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風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

Y'sDAY PROJECT 2

2017-04-29 14:55:46 | 日記

昨年から取り組んでいたY'sDAY(家具ショップ)が今日リニューアルオープンしました。途中で熊本地震が発生し紆余曲折がありましたが、施工者も人手不足の中頑張ってくれ、予定の4月29日にどうにか間に合いました。

昨日の夕方まで既設店舗のクロス張替が続いていたので、お店のデイスプレイは今朝の3時までか掛かったそうです。

当初写真の駐車場側奥に店舗を建てる計画で設計し、確認申請も下り着工寸前まで行っていたのですが、今新店舗が建っている所の古い民家が被災し解体後の敷地の購入をY'sDAYに頼まれました。間口約5.5M奥行33Mの細長い敷地は駐車場にも使えず、悩んだ挙句購入敷地側に店舗を新築し、古い店舗と繋ぐ計画に変更することになりました。

ところが既設店舗(2階アパート)は確認申請の完了検査を受けておらず、詳しく調べると確認申請時から変更部分があり、壁量計算上の壁が大きく不足していました。急遽適法化案を作り熊本市建築指導課に相談に行きました。不足耐力壁の増設、非常用照明の設置など是正報告書を作成し、如何にか確認申請許可を取得しました。

昨年12月に着工しましたが、暮れに店舗長さを約29.0Mから33.0Mに増設依頼があり、一時工事ストップ、計画変更申請手続きを行い。1月末に工事再開。

この建物はL型のコンクリート(ベタ基礎とRC壁)を長手方向に作り、反対側の壁と屋根は木造の混構造です。長い敷地の短編方向の耐力壁を無くす為、コンクリート壁に地震力を持たせ、木造部分は屋根と外壁を面材耐力壁で固める事でシンプルな構造としました。コンクリートの上は土台、大梁、母屋組みの間に出来るスリットをガラス張りにすることで軽やかさを演出しています。

天井高さが4.0Mあることとコンクリート壁は熱容量が大きいので、外断熱化し、屋根は外張り断熱にしました。気持ちの良い空間も温熱環境が悪いとガッカリなので、これまで培ってきたパッシブソーラーの考え方をここでも活かしています。

今日は最も気候の良い時期でもあるのですが、店舗の中を流れる空気が気持ちよく、今朝ギリギリまで掛かってディスプレイされた家具たちもコンクリート打ち放しと杉梁と光の中で一際存在感が増していました。

私も店舗設計は久しぶりだったので、苦労も多かったですがイメージした空間が気持ちよく使われていて嬉しくなりました。

空間の力強さと空気の流れは風(プネウマ)を呼んでくれます。

 


大川・久留米2

2017-03-07 20:19:48 | 日記

3月4日(土)の最後の目的は久留米市美術館で開催されている「生誕140年 吉田博展」を見ることでした。1月に日曜美術館の放送を見てからどうしても見たくなり、3つの目的が重なった今日になりました。

 

吉田博は1876年(明治9年)に久留米市京町に旧有馬藩士上田束の次男として生まれています。

少年時代について「生来運動や遠足が好きで、紙と鉛筆とを携えて山川を跋渉して、至る処で写生をした。山川の跋渉を好むのも、風景画家として身を立つるに至ったのも、此地の天然の感化に由るものが多いであろう」と紹介されている(美術新報)

14歳の時図画教師の吉田嘉三郎に非凡なる画才を見込まれて、吉田家の養子になる。その後東京に出て不同舎で洋画を学び、東京近郊に日の出から日没まで写生をする日々を送り、21才の夏、奥飛騨への2か月にわたる山籠もりの決死的写生旅行を行い、当時前人未到だった日本アルプスでは熊や狼に遭遇しながら、約150キロを難関辛苦の上踏破している。

前人未到の深山幽谷の経験で、単に自然を見たままで描けばよいというのではなく、自然に溶け込み、自然と一体になってこそ、人を感動させる風景画が描けるのだとする不動の信念を持つようになる。

日本の近代洋画界の流れが黒田清輝率いる派が「新派」と呼ばれ、不同舎は「旧派」と呼ばれるようになる。反骨精神旺盛な吉田博は片道旅費のみで決死の覚悟で渡米する。アメリカではデトロイト美術館を訪れ館長に水彩画を見てもらう機会を得、館長はその素晴らしさに驚嘆し、デトロイト美術館での展覧会開催を依頼、作品も売れ多額の収入を得る。ボストン美術館、ワシントンでも大成功を収め、ヨーロッパへ向かっている。

