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風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

ウイリアム・メレル・ヴォーリズ展in熊本

2018-01-24 11:34:11 | 日記

1月16日から21日まで熊本県立美術館分館で「ウイリアム・メリル・ヴォーリズ展in熊本」が開催されました。開催までの経緯などを少しお話します。

5年程前から熊本でのヴォーリズ展開催したいとの相談があり、2016年1月熊本YMCAが中心になり準備事務局を立ち上げました。会場は県立美術館分館第3展示場が最適と考え、運よく抽選にも当たり準備を開始しました。しかし、その年の4月14、16日に熊本地震が発生、熊本全体が地震被害に見舞われ、分館も特に最上階(開催場所)が吊パネル落下などの大きな被害が出て使用不能になりました。

当時熊本YMCAは益城町の総合スポーツセンターの指定管理者になっていて、一番被害の大きい益城町でこのセンターが地震避難の中心施設となり多くの避難者が集中しました。YMCAは全国のYMCAから応援を受けながら半年程、災害支援に全力を尽くします。

私の方は地震当時、2年繰越の国補助の2300㎡の福祉施設実施設計に入っており、2017年3月の完成が絶対条件で、設計に追われる日々でした。地震翌日には手掛けた住宅などを確認しに行き、どこも被害が少なくその事はホッとしましたが、しかし毎日のように被災相談があり毎週3回程は見に出かけていました。

2017.03 完成 救護施設

実施設計は如何にか間に合わせましたが、地震復旧で熊本市周辺で施工できる会社が居らず、建築費は高騰、入札不調もあり着工まで苦労しました。紆余曲折はありながら如何にか地元の施工者が受けてくれ、人手不足にも関わらず突貫工事で頑張ってくれ3月に完成することが出来ました。

 

2017.06.03 講演会 (九州学院 ブラウンチャペル)

ヴォーリズ展開催も如何なるだろうと思いましたが、準備事務局会議の話し合いで開催を決定。熊本の3つのヴォーリズ建築九州学院ブラウンチャペル、ルーテル学院本館(旧九州女学院)、ルーテル熊本教会も被災しましたが、すぐに復旧工事に着手し、使用に問題が無かったことも勇気づけられると共に、90年以上経たヴォーリズ建築が地震にも耐え、使い続けられる事は素晴らしい事実であり、ヴォーリズ展で紹介する意義も大きくなりました。

同時に毎年開催される「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク熊本大会」を誘致し、2017年6月に総会、講演、交流会、見学会を開催しました。関西など全国各地から泊り掛けで50名ほど参加され、ヴォーリズ精神、ヴォーリズ建築は建築関係者と言うより一般の人が大切にしている事をを知りました。

 

2017.09.28 ヴォーリズ記念館

2017.09.28 近江兄弟社 ハイド記念館

地震の一年後、2017年9月県立美術館分館の被災補修工事が終了後の2018年1月にヴォーリズ展開催することが決定し、会場展示計画を私が担当することになり、展示資料の確認に近江八幡、大阪、神戸に行きました。

主要なパネルは没後50年の「ヴォーリス展in近江八幡」で作成された140点余りと関西学院大学が所蔵する写真パネルから選定。熊本の洋学校、熊本バンドの資料をYMCAが、他に不足するものは私が2011年から東京、軽井沢、近江八幡、京都、大阪、神戸を訪ね歩いた写真をパネル化しました。A1に拡大する予定が無く撮影したものなので、画質的に少し厳しい点は許して頂くかなかったですが。

 

 2017.12.03 日本基督教団 大阪教会

  2017.12.03 神戸女学院 中庭

展示の為に昨年二度関西方面に出掛けました。豊郷小学校、大阪教会、関西学院大学、神戸女学院、東華菜館、京都御幸町教会、同社社大学などを見学しました。1911年見た、まだ改修前の大丸心斎橋店の質の高さに驚きましたが、今回大阪教会と神戸女学院大学を見て、建築の持つ雰囲気、デザイン力、質の高さには改めて驚きと感動でした。

1月15日に展示準備、16日にオ-プニングを開催。入場者数は確認していませんが、土日に行った人から盛況だったと伝え聞きました。(週末は講演会、見学会の対応で会場には行けませんでしたので)

1月17日、姜尚中さんの記念講演「ヴォーリズの生きた時代と日米の歴史」はキリスト教とYMCAについて、戦後ヴォーリズのマッカーサーと近衛文麿との間でのメッセンジャーとしての働きなど、当時の歴史観を踏まえた示唆に富む話でした。

1月20日、連続講演会、関西学院大学院長の田淵結氏の「ヴォーリズのキャンパス~彼の祈りのかたち」、関西学院大学は正門の正面に広い芝生広場があり、それを取り囲むように校舎が建っています。広場正面に時計台校舎、その先に甲山を望む軸線上に計画されています。それはキリスト教の教えを具現化したキャンパス計画で、この広場があること自体がキリスト教の教えになっていると話されました。

