福田ちえのときどき日記

日々の活動や雑感を掲載いたします。

中国友好親善訪問から帰国しました

2007年10月26日 | 活動報告
              上海地区リニアモーターカー駅にて
              ここは未来都市?上海の開発事情には驚きの連続でした…


中国黒竜江省チチハル市等の友好親善訪問に参加して、先日帰国しました。

チチハル市・北京市・上海市の各政府、全国最高検察院、民生局、外務省、北京市公安局などの表敬訪問をはじめ、後半は北から南へ忙しく移動しながら思いのほかハードなスケジュールでしたが、貴重で得がたい勉強をさせていただき、また様々な啓発も受けさせていただきました。
また、私たち友好親善団は行く先々で大歓迎をうけました。友愛の情を重んじる中国の温かいおもてなしには何度も胸を打たれました。
友好都市締結から23年間。毎度、事あるごとに、誠意をもって大事に交流を重ねてきた成果が根付いていることを今回改めて感じました。


何よりもまず、想像を超えた中国の発展・成長には驚きの連続でした。
百聞は一見にしかず、の言葉どおり、初めて訪れた中国は、果てしなく広大な国土と資源そして14億人というケタはずれのマンパワーを有し、これからの世界を間違いなく動かしていくであろう底力を目の当たりにした思いです。

本市と友好都市であるチチハル市は、地図上では東北の辺地に位置しますが、それでも総人ロ約600万人の整備が行き届いたきれいな大都市でした。
市幹部との交流では忌憚のない意見交換も行い、都市部と農村部がそれぞれの特性を活かして融合し、経済発展と生活の向上を目指す努力と政策の数々をうかがい知りました。
また、将来に向けて友好都市の両市がさらに幅広い分野で交流を深めることにより、日本と中国の友好協力と平和の促進に取り組むことを約しました。


行程の後半は北京と上海を順次訪問しました。
首都北京では、来年のオリンピック開催を目途に、街のいたるところにある遺跡の合間を縫うように、開発が進められていました。
国家の威信をかけて、北京オリンピックと上海万国博覧会(2010年)といった国際イベントの成功に取り組む意気込みが感じられます。
特に、最後に立ち寄った上海は、政府による浦東開発宣言からわずか15年にして高さ400~500m級の未来都市を思わせるような異形の超高層ビルが所狭しと建ち並び、都市人口1450万人に加えて通商・産業や観光の人々や車・自転車であふれかえる世界でした。
とにかくどこを切っても大胆で精力的に開発が続く中国大都市が、今後どのように発展し変貌していくのか末恐ろしい気もいたしました。

ただし、日本の高度成長時代を彷彿させると言われる現在の中国ですが、急激な成長の影の部分も見え隠れしていました。
例えば、自家用車の普及率がひとケタ台であるにもかかわらず、道路交通環境や交通マナーの悪さは目に余るものがあり、安心安全とはほど遠いものを感じましたし、環境破壊や公害問題、経済解放特区と農村地域との生活格差、貧富の差の増大、治安の悪化、粗製乱造による製品・産物の信頼(中国産は大丈夫?)の問題、そして徹底した一人っ子政策による少子・高齢化問題など、これまで日本が高度成長の後に社会問題として取り組みを余儀なくされていることがらが、これからの中国でも間違いなく政治課題や国民生活の不安材料になるであろうことが、意見交換の場でも話題になりました。


古代から、多くの中国人が日本に渡り、様々な大陸文化を日本に伝え根付かせていたことは歴史の基礎知識程度には知っていましたし、現在も Made in China や中国生産の農工産物に触れない日が一日たりとして無いと言っても過言でない私たち日本人の暮らしは、産業界や輸出入で相当規模での中国依存傾向があります。

過去の不幸や現在の外交・通商の様々な軋轢はあるものの、日本と中国は東アジアの盟友としてこれから先も手を携え続ける必要があると思います。
両国の協力関係をより一層強固で円満なものにしていくためにも、今後も自治体や民間レベルでの行政、経済、文化、スポーツといった分野での交流に誠意と工夫をこらすことの必要性を強く感じています。

日中友好の架け橋に!と、意気込んでメンバーに加わった訪中団でしたが、言葉の壁にさいなまれること幾多・・・。
次のご指名がもしもあるならば、今回のように通訳さんがいない所ではひたすら笑顔と握手での親善活動・・・といったことのないように、中国語を少しは身に付けて出かけて、真の日中友好地方議員になっていたいと思います。

また最後に、11名の訪問団のうち今回女性は私1名であったため、何かと周囲に気を使わせてしまったことにお詫びとお礼を申し上げたいと思います。


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中国でのひとコマ

2007年10月26日 | 活動報告
                  人をかき分け進む 束の間の古寺名刹
                  まるでラッシュアワーの駅のよう・・・

