の事まで行き届かないのです。
それに、長女の律子は、アメリカ人の男性に強姦され、両親に内緒で堕胎手術の費用を繁の担任の堀(津川雅彦)が工面したのをきっかけに交際をはじめ、あまり家族に無関心の様子。
家族と真剣に向き合おうとせず、隠し事をしたり、無関心を続ける父親や母親や律子に業を煮やした繁は、ついに皆の秘密をぶちまけるのです。
その結果・・・
岸辺のアルバム
その意味は、このドラマの途中、それぞれに秘密を抱える家族が偽りの笑顔を作って、多摩川の岸辺で家族の写真を撮るシーンがあるのですが、アルバムはそうした偽りの家族の象徴であるそうです。
しかし、多摩川の堤防の決壊で家を失った彼らが必死に持ち出したものがアルバムだったことから、アルバムを家族の絆の象徴とし、たとえ偽りでも、たとえ崩壊しても、最後の拠り所は家族だという熱いメッセージが込められているそうです。
それと、山田太一さんによると、このドラマには戦後の民主主義を見直したいという、もう一つのメッセージがあるそうです。
「戦後の日本は良くなったことも沢山ありましたけど、思いがけないマイナスも露わになってきた。・・・戦争中から戦後にかけて何もなかった。食べるものもなかったし、薬もなかったし・・・そういうところからあの時代まで来て、それはもう肯定しないではいられないですよね。すごいことだったと思います。だけど、幸福の条件だと思っていたものが、ひとつひとつ満たされていくと、果たしてそれは僕らが本当に願っていたものだったのかな?・・・という気がしてきたのです。貧しさで、狭いところで皆で力を合わせていないと家族皆が生きられないところから、それぞれが個室を持てるようになったのは大変な変化で、ものすごく幸福なことに決まっていると戦争中の私だったらそう思いますけど、それはそれぞれの(個)というものを大事にして皆が別々に生きてしまうということが、主としてお母さんというか、主婦というか、つまり、妻の孤独を生んでいたということですよね。
・・・あからさまには言っておりませんが、セックスというか、エロスというか、そういうものの満たされなさみたいなものもあって、つまりボランティアに行っても、どこに行っても生きている手応えがない・・・という風に世の奥さんが感じだしたということ。それから、仕事の忙しさ・・・男のね・・・」
戦後の民主主義は、あの三島由紀夫が危惧し、私達日本人に警鐘を鳴らしていた事でもあります。
家族の問題から、戦後の民主主義の功罪まで、いろいろ考えさせてくれる「岸辺のアルバム」、知れば知るほど素晴らしいドラマだったのだなと思わずにはいられませんでした。
八千草薫は、かなりの文学少女で、劇作家・矢代静一と付き合っていて、プルーストについて話し合っていたりしたそうです。矢代静一の本に書いてるので本当のことでしょう。
八千草薫さんが矢代静一さんとお付き合いしていらしたのは知りませんでした。
矢代さんはお名前だけは知っていますが、著者はまったく読んでないので、ちょっと興味がわいてきました。
矢代静一は、われわれの時代には大変人気のあった作家で、『黒の悲劇』や『絵姿女房』は、名作です。
今井正監督の映画も観てますが、原節子さんの美しさは言葉では言い表せないほど感動を覚えました。
映画も、文芸の香気あふれる出来栄えで素晴らしいと思いました。
この映画は吉永小百合さんのバージョンもあるので、そちらも観てみました。
すると、文芸の香気あふれるという意味では、今井正監督の作品には及ばないように思いましたが、こちらは吉永小百合さんが主人公になっていて、若い世代の恋愛問題を扱うという作品のテーマを考えた場合、原節子さんが主人公の今井正監督のものより、吉永小百合さんを主人公にした、こちらのほうが優れてるように思えてなりませんでした。
だけど、どちらが優れてると決めるのはある意味、無益かも知れません。
原節子さんと吉永小百合さんという二大女優が恋愛問題を通して、戦後の民主主義を謳歌したと言いますか、希望にあふれる新時代の幕開けを告げる映画に出演したことに大きな意味があるように、私には思えてならないのです。
機会があれば、読んでみたいと思います。
原節子の役が芦川いづみになっていたのも良かったと思います。
今井正の『青い山脈』を公開時に見た大島渚は、出演者がみな年寄りでがっかりし、若山セツ子のみに戦後の時代性を感じたと言っています。
ただ、ラストシーンは、男女が自由に交際できる喜びに溢れている今井正作品には及ばないと思います。
私が持っていた高橋英樹さんのイメージとあまりにも違ってましたので。(苦笑)
そういえば、原節子さんのバージョンは年配の方が結構、出てましたね。
私は原節子さんの美しさばかり目が行って気づきませんでしたが。
ところで、私は今井正監督の作品で気になっているものがあるんです。
それは、戦時中に作られた今井正監督の戦意高揚映画「望楼の決死隊」なんです。
この映画で、原節子さんが銃を撃つ場面があるらしいのです。
その頃、原節子さんが銃を撃つ場面を設けたのは、戦争に勝つために仕方なかったかも知れませんが、戦争が終わり、平和が叫ばれるようになった時、今井正監督と原節子さんの胸には少からず後悔の念が残ってたような気がするんです。
だから、民主主義という戦後の新しい息吹きを伝える映画に取り組むことは二人にとって、とても重要な役割を果たしたのではないかと、私は思うのです。
今井も山本も、共産党の同調者とのことで、投獄され拷問されて、徴兵もされています。黒澤は徴兵されていませんが、東宝の力だったと思います。
それに、山本嘉次郎くらいしか、自分の作りたい映画を監督できた者はいないと今井も書いています。
当時は、会社からの命令に従うしか監督はできなかったそうで、それはそうだと思います。
『望楼の決死隊』は、横浜市中央図書館にあり、私はここで見ました。キネマ倶楽部の1本で、これはほとんどあります。無料で見ることができますので、どうぞ。
また、時代的に許される状況でもなかったでしょうね。
私は戦後、今井正監督がどんな気持ちで、「青い山脈」を撮ったのか気になって、あんな推理をしてみたのです。
『望楼の決死隊』はDVDが出てますので、いつか観てみますね。
ご丁寧なコメントを下さってありがとうございました。