元一粒社ヴォーリズ建築事務所所長の石田忠範氏の「ヴォーリズさんの設計室」は写真と図面スライドで、ヴォーリズ事務所の心温まるエピソードや取組など、貴重な話を聞くことが出来ました。

その後、田淵氏、石田氏両氏に風設計室のOB藤本、柿内に加わってもらい、私がファシリテーターを務めトークセッションを行いました。建物の感想や質問を通して、ざっくばらんにヴォーリズさんや建築事務所の事を語って頂きました。

どの講演も貴重で示唆に富むものでした。今回のヴォーリズ展で多くの方がヴォーリズ精神や建物に興味を持たれた事を耳にします。大変でしたがやって良かったと思います。

今回改めてヴォーリズ建築を見て、気になることがありましたが、理由が分りました。そのことについては次のブログに書ければと思います。


神戸女学院大学

2017-10-12 14:32:59 | 日記

グランド

Googleの航空画像を見ると、宅地化された周辺街並みの中に鬱蒼とした森の中にゆったり配置された校舎と広大な神戸女学院大学キャンパスがあります。

1933(昭和8年)にW・M・ヴォーリズによって設計されたスパニッシュ様式の校舎が完成、岡田山キャンパスに移転しています。現在も当時の文学館、理学館、図書館本館、音楽学部1号館、講堂・チャペルを含む総務館が使われています。建物の配置は移転時と大きく変わってないように感じます。特に中庭を囲む校舎群はヴォーリズ建築で必ず紹介される建物です。

写真では何度も見ていた校舎群です。様式的な建築なので近代的和洋折衷建築と思っていましたが、実際この中庭に立ってみると中庭と建物のスケール感がとても良く、夫々の校舎のデザインも洗練されたものを感じます。和洋折衷ではなく洗練されたスパニッシュスタイルデザインだと思いました。1階部分にタイルを張ってありますが、貼り方のデザインががより魅力を引立てています。

 

中庭北側の講堂内部を見せてもらいました。この建物も写真では見ていましたが内部空間は予想以上に素晴らしいものでした。包み込むような柔らかな曲線の天井と連続する窓から入る光が、心までも包み込まれるような雰囲気をもっていて、この講堂は秀逸です。ここに腰かけてパイプオルガンの演奏を聴いてみたいと思いました。

当時のヴォーリズ建築事務所でも素晴らしい才能を持った設計者が担当されたのだと思います。

渡り廊下と外部の交差する通路のデザインもとても魅力的で、タイルの貼り方も素敵です。2014年国の重要文化財になったことも頷けます。神戸女学院大学はヴォーリズ建築の傑作の一つだと思います。

今回、最も美しいと言われる有名な図書館は見れませんでしたので、いつか見学ツアーに申込み再訪したいと思います。

ヴォーリズ建築には現代建築的な派手さはないのですが、訪れてみると深い感銘を受けます。建築も質が高く、阪神淡路大震災で被災修復され80年経た建物が今もこんなに魅力的であることに感銘を受けます。何か大切なものが宿っているような気がしました。

来年「ヴォーリズin熊本展」を開催する準備の訪問でしたが、素晴らしい建築との出会いがありとても有意義でした。


関西学院大学

2017-10-06 11:43:57 | 日記

 

 

29日午後、最後の目的地である関西学院大学西宮上ケ原キャンパスを訪問しました。阪急神戸線西宮北口からタクシーで15分程の丘陵地にあり、ここではヴォーリズ建築の写真パネル(38点)の借用と確認が目的です。

初めての訪問ですが、門から入ると正面に時計台校舎が見えます。近づいて行くと中央に広々とした芝生広場があり、その周りにスパニッシュスタイルの校舎が取り囲んでいます。待ち合わせ時間まで30分程あったのでキャンパス内を見学させてもらいました。

広大なキャンパスにスパニッシュスタイルの建物がゆったりと配置され、校舎は最高4階建としてある為圧迫感も少なく、多くの樹木と庭がバランスが良く、学生生活の理想的な環境が作られています。

なるべく学生は映らないようにしていますが、実際は行き交う学生はとても多く活気があります。これほど伸びやかで綺麗な大学は初めて見しました。木々の手入れも大変だと思うのですが大木もあり素晴らしいです。

先程の芝生広場を取り囲むように造られた建物と正門廻り、外国人の住宅10棟がヴォーリズ建築です。1929年(昭和4年)に建設され88年たっています。中央芝生広場と校舎群は背景に見える甲山の景観は、「ヴォーリズが設計者としてのみではなく、伝道者そして教育者として理想とするキリスト教学校のあるべき形の具現化として完成されたものとなっている」(パンフレットより)と説明されています。

