龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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武器輸出三原則の見直しに着手(朝日新聞デジタル)

2011年11月05日 00時03分26秒 | 社会
武器輸出三原則の見直しに着手(朝日新聞デジタル)

という記事を見た。

これもまた、考え始めれば様々な事情があるのだろう。
でも、私は反対。

人を殺すための武器を「輸出」する日本より、「輸出」しない日本でありたい。

ナイーブすぎますかね?

武器というものが全く不要だとも思わない。
全ての暴力がこの世から消えてしまえばいいのに、とも思うが、そう簡単にははいかないだろう。

でも、さまざまな事情があるとはいえ、ここしばらくの間武器を輸出せずに来た歴史は、そう悪いものじゃない。
可能ならばそれを続けたい。続けていきたい。

そういう手だてはないのだろうか?

アメリカの傘の下にいたっていう従属的立場にいたから出来た「隔離」という側面もあるのかもしれない。
世界の中で一人前のプレーヤーになるには武器も自前でってことか。

原子力発電もそうだった。豊かになるために、暴力的なまでに圧倒的な「力」を必要としたのだ。
政府も、国民も、電力会社も、そして私達も。

国を守る技術を高めるためにっていう理由をつけて、そしておそらくは商売のためにも、武器を輸出する、という。

悪いことは言わないから止めておけってことだ。

TPPも私にとっては近いものを感じる。ココロのそこから「そこだ!」って感じが全然しない。
しょうがないから、やらなければより事態が悪化するかから。
もう早くやらないと遅くなるから。

まあさ。
自分だけじゃあ無理だよ、秩序に適合して生きて行けよっていういわゆる「去勢」的な言説の必要性も分かる。

でもね。
そんな風に適合すべき「社会」って、資本主義社会なの?民主主義社会なの?平等な社会なの?公正な社会なの?格差社会なの?

それはむしろ自分たちの閉塞感を解消したいための鏡像への欲望じゃないの?っていう視点も必要だろうと思うよ。
言説だかんね、今、渦を作っているのは。

手っ取り早い外部の「秩序」をしょうがないからってなしくずしに選択するぐらいだったら、日本の豊かさを、どううまく黄昏れさせていくか、とか、低空飛行で温度を低くそして長くバランスさせるか、なんてことを考える選択肢だってあっていい。

「やるか/やめるか」
っていう二分法じゃなくてね。どちらかを選ぶっていうのは勇ましいようだけれど、そのフレームとなっている前提を「問う」ことがあらかじめ排除されている。

そういう装われた手遅れ性を前提としない「疎外」というか「差異」というか「亀裂」の受け入れから始めたいな。

とりあえず、武器輸出と原発再開は止めておいた方がいいんじゃないのかね?