龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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福島から発信するということ(7)

2011年06月27日 15時18分44秒 | 大震災の中で
先日ここで和合亮一氏の詩について書き、「彼の詩」の言葉を享受者がどう利用法するべきかについての批評をした。
週末届いた「週刊読書人」の巻改めて頭インタビューで、和合さん自身が語っていたのを読み、改めて深く納得した。

たとえば、和合さん自身が震災に対して
「もう『絶対』ということはありえないんだな」
と語っているところ一つとっても、私とは徹底してすれちがっているのだな、と理解できる。

私は福島の民として、震災に「聖なる痕跡」を与えられた、と考えている。
明らかに「絶対」的なるモノを肌で感じ続けているのだから。

これからも、彼とはすれちがい続けながら、違う福島から、違う言葉を、「共に」紡ぎ続けて行こうと思う。

それにしても、みずから自覚的に大震災の地震それ自体と「短絡」し、言葉において直に「世界」と接する詩人の姿勢には、凄みがある、と改めて感じた。

Twitterのリアルタイムなやりとりの臨場感も、新たな表現の予感を感じさせる。

本、買って来ようっと(笑)