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龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

4月16日(土)のこと<一つになれないいわき市の事情>

2011年04月16日 12時19分49秒 | 大震災の中で
一つになれないいわきの事情。

もう一ついわき市の困難を挙げておくと、「いわき」はもともと一丸となってなにかをやる文化が希薄な土地柄だ。

平地区は行政と商業地区、常磐地区はもともと炭坑の町、湯本といえばスパリゾートを代表とする観光&温泉街、泉はごく最近住宅&別荘地となった玉露とハイタウン、勿来は化学工場の城下町、小名浜は工場と大型港湾に加えて漁港&魚市場、そこから北の海岸線は、海水浴場と小さな漁港&様々な水産加工、市内全域には、冬でもプレー可能なゴルフ場が多数点在している。

住宅地も、「東北の湘南」をキャッチフレーズに、別荘感覚で関東の人が購入しているものと、旧来の人のものが混在し、大きな港は他地区からの労働者を招き入れ、それは炭坑も同様。
当然、昔からの農家もその間で米や野菜、果樹を作付けしている。

しかも、それぞれの地区が緩やかな丘陵によって分断されており、地区ごとに意識や気風も分かれている。

さまざまな生活形態、さまざまな業種のひとが、だだっ広い土地に丘陵で分断されたまま散在している。

水道料金一つとっても広大な市内をカバーするコストの高さが反映されているし、30万人都市としては、下水道・都市ガスのカバー率も高くない。

いわき市は、ただ合併市だからというだけでなく、文化的にも、地理的にも、産業的にも、なかなか一つにはなれない土地柄なのだ。

つまりは、もともといわき市は、断片がモザイク様に散らばり、それが、さらに地区ごとに分散した地方都市なのである。

加えて気候がいいから(福島県内では年間日照時間がトップクラス)、困難を共に乗り切ってきた感にも乏しいときている。

以上なんだかバラバラでよくない土地であるかのように書いてしまった。
が、この土地に流れ者として20年ほど住んでみての、正直な感想だ。

私はここに書いたことを必ずしもマイナスとしてだけ感じているわけではない。

流れ者の断片のひとつである私としては、(田舎にしては)例外的に住みやすい場所だったと思う。

人口密度が基本的に低いので、バラバラであっても好き勝手を咎める人の目に乏しい。いわゆる「田舎」じゃないみたいである。

加えて、バラバラに違った気風の者たちが寄せ集まっているので、そういう他者に対する「適切な無関心」が、東北にしては濃厚だ。

浜も炭坑も、仕事としては明日を考えるより、流れ者をも労働者として受け入れつつ、今日を稼いでいくのが眼目。

そんな風に考えていくと、いわき市はこの複合的な災害で、その統一的なイメージを改めてどう共有するのか、が試されているのかもしれない。

異なった文化を抱えた無関心のバラバラな身振りが、改めて統合された「いわき市」の市民としてどう振る舞うのか。

多様な断片が、多層の災害において、様々に傷ついている。
この現実において、それをどういう基盤において互いに支えていくのか、という課題である。

原発事故も津波も、被害の軽重には地勢的な要素が大きく関わっている。
被害の種類や程度も実際のところはバラバラだ。

しかし、政治的な振る舞いや、風評、物流、他者の視線においては「いわき市民」として見られていく。

その、「見られていく」こと、や「語られていく」ことにたいする感受性が、今の政治には決定的に重要なのだろう。

そして、その「政治」とは、ただ首長ひとりが才能としてもっていればいいというものではなくなってしまった。

ツィッターでも、SNSでも、ブログでも、どう発信していくか、が改めて問われていくだろうし、マスコミに何を流していけばいいのか、も個々人が身振りにおいて思考すべき範囲になってきている。

