応援三昧な日々の山場を一つ乗り越えました。
仕事も絶好調に忙しい。
そんな中で、応援の依頼も平日の昼間に来たりするもんでなかなか集まりも難しく。
参加された団員のみんなは、本当にお疲れ様でしたな。
「何があっても、世界は俺たちが変えていく。」
そう信じてやっております。
岩沼西小学校のみなさん。
トヨタの代表のみなさん。
宮床中学校のみなさん。
みんな、超絶に頑張ろう!
人生は必ず一度きり。
僕らはとっても自由で、僕らは自分自身しか自分の未来を変えることは出来ない。
未来はどれも同じではなく、選んだ方に進む。
カミサマがいるのかどうかなんて知らない。
いつか誰かが何かをしてくれる?
そんなはずないさ。
自分のことは自分でやるしかないわけ。
応援とは、自薦であるべきです。
「俺のことを応援してくれ。」
僕は、僕らは全ての人の味方ではない。
正義の味方ということではない。
頑張る人の味方をする。
「ダリー」だの「うぜー」だの言う人のことも勿論応援するけれども、その横に心と目を輝かせて頑張る者がいるならば、僕はそちらに時間を使う。
僕たちの時間は無限ではなく、いつ果てるとも知れない有限だからね。
不公平こそ公平。
公平は不公平だ。
バカバカしい。
久しぶりに怒号の飛ぶ応援でしたが、その後の生徒達の反応を見ると彼らには伝わったみたい。
ベランダから手を振ってくれる子たちの笑顔は、僕らが若い頃に体験できなかったナニカに起因した笑顔だったと思う。
「それでは花束贈呈…」
「帰るぞ。」
「押忍。」
「押忍。」
「押忍。」
礼節は礼節を重んじる方へ。
応援は押し付けてはいけない。
出来レースのような他薦が土台となった応援は命の無駄遣い。
その依頼を寛容に受けてはならない。
肝に命じておかなければ、エールはきっと安くなる。
面喰らったPTAの方もいらっしゃったかもしれないが、失礼は失礼の呼び水。
何故そのようになったのかを話し合う機会ととるか、疑問のまま終えるかは器量の差じゃろうの。
僕たちの活動は夢ではなく志。
昨日の岩沼の校長先生も言っておった。
「夢は自分のもの。志は誰かのために。志は死んだ後も引き継がれる。」
そうありたい。
そう願いたい。
あのさ。
先生達に問いたい。
何のために教師になり現状をどう見ているのか?
卑怯者の芽を摘み取り、未来を担う彼らが人生に意味を見出し、どんな時でも、何があっても「生きる」という選択をする強い人間を育てんじゃねぇの?
全国の子ども達にエールを送り、講演をしたい。
全国の先生達と対話をしたい。
そんな目的が出来た日でもあったよ。
任せてらんねぇよ。
時間がない。

