今日、高校生の音楽発表を聞いてきた。
被災のために予定していた会場が借りられず、大学の体育館を貸してもらっての演奏会だから、決して音にとっては最適の環境ではない。
必ずしも十分な練習ができていない学校もあるだろう。
また、参加した合唱部はわずかに5校。市内には高校が十数校あるから、1/3程度にすぎない。
そして最初の演奏は、わずか5名、二曲の演奏だった。
正直、お世辞にもうまいとは言い難い演奏(ごめんね!)である。でも、一所懸命生徒も演奏し、指揮の先生も懸命に振っていて、何よりも、音楽好きな高校生たちが一堂に会して、その声に耳を澄ませていた。
そうしたら、不思議なことに聞いていて涙がこぼれてきてしまったのである。
それは、震災で情緒が不安定になっていて、心が揺れやすいせいかもしれない(苦笑)。
あるいは、人数少ないのに健気だな、と同情したのかもしれない。
もしくは、昨日一日中遊んでいて、少々疲れていたのかもしれない。
でも、たぶんそういうことだけじゃないんじゃないかな。
昔(今も御存命かと思いますが)皆川達夫という合唱界の重鎮がいて、コンクールのときに、高校生の演奏を聴きながら涙を流す、という噂があった。
今日はハンカチの濡れる回数がちょっと少なかった、とかね。
まさかね、と当時合唱部の部員だった高校生の私は思っていた。
「だいたい、高校生のへたっぴいな演奏を聴いて涙を流すっていうのは、せいぜいいって「比喩」か「お世辞」あるいは心が過敏になってる病いじゃね?」
ぐらいのことは考えた記憶もある。
私はその程度に鈍い者だった、という話なんですが。
今はしかし、生の「肉声」の声による歌が、本当に心に沁みる。
私の中に、私の身体が、私の心=体が、歌の記憶を抱えていて、しかもこの大震災以降、心をガチガチに固くすることで「生き延びて」きたその凍結していた心=体が、肉声の演奏を聴くことで、溶け出してきたからなのではないか、と感じるのです。そして、
「私は歌手だから」
先日、このブログで、という「歌手」の言葉に対して、いいがかりのようにぐずぐず言っていたことの答えが見つかったような気がした。
やっぱり、闇を抱えてたたずむヒト(私を含めた)にとっては、「歌手」が歌うのではなく、
目の前で「歌うことによって」、目の前で肉声の歌に耳を傾けることによって、
ヒトは歌うヒトになり、同時に歌を聴くヒトになるのだ、と。
ヒトは、大きな自然=文明の洞穴のようなものの傍らに立った時、見えるもの、聞こえるものからもう一度世界への回路を開きなおしていくよりほかにないのかもしれない。
歌は、音楽は、そして多分、朗読でも演劇でもそうだと思うけれど、「完成形」のクオリティとは別に、地面から立ち上げていく、体から響かせていく、その声や身振りによって、ヒトに触れ直す「力」を持っていて、それはやっぱり身体のの側が担うものなのだろう。
高校生の演奏は、そりゃあそれよりうまいプロのと比較したら下手もいいところだ。
でも、最初は緊張して声が出なかったり、ピアノのテンポが走って指揮者が慌てたりしていたって、その先に「ふと」素敵なアンサンブルが成立する瞬間が立ち現われる。
確かに十分にコントロールされたプロの演奏を聴くのは、心地よい経験だ。
素人の私にとっては「まるでCDのようなライブ」(笑)、みたいな印象を抱く演奏だってある。
でも、それだけじゃないんだな、やっぱり。
上手下手じゃないっていうか、そっちの方向の楽しみじゃないっていうか、この場所でハーモニーやリズムを共有しているっていうライブ感だけでもなく、その「肉声」がこちらの闇をくぐりぬけて届くっていう出来事があるのだと思う。
それもまた、受け手である私の「情緒不安定」の結果なのだろうか。
それとも35年の時を隔てて、皆川達夫さんのハンカチ一枚程度には、音楽に近付けたことになるのだろうか。
たぶんその両方かもしれない。
こういう振れ幅の大きい体験の中では、普段は鈍い感覚が、素人でもアマチュアでも庶民であっても研ぎ澄まされるということがあるのだ。
それは、不幸は簡単に語れないということでもある。
大地震・大津波・原発事故による被害
人生の中でそう何度もは経験しない「恐ろしい事態」の傍らに立つことで、明らかに私たちは日常の理性という忘却装置に支えられた場所からつれだされ、不安定な地面と状況にさらされている。
でも、考えてみれば、どちらが本来的な場所でどちらが非現実的な場所なのか、は簡単には決められないような気がする。
今日の彼らの歌が私に与えてくれた「モノ」=「こと」を、夜になっても感じ続け、考え続けている。
