「教育基本法改正法案」が、衆院教育基本法特別委員会で強行採決されました。
審議の継続を求める野党と、数の論理で強行採決する与党。
いつもどおりの展開です。
政府・文部科学省による「やらせ質問」の発覚や「必須科目未履修」「いじめ自殺」といった、とことん審議してほしい大問題は、すべて封印されてしまいそうです。
数の力は、それを何処に向かわせるかによって、大きな改革もできるし議論を封殺することもできます。
いまさらの話となりますが、政府与党を勢いづかせた昨年の秋の衆議院解散総選挙。
「争点は郵政改革一本だ!」なんて、おかしなことやってました。
今になって冷静に考えるとなぜか滑稽です。
「郵政改革の中身は・・・何?」
私もそうですけど、ほとんどの国民が「郵便局が官営から民営になる・・・」程度の理解しかないまま、選挙の日を迎えてしまったような気がします。
「何が問題の核心」で「どんな目標」を達成しようとしていて「どんな利不利」があってとか、
「郵政よりも優先順位の高い政策課題が他に山とあるではないか…」を議論するのはそっちのけでした。
新聞もテレビも、朝から晩まで「小泉チルドレン」だ「造反組」だ「刺客」だ「くのいち」だ「ホリえもん」だ・・・と、
挙句は「郵政改革の是非を問う選挙です。さあ、あなたはイエスかノーか!」
と瑣末な報道に血道をあげていました。
その方が高視聴率を稼げてセールスになったんだから、国民も安く見られたと思います。
当時の解散国会で小泉政権は、国内、外交とも施策は手詰まり状態で、
なぜ郵政改革が必要なのかの説得能力をも持たない追いつめられた状態でした。
半ばやけになって、バクチ的に衆院を解散したと言われていますが、
そんな小泉さんを「男らしい」「快哉の決断力」とほめたたえ、
「郵政改革で我々の暮らしは良くなる」と国民は勝手に妄想し、
さらに「メディアを駆使した劇場型選挙」で大きな支持を集めたわけです。
確かに、解散以降の小泉人気にはすごいものがありました。
「中身はともあれ、声の大きい人に同調すると安心で心地よい」といった、よく言われる「集団催眠状態」に身をまかせた方々も多かったのではないでしょうか。
小泉さんも、そんな日本人の特性を熟知して、上手に利用したといわれます。
小泉さんの総理としての評価は…、
「構造改革を謳ったものの、借金は増大し、格差は拡大した。
景気回復と引き換えに、増税と社会保障の切り捨てを断行した。
最大の功績は、派手で突飛な言動で役者まがいにお茶の間に入り込んできて、政治を身近に感じさせたこと。」
と言われます。
何しろ功罪はともかく「小泉劇場」で次に何が起こるかは私も興味がありました。
誰かが権限を握り、それに同調する人が多いとなると、皆おとなしく従ってしまう。不思議なことに、日本の組織にはそういう性質があると思います。
そんな環境に長年浸り慣れてしまうと、意見を言うことを諦めてしまい、間違ったことを誰も告発しようとは思わなくなるようです。大きな流れには逆らおうと思わなくなるんですね。
逆らったらどうなるか?
抹殺、一掃される?
当時の自民党が行なったような、リーダーの考えに少しでも従わない者には「造反組」の汚名を着せ、「刺客」を送り込んで「除名排除」するといった「恐怖」に基づいた組織運営は、とても子ども達には見せられない蛮行のように感じています。
「日本人の集団心理」を揶揄する代表例としてよく上げられるのが、かつての太平洋戦争での敗戦です。
当時は、国民もマスコミも戦争の意義を知らされもせず(ゆがんで知らされ)、よく考えもしないまま(考える機会を与えられず)、皆が同調し、反対する者は非難・断罪されました。
そして、「全員右向け右の異様な興奮状態」に身をまかせて無謀な戦いに突入してしまったといわれます。
丁度、今の北朝鮮を見る様なものでしょうか。
疲弊し行き詰った大衆は、「強力なリーダー、カリスマヒーロー」を望むといいます。かつてのナチスドイツのヒトラーが奉られたように。
日本の政治が「この道はいつか来た道(太平洋戦争)」とならないよう、「異見の声を上げるものが封殺されない世の中」が続いていくことを願って止みません。
小泉劇場は見ていて面白い部分もありましたが、国民にとっての御利益があったかははなはだ疑問です。
路線を継承した安倍政権がこのあと取り組む大仕事は「共謀罪」「国民投票法」そして「憲法改正」です。
いづれも「国家百年の大計」にかかわる重要な問題です。
将来、歴史が冷静に政治の評価を下すとき、今をまかされた我々の選択が及第点であるよう、拙速を避けた審議を願いたいものです。
「福田ちえ」ホームページ http://www.f-chie.jp
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