日本に戻ってからも活躍し、弱冠34歳で洋画家の重鎮の座に列している。

 

50才から木版画を製作するようになり、独自の新しい木版画に取り組んでいる。彫と摺りも自ら行い「大版」と呼ばれる大作も摺りのズレなど微塵もない見事な出来上りで感嘆する出来栄えで、他に例を見ない独自の創造として高く評価され、いまも世界的な人気を博している。版は平均30版以上、「陽明門」では96版重ねててあり、「とても木版画とは思えない」ような写実性は、薄い絵具を何度も摺り重ねたり、細かい版を重ね合わせてするという独特の技法から生み出されている。

 

帆船の木版画はダイアナ妃が書斎に飾っていたものと同じ絵で、心理学者フロイトも吉田博の木版画を所有していた。終戦後占領軍としてマッカーサーが来た時に「吉田は何処にいる」と尋ねている。(吉田博作品集 安永幸一著がら引用)

前置きが長くなってしまいました。展覧会では280点ほど展示してあり、その点数の多さは驚愕です。アメリカでも多数の作品が買われ、日本で買って持ち帰った作品も多数あるとの事ですので、吉田博は生涯の大半の時間を作品制作に注ぎ込んだのだと思います。

展示の一作、一作見ても全力を注いでいると感じます。そこには吉田博が言うように風景画に「感動」を感じます。風景の中に人の営みを感じさせ、吹く風や寒気、湿り気などの空気感も伝わってきます。

すごい人が居るんだなぁと思うと同時に高島野十郎の事も最近知り、自分の知識不足に呆れながらも見れて良かったと心から思いました。


大川・久留米

2017-03-06 20:20:18 | 日記

3月4日(土)大川から久留米へ行きました。目的は3か所と少し欲張りな行程でしたがとても有意義な時間になりました。

実はウォルナットやチーク材を使いたいと言う建て主の希望があり、ネットで調べていたら、大川の高田製材所が様々な輸入木材を扱っているのを見付け、どんな材種をどの程度在庫されているのか見たく見学を申込みました。

大川は家具産業で有名ですが、高田製材所の取扱い材種と量を見て驚きました。問い合わせは日本中からあるそうで、その種類の多さと在庫量は予想をはるかに上回り、たぶん日本一なんだと思います。

2枚目の写真の積まれたのは様々な原木です。チェリー、メジロカバ、ヤマザクラ、ニレ、ヤナギ、センなど、中にはウエンジなど初めて聞く木材もあります。

倉庫に製材され積まれた様々な木材はごく一部で天然乾燥の為外部に置かれた木材が敷地いっぱいに在り、出荷前の木材は別の広い場所の倉庫に大量に保管されています。

扱っている材種は以前100種類程度だったものが要望に応えて行く内に、現在は250種類になっているとのことです。展示場にはサンプルが展示され、そのサンプルピースも25枚から200枚セットで販売されています。

目からウロコです。高田製材所をもっと早くから知っていれば枠、建具材種で悩むことは減ったのにと思いました。

大川から築後川沿いを車で30分程で久留米市中心部に着きました。

次の目的地は日本福音ルーテル久留米教会を見学することでした。1918年(大正7年)に献堂されたW・M・ヴォーリズの初期の建築で九州に現存するもっとも古い建物です。

牧師さんにお願いし、見学させてもらいました。久留米市の中心部に有る為周辺には高層マンションが建ち、ビルの谷間にひっそり佇んでいます。敷地内には幼稚園も隣接し教会の廻りが園庭を兼用している為か、教会のすぐ横が砂場になっていました。来年が100周年とのこと、ビルに囲まれながらもそこには永い時を経て尚大切にされている空気が漂っています。

中に入ると、こじんまりした教会ですが、とても優しく、温かみのある空間でした。シンプルな木造トラスと漆喰壁。2階へ上る階段は吹抜けを円形天井で切り取ってあり、上部にはステンドガラスが見えます。

ヴォーリズの建築はどの建物にも優しさを感じます。建物を使う人、訪れる人への深い愛情を建築設計の基本とし、その思いを形にしているように感じます。とても素晴らしい建築だと思いました。


コンクリート打ち放しと木材

2017-02-27 13:04:03 | 日記

現在施工中の家具ショップのコンクリート型枠の状況、片側だけをコンクリート打ち放し壁にし、反対壁と屋根は木造で作ります。コンクリート壁は熱容量が大きく空調などへの影響が大きいため外壁側に断熱材(ブルー)を打ち込んでいます。パネル910mmごとに受材を挟み一緒に打込んでその上に透湿防水シート、ガルバニュウム鋼板小波板を縦張りで張って仕上げます。

