今日は朝から、お見舞いやら御香典やらのお返しものを買いに、町の中をクルマでぐるぐる動いていた。
コンビニには種類が少ないながらも棚に商品が並び、スーパーも通常営業。クリーニング屋さんも仕事を再開していた。
大震災と原発事故をつかのま忘れてしまいそうな、何事もなかったかのような「安心」と「日常」。
でもクリーニング屋さんでは、水が出たのはようやく昨日からだという。
自分の家は震災一週間で上水道が復活したので、ついみんなもそうだろうと思ってしまっていた。
現代の基本的なインフラとは、そういうものだろう。だから、首都圏の人が電気を使うときに、それがどこでどんな形で作られたかなど気にもとめないのが当然だ。
電気に色も匂いもタグも付いていないのだから。
首都圏では計画停電になってはじめて電気の生産場所が分かったわけだが、ここ被災地だって、断水が続いてはじめて自分の家の水道水がどこの浄水場からどういう経路でたどりついているのか、が分かるようになった。
たとえ隣接した地区でも、水源が違うと一週間も二週間も復旧に差がでてくるのだ。
ちょっと前までは、都会だろうが田舎だろうが、水や電気、ガス、下水道、道路、そして安全な空気などのインフラは、まさに「空気のような」ものだったのだのに。
昨日初めて避難所の体育館に行ってみた。いつもテレビで見る、「あの感じ」である。
正直、私は途方に暮れ、何をどうしたらいいのか分からず立ちすくんでしまった。
やはり「命」の次は「家」かもしれない、と切実に思う。
普段私たちは賃貸しの空間をいくらでも買ったり借りたりすることができる。
アパートでも、ホテルでもマンションでも、レストランのテーブルでも、マンガ喫茶のブースでもよい、小銭か大金かは別として、流通している流れに手をかざせば、そういう時空間をいくらでも購入できる。
しかし、すべての人為的空間分割を無化して押し流す「自然」の猛威の後では、さまざまな社会資本の上に成り立っていた日常は消失し、「断片」に還る。
後にはお金では簡単に取り戻せない、大きな傷を抱えた我々が茫然と佇むばかりである。
私の家の瓦は大量に落ちてしまい、強い雨が降ると、もれなく放射能入りの雨水が家の中に漏れてくる状況である。
しかし、瓦屋さんもガソリンはないし職人さんはいないし、瓦の注文は何ヶ月先なのか何年先なのか検討もつかない。
しかし、とりあえずはこの家に住む以外の選択肢が、自分にあるとは簡単には思えない。なぜなら、それが自分の生きられた時空間そのものだから。
そういう身体の生活感覚を伴った時空間の体験と記憶を、容易く交換可能なモノとして扱われると、被災者は絶対納得が行かないだろう。
田舎にこだわる行動の「経済」は、安易に慣れ親しんだ無意識の日常へのしがみつき、とばかりはいえないのではないか。
住みかとは、私たちの生活をその時空間に定着させ、かつ自己の生を持続的な表現形とするために必要不可な欠空間分割の身振りなのだ。
なるほど流れ者にだって一宿一飯の「恩義」があるわけだよねえ。渡世人にとっては、宿賃だけの問題ではないのです、きっと。
ただし、急いで皮肉を(忘れないうちに)書いておくと、
「花見の自粛」
とか、どこぞの都庁のお偉いさんに云われる義理はない。
自粛は、自分の判断でするものでしょう。計画停電とはわけがちがう。
公共性、についてはこれまたたくさん宿題が見えてきたような気がするね。
インフラや住みかを失って避難所で肩を寄せるしかない現状は、速やかに解消してください。
これは行政と政治にお願いするしかない。
でも、それは断片化したフラジャイル(コワレモノ)な「生」が、単にもう一つの安全な日常に回収されることがゴールではない、ということも、図々しくかつ声高に、何度でも強調しておきたい。
だって、原発は今もたくさんたくさん稼働しているわけだし、現に福島原発の事故も、終わってなどいないのだから。
私は、3/11(金)以前の無自覚な安寧に戻る術が断たれたところから、思考と行動を始めていきたいのだ。
そのためには、この無力な断片として幾重にも傷ついた時空間の経験と記憶を引っさげて、なお、新たな「生」の営みに向けて、自らを、そしてお互いを促して往かねばならない。
この事態を薄々予感しながら思考の瞳をそらし続けてきた自分自身のことをも含めて、「回収されない」断片としての瞳の強靭さを持ち続けつつ、思考していきたい。