チチハル市への友好親善訪問 ~ 中国大陸から(3)

2007年10月23日 | 活動報告
              突貫工事!北京オリンピック・スタジアム建設現場です


チチハル市でのスケジュールを無事終えて、私たち一行は北京入りしました。
普段日本のマスメディアでうかがい知る様子をはるかに越えたスピードで開発・発展を遂げている北京の姿を、目の当たりにしています。

市中はどこもダイナミックでパワフルでエネルギッシュ。四輪車も二輪車も洪水のように走り回り、いたる所で大きな土木工事やビルの建設ラッシュです。
来年のオリンピック開催に向けて、表舞台を急ピッチで整備といった声も聞かれましたが、これがまだまだ発展途中だとすれば、将来はどうなってしまうんだろうと…。まさに中国畏るべしです。

14億人ともいわれている人口と労働力、広大な国土と資源、そして中国共産党一党独裁による迅速一気にして方向転換が容易くできる様々な開発計画の立案・推進など、停滞や飽和といった言葉は当分の間中国には必要なしといったところでしょうか。

今回の北京での視察訪問先は、北京市政府、人民大会堂、全国最高検察院、民生局(日本の厚生労働省)、外務省、北京市公安局など人民政府の公的機関。またその合間に、近代化と調和した住み分けが課題とされる数多ある歴史・文化の遺跡・施設の中から、万里の長城、明十三陵、故宮博物院などを駆け足で訪れています。
遺跡の威容はどれも、中国古代権力の凄まじさを強烈に思い知らされました。
ただ休日のせいもあって仕方ないのですが、何処へ行ってもヒトまたヒトでごった返していて、悠々中国のイメージとは少しかけ離れたものでした。

先に訪れたチチハルの農村部と北京の都市部だけを見比べると驚くほどの生活格差を感じます。ただし、北京でも表通りを一歩外れると、昔ながらの横丁の長屋風の民家が延々と続いています。まるで映画のセットを見比べているような不思議な感覚ですが、そこでは普段着の庶民とのんびりした中国の素顔を見た思いでした。

発展する経済開放特別区と地方農村部、あるいは経済優先政策に上手に便乗した人とそれ以外の人々の格差拡大は今の中国が抱える大きな課題です。
また、これまで一人っ子政策が厳しく徹底されていることで、近い将来に間違いなく訪れる少子化・高齢化問題や乱開発のリバウンドとして起こる環境問題、公害問題、治安維持問題、交通問題も驚異の繁栄の陰に見え隠れしているようです。

社会主義の国家体制を土台に、経済開放を両立させていくことは人類の歴史の上では未踏の分野です。
民主化を強く求めかねない国民の思想を穏便に操縦し治めながら、社会主義体制と国の繁栄を永続させなければならないといった難しい課題も常に持ち合わせていることも、現地の方々から見聞することができました。


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チチハル市への友好親善訪問 ~ 中国大陸から(2)

2007年10月21日 | 活動報告
                 冬の到来を待つ扎龍(ザーロン)自然保護区にて   
                   凍てついた湖沼では 丹頂鶴も間近に・・・


チチハルで、現地市議会、国営車両工場、二馬路(ニマロ)小学校、扎龍(ザーロン)自然保護区、甘南県興十四村、明月島など、行政、産業、教育、農業・観光、自然保護の代表拠点を順次視察しています。
夜は時間が空くので、宿泊先の部屋からモバイルで少々こちらの状況をお伝えしたいと思います。

視察先のひとつ「甘南県興十四村」は、黒龍江省の施策で「農業観光モデル地区」として選定され、農村の楽しみを観光資源として利用して観光村おこしを行っているエリアです。
朝鮮民俗遊びや耕作見物・体験、民家宿泊や郷愁あふれる田舎料理によって人を集め、寒村を活性化させ同時に農業も振興させようといった面白い取り組みであり、成果も順調に上げているとのことでした。

また、前から楽しみにしていた「扎龍(ザーロン)自然保護区」は、多くの種類の野鳥が飛来する鳥類の楽園「鶴の故郷」とも言われる21万ヘクタールに及ぶ大湿地帯。
自然湿地保護の国際条約ラムサール条約にも登録され、世界15種のツルのうち6種が生息し、どこまでも続く静けさの中で自由に羽を広げていました。
宇都宮市の八幡山公園とロマンチック村の丹頂鶴は、チチハル市との友好の証にと贈られたもの。上手に繁殖し、現在は19羽に増えています。


ところで、ここ中国北方三省は満州開拓団など、先の大戦の遺構や記録・名残が各地に残っているところでもあります。
旧日本軍が中国人民を強制的に労働にかり出し完成させたダムや運河・橋梁・道路などの土木事業の数々。悲惨な時代の証言者でもあるそれらの建造物が、今の中国の市民生活や産業を支えていること、そして、戦争の傷跡が残る旧跡が、中国の若者の歴史教育の重要な拠点施設になっていることと併せて、複雑な気持ちを覚えます。