木造部分の木材検査に山鹿の幸の国木材工業に建て主と一緒に行き、含水率・節の具合・年輪等を確認。山鹿周辺の杉は綾杉と言いますが、木材の質はいつもとても良く、安心感があります。

この建物は38Mの打ち放し壁に木造で4.8~5.2M幅で杉材120×300mmを1800mm間隔で掛け渡し、内部の化粧材として見せます。そのため大梁は大切な意匠ですので、じっくり確認しました。ブルーの扉は乾燥釜の扉で、人工乾燥が終わって出て来たばかりでくすんでいますが、これからプレナー加工して綺麗な杉の木目が現われて来るでしょう

 

 

先週末の2月24日のコンクリート打設に立会いました。垂直壁だけなので打ち込みは中々大変でした。高さは3.6Mあるため一気に打ち上げることは出来ないので、数回の分けて打ちました。2月で気温の低い時期なので、コールドジョイントは出来難いとは思いますが、ポンプの組み替えに時間がかかり、想定以上に時間を要したので型枠叩きを念入りに私も一緒に行いました。

綺麗なコンクリート打ち放しになるよう願いを込めて!! 9時から17時まで現場に居て叩いていたので、数日間筋肉痛が続きました。最近数日遅れて筋肉痛が酷くなるのは年齢のせいかと、つい気持ちばかり若いつもりでやり過ぎない様にしないといけないと反省です。

3月1日には脱枠3月6日の週には木造部分も組み出しますので、どんな空間になるか楽しみです。


高島野十郎 没後40年展

2016-09-05 17:33:23 | 日記

 

9月3日(土)台風12号が九州に接近する中、家内に誘われ九州芸文館の「高島野十郎没後40年展」を見に行きました。野十郎と聞いてつい炎と蛾の作家と思ってしまい、最後まで見終わってもそれらしき絵は無く、どうしてだろうと思っていると、それは違う作家だと教えられました。その程度の知識で恥ずかしい限りです。

帰ってから炎と蛾を描いたのは速水御舟の「炎舞」であること、思っていた絵がなくがっかりしたかとかと言えばまったく逆でした。一点一点引き込まれるものがあり、風景画や静物画を見ていると描かれた絵を通してその周辺の風景や部屋の雰囲気まで伝わってくるのです。絵の中の空気や風、匂いまでも伝わってくるような感動を初めて味わいました。

描かれた風景、静物の写実画、繰り返し描かれる蝋燭の炎、月。初期の画にゴッホやミレーの影響を受けたものもありますが、次第に作家独自の写実画になり、リアリティと共に精神性の高さが伝わって来ました。

高島野十郎は久留米の醸造家の家に生まれ、帝国大学農学部水産学科を首席で卒業した後、独学で絵を学び、画壇とは一切関わらず生涯独身を通し描き続けた孤高の作家であり、亡くなった後に脚光を浴びています。大学時代の魚のスケッチも細かい寸法まで英語で描かれて研究者としての視点も絵に表れている気がしました。

特に驚いた絵は太陽を描いていることです。光り輝く太陽を直視することは出来ないのですが、その太陽の光線を描こうとしていることに仏心厚かった作家の精神性が強く感じられました。

Wikipediaに『野十郎は仏心厚く、臨済宗から真言宗に親しみ、空海の「秘密曼陀羅十住心論」を座右の銘とていたこと。枕元にあった遺稿「ノート」によると、「生まれたときから散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落とす程写実は深くなる。写実の遂及とは何もかも洗ひ落として生まれる前の裸になる事、その事である」と深い精神性を湛えた独特の写実観を示している。「花も散り世はこともなくひたすらにたゞあかあかと陽は照りてあり」と「ノート」最終頁に綴られていた』とありました。

             

九州芸文館は隈健吾氏の設計であることはスマホで調べて解りました。複雑な折れ屋根の建物で、外壁の不規則な御影石パネルやスチールメッシュの壁面緑化など独特な表層表現がされています。会場の入り口付近は素っ気なく、内部は屋根形状をそのまま表したような空間に可動パネルで区画し、白中心のシンプルな内装になっていました。

 

ペアガラスのストラクチャルシーリングで張り付けたシンプルな納まりはちょっと「目からうろこ」 !

   

別棟の曲線による建物は?? 目立たない構内サインは?? チョットもやもや。

   

高島野十郎展は熊本地震後一番の感動を与えてくれて、心に響く豊かな時間でした。