嫌いな奴のことを考えてるほど、人生は暇じゃありません。
誰も応援してないなんて思わないでね。
「俺がいる」

いるんだぞ、君を応援している人が。
親とか先生、恋人や家族のそれには遠く及ばないけど、頑張っているならば僕らは最後まで応援するんだ。

いい先生がいっぱいいるのは知ってるさ。
いっぱいやってきたもの。
それでも、なにかの役に立つならば僕は行く。
13歳、14歳、15歳で、無気力ってどういうことだ?
無関心ってどういうことだ??
そんなはずねぇだろうが!!
「うちの子達は覇気がないけど、いい子たちですから。」
なめんじゃねぇよバカ。
ないけどじゃねぇだろ。
「講演中、怒り出すことがあります。大抵は親や先生に対してです。子ども達は悪くないさ。環境を選べないからね。我々は応援しに来ていますが、ガムを噛んでいたり私語がうるせぇとか無礼者には無礼で返します。予め、ご理解ください。」
言っておいたんだがね。
嫌な予感は当たるもので。
一晩経っても、気分が悪い。
もう一度。
あの子たちに会いたい。
そんな企画は出来ないもんかな。
仕事も絶好調に忙しい。
そんな中で、応援の依頼も平日の昼間に来たりするもんでなかなか集まりも難しく。
参加された団員のみんなは、本当にお疲れ様でしたな。
「何があっても、世界は俺たちが変えていく。」
そう信じてやっております。
岩沼西小学校のみなさん。
トヨタの代表のみなさん。
宮床中学校のみなさん。
みんな、超絶に頑張ろう!
人生は必ず一度きり。
僕らはとっても自由で、僕らは自分自身しか自分の未来を変えることは出来ない。
未来はどれも同じではなく、選んだ方に進む。
カミサマがいるのかどうかなんて知らない。
いつか誰かが何かをしてくれる?
そんなはずないさ。
自分のことは自分でやるしかないわけ。
応援とは、自薦であるべきです。
「俺のことを応援してくれ。」
僕は、僕らは全ての人の味方ではない。
正義の味方ということではない。
頑張る人の味方をする。
「ダリー」だの「うぜー」だの言う人のことも勿論応援するけれども、その横に心と目を輝かせて頑張る者がいるならば、僕はそちらに時間を使う。
僕たちの時間は無限ではなく、いつ果てるとも知れない有限だからね。
不公平こそ公平。
公平は不公平だ。
バカバカしい。
久しぶりに怒号の飛ぶ応援でしたが、その後の生徒達の反応を見ると彼らには伝わったみたい。
ベランダから手を振ってくれる子たちの笑顔は、僕らが若い頃に体験できなかったナニカに起因した笑顔だったと思う。
「それでは花束贈呈…」
「帰るぞ。」
「押忍。」
「押忍。」
「押忍。」
礼節は礼節を重んじる方へ。
応援は押し付けてはいけない。
出来レースのような他薦が土台となった応援は命の無駄遣い。
その依頼を寛容に受けてはならない。
肝に命じておかなければ、エールはきっと安くなる。
面喰らったPTAの方もいらっしゃったかもしれないが、失礼は失礼の呼び水。
何故そのようになったのかを話し合う機会ととるか、疑問のまま終えるかは器量の差じゃろうの。
僕たちの活動は夢ではなく志。
昨日の岩沼の校長先生も言っておった。
「夢は自分のもの。志は誰かのために。志は死んだ後も引き継がれる。」
そうありたい。
そう願いたい。
あのさ。
先生達に問いたい。
何のために教師になり現状をどう見ているのか?
卑怯者の芽を摘み取り、未来を担う彼らが人生に意味を見出し、どんな時でも、何があっても「生きる」という選択をする強い人間を育てんじゃねぇの?
全国の子ども達にエールを送り、講演をしたい。
全国の先生達と対話をしたい。
そんな目的が出来た日でもあったよ。
任せてらんねぇよ。
時間がない。

嫌いな奴のことを考えてるほど、人生は暇じゃありません。
誰も応援してないなんて思わないでね。
「俺がいる」

いるんだぞ、君を応援している人が。
親とか先生、恋人や家族のそれには遠く及ばないけど、頑張っているならば僕らは最後まで応援するんだ。

いい先生がいっぱいいるのは知ってるさ。
いっぱいやってきたもの。
それでも、なにかの役に立つならば僕は行く。
13歳、14歳、15歳で、無気力ってどういうことだ?
無関心ってどういうことだ??
そんなはずねぇだろうが!!
「うちの子達は覇気がないけど、いい子たちですから。」
なめんじゃねぇよバカ。
ないけどじゃねぇだろ。
「講演中、怒り出すことがあります。大抵は親や先生に対してです。子ども達は悪くないさ。環境を選べないからね。我々は応援しに来ていますが、ガムを噛んでいたり私語がうるせぇとか無礼者には無礼で返します。予め、ご理解ください。」
言っておいたんだがね。
嫌な予感は当たるもので。
一晩経っても、気分が悪い。
もう一度。
あの子たちに会いたい。
そんな企画は出来ないもんかな。