素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)-35

2019年06月13日 09時05分43秒 | 再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)

                                        第Ⅲ章 ナウマンゾウの旅路、北の大地へ

 

 

  (3)ナウマンゾウの復元標本

 

  ⅱ)頭蓋骨の復元 

   亀井は忠類ナウマンゾウの頭蓋骨について次のように述べています。「頭骨はこなごなにくだけていて、もとの形を復原することは不可能であった。幸いにも、発掘の翌年の三月には、千葉県の猿山で、ほとんど完全なナウマン象の頭骨が発見された(下記の写真参照。)ので、これを参考に、現生のアジア象やアフリカ象の頭骨と比較しながら、臼歯の大きさや他の骨の大きさの比例からえがかれた設計図をもとに、忠類村のナウマン象の頭骨の型がつくられたのである」(亀井『前掲書』121-122頁)と述べています。

  ここで、頭蓋骨(とうがいこつ)とは、顔の構造を支持し、脳を外傷から保護する機能を持つとされています。また、亀井がいう「頭骨」とは、学問的に用いられている用語で、ゾウについては定かではないのですが、形質人類学では「頭蓋骨:とうがいこつ」を「頭骨」と称していることは確かなことです。

  ナウマンゾウの頭部の特徴は、正面(前面)から見ますとベレー帽をかぶった感じに見えます。そこに頭頂骨があります。前面のおでこのところにある骨が前頭骨、後ろ側に後頭骨、その下に鼻骨、側頭骨、側面から見ますと頬っぺたの部分がありますが、そこに頬骨、ほっぺを支えるように上顎骨、そして切歯(牙)は切歯骨に保護されて成長しています。下記の図(割愛)は、頭蓋前面各名称を示したものです。

 

  ⅲ)完全な頭蓋骨の発見

  亀井が『前掲書』(1978)で明らかにしているように、ナウマンゾウの完全な頭蓋骨はなかなか発見できなかったのですが、千葉県香取郡多古町の周辺の化石床の形態解析を行っていた大森昌衛ら「成田層の古環境団研グループ」は、古生態学の研究方法を確立するため成田層の化石床を対象として、実際に化石床が形成される環境解析を目的として、団体研究法による調査を実施しているが(大森昌衛:43「成田層の化石床の形態解析―成田層の古環境の研究(1)」)、1971年3月16日から19日までの4日間に千葉県香取郡下総町滑河字猿山(現・成田市猿山)の化石床についての予備的調査を行った際、たまたま日本では唯一のナウマンゾウの完全な形で頭部の化石骨を発見できたのだそうです。

  忠類で発掘されたナウマンゾウの頭部化石骨は破損が酷かった(亀井、1978)ことから、京都では全体骨格を復元するのに思案されていたようですが、幸運なことに千葉県の猿山地区で大森昌衛らに発掘された頭蓋骨(とうがいこつ)は、発掘に携わった専門家の勤務先であった東京教育大学(現・筑波大学)理学部地質学鉱物学教室に一時的に保管されて、専門家らによる研究が進められていました。

  そこで、亀井(骨格復元を委託されていた工場)は、それを借用して精査した上で、その猿山産頭蓋骨を参考に、新たにナウマンゾウの頭蓋骨の標本の作製に挑んだわけです。もちろんその(頭蓋)標本の複製も作られて、その複製(頭蓋)の一つが、千葉県立中央博物館1階フロア正面に展示されています。なお、猿山で発掘された実物は現在、国立科学博物館に保蔵されています

 

  (文献)

  (1)亀井節夫『象のきた道』・中公新書514、1978年。

  (2)北海道開拓記念館『忠類産ナウマン象―その発見から復原まで―』(資料解説シリーズNo.1)北海道博物館協会,1972年。

  (3)大森昌衛・磯辺大暢・真野勝友・犬塚則久「千葉県香取郡下総町猿山から産出したいわゆる“ナウマンぞう”の頭骨化石について(予報)」・『第四紀研究』第10巻第3号・1971(昭和46)年10月、92-95頁。

  (4)犬塚則久「千葉県下総町猿山産ナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)の頭蓋について」・『地質学雑誌』・第83巻第8号1977(昭和52)8月、523-536頁。

  (5)犬塚則久「ナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)の切歯の計測」・『地球科学』31巻6号・1977年11月、237-242頁。

 

 



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