門から中央広場に歩いて来た時、何とも言えない安心感と気持ちの高まりを感じます。ここで学ぶ学生も同じ気持ちになるのではないかと思います。キャンパスの中心に大きな広場を設けることで、大学の一体感や愛着、親近感が生まれる効果を持っていることに気付かされます。

大きなホールとレストランがあり、卒業生の結婚式も出来るそうです。

時計台校舎は現在記念館になっていて、関西学院大学の歴史や資料が飾ってあります。校舎移転時のジオラマが展示してあり、熊本展への貸し出しもOKとの事でしたが、運搬中の損傷が心配でお借りするのは難しいと判断しました。

中央芝生広場では学生と混じって、近隣の子供たちもボール遊びをしています。周辺地域の人にとっても親しみのある自慢の大学なのでしょう。

 

西宮上ヶ原キャンパスから歩いて5分ほどのところに西宮聖和キャンパスがあります。移動の途中スパニッシュスタイルのマンションやアパートを多く見かけます。立面や丸窓のデザインを見ると関西学院大学の一部かと勘違いしてしまいそうです。これだけ地域に親しまれ、溶け込んでいる大学も珍しいと思いました。

このキャンパスにも1932年(昭和7年)築のヴォーリズ建築があり、聖和キャンパスのシンボルとなっています。1階に在るダッドレーメモリアルチャペルは簡素な造りですが、親しみを感じるチャペルです。

聖和キャンパスの隣りには神戸女学院があります。まるで一緒の学校かなと思わせる雰囲気で繋がっています。今年国の重要文化財に指定されました。女学校と言う事もあり見学日が決まっていて申込みが必要です。今回関西学院大学の学長さんと一緒だったので少しだけ案内して頂きました。次のブログで紹介したいと思いますが、久しぶり建築に感動しました。


W.M.ヴォーリズと大同生命

2017-10-03 19:30:50 | 日記

 

ハイド館(旧幼稚園)

ヴォーリズ邸(現ヴォーリズ記念館、兄弟社寮を改造)

9月28日午後豊郷小学校から近江八幡の近江兄弟社を訪問しました。近江八幡に来たのは2度目です。(2011年2月2日のブログ)その時はヴォーリズ記念館は催しがあり内部見学は出来ず、近江兄弟社ヴォーリズ学園も外から眺めただけでした。それで周辺のヴォーリズ建築や重要伝統的建造物群保存地区の町並み、豊臣秀次が作った運河周辺などゆっくり散策、落ち着いた町並みと運河の緩やかな曲線に寄り添うような建物景観に心惹かれました。そんな中にヴォーリズ建築のコロニアルやスパニッシュスタイルのデザインがあり、日本伝統の街並みとヴォーリズ建築の共存を大切にしている近江八幡に不思議な魅力を感じました。

近江八幡の街並みからJRの駅が離れています。明治時代の頃出来たと思うのですが、駅を古い町並みまで引き込む計画もあったそうですが、駅が近いと若い人が町を離れていくことを心配して離れたところに造ったとのことです。そのお蔭でしょうか保存地区には高い建物がなく、伝統的な日本の街並みが多く残っています。

W.M.ヴォーリズが日本に来た時の木製のトランクが飾ってあります。頑丈に見えますが意外に軽いです。(中身が無ので)このトランクは近江八幡駅に届くはずが北九州の八幡に行ってしまい時間が経ってから届いたと言うことです。

幼稚園の時使っていた籐の子供椅子、とても軽くて小さい子供でも自分で持ち運べるようになっています。またおもらししてもすぐ分るので、子供たちの衛生にも良かったとのこと。

講堂兼運動室

 ヴォーリズ学園礼拝堂

 

屋内体育館

ヴォーリズ学園には中学校、高校があり、多くの生徒が行き交っていました。本館の最上階には礼拝堂、最近できた木造屋根の体育館、他にも多くの建物が在りコンパクトに纏まっています。高校は普通科と国際コミュニケーション科があります。

  大同生命本社

 2階ホール

29日は午前中に大阪中之島にある一粒社ヴォーリズ建築事務所を訪問、原図の借用のお願いや展覧会の協力をお願いしました。そしてすぐ近くの大同生命本社ビル(ヴォーリズ事務所設計)を訪問。NHKの朝ドラ「あさが来た」のモデルになった「加賀屋と広岡浅子」の展示を見学。

