たいていの人は、何かしらの行動をするからこそ人を喜ばせたり、傷つけるのだと思い込んでいると思います。
それは勿論そうなんだけれど「無関心」という「無神経」に似た悪意のない【人を傷つけるナニカ】は身の回りに必ずあります。
つまり何もしないことが、望まず、そして想像もしていない逆の働きになることもある。
未熟な話し方ひとつで、思いもよらない感情を相手に与えてしまうのと同じことです。
それを認め、知るべきです。
優しさの対義語は何なのでしょう?
厳しい?冷たい?
ちょっと分かりません。
優しさって複合的で用途が広いからなのでしょうが、対義語みたいな言葉と組み合わせても成り立ってしまいます。
厳しいけど優しい人はいます。
冷たいけど優しい人もいます。ツンデレ。
心模様は言葉にはし難い。
優しい人でありたかった。
優しさとは強さだってね。
だったら、強い人でありたかった。
もしも。
すべての人が隣の人を応援する世の中になれば、きっとこの国はよくなるし、世界は変わると思う。
応援団って、昔からなんだか笑われがちだけど、応援することや応援されることが笑われているってのは、どうしようもなく笑えない。
冷笑やノイズは人の心に雨を降らす。
やる気の炎が消えて、身も心も冷えてしまう。
何を糧に、何を支えに人は努力を「続けられる」のでしょうか?
応援だと思います。
応援は、人のエネルギーです。
僕らは、青空応援団だからその生き方によって誰かの励みになるのであれば本望です。
そういう覚悟がある者のみ、残っているようにも思うし。
身近な人を助ける気持ちで。
見知らぬ誰かにエールを送る気持ちで。
骨髄バンクに登録するだけで、それが出来ます。
誰かの励みになれるのです。
僕らがいつも主張している【誰もが誰かの応援団】ってやつです。
僕が出来ることは少ないけれど、友人たちや、読んでくれている皆さんに声がけをすることは出来る。
「骨髄バンク、登録しよう。誰かの勇気とか希望に、俺たちでなろう。」
僕の友人たちは今回の僕の呼びかけを受けて、
「登録したよ?」
と連絡をくれました。
誰かの元気になる。誰かの希望となる。
そんな連絡が増えて、僕も嬉しいです。
そして、僕にはもう一度チャンスがある。
骨髄の提供は、人生の中で二度まで。
もう一度の連絡が来たら、迷わずあげるって言う。
僕は、そんな風に生きていきたいのです。
あげたくてもあげられない人がいます。
呼びかけてくれてれば、それでいいよ。
役割ってあるんだろうし。
その人の代わりに、僕が今回選ばれたのかもしれないし。
巡り巡って、誰かのためになれば本望です。
嬉しいことがあるとすれば、こんなに嬉しいことはありませんでした。
押忍!