講演会終わりました。
喜連川 社会復帰促進センターでの講演会です。
つまり、刑務所の中での講演会でした。
「反応は一切ないかもしれません。きっと拍手もありません。」
そんな風に聞かされていました。
笑ったり頷いたり、そんな反応はしてはいけないことになっているとのこと。
だから、話しにくいかもしれないですし、気を悪くされないで下さいねと聞かされていました。
「ここから先、いわゆる刑務所の中です。リアルに受刑者がおります。」
「承知しました。」
一枚の扉を抜けると、空気が変わりました。
担当の刑務官の方々と顔合わせをし、出番を待ちます。
緊張はしなかった。
けれど、気を使ってお話をした。
制限があるわけではないけれど、気を使いながら話をした。
僕は大事な経験をしたと思います。
受刑者一人ひとりの目を見ようと思って話をした。
「頑張れ」
と繰り返し話した。
1400名近い人数は壮観でした。
聞いていたイメージ。
勝手に抱いていたイメージ。
それらがいっぺんに変わった。
(普通の人じゃんか!)
分かっていたことです。
分かっていたことなのに、あまりに普通だった。
そして、それがショックだった。
むしろこれまで、あんなに真剣に僕の話を聞いてくれた人達はいただろうか?
「服役したという差別を受けるであろう彼等には、平さんの言う卑怯者たちの話はとても響いたと思います。」
彼等は泣いて、笑って、頷いて話を聞いてくれました。
たった1時間でしたが、彼等に対する理解や応援が無ければ、悲しむ人は減らないなと感じました。
「頑張るってことは、とてもかっこいいことじゃないですか。頑張るってことは、大切なことじゃないですか。生きています。生まれてきた以上、頑張るしかないじゃないですか。」
大きく泣きながら頷いてる初老の方の眼差しは、僕の心を大きくえぐり取ったままです。
話が終わると、期待していなかった大きな大きな拍手が湧きました。
受刑者の中には、震災以降安否確認が取れていない方もいると聞きました。
「地元が海沿いで、という方は少なからずいます。それでも、とにかくいつも通りに、平さんらしくお話をされてくださいね。」
そんな背景があった。
施設を見学させてもらった。
雨が降っていたこともあり、とてもとても切ない気持ちになった。
随分と感じたことのないホームシックのような複雑な感情が湧いてきます。
【なんでもない日に感謝をすればよかった。】
震災後、友人を探した2日間のこと。
はじめての絶望感のこと。
見つけたときのこと。
その後に出会った沢山の人達のこと。
優先順位は人によって違うということ。
「支援」という言葉、「ボランティア」という言葉、様々な言葉の価値観は不変ではないということ。
卑怯者達のこと。
夢を持つ力強さのこと。
人の一番の喜びのこと。
「支援」から「応援」に。
変えられるコトと変えられないコト。
やり直しの10年のこと。
という流れで話をしました。
一人で、エールをするところだった。
でも、それは許可されていなかったから、何度も何度も「頑張れ」とマイクを通して言いました。
「頑張れ」
「頑張れ」
出所が近いという髪の伸びた若者が、涙を拭きながら「はい」と口だけで僕に返事をしてくれた。
何があったか僕は分からない。
誰が彼を憎んでいるのかも分からない。
複雑な感情が湧いて、僕は今、とても疲れています。
一つだけシンプルな感情は、泣き出したいというもの。
泣くために生まれてきたんじゃない。
誰かを悲しませるために生まれてきたわけでもない。
擁護してるわけじゃない。
まだ少し混乱してるけど、誰も彼もが塀の向こうとこちらで紙一重。
とにかく、擁護をしてるわけではない。
それでも、僕はそんな風に思った。
僕の人生で二つ目の感謝状を頂きました。
気恥ずかしく思いました。
僕の方こそ感謝をせねばならないと思ったからです。
自身に起きた悲しみではないから、そんなことを言えるのかもしれない。
とにかく、僕は複雑な気持ちで混乱しています。
何れにしても、このような機会をありがとうございました。
田辺さん、ありがと!
