我家の南側には社会福祉法人「慈愛園」があります。一万坪の広い敷地の中に教会、子供ホームや乳児施設、老人ホーム、幼稚園などが点在し、園路は土のままで様々な樹木や花に囲まれ、一昔前に戻ったような懐かしさがあります。(ポニーが飼われ、ニワトリがウロウロしています)
写真は本部建物で、ここを創設されたモードパウラス記念館(宣教師館)でもあり、登録文化財として申請書類作成の為、設計図の整備と現況調査、写真撮影に行きました。当初の設計図(青図-全体が青で線が白い図面)も残っていて、文字は全て英語なので設計者は米国の人のようです。実測すると微妙に食い違いもあり、現場で使い勝手に合わせ変更されたのだと思います。外壁は厚吹きのモルタルスタッコ調、木製網戸は横に折れ上下する珍しい仕組みですが、傷みも激しく動かすと壊れそうです。築80年程経ていますが1階は事務室、2階は資料展示室で、部分的補修は必要ですが建物自体はまだ数十年使い続けることが可能です。
モードパウラス女史はアメリカのノースカロライナに生まれ、10才の時父を無くし、母と一男八女の生活は皆で支えあう大変な暮らしだったようです。11才の時日本からの伝道の便りを読み「宣教師として日本へ行きたい」と願う様になり、資格を取って熊本に来られています。この神水の地を中心に、恵まれない子供達や人身売買された女性の保護など社会福祉15施設つくられ、全国優良社会事業施設12ヶ所の一つとして昭和天皇も行幸されています。1959年70歳の時宣教師を辞めアメリカに戻られています。私が神水に越してきたのが1968年なので、10年程前アメリカに戻られていることになります。越してきたクリスマスの夜、ロウソクを持って園内を廻られている灯りの列を見て、初めてキリスト教の施設なんだと思ったのを記憶しています。
写真は6年前設計したエスターホーム(子供ホーム)です。急に子供ホームを建替えなければならないと古い子供ホームを壊して造り直す依頼でしたが、特徴のあるデザインであり、70年経た建物が無くなれば慈愛園の歴史がまた一つ消えてしまうとの思い、無理にデザインの再生をお願いしました。そのままの保存や再生も模索しましたが、建物内容と合わずデザインの再生としました。古い瓦を下ろし以前のデザインに忠実に新築し直し、同じ瓦で再度屋根を葺きました。本部(パウラス記念館)と旧子供ホームが並ぶ風景に「ここらはなーんも変わっとらんね」と言ってもらえれば...ヨカッタ!なのですが。