第Ⅱ章 ナウマンゾウの化石、最初の産地は横須賀
(4)横須賀にもいたナウマンゾウ
横須賀市自然・人文博物館の玄関を入ると、展示されているナウマンゾウの全身骨格標本が入館者を等しく出迎えてくれます。この全身骨格標本のナウマンゾウは、千葉県印旛郡印旛村が産地で、残念ながら横須賀製鉄所の用地造成工事中に見つかった化石は使われていません。同博物館は、展示してあるナウマンゾウの部分的な骨格標本ついて、次のように説明書きが添えてあります。
「ナウマンゾウは、35万年前から2万年前に日本と中国に生息していたゾウのなかまで、横須賀市では2か所から(化石が)見つかっています。現在の米海軍横須賀基地である横須賀製鉄所の敷地内から1867年に見つかったナウマンゾウの下あご化石は、ナウマンゾウの名前の由来となったナウマンによって研究された歴史的標本で、科学的に研究されたはじめてのナウマンゾウの化石」であること、横須賀市内で見つかったナウマンゾウの下あご(レプリカ)、肩甲骨、上腕骨の化石を展示してあることなどの説明書きがなされています。
また、井上吉隆(元横須賀市助役)は、「横須賀製鉄所物語(5)」(『すまい造りメール』第141号・2013年12月号)の中で次のように述べています。1864年、幕府は小栗上野介の建議を受け入れ、フランスの技術援助で1865年1月29日には「製鉄所約定書」を作成して製鉄所の建設に踏み切り、1867年9月27日には幕府が横須賀製鉄所建設のための鍬入れを行っています。
さらに、現在の在日米海軍基地(公称は横須賀海軍施設)の西側にあった標高45メートルの白仙山を切り崩し、ドライドックを建設した記録があります。その際の残土(土砂)で海岸を埋め立て製鉄所の用地の造成を行いました。また、次のような記録も残っています。
製鉄所用地造成の一連の過程で「獣骨の化石」が発見された記録がヴェルニー本家伝来の資料の中に写真とともに記録されています。その「獣骨の化石」を発見したのは製鉄所の首長フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837-1908)技師が、製鉄所建設起工中ケガ人が多かったこと、また重い病に罹るフランス人技術者や日本人作業員が多かったことから母国フランスに医師の派遣を要請していました。その要請に応えて来日(1866-1871)したのが一等軍医で、植物学者でもあったサヴァティエ(P.A.L.Savatier:1830-1891)博士でした。
彼は、日本の植物について関心を持ち、採取しては研究し『日本植物目録』として出版し、世界に日本を発信したことでも知られています。そのサヴァテェが、製鉄所のドック等の施設建設用地造成のために白仙山を切り崩していた土砂の中に半分埋まった状態の大きな動物の骨の化石を見つけ採取したのが、後に東京大学初代地質学教授H.E.ナウマンによって初めて科学的な研究がなされ、日本に生息していたゾウの化石であることが分りました。
サヴァティエが採取した化石は一つだけではなかったと思います。田中芳男が中心になって開催した大学南校(現東京大学)物産会に展示するため、南校からの要請を受け入れて1871(明治4)年、東京(慶應4年、1868年9月から東京府に名称変更された)に送られた大動物の化石の他にも、いくつもの化石が発見されていたと推察できます。それから13~14年後の1881年、ナウマンの研究によってゾウの化石と判明したいくつかは横須賀の製鉄所敷地の造成中に発見されたものだと考えられています。
大学南校物産会展示後、内務省博物局(後の東京帝室博物館、現在の東京国立博物館)に収蔵・保管されていた化石をナウマンが研究に用いたのではないか、と推察することが出来ます。それらの化石の一部は、今も東京大学の総合研究博物館に保管されているものもありますし、また国立科学博物館にも所蔵されています。
また、ナウマンは1881年に書き上げた論文「先史時代の日本の象について」(Ueber Japaniche Elephanten der Vorzeit.)の27頁の英文の「脚注1)」において、次のように述べています。「David・Brauns博士(ナウマンの後任の教授として招聘された東京大学地質学第2代教授)から私に届いた書簡によると、以前、横須賀で1868年に発見された臼歯の付いた象の顎の化石がサヴァティエによってパリに持ち込まれていました」と書かれた脚注が付いているのを見ますと、発見・発掘されたナウマンゾウの化石は一つや二つではなかったであろうと考えられますし、発見の年次も1867年だけではなく1868年にも跨っていたと推測することが出来ます。
このことは、前述した横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念展の資料、すなわち横須賀市自然・人文博物館編『すべては製鉄所から始まった―Made in Japanの原点―』の117頁に掲載されている図版87の解説の中にも1868年に「獣頭骨」と推定される化石が発見されていたことを示す記載があることからも確かなことだと考えられます。
(文献)
(1) 菊池勝広編・執筆『すべては製鉄所から始まった―Made in Japanの原点―』・横須賀市自然・人文博物館、2015年10月。
(2) 横須賀市編『横須賀市史(上巻)』(施政施行80周年記念)・横須賀市、昭和63年12月。
(3) 横須賀市編『横須賀市史(別巻)』(施政施行80周年記念)・横須賀市、昭和63年12月。
(4) 蟹江康光「横須賀軍港地域の地質とナウマンゾウの産地」・第123年学術大会(2016東京桜上水)・一般社団法人日本地質学会主催・口頭発表(2016年9月10日)、開催期間:2016/09/10 - 2016/09/12。
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