喜連川 社会復帰促進センターでの講演会です。
つまり、刑務所の中での講演会でした。
「反応は一切ないかもしれません。きっと拍手もありません。」
そんな風に聞かされていました。
笑ったり頷いたり、そんな反応はしてはいけないことになっているとのこと。
だから、話しにくいかもしれないですし、気を悪くされないで下さいねと聞かされていました。
「ここから先、いわゆる刑務所の中です。リアルに受刑者がおります。」
「承知しました。」
一枚の扉を抜けると、空気が変わりました。
担当の刑務官の方々と顔合わせをし、出番を待ちます。
緊張はしなかった。
けれど、気を使ってお話をした。
制限があるわけではないけれど、気を使いながら話をした。
僕は大事な経験をしたと思います。
受刑者一人ひとりの目を見ようと思って話をした。
「頑張れ」
と繰り返し話した。
1400名近い人数は壮観でした。
聞いていたイメージ。
勝手に抱いていたイメージ。
それらがいっぺんに変わった。
(普通の人じゃんか!)
分かっていたことです。
分かっていたことなのに、あまりに普通だった。
そして、それがショックだった。
むしろこれまで、あんなに真剣に僕の話を聞いてくれた人達はいただろうか?
「服役したという差別を受けるであろう彼等には、平さんの言う卑怯者たちの話はとても響いたと思います。」
彼等は泣いて、笑って、頷いて話を聞いてくれました。
たった1時間でしたが、彼等に対する理解や応援が無ければ、悲しむ人は減らないなと感じました。
「頑張るってことは、とてもかっこいいことじゃないですか。頑張るってことは、大切なことじゃないですか。生きています。生まれてきた以上、頑張るしかないじゃないですか。」
大きく泣きながら頷いてる初老の方の眼差しは、僕の心を大きくえぐり取ったままです。
話が終わると、期待していなかった大きな大きな拍手が湧きました。
受刑者の中には、震災以降安否確認が取れていない方もいると聞きました。
「地元が海沿いで、という方は少なからずいます。それでも、とにかくいつも通りに、平さんらしくお話をされてくださいね。」
そんな背景があった。
施設を見学させてもらった。
雨が降っていたこともあり、とてもとても切ない気持ちになった。
随分と感じたことのないホームシックのような複雑な感情が湧いてきます。
【なんでもない日に感謝をすればよかった。】
震災後、友人を探した2日間のこと。
はじめての絶望感のこと。
見つけたときのこと。
その後に出会った沢山の人達のこと。
優先順位は人によって違うということ。
「支援」という言葉、「ボランティア」という言葉、様々な言葉の価値観は不変ではないということ。
卑怯者達のこと。
夢を持つ力強さのこと。
人の一番の喜びのこと。
「支援」から「応援」に。
変えられるコトと変えられないコト。
やり直しの10年のこと。
という流れで話をしました。
一人で、エールをするところだった。
でも、それは許可されていなかったから、何度も何度も「頑張れ」とマイクを通して言いました。
「頑張れ」
「頑張れ」
出所が近いという髪の伸びた若者が、涙を拭きながら「はい」と口だけで僕に返事をしてくれた。
何があったか僕は分からない。
誰が彼を憎んでいるのかも分からない。
複雑な感情が湧いて、僕は今、とても疲れています。
一つだけシンプルな感情は、泣き出したいというもの。
泣くために生まれてきたんじゃない。
誰かを悲しませるために生まれてきたわけでもない。
擁護してるわけじゃない。
まだ少し混乱してるけど、誰も彼もが塀の向こうとこちらで紙一重。
とにかく、擁護をしてるわけではない。
それでも、僕はそんな風に思った。
僕の人生で二つ目の感謝状を頂きました。
気恥ずかしく思いました。
僕の方こそ感謝をせねばならないと思ったからです。
自身に起きた悲しみではないから、そんなことを言えるのかもしれない。
とにかく、僕は複雑な気持ちで混乱しています。
何れにしても、このような機会をありがとうございました。
田辺さん、ありがと!