もうひとつ考えざるを得ないことが、戦争の敗走で多くの子どもや女性が大陸に置き去りにされ、50年もの間辛酸を舐め不遇な生活を余儀なくされた「残留孤児・婦人問題」。
一部では過去の風化した話とされがちですが、名作「大地の子」の舞台でもある吉林省、黒竜江省などの中国東北地方は、日本政府が重い腰をあげるかなり前から、残留孤児・婦人の帰国対策に取り組んでいたそうで、当時の対応は親身・真剣さ積極さで祖国の日本よりもその評価が高いところです。

万の単位でいるといわれる孤児・婦人のうち帰国にこぎつけたのが約3500名。
ただし夢かなって帰国しても、言葉や生活習慣の壁で職も得られず生活保護を受ける人が7割を超えるとも言われています。
現在、国家賠償を政府に求めて訴訟中の方々約2000名。審理はほとんど孤児等に不利に進められているのが日本の国内事情です。北朝鮮の拉致帰国者は超優遇なのに残留孤児は冷遇お荷物扱いと表現する方もいます。
私も、もっと残留孤児・婦人に十分な社会保障を、と活動する方々を理解し支持しております。

かつての日本軍国主義は、中国侵略により中日人民と満州開拓邦人に多大な災難を与えたことは紛れも無い事実。現在の日中関係は安定しているように見えますが、中国人民はこのことを永久に忘れることは出来ないでしょう。
わずか6年前に、旧日本軍の遺棄した毒ガス化学兵器弾が、ここチチハルの工事現場で噴出し、40人以上の死傷者を出したことも記憶に新しいところです。

こちらの方々と話しをしていても、「歴史認識」の問題では非常に敏感なことが肌で伺えます。
今回の訪中は歴史の教訓を学ぶよい機会でもあります。
日本と中国は、頼りになる隣国同士として良い関係になるように将来に向けて双方で努力し続けなければならない。
戦後問題や歴史認識を共有する意味からも、まず事実を客観的に捉え、そして双方の考え、心情、立ち位置に大きな隔たりが生じない努力をこうした機会に行うことに意義があると改めて感じています。


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チチハル市への友好親善訪問 ~ 中国大陸から

2007年10月20日 | 活動報告
              チチハル市の二馬路(ニマロ)小学校を表敬訪問
              教室いっぱいに溢れた元気で素直な大陸の子どもたち


中国黒竜江省チチハル市の友好親善訪問に参加して4日目の朝です。

北京までのフライトは僅か2時間45分。そこからチチハルまでが2時間弱で、あらためてその近さを感じました。自身は中国はこれまで縁が無く初めての渡航です。宇都宮から成田発までに6時間、北京空港で3時間の待合せを要しましたが、時差もほとんど無くて、北米や欧州を旅した時を思うと、外国を訪れた気がしない不思議な感覚です。
事前には当地の寒さを心配しましたが、天気に恵まれている事もあり思いのほか過ごしやすい大陸の秋です。

世界一の社会主義大国ながら、上手に変容(民主化への動きや改革開放政策)しながら驚異の経済発展を遂げている中国。その原動力である国民の生活や気質、上手に経済活動を支えている政治のしくみや制度について見聞きしています。
それと、教育や福祉や男女共生などの点も注視です。

国際ローミング機能を使って携帯電話からメールを送り、自宅のパソコン経由でブログアップできます。現代のモバイルツールは素晴らしい。
国際ローミングに設定してありますので、通信環境が悪くなければ携帯電話は24時間受診可能であると思います。

それにしても中国の道幅は広い。車道片側2~4車線に加えて自転車道そして歩道。
信号もありますが、おとなしく従う人は皆無で、人も車も自転車も我先に前へと凄い。人よりも車両が最優先の交通事情の乱暴さは日本では想像できないものがあり圧倒されています。これも大国のエネルギーでしょうか。
チチハルを、丹頂鶴の飛来する中国のいなか町くらいに考えていた私には、何もかもが非常に大きな都市で驚いています。
それでも少し郊外へ出ると、釧路湿原を思い出させるような河沼や果てしなく続く草原です。空も普段の日本とは明らかに違うほど青々としていて感動です。
無理な望みですが、時間が許せば野生動物でも探しながらほんとうにゆっくりと歩きたくなります。


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地域ぐるみで 廃止バス路線(西原地区・材木町通り新町ルート)復活への取り組み

2007年10月13日 | 活動報告
西原地区コミュニティーセンターに市の執行部(交通政策課長ら)と地域住民が集まり、廃止された地元バス路線の復活に向けた協議が行われました。