私自身、この地震や津波、そして原発事故ごなければ、「フクシマ」や「いわき」という枠組みを内面化した形で言葉をこんな風に発することはなかった。

そういう意味でも、これらの事件は、
「人為=&≠自然」
として
きちんと捉え、考え抜いておかねばならないのだ、とつくづく思う。

「いわきをひとつに」

家からでた瓦礫を捨てに震災ゴミ置き場への道に並んでいると、地域のFM局から、「いわきをひとつに」というキャッチフレーズが繰り返し流れてくる。

フィクションの力、言葉の力が、こう言うときには試されるだろう。

繰り返し書いて置くが、
あくまて瞳を凝らすべきは

「人為=&≠自然」

である。

決して

安全/危険
善/悪
人間/自然

という二項対立を立ち上げておいて、前者にのみ身を置いた上で物事を分類し、満足してはいられないだろう。

世界を縮減し、半分の「安全」だけを「信じた」結果、この
「人為=&≠自然」
を見つめるべき場所に立たされてしまったのだから。

ここから先は個人的な話になるが、
「人為=自然」を改めて(敢えて)運命として受け止めるようなどこぞの古典的評論家のようにはなるまい、と思う。
他方、
「日本はひとつだ」
っていうのは、被災者にとってはありがたい限りだが、期間限定にお願いしたい。

だって、ひとつじゃないし(笑)
でも、

ひとつじゃないけど、ひとつ、なんだよね。日本が一つで「も」ある。
いわきはバラバラで、かつ「いわきをひとつに」なんだよね。

そこにおける「共同性」のあり方、宗教性、社会的意味、超越性、生の基盤などなど、ここも考えるべきポイントですね。

あぁ、まだ瓦礫置き場にたどり着かないなあ……。

県や市という行政の区分を、普段私たちはほとんど意識せずに暮らしてきた。しかし、これからは、それを無意識の共同体として、再び日常という忘却装置に委ねるのではなく
政治的・権力的「覚醒」
が不可欠になるのかな。

くどいようだが、あくまでもその区域へのコミットは「断片」として、浅く、多様にね。




NIMBYとしての原発問題

2011年04月16日 12時19分10秒 | 大震災の中で
福島市に設置されるとして問題になっていた
「福島自立構成促進センター」
も、住民による7万人もの反対署名がありながら、法務省は福島での開所に踏み切った。

あのときに勉強したNIMBYという概念がもっともよく当てはまる公共施設の一典型が、原子力発電所問題である。

NIMBYとは Not In My Backyard の略。

(必要なのは分かるけど)うちの裏庭(近所)じゃないところに(設置して)ね。

という意味だ。
そのほかに誰もが思い浮かべるのが沖縄の普天間基地移転問題。

他には東京杉並区のゴミ処理施設問題、などがよく例として挙げられる。

ゴミ処理施設の場合は、エブリバックヤード、というか小さい処理施設を町ごとにつくると、自分たちのゴミを自分たちで処理することになるので、ゴミのコストや処理のリスクを「自分たちの問題」として考えるようになり、結果としてゴミが減る、という解決方法が一つ考えられる。

大きな施設ほど、断片化した市民には他人事になるからだ。

しかし、近代的なシステムの拡大再生産は、国民国家の内部で大規模化による効率化をめざしていかざるを得ない。

その結果、もともと小さな断片=人為として、大きな総体=自然と向き合っていた人間たちが、

擬制的な共同体としての人為的システムの内部の、組み込まれた上で、「悪しき断片」として自分たちを捉え直すことを求められてしまう。いわゆる「社会化」による大衆化、孤独化、再断片化だ。

この断片化は、たちが悪い。
前者の断片化と、後者の「社会化された上での再断片化」の区別が、今「フクシマ」で問い直されている重要な点の一つだと、私は思う。

後者の「社会化」=再断片化が進む結果として

システム依存&システムの無意識化&神の見えざる手にお任せ

ということになっちまったわけだ。

その結果、市民の良識は「再断片化」を超えた倫理性が持ちにくくなってしまった。


本当は、自分たちの裏庭に作ってほしくないものは、どこの裏庭にも作ってはほしくない。

当然のことだ。

が、それを断片化したまま敷衍していくと、ゴミ処理場でも基地のオキナワでも、そういうNIMBY問題となる施設は

誰かがどこかでやってくれる「自分たちの外部」

として市民生活の意識から抑圧されていってしまう。

犯罪者の更正も、軍隊による日本防衛も、そして原子力発電による電力供給も、普段は「意識の外」に送り出して生活してきたわけである。

まるで星新一の「おーい でてこい」(『ボッコちゃん』所収)というショートショートのようだ。
ある日、空から声と石つぶてが飛んでくる、っていう設定ではじまる「穴」の話に、これはとてもよく似ている。