被災のために予定していた会場が借りられず、大学の体育館を貸してもらっての演奏会だから、決して音にとっては最適の環境ではない。
必ずしも十分な練習ができていない学校もあるだろう。
また、参加した合唱部はわずかに5校。市内には高校が十数校あるから、1/3程度にすぎない。
そして最初の演奏は、わずか5名、二曲の演奏だった。
正直、お世辞にもうまいとは言い難い演奏(ごめんね!)である。でも、一所懸命生徒も演奏し、指揮の先生も懸命に振っていて、何よりも、音楽好きな高校生たちが一堂に会して、その声に耳を澄ませていた。
そうしたら、不思議なことに聞いていて涙がこぼれてきてしまったのである。
それは、震災で情緒が不安定になっていて、心が揺れやすいせいかもしれない(苦笑)。
あるいは、人数少ないのに健気だな、と同情したのかもしれない。
もしくは、昨日一日中遊んでいて、少々疲れていたのかもしれない。
でも、たぶんそういうことだけじゃないんじゃないかな。
昔(今も御存命かと思いますが)皆川達夫という合唱界の重鎮がいて、コンクールのときに、高校生の演奏を聴きながら涙を流す、という噂があった。
今日はハンカチの濡れる回数がちょっと少なかった、とかね。
まさかね、と当時合唱部の部員だった高校生の私は思っていた。
「だいたい、高校生のへたっぴいな演奏を聴いて涙を流すっていうのは、せいぜいいって「比喩」か「お世辞」あるいは心が過敏になってる病いじゃね?」
ぐらいのことは考えた記憶もある。
私はその程度に鈍い者だった、という話なんですが。
今はしかし、生の「肉声」の声による歌が、本当に心に沁みる。
私の中に、私の身体が、私の心=体が、歌の記憶を抱えていて、しかもこの大震災以降、心をガチガチに固くすることで「生き延びて」きたその凍結していた心=体が、肉声の演奏を聴くことで、溶け出してきたからなのではないか、と感じるのです。そして、
「私は歌手だから」
先日、このブログで、という「歌手」の言葉に対して、いいがかりのようにぐずぐず言っていたことの答えが見つかったような気がした。
やっぱり、闇を抱えてたたずむヒト(私を含めた)にとっては、「歌手」が歌うのではなく、
目の前で「歌うことによって」、目の前で肉声の歌に耳を傾けることによって、
ヒトは歌うヒトになり、同時に歌を聴くヒトになるのだ、と。
ヒトは、大きな自然=文明の洞穴のようなものの傍らに立った時、見えるもの、聞こえるものからもう一度世界への回路を開きなおしていくよりほかにないのかもしれない。
歌は、音楽は、そして多分、朗読でも演劇でもそうだと思うけれど、「完成形」のクオリティとは別に、地面から立ち上げていく、体から響かせていく、その声や身振りによって、ヒトに触れ直す「力」を持っていて、それはやっぱり身体のの側が担うものなのだろう。
高校生の演奏は、そりゃあそれよりうまいプロのと比較したら下手もいいところだ。
でも、最初は緊張して声が出なかったり、ピアノのテンポが走って指揮者が慌てたりしていたって、その先に「ふと」素敵なアンサンブルが成立する瞬間が立ち現われる。
確かに十分にコントロールされたプロの演奏を聴くのは、心地よい経験だ。
素人の私にとっては「まるでCDのようなライブ」(笑)、みたいな印象を抱く演奏だってある。
でも、それだけじゃないんだな、やっぱり。
上手下手じゃないっていうか、そっちの方向の楽しみじゃないっていうか、この場所でハーモニーやリズムを共有しているっていうライブ感だけでもなく、その「肉声」がこちらの闇をくぐりぬけて届くっていう出来事があるのだと思う。
それもまた、受け手である私の「情緒不安定」の結果なのだろうか。
それとも35年の時を隔てて、皆川達夫さんのハンカチ一枚程度には、音楽に近付けたことになるのだろうか。
たぶんその両方かもしれない。
こういう振れ幅の大きい体験の中では、普段は鈍い感覚が、素人でもアマチュアでも庶民であっても研ぎ澄まされるということがあるのだ。
それは、不幸は簡単に語れないということでもある。
大地震・大津波・原発事故による被害
人生の中でそう何度もは経験しない「恐ろしい事態」の傍らに立つことで、明らかに私たちは日常の理性という忘却装置に支えられた場所からつれだされ、不安定な地面と状況にさらされている。
でも、考えてみれば、どちらが本来的な場所でどちらが非現実的な場所なのか、は簡単には決められないような気がする。
今日の彼らの歌が私に与えてくれた「モノ」=「こと」を、夜になっても感じ続け、考え続けている。