第Ⅲ章 ナウマンゾウの旅路、北の大地へ
(5)ナウマンは第三紀末「鮮新世の時代」というが
ⅳ)ナウマンゾウが日本列島に渡来したのはいつ頃
日本第四紀学会の最近の見解によりますと、ナウマンゾウが日本列島に渡って来たのはおよそ43万年前、トウヨウゾウが渡って来たのが63万年前、そしてトロゴンテリゾウが渡って来たのは120万年前とのことです。
小西省吾、吉川周作の両氏は、20年ほど前の論文「トウヨウゾウ・ナウマンゾウの日本列島への移入時期と陸橋形成」(『地球科学』125-134ページ、1999年)の中で次のような指摘をしています。
最近、日本列島各地で発見されている哺乳類の化石を研究してきた河村善也氏(1991、1998)によると、長鼻類化石のシガゾウ、トウヨウゾウ、そしてナウマンゾウが日本列島に出現した時期は、それぞれ120万年前頃から100万年前頃、60万年前頃から50万年前頃、そしてナウマンゾウについては40万年前頃から30万年前頃で、それらのゾウの大陸から日本列島への渡来を可能にさせた陸橋が、結果として、海峡を繋ぐ役割を担うことになったのではいかというのです。
ナウマンゾウの日本列島への渡来は、古気候の面から推定してリス氷期の前、すなわち30万年前から25万年前位と考えられるのではないかと思います。
専門家によりますと、北海道旧忠類村で発掘されたナウマンゾウの骨格化石の年代は地質学的には12万年前の地層のものと推測されていたのですが、放射性炭素測定法(14C法)による測定の結果では、約4万2000年前のものではないかとしか判定できなかったのですが、それでも、十勝団研の地質学者らによりますと、ナウマンゾウが旧忠類村に生息するようになったのは凡そ12万5000年以上前からではないか、そして2万年前頃まで忠類に生息していたであろうと推定しています。
しかし、どうやって十勝平野忠類に生息するようになったかは未だ確かなことは分っていません。単なる想像に過ぎませんが、大陸と石狩湾が陸続きだった頃に渡って来たのではないか、という見方もありますが、それもまた確証があるわけではありません。
ただ、前にも触れたことなのですが、忠類の発掘に深く関わった専門家の一人北海道大学の湊正雄は、秋山雅彦らと共同で研究した「木材化石のアセチルブロマイド処理による、忠類の象化石の層位判定」なる論文では、以前に行った年代測定、すなわち「放射性炭素測定法(14C法)」ではスケールアウトして、4万2000年以上前という値しか得られなかったのですが、忠類の木材化石のアセチルブロマイド可溶物の量と年代との関係から分析した年代測定では、約30万年前という値が得られたのです。ということは、忠類におけるナウマンゾウの生息年代が更新世中期のミンデル・リス間氷期の末葉であると推定することが可能になったということなのです。
さて、一方、野尻湖の湖底から発掘されているナウマンゾウの化石の場合は、野尻湖近辺でのナウマンゾウの生息年代が、4万年前頃から2万年前頃ではないかという説が多いようです。しかし中には、1万5000年前頃まで生息していたと見る向きもありますが、それも定かではありません。何れにしろ、ナウマンゾウの生息年代は、太古の昔のことでありますから、専門家の間でも考え方にかなり差があることは避けられないようです。
(文献)
(1)山下昇「(特別寄稿)ナウマンの関東平野研究―ナウマンの日本地質への貢献3-」・『地質学雑誌』(第96巻・第12号)1990年12月、981-984ページ。
(2)山下昇の(1)の 論稿(本文)では、“Geology of the Environs of Tokyo”となっているが、原本では下線の部分が Brauns,D.,“Geology of the Environs of Tokio”、1881.( Memoirs of the Science Department, Tokio Daigaku, 4, 1-82.)となっている。なお、2009年12月、2012年1月ペーパーバックも出版された。
(3)河村善也「第四紀における日本列島への哺乳類の移動」・『第四紀研究』37(3)・1998年7月、251-257ページ。
(4)河村善也「ナウマンゾウと共存した哺乳類」(164—171ページ)・亀井節夫(著)『日本の長鼻類化石』・築地館、1991年。
(5)池守清吉『回想 忠類ナウマン象の発掘・1985・10・12 忠類ナウマン象化石発掘15周年記念』・忠類村役場発行(発行人:忠類村長 白木敏夫)、1985年10月12日刊。
(6)北海道開拓記念館編『忠類産ナウマン象―その発見から復元まで―』(資料解説シリーズNo.1)・北海道博物館協会、1972年。
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