素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

(改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(3)

2021年09月13日 14時39分09秒 | ナウマン象と日本列島
       (改訂)抄録・日本にいたナウマンゾウについて(3)
            
         (初出:2015・8・19ー2016・4・19)



  (1)忠類村ナウマンゾウの臼歯化石発見のきっかけ

  1)きっかけは偶然だった
  北海道幕別町の忠類地区は、2006年2月以前は広尾郡忠類村でした。「忠類別(ちゅうるいべつ)」=アイヌ語で「急流」を意味するそうです。2006年2月6日幕別に編入・合併して、現在は中川郡幕別町忠類地区となっています。その幕別の語源もアイヌ語の「マクンベツ」からきたもので、「山ぎわを流れる川」がその意味だそうです。

  1969年7月にナウマンゾウの化石が旧忠類村晩成地区の農道工事現場で偶然に発見されてからは、忠類村は一躍全国に知られるようになりました。十勝団体研究会編『ナウマン象のいた原野―十勝団研12年の歩み』(北海道大学図書刊行会、1974年刊、104頁。)によりますと、ゾウの化石骨発見のニュースが最初に流れたのは、1969年8月13日小雨降る帯広駅頭で、十勝団研のメンバーに「初日に予定されている巡検コースの説明がなされていたとき、北海道開発局技官の川崎敏氏から〈象化石が出ましたね〉(この時点で、その化石がゾウの臼歯であることは分っていた)と発言があって」、ゾウの臼歯の写真と露頭のスケッチが示されたのが、「忠類ナウマンゾウ発掘」が展開する第1ページになったのです。

  川崎氏がゾウの化石の情報を得たのは、1969年8月6日のことだったそうですから、ニュースが流れる数日前のことだったことになります。

  発見現場は、忠類地区の「晩成道路建設現場」と言われていますが、正確には「農林漁業用揮発油税財源見返農道整備事業道路工事現場」、と言います。臼歯が発見されたのは、その作業がすでに「路面の砂利敷と側溝工事の仕上げ」にかかるところだったそうです。 

  晩成地区の現場で工事に携わっていた請負会社は、帯広市の宮坂建設株式会社で、忠類村の現場でゾウの歯の化石が見つかったと、作業員らからの情報を耳にした川崎氏は、見つかった場所を確認し、ゾウの「歯」を保管していた作業員の武田安悦氏の家を訪ね、写真に収め記録していました。
  
  2)小玉少年の直感が的中
  道路工事現場で象の歯を発見した作業員恩田・細木の両氏らの話から、現物の歯を見せられた同社の道路測量助手だった小玉昌弘氏は、それが「マンモス(*)」の歯の化石に似ていると直感した小玉少年は、その年の春、帯広市立帯広第五中学校を卒業し、仕事の傍ら定時制高校にも通学していた少年でした。

  彼は中学校時代に理科の教科書で習ったことのある「マンモス」の歯の化石の写真を思い出し、ゾウの歯であると確信したそうです。以上のことについては、北海道開拓記念館編『忠類産ナウマン象―その発見から復原までー』(資料解説シリーズNo.1・北海道開拓記念館発行、1972年。)においても、ほぼ同じことが記載されていますし、亀井節夫(ただお:1925-2004)『象のきた道』(中公新書、1978年)の108頁にも詳しい内容が説明されています。

   (*)印についても亀井節夫の『前掲書』108頁で触れられています。

  ところで、実際に発見された日は、川崎氏が最初に情報を得た日より、早く7月26日のことだったことも分ったのです。したがって、旧忠類村でナウマンゾウの化石が発見されたのは1969年7月26日であったと考えられます。

  発見は、「古い道路を改修して山側を削り、側溝をパワーシャベルで粗削りし、それを人手で整形しているとき」(『前掲書』、105頁)、作業員の恩田・細木両氏のツルハシの先に、カチンと大きな石にでも当たった感じだったと、両人は後に語っています。そして「異様なものをとりあげた」のです。それがまさに世紀の発見の一瞬だっのです。
 
  大変な発見だったのですが、広尾郡忠類村編『ちゅうるい』(1970(昭和45)年版、村史『忠類村の二十年』の別冊として発行されたと推察される冊子、もともとは忠類村の広報誌として発行されていたようです)によると、「昭和44年8月15日 忠類村字晩成の農免道路の工事現場から象の化石骨が発見された旨の連絡が中当縁小学校に入った。

  発掘に当たったのは十勝団体研究会(代表松井愈:まさる氏、筆者加筆。)で、現物は帯広柏葉高校が保管」、とだけ簡単に記述されています。かくして、村はゾウの話題でもちきりでした。 
 
(文献)

(1) 十勝団体研究会編『ナウマン象のいた原野-十勝団研12年の歩みー』・北海道大学図書刊行会、1974年。
(2) 北海道広尾郡忠類村編『ちゅうるい』(村史『忠類村二十年』別冊・1970(昭和45)年。
(3) 亀井節夫『象のきた道』(中公新書514)・中央公論社、1978年。
(4) 北海道開拓記念館編『忠類産 ナウマン象―その発見から復元まで―』・北海道博物館協会、1972年。



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