素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)-31

2019年06月05日 11時47分52秒 | 再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)

    第Ⅲ章 ナウマンゾウの旅路、北の大地へ

 

 

 (2)津軽陸橋をめぐって-北の大地でナウマンゾウたちは-

 

  ⅰ)津軽陸橋をめぐって

  津軽陸橋問題は、北海道十勝平野忠類産のナウマンゾウを語る上で最も難しく、そして厄介な問題なのです。北方系のマンモス象と同じく、シベリア、サハリン、そして宗谷海峡の陸続き時代に北海道に棲みつくようになったということで終わりにするなら、それでも済んでしまうのかもしれないのです。

  が、南方系のナウマンゾウが日本列島に渡って来て棲みついたことも真実でしょうから、そのナウマンゾウの仲間のどれだけかが次第に北上し、関東平野からいくつも山越えして、信州の寒冷地野尻湖近辺に生息したものや、さらには津軽海峡を越えて北海道十勝平野に生息するようになったものもいたのではないか、と考えた方が話はドラマチックです。

  そう考えますと、津軽海峡の陸地化時代の存否に何とか手がかりを探し求めたくなります。

  どうやら本章も、その厄介なそして難しい問題に入り込んでしまいました。いろいろ専門的な文献に首を突っ込み抜き差しならない、ちょうど十勝平野の忠類晩成の沼地に足を取られて、もがきにもがきつつ沈むナウマンゾウの悲しい容態です。

  ここで再び、話を本題に戻しましょう。これまでにも「津軽陸橋」問題に関する議論はかなり頻繁に行われていました。本稿において、大嶋和雄の津軽海底地形の地質学的検討に言及する前に、八島邦夫及び宮内崇裕両氏の1990年の論稿、「津軽陸橋問題と第四紀地殻変動」(『第四紀研究 (The Quaternary Research)』 29 (3) p. 267-275 Aug. 1990)などの文献を参考にしながら津軽陸橋問題をほんの入り口に過ぎませんが言及しておきましょう。

ⅱ)津軽陸橋の存否を考える

  海底地形の解析は、陸上の地形と違って目視することが困難ですから簡単に目認出来ません。そのため、海底地形の解析は調査といいますか、測量の方法、またその精度にも陸上のようなわけにはいかないようです。

  いろいろ文献を調べてみますと、津軽海峡における海底測量につては、青函トンネル開設に当たっても海峡西口の海底地形の詳細な地形測量が行われた実績があります。前述の八島・宮内両氏の論文(1990)に依拠しますと、これまでの測量で明らかにされていることは、津軽海峡には太平洋側から水深で200mのところに「津軽海盆」(細長い窪み)が入り込んでいること、また津軽海峡西口海底水深120-140mの前後のところからサドル(saddle)と呼ばれる鞍部(あんぶ)地形になっていることが分っています。

  鞍部とは、地形が乗馬用の鞍に似ている幅広の凹部で、海嶺において、あるいは隣接し合う海山、すなわち海山は海洋底との比高が1000m以上あるものをいいます。これに対して、比高が1000m以下のもは海丘といいます。これらの間にサドル状を形成した地形の存在が分っているそうです。

  また、「前掲論文」(八島・宮内、1990)では、一つは「西津軽鞍部は幅6~8km, 水深120~140m, 北部はケスタ地形を呈し, 南部には水深約70mの小丘 (西津軽堆) がみられる。二つには 白神鞍部は幅2~5km, 水深130~150mで平坦面中央に水深125~140mの緩やかな丘陵地状地形が発達する。

  三つには 竜飛鞍部は幅6km、水深110~130mの平坦面をもつ。これらの3つの鞍部が陸橋となる可能性をもつが、いずれも海釜(かいふ)と海釜、 海釜と大陸斜面をつなぐ溝状凹地により切られており、 厳密には北海道と本州の陸棚はつながらない」のではないか、と八島・宮内両氏は論じています。

  両氏が言う「ケスタ(cuesta)地形」とは、ここでは一方が緩斜面で反対側は急斜面を成すような海底地形を指しているものと思われます。また、海釜とは、潮流の浸食によって海底が削られてできる窪地で、ちょうど海底が「なべ底」のような大きな窪みを形成することから海釜と呼んでいます。日本で最も大きな海釜は津軽海峡の「海釜」だと言われています(茂木昭夫「日本沿岸の海底地形」による)。

  話が逸れましたが、津軽陸橋がいつの時代まで存在したかの考察が十分に行われてきたか必ずしも定かではないのですが、津軽海峡沿岸の海岸段丘から見た海峡西口における変動は、これまでに宮内 (1988) は、氏の論文「東北日本北部における後期更新世海成面の対比と編年」(『地理学評論』・61、 p.404-422.)において、「海岸沿岸の変位と第四紀後期地殻変動」が考察されております。

  とくに「津軽海峡沿岸更新世中・後期の海岸段丘が連続的に分布している」(八島・宮内論文・1990)ことが明らかにされていて、それによりますと、垂直隆起量の最も高いところでは、最近の12万年間で100mにも達している(松前半島西岸部)ことが指摘されていますが、津軽陸橋に関するさらなる解明には陸棚下の地質情報の収集と解析が待たれるものと考えられます。