『ボッコちゃん』星新一と『日本沈没』小松左京の描いた「危惧」の絵図面(構図)は、今でも有効だ。
だが、それはもはやSF作家の想像力の産物ではなく、想像力を働かせ続けなければ認知しにくいような「日常的現実」となっている。
オチまで含めて、ね。

さてでは、放射性物質の飛散が続くこの状況を、日本という「共同性」においてどれだけ背負っていけるのか。
あるいは、「フクシマ」や「オキナワ」を、負の独立国として遇していくのか。

我々福島県人としては、最後に残った尊厳を捨ててまで、日本に交ぜてもらいたい、とは思うまい。

井上ひさしの想像力が作り出した『吉里吉里人』の国のように、あるいは池澤夏樹が『カデナ』で書いたように、断片がそれぞれの契機において独立国に参加する、という意思表示をすべきときに来ているのかもしれない、と思う。

それは単に、「フクシマ」が排除と差別の対象になりつつあるからいじけてそれを逆手に取る、ということではない。

そういえば小松左京には『日本アパッチ族』という楽しい独立活劇ものもありました。

私たちには「フクシマ」という「根の国」「負の国」を地の底から立ち上げていく仕事ができたということだね。

誤解を招きそうだから、付け加えておくと、「NIMBY」を地域エゴやゆすりたかりのように考えると、問題の本質を見失う。

断片的な個が感じた問題を、遠い所に持っていって解決するのは、地域エゴの結果ではない。むしろ、そう考えてしまう「社会化」された枠組みそのものが抱える問題なのではないか、ということだ、

単純に基地問題や原発問題を「地域エゴと国策の関係」として考えてしまう枠組それ自体が問い直されている。

国策もまた、我々だし、NIMBYもまた我々の抱える課題だから。
小さい断片化された我々の「現実」と、国策という国民国家としての「想像」によって支えられたものを、どうであわせていけるのか。

どちらか半分を生きるだけではもう21世紀は生きられない。

国策のコストを税金だけで済ませて知らんぷりをしたり、地域エゴは補償と強制執行ですませる、という時代ではなくなったのだし、他方、地方におけるとりあえず補助金の値段を釣り上げれば地域振興になるとい作戦も破綻したわけだから。

では、どうするか、という課題が「この場所」に集約されたと考えたいのだ。

最近完結した世界文学全集の選書において、石牟礼道子『苦界浄土』だけが日本の小説から採られているが、深く納得。

水俣の深い闇から発せられ、自らがその深いところからの「人為=自然」のエナジーによって傷つき、断片と化した、その場所から立ち上げられたフィクションである。

私たちもまた、この「人為=&≠自然」の裂け目=「穴」の臨界面「フクシマ」に立ちすくむ者たちとして、瞳を凝らすべき倫理的(人間として、いきるべき道という意味で)義務があるだろう。

一時期の「復興物語」が沈静化すれば(そしてそれは早晩避けられまい)、日常という忘却装置がまた働きはじめようとする。

そのときに日本は、そして世界は「フクシマ」をどう記憶し、その「傷」を他人事として丸めて忘却することなく、喚起しつづけていけるのだろうか。

私たち「フクシマ国」の人々にとっても、この「フクシマ」を抱えて生きるべき「日本国」の人々にとっても、大変な課題が示されている。

日本は別にもともと「一つ」ではないし、「みんなで頑張れる」時期は、そう長くない。

そのときに、我々が、社会の便利さによって一元化されたインフラの「内部」の断片としてだけ生き、またぞろ日常性の中にその「裂け目」を忘却していくのか、内部→外部→内部という反転を繰り返しつつ、あるいは反転すべき軸さえも持たずに浮遊し続けつつ傷を受けてほんとうに「断片化」した者として、それでもなお、さまざまな形で開かれた共同性を模索し続けつつけていけるのか。

