農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

わが家にテレビがやってきた

2021-10-16 22:35:47 | 親父写真館
今夜のブラタモリでは港区の放送博物館が紹介されました。
愛宕山のラジオ放送発祥の地ですね。
番組には保管してある昔のブラウン管テレビがたくさん登場しましたが、
昭和30年代は一般家庭にもテレビが普及していった時代です。

そこで親父が撮ったわが家のアルバムをめくってみますと・・・


ありました。
家族揃って茶の間の炬燵に入ってテレビを観ています。
何の番組をやっているのでしょう?

高嶺の花だったテレビが、ようやく一般庶民でも手にすることができるようになりました。
テレビは夢を運んで勇躍「やってくる」ものだったのですね。


昭和36年2月のことでした。
孫じいさんに抱っこされてテレビを観ているのは誰でしょう?


鶴岡アベデンキより56,000円で購入とあります。
決して安い買い物ではなかったと思います。

当時近所に先駆けてテレビを買ったお宅がありまして、
そのお宅には連日連夜テレビ見たさに近所住民が押しかけ、
次第にうっとうしくなったその家は代金を徴収したとかしないとか・・・

わが家では高校を上がったばかりの叔父が、
どこぞに決まりかけた遠隔地での就職に両親が反対して、
家に残る交換条件としてテレビが欲しいと言ったのが
購入のきっかけだったそうです。


電器屋のタカハシさん、
当時よくわが家にに出入りしていました。


まだ1歳半だった私はテレビがやってきた日のことは覚えていません。
茶の間に鎮座した新品のテレビ。
通電して初めて画面に何かが映った時は、
きっと家族から歓声が上がったと思われます。

そして当時はまだ一日中放送があったわけではありません。
朝昼晩以外の日中は放送がない時間帯もけっこうありました。

この数年後、カラーテレビが急速に普及して行きます。
しかしすべての番組がカラー放送だったわけではなくて、
新聞の番組表には、カラー番組には「カラー」の表示が付いていました。



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