サイベイトという会社があります。
とてもとても助けてくれた先輩が経営してる会社です。
今日は彼が仙台に、
「社長仲間を連れて行くぜ。」
ということなので僕が運転手を務めて山元町まで行ったり、牧場を見てもらったり。
途中、手を降られたりして、スコバスの目立ち方ってスゲーなぁと思いながら社長さん達に話をしていました。
山元町ではタケスが仕事を終えて戻って来たから彼からも皆に話をしてもらった。
僕達は片付いたなぁと思っていても、
「やはり、異様だと思います。ここは駅前ですよね?静かですね。」
と言われて、あぁそうかと思った。
ハシモト商店も相変わらず。
駅前も色々取り壊されてなくなってたけど、あのままだ。
駅前にいると、今にもスコップ団の皆が出て来そうだ。
19日に小学校が取り壊されるそうです。
【もう一つの卒業式】
早いもので、あの花壇ももう無くなる。

必死でお願いをしに行ったっけなぁ。
強引に決めたんだった。
「オッケー、じゃあ決まり。」
そんな事を言ったと思う。
どうであれ、子ども達は入学式でくぐった門から出たいと思うだろうからね。
皆が喜んでくれたこと。
その事で涙が出たモノだ。
ばあちゃん、花壇の世話をありがとう。
もう大丈夫だぜ。
なんか、迷惑かけたね。
ごめんなさい、ありがとうね。
大変だったじゃろう。
こんなに美味しいイチゴはなかったよ。
美味しさには、嬉しさとかの気持ちが加算されるんだね。
今度、会いに行こう。
どこに行けばいるんだ?

夜は経営者の集まりに参加して、プレゼンのような発表をする羽目に!!
急展開。

テーブル代表と、トリを務めました。
西坂さん。
機会をありがとう。
僕、学校やっかんね。
とてもとても助けてくれた先輩が経営してる会社です。
今日は彼が仙台に、
「社長仲間を連れて行くぜ。」
ということなので僕が運転手を務めて山元町まで行ったり、牧場を見てもらったり。
途中、手を降られたりして、スコバスの目立ち方ってスゲーなぁと思いながら社長さん達に話をしていました。
山元町ではタケスが仕事を終えて戻って来たから彼からも皆に話をしてもらった。
僕達は片付いたなぁと思っていても、
「やはり、異様だと思います。ここは駅前ですよね?静かですね。」
と言われて、あぁそうかと思った。
ハシモト商店も相変わらず。
駅前も色々取り壊されてなくなってたけど、あのままだ。
駅前にいると、今にもスコップ団の皆が出て来そうだ。
19日に小学校が取り壊されるそうです。
【もう一つの卒業式】
早いもので、あの花壇ももう無くなる。

必死でお願いをしに行ったっけなぁ。
強引に決めたんだった。
「オッケー、じゃあ決まり。」
そんな事を言ったと思う。
どうであれ、子ども達は入学式でくぐった門から出たいと思うだろうからね。
皆が喜んでくれたこと。
その事で涙が出たモノだ。
ばあちゃん、花壇の世話をありがとう。
もう大丈夫だぜ。
なんか、迷惑かけたね。
ごめんなさい、ありがとうね。
大変だったじゃろう。
こんなに美味しいイチゴはなかったよ。
美味しさには、嬉しさとかの気持ちが加算されるんだね。
今度、会いに行こう。
どこに行けばいるんだ?

夜は経営者の集まりに参加して、プレゼンのような発表をする羽目に!!
急展開。

テーブル代表と、トリを務めました。
西坂さん。
機会をありがとう。
僕、学校やっかんね。
学校が綺麗になって、
フラットベースに届けた花達が、皆さんの手で素敵に植えられて、
まるで学校が喜んでいるみたいでホロリとしましたよ。
「卒業式」の立派な看板が設えられて(その過程では笑わせていただきました)、
全然関係ないのに、自分のことみたいにワクワクしました。
そうかぁ、やっぱり取り壊されちゃうのか。
いろいろあるから仕方ないのだろうけど、私が言うことじゃないのだろうけど、でも、寂しいです。
「津波で被災した小学校の花壇に花を植えて卒業写真を撮らせてあげようとしている人がいる。」
と、会社の先輩に話したら、
「この寒い中、海水を浴びた土に花を植えてもすぐ枯れちゃうから意味ないじゃない」
「いいんですよ。卒業写真を撮るときだけ有ればいいんです。」
「そんなの意味ないよ。」
その先輩とはしばらく話をしなかった。
平了的に後で仲直りしたけどね。
イチゴを食べに行ったときも子供がイチゴを食べるのを放射能汚染するとか言った輩がいたらしく、了さんも相当怒っていたが、こちらも相当頭にきた。
俺たちが精一杯きれいにした畑でまたイチゴを作ってくれた喜びを分かち合いたいのになぜそんなことを言う?
どうして山元町を汚染地域だと言えるのか?
憤慨したなぁ。津波被災地と原発事故汚染地域は違うことさえ分からないことに。
どちらも思い出ですよ。
来年こそイチゴ狩りに行きますよ。
5月6月が山元町のイチゴ狩りの季節だ!
会えて良かった~♪
学校への一歩スタートなんですね!
山元は、私にも娘たちにも父にも縁ある場所になりました。いろいろ変わってしまう事もひっくるめて、大好き。私も山元のあのオジサンとかオバサンに会いに行きたい!
種からつくったパンジーとビオラも、花壇に、と連絡したら、わざわざスタッフの方が取りに来てくださって、ありがとうございました。
後で見にいきましたが、たぶん、いちばん手前にくるっと植えてあるのが、私が育てたビオラだと思います。
了さんと話をしたことはないのですが、今もこうしていろいろと取り組んでいるのを知って、うれしいです。
私も最近、学校の取り壊しの件を知りました。…新校舎にうつった時も、旧校舎が、取り壊され(今の場所から300mぐらい西にありました)、
さみしい気持ちになりましたが、今回の取り壊しは、また意味のちがうもので。
震災後、自分にできることはと模索していましたが、やはり離れて住むばーちゃんたちを
守ることで精いっぱいでいっぱいいっぱい、です。
本気で震災を教訓にするのなら、残った物でできることもあるだろうが、とも思いますが、ほかにも津波が来て壊されている学校はあるので、、、。
山二小の校歌二番
「伝統ここに幾星霜 時代は常に変われども
真理の道はただ一つ 光を求めひたすらに
学びの道にいそしまん 我が山下第二小学校」
再び胸にしっかりと刻みたいと思います。
畑を、なんとか花畑にしたいと思っています。
春はチューリップ1000本咲きましたが、
球根を堀上げて、
雑草処理と80本ばかりのひまわりで終わった
今年の夏でした。
お互いにがんばりましょう。(*^_^*)