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人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)-33

2019年06月08日 11時53分44秒 | 再論・ナウマンゾウについて(Ⅱ)

      第Ⅲ章 ナウマンゾウの旅路、北の大地へ

 

 

 (2)津軽陸橋をめぐって-北の大地でナウマンゾウたちは-

 

 ⅳ)津軽陸橋と大嶋説

 津軽海峡西口付近の海底形成については、これまでにも若干言及したことがありますが、何せ素人がいくつもの学術論文を勉強しながら、ナウマンゾウの日本列島、なかんずく北海道十勝平野へ渡来した道を、ああでもないこうでもない、とジグソーパズルよろしく考察していますから、思うように捗りません。

 ところで、大嶋の海峡地形と底質の調査結果を基にした海水準変動の考察に依拠しますと、「主ウルム氷期海水準低下は-80±5mにしか達していない」(1980年11月12日開催の地質調査所研究発表会『講演要旨(144回)特集:日本海-発達と成因を探る-』大嶋報告「海峡形成史から見た日本海」)ことが分っており、その点から日本列島とアジア大陸とが陸続きであったのはリス氷期(25万年前~15万年前)までだと、大嶋は説いています。

 ですから、津軽海峡、朝鮮海峡、それに対馬海峡が形成されたのは、「リス・ウルム間氷期(下末吉海進期)初期」(前掲の大嶋報告:1980)であったし、もしそれ以降にナウマンゾウが津軽の海を渡ったとすれば泳いで渡るしかなかったであろう、と小生には愚かな考えしか浮かばないのです。

 大嶋は、津軽海峡が形成されたのは「リス・ウルム間氷期(下末吉海進期)初期」といっていますから、それは凡そ15万年前頃~12万5000年前頃ではないかと考えられます。そうしますと地層学的に北海道の旧忠類村で発掘されたナウマンゾウの化石が凡そ12万年前頃のものであるとする説の存在を考えたとき、下末吉海進期もまた12万5000年前頃でしたので、ナウマンゾウが本州から津軽海峡が形成される前の陸橋を渡って北海道に生息するようになった可能性を推測することが可能なのですが、正しいと断言するにはなお遠く、幾つもの疑問を解いていかなくてはならいように思うのです。

 大嶋は、ウルム氷期にも津軽海峡が再び陸地化することはなかったとされています。また、氏は次のようにも説いています。「北海道は樺太を経て大陸と接続していた。宗谷海峡が形成されたのは、鳴門海峡とほぼ同時代の約1万年前である。したがって、ナウマン象や明石原人は、大陸から日本列島へ歩いて渡ってくることができた」(前掲の大嶋報告:1980)と述べています。

 さらに、大嶋は「第四紀後期の海峡形成史」(『第四紀研究』・第29巻3号・1990年・8月、207-208頁。)の「まとめ」の中で、「更新世の大部分において日本列島と朝鮮半島とは陸地で結ばれていた」ことやそしてまた日本列島の島々も接続していたことにも言及しています。その結果、ナウマンゾウをはじめ多くの大型哺乳動物が日本列島にやってきて生息するようになったのではないかと述べています。

 それでは、ナウマンゾウなどの大型哺乳動物は日本列島にどうやって、いつ頃渡来したのか、大嶋は大陸と日本列島を結ぶ陸橋の存在とリス氷期の前ではないか(1990)、と指摘しています。

 その後、マイナス100mの海水準にあった下末吉海進の初期(それが何時頃だったかは明確ではないのですが、15万年前から12.5万年前ではなかったか)に、「日本海は朝鮮および津軽海峡によって太平洋に連なった」、という見方もあります(大嶋、1990)。また、最終氷期になって海水準が-80mに下がったものの、それによって再び日本列島、なかんずく本州と中国大陸、そしてまた津軽海峡と北海道を繋ぐような陸橋が形成されることはなかった、これが本稿でいうところの「大嶋説」です。

 本州から北海道十勝平野にナウマンゾウが歩いて渡ったのはリス氷期の前となれば25万年前から15万年位前ということになるのではないかと考えられます。北海道十勝平野、旧忠類村晩成地区で発見されたナウマンゾウの化石は、約12万年前のものであることが明らかにされていますから、ナウマンゾウが下末吉海進前に本州から津軽の陸橋を渡って草原の広がる十勝平野には2万年前頃まで生息していたのではないかとも考えられるのですが、もう一つ指摘しておきたいことは、現在の日本海の形成された時期についてです。

 大嶋説は、朝鮮海峡や津軽海峡が形成されたのは、ナウマンゾウが日本列島にやって来た後のことであり、また下末吉海進期(12万5000年)以前のことだと指摘しています。それはナウマンゾウの化石が下末吉(相当層)よりも古いとされる地層から産出されていることにもよると思われます。

 

  さらに加えるならば、ナウマンゾウが北海道にせよ、本州にせよ渡来することを可能にしたことは海峡形成と陸橋問題が密接にかかわっており、両者は重要な意味を有しています。大嶋によると、「石狩湾の大陸棚外縁の深度が100~120mで、石狩平野の海成洪積統の基底深度よりも浅いことからリス氷期には現石狩平野に存在した石狩海峡も陸化したと考えられる。

   この陸地をナウマンゾウは渡って、岩見沢や十勝国忠類村まで分布を広げた」(「海峡形成史(Ⅵ)」44頁)ことが、忠類産ナウマンゾウ化石をもたらしたのは事実ですが、ナウマンゾウの北海道-本州ルートはないのか、北海道から津軽陸橋を渡って本州へ入った形跡はないのか、さらなる研究が待たれます。

 

  (文献)

 (1)井尻正二『化石』・岩波新書673,1963年。

 (2)湊 正雄・井尻正二『日本列島』(第三版)・岩波新書963、1976年。

 (3)藤田至則・亀井節夫・松崎寿和・加藤晋平・江坂輝弥・樋口隆康・乙益重隆・有光教一『先史時代の日本と大

   陸』・朝日新聞社、1976年。

 (4)松井愈(まつい まさる)・吉崎昌一・埴原(はにはら)和郎『北海道創世記』・北海道新聞社、1984年。

 (5)道田豊・小田巻実・八島邦夫・加藤茂『海のなんでも小事典 潮の満ち引きから海底地形まで』・講談社、2008

   年。

 (6)平 朝彦『日本列島の誕生』・岩波新書(赤)148、1990年。

  (7)満塩大洸・安田尚登「対馬海峡付近の第四紀層,特に陸橋問題」・『第四紀研究』・第29巻(3)・281-282頁、

        1990年8月。

  (8)大嶋和雄『海峡形成史(Ⅰ)』・地質調査総合センター、10-21頁。

  (9)大嶋和雄『海峡形成史(Ⅵ)』・地質調査総合センター、36-44頁。

 (10)大嶋和雄『海峡形成史(Ⅶ)動物分布を支配する海峡』・地質調査総合センター、14-24頁。

 (11)大嶋和雄「第四紀後期の海峡形成史」・『第四紀研究』・第29巻3号・1990年月、207-208頁。

 (12)大嶋和雄「海峡地形に記された海水準変動の記録」・『第四紀研究』・第19巻1号1980年5月、23-37頁。

 (13)大嶋和雄「海峡形成史から見た日本海」・『講演要旨(144回):特集 日本海―発達と成因を探る―』・地質

   調査所研究発表会、1980(昭和55)年11月12日、191-19頁。

 

 


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