福島市に住む友人からメールがあった。
(引用開始)
>当面、外での体育はなし。
>遠足中止。運動会延期
>各校にガイガーカウンターが配られ、
>測定値を毎日報告するようになる
>とのウワサが。
>それでも、6日、入学式です
>沈んでいく中で演奏を続け
>た、タイタニックの楽団を想います。
(引用終了)
これはやはり
「愚かしい日常性へのしがみつきだけである」
というべき事象じゃないかなあ。
福島市はいわき市よりも高い放射線量を示し続けています。
急がずに、もう少しゆっくり注意深く危険を織り込みながらの
軟着陸を、繰り返しお役所には求めたいと切実に願います。
まさか、
2マイクロシーベルト/hだから安全なのに市民は愚かにもびびっている。
啓蒙すれば普通に教育はできる……
なんてお役人たちは考えているんじゃなかろうか?
そこまで馬鹿な役人たちだとは思いたくないが、どうもそういう危惧を抱く。
繰り返すが、福島県人は今の政府が「安全」だという線量を理解せずに「愚かにも」びびっているんじゃないんだ。
そうじゃなくて、この状況全体に対する不信と怒りと不安と、無力感を抱いているのだ。
だから、その不安と不信と怒りを共有しつつ、この状況に対応していきたいと思っているのだ。
それは確かに、一見、不信が渦巻く中で断片化している市民の混迷、とも見える。
だが、それは絶対に、「ただしさ」や「啓蒙」で説得されるべき種類の「愚かさ」ではない。
これは、分かる人には分かる。分からないヤツにはずっと分からないのだろうな。
私は今、こういうとき、スピノザを想うのです。
震災前、國分功一郎氏が出版イベントで発言していた「スピノザは弱い」というコメントを、うなずきつつ思い出す。
デカルト&ニュートン的説得の言説ではたどり着かない場所を、スピノザ&ホイヘンスのもう一つの「近代」は指し示し続けてきたのではないか、という指摘は鋭い。
私達は、限られた遡及の中の論理的説得で統合される「科学的合理」ではない、もう一つの断片が断片のままで響き合い、それぞれの中に「真理」を見いだすことができる可能性を、模索すべき場所に立っている。
スピノザのテキストは、その志向を持つ今の私を支え続けてくれるのだ。
(引用開始)
>当面、外での体育はなし。
>遠足中止。運動会延期
>各校にガイガーカウンターが配られ、
>測定値を毎日報告するようになる
>とのウワサが。
>それでも、6日、入学式です
>沈んでいく中で演奏を続け
>た、タイタニックの楽団を想います。
(引用終了)
これはやはり
「愚かしい日常性へのしがみつきだけである」
というべき事象じゃないかなあ。
福島市はいわき市よりも高い放射線量を示し続けています。
急がずに、もう少しゆっくり注意深く危険を織り込みながらの
軟着陸を、繰り返しお役所には求めたいと切実に願います。
まさか、
2マイクロシーベルト/hだから安全なのに市民は愚かにもびびっている。
啓蒙すれば普通に教育はできる……
なんてお役人たちは考えているんじゃなかろうか?
そこまで馬鹿な役人たちだとは思いたくないが、どうもそういう危惧を抱く。
繰り返すが、福島県人は今の政府が「安全」だという線量を理解せずに「愚かにも」びびっているんじゃないんだ。
そうじゃなくて、この状況全体に対する不信と怒りと不安と、無力感を抱いているのだ。
だから、その不安と不信と怒りを共有しつつ、この状況に対応していきたいと思っているのだ。
それは確かに、一見、不信が渦巻く中で断片化している市民の混迷、とも見える。
だが、それは絶対に、「ただしさ」や「啓蒙」で説得されるべき種類の「愚かさ」ではない。
これは、分かる人には分かる。分からないヤツにはずっと分からないのだろうな。
私は今、こういうとき、スピノザを想うのです。
震災前、國分功一郎氏が出版イベントで発言していた「スピノザは弱い」というコメントを、うなずきつつ思い出す。
デカルト&ニュートン的説得の言説ではたどり着かない場所を、スピノザ&ホイヘンスのもう一つの「近代」は指し示し続けてきたのではないか、という指摘は鋭い。
私達は、限られた遡及の中の論理的説得で統合される「科学的合理」ではない、もう一つの断片が断片のままで響き合い、それぞれの中に「真理」を見いだすことができる可能性を、模索すべき場所に立っている。
スピノザのテキストは、その志向を持つ今の私を支え続けてくれるのだ。