龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

刑務所が最後のセーフティーネットだとしたら?

2013年01月23日 23時27分38秒 | 大震災の中で

デジタル朝日新聞に
(インタビュー)刑務所から見えるもの 犯罪学者・浜井浩一さん

http://digital.asahi.com/articles/TKY201301210502.html

というの 記事がありました。
有料記事で会員のみ、かも知れませんが、大切な視点の指摘だと感じられたので、メモ代わりに書き留めておきます。

殺人の数を見ても戦後は一貫して減りつづけている。
治安は悪くなっていない。
刑務所の実態は、高齢者と身体的・精神的なハンディキャップを背負った人が最後に追い詰められてたどり着く場所だったということが、きちんとかかれています。
むしろ問題は今まである意味相互監視的な空気を支えてもいた擬似制度的な企業、学校などの共同性が崩壊して、相互信頼が崩壊しつつあることだ、という文脈もなっとく。

引用開始

 「最大の問題は社会のセーフティーネットが壊れていることです。仕事も身寄りもなく、福祉にもつながりを持たずに社会で孤立している高齢者や障害者は、ホームレスになるか万引きや無銭飲食を重ねてでも生きていくしかない。受刑者は減っていますが、刑務所内で死亡する高齢者は増加しています。病院や施設は受け入れを拒否できますが、刑務所はできません。だから社会のいろんなところで拒否された人たちの最後の『居場所』になってしまっています」

引用終了

というコメントが切なく響きます。
高齢者やハンディキャップを持った人に対する包摂性を失った社会は、構成員全員に冷たい社会なのだと言うことを、改めて真剣に考える必要があるでしょう。

福祉をコストの問題にしか還元できないような脳みその基本フォーマットを書き換えていくことが急務では?



國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』1~4を読もう!

2013年01月23日 22時53分55秒 | 大震災の中で

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』1~4(岩波書店「思想」に不定期で連載中)

が凄いよっていうことを、
メディア日記「龍の尾亭」

http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980413

に書きました。
ヒュームの経験論と、デカルトの合理論を踏まえて超越論的な哲学を打ち立てたカントを、最大の向き合うべき対象(敵?)としていたドゥルーズが指し示す超越論的経験論への道筋。
発生論、内在平面についても恐ろしいほど明晰に語られていきます。

引用と注の切れ味が違う。
これは読み書きしたことのある人なら納得してもらえると思なあ。
そして、論理の息継ぎの後に、グイグイその先へのドライブが更にかかって行く快感。

ライプニッツ、ベルグソン、ハイデッガーにも言及しつつ、さながら17世紀以降の哲学史を通見するような趣きさえあります。

前著『暇と退屈の倫理学』の結論部分に言及されていた『本来性なき疎外』というのはこのドゥルーズと響き合ってるのか、とかいう思い当たる節も満載です。

國分さんはなぜこんなにクリアに書けるのかしらん。

現代人必読の論文、といいたいところですが、まあ私は弟子、というかファンなので3割引ぐらいで受け取ってもらえばけっこうです。

でも、面白いですよお。



裁断&スキャンした本のPDF化が1000冊を超えた(2)

2013年01月23日 10時30分26秒 | 大震災の中で

というわけで、本から魂を抜いてPC上に魂(PDF)だけを残す作業に疑問を覚えてきたのだが、一方、PDF化した「本」をiPadで読み始めてみたら、これがとても便利なのである。

なんといっても、書斎に閉じこもる必要がなくなる。

「書斎」

すいません、うそつきました。
本置き場兼寝床です(笑)。

しかし実際何かを考えようとすると、どうしても同時に何冊か本を持ち歩く必要が出てくる。

大きくかさばる本を何冊も持って歩くのはかなりの苦行だ。
加えて私は多動傾向があり、落ち着いて集力を持続しつつ一冊の本を読み通すことがかなり難しい。
研究とか関係なくても常時数冊の本は持って歩きたい。

iPadは、いったん裁断してしまえば、全てをこの700グラム足らずの筐体一つでもちあるき、いつでもどこでも閲覧が可能だ。

というわけで、最近は、今読む(あるいは読もうとしている)新刊書を購入したら片っ端からザクザク裁断し始めた。

正直最初はかなり抵抗がありました。
買ったばかりの美しい装丁の本を無惨にもバラバラにしてしまうわけですから。

同僚の国語教師にこの話をしたら、得体の知れないイキモノを見るような視線を返されてしまいました。

でも、たとえば『スピノザの政治学』などといった本はいくら待っていても電子書籍化など期待できません。

いったん全てをタブレットで携帯し、どでも快適に読める体験を味わってしまうと、これはもう戻れません。

本棚には、どうしても複数一度に参照しなければならない本や、それ自体に価値のある本を残すようにしています。
そして大切なテキストは裁断しても残しておくか、二冊買い。

ま、そういうものです(笑)

もちろんiPadもその重さに問題はあって、文庫本を読むように片手で持って長時間、というわけにはいかない。7インチ画面のタブレットが必要になる所以です。

しばらくはiPad 3とiPhoneのセットで乗り切りつつ、薄型軽量タブレットの動向を見守る感じかな。