コンビニには種類が少ないながらも棚に商品が並び、スーパーも通常営業。クリーニング屋さんも仕事を再開していた。
大震災と原発事故をつかのま忘れてしまいそうな、何事もなかったかのような「安心」と「日常」。
でもクリーニング屋さんでは、水が出たのはようやく昨日からだという。
自分の家は震災一週間で上水道が復活したので、ついみんなもそうだろうと思ってしまっていた。
現代の基本的なインフラとは、そういうものだろう。だから、首都圏の人が電気を使うときに、それがどこでどんな形で作られたかなど気にもとめないのが当然だ。
電気に色も匂いもタグも付いていないのだから。
首都圏では計画停電になってはじめて電気の生産場所が分かったわけだが、ここ被災地だって、断水が続いてはじめて自分の家の水道水がどこの浄水場からどういう経路でたどりついているのか、が分かるようになった。
たとえ隣接した地区でも、水源が違うと一週間も二週間も復旧に差がでてくるのだ。
ちょっと前までは、都会だろうが田舎だろうが、水や電気、ガス、下水道、道路、そして安全な空気などのインフラは、まさに「空気のような」ものだったのだのに。
昨日初めて避難所の体育館に行ってみた。いつもテレビで見る、「あの感じ」である。
正直、私は途方に暮れ、何をどうしたらいいのか分からず立ちすくんでしまった。
やはり「命」の次は「家」かもしれない、と切実に思う。
普段私たちは賃貸しの空間をいくらでも買ったり借りたりすることができる。
アパートでも、ホテルでもマンションでも、レストランのテーブルでも、マンガ喫茶のブースでもよい、小銭か大金かは別として、流通している流れに手をかざせば、そういう時空間をいくらでも購入できる。
しかし、すべての人為的空間分割を無化して押し流す「自然」の猛威の後では、さまざまな社会資本の上に成り立っていた日常は消失し、「断片」に還る。
後にはお金では簡単に取り戻せない、大きな傷を抱えた我々が茫然と佇むばかりである。
私の家の瓦は大量に落ちてしまい、強い雨が降ると、もれなく放射能入りの雨水が家の中に漏れてくる状況である。
しかし、瓦屋さんもガソリンはないし職人さんはいないし、瓦の注文は何ヶ月先なのか何年先なのか検討もつかない。
しかし、とりあえずはこの家に住む以外の選択肢が、自分にあるとは簡単には思えない。なぜなら、それが自分の生きられた時空間そのものだから。
そういう身体の生活感覚を伴った時空間の体験と記憶を、容易く交換可能なモノとして扱われると、被災者は絶対納得が行かないだろう。
田舎にこだわる行動の「経済」は、安易に慣れ親しんだ無意識の日常へのしがみつき、とばかりはいえないのではないか。
住みかとは、私たちの生活をその時空間に定着させ、かつ自己の生を持続的な表現形とするために必要不可な欠空間分割の身振りなのだ。
なるほど流れ者にだって一宿一飯の「恩義」があるわけだよねえ。渡世人にとっては、宿賃だけの問題ではないのです、きっと。
ただし、急いで皮肉を(忘れないうちに)書いておくと、
「花見の自粛」
とか、どこぞの都庁のお偉いさんに云われる義理はない。
自粛は、自分の判断でするものでしょう。計画停電とはわけがちがう。
公共性、についてはこれまたたくさん宿題が見えてきたような気がするね。
インフラや住みかを失って避難所で肩を寄せるしかない現状は、速やかに解消してください。
これは行政と政治にお願いするしかない。
でも、それは断片化したフラジャイル(コワレモノ)な「生」が、単にもう一つの安全な日常に回収されることがゴールではない、ということも、図々しくかつ声高に、何度でも強調しておきたい。
だって、原発は今もたくさんたくさん稼働しているわけだし、現に福島原発の事故も、終わってなどいないのだから。
私は、3/11(金)以前の無自覚な安寧に戻る術が断たれたところから、思考と行動を始めていきたいのだ。
そのためには、この無力な断片として幾重にも傷ついた時空間の経験と記憶を引っさげて、なお、新たな「生」の営みに向けて、自らを、そしてお互いを促して往かねばならない。
この事態を薄々予感しながら思考の瞳をそらし続けてきた自分自身のことをも含めて、「回収されない」断片としての瞳の強靭さを持ち続けつつ、思考していきたい。