week9、そう、
王子が「学校に行かなくていい?」発言をしてから
まるっと二か月が経ちました。
そんなweek9の月曜日、
彼は朝自分で目覚ましで起き、
準備をし、スクールバスで登校していきました
彼自身から「乗り越えた!」という自信が感じられ、
成長の匂いがぷんぷんします
本当によかった
母、この日の朝は
ひっそりとガレージの陰から
スクールバスを見送りながら
涙を流す変態おばさんに変身
ありがとうございます
どうにか乗り越えたようです
「アメリカに行けば、一年くらいたてば、
特に子供ならすぐに適応し、英語もしゃべれるようになる」
…なりません。
なる子もいるかもしれないけど、多くはそうではありません。
長い年月をかけて、たとえそうなったとしても、
大変な苦労を重ね、労力を注いで、時間をかけてそうなっていったのではないかと思います。
「英語が話せれば生活は問題なくできる」
…できません。
できる人もいるだろうけど、ほんとの壁は言葉ではないと思います。
「とことん話し合えば、いつかは分かり合える」
…あえません。
どんなに話しあっても、育った環境、文化背景、自分の中の当たり前…いろんなことが違うので
完璧に分かり合える、ってことはない気がします。
これがアタシの結論。
日本人の「人を慮る(おもんばかる)」という行為は、
単一民族の特性のモノな気がします。
「いちいち言わなくてもわかる」
「もしかして、あの人はこう感じているかもしれない」
人がどう感じるか、どう考えるか、ということを考えるのが
今までは当たり前だと思ってました。
なぜ、この国の人たちはそのくらいのことも想像しないのだろう
なぜ、この国ではいちいち説明したり、言わなければならないことが多いのだろう
そういう疑問を持った時に、
びっくりするくらいいろんな人種、いろんな国籍の人がいるこのアメリカという国で
人を慮ろうとすると、それぞれの国、人種での常識や考えが違うから
逆に慮ることが仇となったり、慮ることが難しいのではないか
そういう風に思い始めました。
そっか、
だからいちいち説明するんだ
だから言い訳っぽい言い方になるんだ
「も~なんでこれくらいも察してくれないの?」
「も~なんでわかってくれないの?」じゃなくて
互いに想像や勝手な思い込みだけではなく、
しっかり説明して「違う」ってことを認め合わないと
この国ではやっていけないのだ!
そこにようやく気付いたのです
耳を傾ける、
違いを認める、
そうすることで
もめごとや誤解を少なくして
たくさんの国のたくさんの考え方の人たちが
揉めたり争ったりせず日々の生活を過ごせるようになっていったのでしょう。
堅苦しく考えすぎ?
いや、このくらい思ってないと流されて負けちゃうのよっ
アタシ、負けないから
これからは
臆さず、どんどん説明も言い訳もして
アタシという日本人を理解してもらおうと思った次第です
ね、何が言いたいかわからんやろ?
ま、いっか。
ただいま脳みそが『考えたい時期』に突入してルんです
…ということで、
トンネルはやっぱり出口がありました
こういう学校問題って、
お子を連れての駐妻のみんなは大なり小なりきっと通る道。
優雅な駐妻生活そんなものありゃしませんっ
だけど、こうやって異文化でもがき苦しむことで
今後のためにもプライスレスな経験になることは
身をもって体感しました
迷ったら、悩んだら、誰かに口にしてみる。
たくさんの人にかかわってもらい、一人で抱えない。
同じ思いをした人、絶対いるから
そして、手を差し伸べてくれる人、絶対いるから
なにかの宣伝の決め文句みたいに聞こえますが…
焦らないで
あ、宣伝は「あきらめないで」だったね
オトナからすれば、
気をもむことも多いし、
何とかしなくちゃって焦るけど
子どもたち、目には見えないけど
すんごい化学反応してます、ココロと体で。
「なんの励ましにもならないかもしれないけど、
時間が解決してくれるよ」
悩んでる初期のころにそういってくれたママさんの言葉が
トンネルを抜けた今、心に響く。そういう感じです
普通、が一番。
今その「普通」の毎日が素直にうれしい
支えてくれた周りの人たちへの感謝でいっぱい
何かの形で恩返しできたらいいな、と思えるところまで復活です
The end