龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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國分功一郎×白井聡『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント|第2弾のこと

2011年11月24日 22時31分43秒 | 評論
國分功一郎×白井聡『暇と退屈の倫理学』刊行記念トークイベント|第2弾のこと

『未完のレーニン』白井聡を読了。
次の課題本
『「物質」の蜂起をめざして-レーニン、<力>の思想』白井聡
を読み始める。まだよく分からないが、対談の白井さんを重ねて読むと、「徹底的に行くところまで行く」というアグレッシヴな印象がさらに強くなってくる。

『未完のレーニン』の方は、
「だいたい今時レーニンって……」
とかいう温い感じで読み始めたら、あっという間に置いてきぼりを食らってしまった感じもあって、十分文章についていけなかった。

また、11月19日の時も、正直、白井さんと國分さんのトークを聴いているときは、どこか「齟齬」を感じていました。二人の話が十分に噛み合っていないような気がして。

まあ、今もその感じが全く解消されたわけではありません。
でも、白井さんのぐぐっと内部に向かって潜りながら「飛ばす」感じは、遠くから響き合わせるべき調べなのかもしれない、とこの二冊目を開いてようやく考え直し始めています。

デカルトの方向に展開していった近代とは違ったもう一つの可能性をスピノザに見ている國分さんと、
ロシア革命・ソビエト連邦の方にいった20世紀社会主義とは違った別の「力」をレーニンに見ている白井さんとは、背中合わせにずっと近しく響き合っているってことなんだろうか。

この二人を同時に読むと、すげえ肩に力がはいっちゃいそうですけど、その「力」に満ちあふれたドライブ感がたまらないです。

そうそう、『暇と退屈の倫理学』をクラスの高校生に貸し出ししたら、
「まだ第1章読んだだけですけど、すんげー面白いですっ」
って感想でした。
やっぱりやるなあ『暇倫』。