広岡浅子の娘婿、広岡恵三氏は加島銀行、大同生命、大阪電気軌道の社長になっています。自宅設計をヴォーリズに依頼し、そのとき妹の一柳満喜子と運命的な出会いをしますが、一柳家は子爵の家柄で当時外国人との婚姻は認められなかった為、華族から平民戸主になって結婚されています。周辺の反対もあったそうですが広岡浅子が結婚を強く後押しして結ばれています。一柳満喜子は9年のアメリカ留学経験があり聡明な女性で津田塾大学を開いた津田梅子は満喜子に後を託したいと思っていたとのことです。ヴォーリズの義兄となる広岡恵三との関係から大同生命本社ビルなど大阪の商業建築を多く手掛けますが、どの建物も評価がとても高かったようです。広岡浅子はキリスト教の洗礼を受け、YMCAやヴォーリズ建築とも強く繋がりが出来ています。

浅岡浅子がキリスト教の洗礼を受けた大阪教会は大同生命本社から5分ほどのところにあります。重厚なレンガ造りで圧倒的な存在感があります。周辺に建物が建て込んで来ていて、知らなければ通りすぎてしまうかもしれませんが、教会正面横から入ると正面に鐘楼が見え、一瞬イギリスの教会に迷い込んだような気分になりました。

1922年(大正11年)にヴォーリズ事務所設計で建設、1995年の阪神・淡路大震災で半壊し、復元工事の上登録有形文化財になっています。周辺に建物が無かった頃は全景が見え、その存在感は凄かっただろうと想像できます。急な訪問で残念ながら葬儀があっていたため内部は見れませんでしたが、いつか必ず見に来たい建築でした。

 

 


豊郷小学校

2017-09-30 19:24:57 | 日記

 

9月27日から29日にかけ、来年1月16日(火)~21日(日)に開催する「W.M.ヴォーリズin熊本展」開催のパネル、原図、資料借用の確認に豊郷小学校、近江兄弟社、一粒社ヴォーリズ建築事務所、関西学院大学を訪問しました。

この訪問を数回に分けてブログにしたいと思っています。すぐに全てUP出来ないかもしれませんが、とても貴重で有意義な日々でした。

豊郷小学校は1937年(昭和12年)丸紅の専務であった古川鉄治郎氏が寄付を申し出、W.M.ヴォーリズ設計で建てられた校舎が今も残されています。古川氏は欧米の渡航経験から「国運の進展は国民教育の振興にある」と考え、私財の2/3に相当する60万円(現在の物価で数十億円)を寄贈して建設されたとのことです。

当時珍しい鉄筋コンクリート造の校舎は「白亜の殿堂」「東洋一の小学校」と呼ばれ、全国から見学者が絶えなかったと聞きました。(役場の方から)

有名なのは階段手すりに設置してある童話の「ウサギとカメ」のブロンズです。3つの階段に全てに設置してあり、踊り場の眠るウサギは子供たちが触るので摩耗している。

廊下は広く(3.0M程)長さが100Mあり、子供達には走りたくなる誘惑を持っています。

1999年(平成12年)町は老朽化と耐震性の理由から、この校舎を解体して新校舎建設の方針を打ち出し、地元町民の反対運動が起き、その校舎改築問題は2009年(平成21年)まで続いています。

保存運動が実り、現在は町立図書館、子育て支援センターなどの複合施設にリノベーションされ使われています。10年に及ぶ校舎解体反対運動へと町民の人たちの心を動かしたのは、古川氏の思いとヴォーリズ建築事務所設計の校舎の持つ魅力だろうと思いながら、町の方に案内して頂きました。

竣工当時はモダンな校舎だったと思うのですが、写真では近年の建築デザインからはシンプルさに少し物足りなさを感じるのではないかと思っていましたが、確かに内部もシンプルで華美な装飾はありません。しかし子供たちの教育に必要な光や通風、通路・階段などはゆっくり作ってあり、滋賀県は冬雪の多く寒さが厳しい処なので、当時珍しい暖房設備や弁当温めの設備などきめ細かく心遣いがされてありました。私が一番感心したのは無駄が無く、子供の教育に大切なものは徹底して作られていたことです。改めて豊郷小学校校舎から建築の温かさを感じました。

東ウイングの観光案内所に使わている旧図書館

西ウイングの講堂

最近はアニメ「けいおん」の舞台になったこともあり、「けいおん」の聖地として若いファンが訪れ、今年上映の「君の膵臓がたべたい」のロケ地としても人気が高まっているとの事です。毎年ここで高校生の軽音楽甲子園の全国大会がこの講堂で開催されています。

たくさんのアニメパネルやフィギアが置いてあります。ファンの方から寄贈されたものとの事です。写真はほんの一部です。

若い人たちが訪れる町の観光施設にもなっていることは素晴らしいです。旧豊郷小学校はこれからも愛され続けていくだろうと思います。

 

豊郷町と近江八幡の中間辺りに織田信長の安土城跡がありました。この山の上に城の石垣が残っているとの事ですが、周辺ののどかな風景は戦国時代のことは想像できません。琵琶湖に近く北陸、京都、名古屋とつながる水上交通を持つこの場所が当時重要な戦略拠点だったのだろうと思いを巡らせました。