そういうところが課題だよねえ。

一見NIMBY問題からだいぶ離れてしまったけれど、たとえば津波に被災した沿岸部(元住んでいたところの近く)に仮設住宅を建てるか、安全のためにあくまで離れた高台に仮設住宅を建設するのか、といった具体的な問題一つとっても、単純な正解はないのだろうと思う。

断片ごとに判断が変わる。

それをどこまで許容しつつ、旧に復するばかりではなく、新しい第一歩として踏み出していけるのか。

その支援を厚い基盤としてバラバラにならずに支えていけるのか。

単純に政治や行政のサービスのクオリティ、としてだけ語ることはできまい。

でも、それは細部の多様性と、一元化して支えるべき部分との結節点をどうコーディネートするか、という意味での「政治」や「行政」のクオリティが問われるともいえる。


もともと正解などない「断片」を、たった一つの正解で「一元管理」するのではなく、一元的に明示できることは明確にしつつも、なおどう多様さを支えたまま支援できるのか。

建物、物資、ライフラインの先には、ここ二、三日考えている尊厳の問題が出てくるだろう。

それを考え抜くには、「共同性」や「社会性」を「一元性」と取り違えない瞳の健康がまず必要だ。

そして、一元化しておいて、それが社会の要素として断片化され、数値化されてしまったかに見える個々人を、一つの日本が再度日常性の中に回収してしまわないことだ。

そうではなく、それぞれに傷をもち、切り離されてはいるけれども「断片」として世界(人為=&≠自然)と向き合って生きる存在として遇することができる精神の健康が、求められる。

そういう意味では、「フクシマ国」から「原発」を「輸出」することも必要になるだろう。
「オキナワ」から「基地」を日本国に「輸出」することが必要なように。

そういう一見面倒な「ぐるぐる」を経ていかなければ、被災補償は、単なる原発補助金の延長になってしまう。


ベースになっているのは、戦後自由民主党政権時代に国民がチョイスした結果としての国策(国の官僚だけが国民の危険を無視して暴走したってうストーリーも願い下げです)なんだよね。

この「フクシマ」の地面にぽっかりとあいた洞穴のような「負の裂け目」については、東電という民間企業の補償能力や補償意思の問題ではなく、国が肩代わりして国民が「フクシマ」の補償を負担するっていうストーリーでもなく、つまりはどっかの裏山(自分ちの近くでなく)で誰かが責任をとってくれる出来事ではなく、仕方がないから我慢して払うショバ代のようなものでもなく、

「私たち日本人の傷だ」と引き受けるかどうか、が本当の問題なんだと思う。

そういう種類の傷は、たぶん広島でも、長崎でも、様々な干拓地でも、山間の限界集落でも、普天間でも、さまざまな形でみんなそれぞれの断片が抱えながら生きている。

だから、みんな一つではないのだ。

国民国家的な均質化された想像力とは別の種類の想像力が、今「この場所」では求められている。

バラバラにされ、多様さを数に還元されて、その上で一元化する手続きは、本来限定的に、数量を扱う場面でだけ通用する身振りだったのではないか。

つまりは、システムの中での要素としての断片は、そのシステムの中で意味付けられ、「社会化」してしまう。

ということは、取りも直さず、その日常化=社会化した中で、断片はバラバラにされた上で序列化された存在として再配置されてしまうということだ。

「フクシマ」が断片として闘わなければならないのは、その再配置の働きに対して、である。

一元化された世界像で見てしまうと、断片は単なるバラバラ(よりよく社会化されていないものたち)として遇されてしまう。
他方、バラバラでは生きていけない、となると、均質な共同体がぬっと顔を出す。

なんども繰り返すが、そういうスイッチを切ったり入れたりする二値の交代ではないかたちで、「断片化」を多層に生きる手だてを探せ、と、私たちはいま「啓示」を受けているのではないか。

この項目、まだ続きます。