同路線は地元にとっては生活に欠かせないバス路線でしたが(当時は新町経由バスと呼ばれていました)、3年前に住民との廃止・縮小に関する協議や実態調査・説明も十分に行われないまま、半ば一方的に廃止されていました。

廃止の後も、西原地区の様々な集まりでバスのことが繰り返し話題になっていました。
一日に数本でもいいから街中や駅や病院に通えるバスを走らせてほしいとの切実な要望が多く、市長を囲む「まちづくり懇談会」で直接要求を行ったり、有志によるバス路線復活の署名活動などが実施されていたところです。

そしてこのほど、その活動が実を結びました。
東野交通が来春からの路線復活の正式決定に踏み切り、年内にも国土交通省への申請を行うことが今日確認されました。

廃止路線が復活することは過去に前例のない取り組みだそうです。
民意を集め、住民の声が行政・事業者を動かした良い事例となるでしょう。

バスの日中の利用客は通院や買物に出かける高齢の方が大半でしょうか。
階段の昇降や構内の長い移動が必要な電車と違い、弱った足腰をあまり使わずに乗車・移動できるバスは、高齢者や障がい者の生活の足として安全・安心な交通手段であるといえます。

地方の公共交通は採算を取ることが難しく、ここ数年の規制緩和により不採算地域からの赤字バス路線の廃止が進んでいると聞きます。
利潤追求が第一の民間企業である以上、撤退もいたしかたないことです。

廃止バス路線に代わる地域住民の足確保のため、あちこちの自治体や住民(自治会など)が知恵を絞り経費をかけています。
誰も手を差し延べてくれなければ、コストの安い交通機関導入を地域主導で考えていく以外にないわけです。

代表的なものが全国の過疎地域で活躍する「乗り合いタクシー」でしょうか。
自治体からの補助金で運営されるところと完全住民負担のところがあるようです。

経費負担はまちまちですが、本市で代表的なものがコミュニティバスの「きぶな号」、上河内代替バス「ユッピ-号」そして清原地区での地域内交通=乗合いバスです。

地域の実情に合った公共交通サービスを維持していくためには、自治体や住民が応分に費用を補助・負担したり、場合によっては地域住民のみの努力で運行しなければならない状況も今後ますます増えていくものと思われます。
生活の足としての安全・安心な交通手段を確保するため、これからも常にアンテナを高くしておきたいものです。


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児童養護施設 普恵園の解散問題について

2007年10月12日 | 活動報告
宇都宮市睦町の児童養護施設(社会福祉法人)「普恵園」の解散問題をご存知でしょうか?

児童養護施設とは、親が亡くなったり病気したり離婚したり、あるいは虐待などの理由で保護者からの養護を受けられない1歳から18歳までの児童を養育する施設です。
ご存知ない方がイメージするならば、漫画タイガーマスクの「ちびっ子ハウス」や木村拓哉さん主人公のテレビドラマ「エンジン」の舞台となったあの家です。
栃木県内には、そんな子どもたちが現在約500人ほどいます。

「普恵園」は我が家からも車でほんの数分の所にあり、私の母が携わる貸衣装・記念写真の店が、ささやかながら子どもたちの思い出と成長の記録づくりをと、これまで七五三の行事などでお手伝いをさせていただいていた施設でもありました。

県内に10箇所ある児童養護施設の中でも規模が大きく、現在65人の子どもたちがそこを我が家として暮らす「普恵園」。
9月の末から繰り返し新聞でも取り上げられていましたが、運営母体の社会福祉法人よしみ会が、資金難などを理由に来年3月いっぱいで解散する方針を固め、県と協議に入っています。
あまりに突然の話です。社会福祉に携わる立場での無責任は絶対に回避していただきたいと願います。

施設の廃止には県の承認を受ける必要があり、また社会福祉法人の解散には所管する宇都宮市の許可が必要となります。
問題は先月から表面化していましたが、児童福祉行政や子育て支援にマイナスの影響が出ることは必至です。
私の所属する会派(民主市民連合議員会)からも市長宛の存続要望書を提出し、承継する法人の選定などによって施設が再建・存続する方策を早急に講じていただくよう要請しています。

宇都宮の中心部から養護施設が消えてしまうことで、短期間での利用(ショートステイ)といった急場需要への受け皿も大きく減退します。
また、施設を退所して社会に巣立った若者の生活相談や自立援助といったアフターケアの担い先も無くなってしまいます。

資金難といった理由の他に、経営する側と働く職員の不協和など内部のゴタゴタを指摘する風もあるようですが、入所している子どもたちの生活が万全に保証されることなく廃止の承認は行えません。

子どもたちは何処へ・・・。知らない土地の知らない施設?あるいは里親のところ?
親に見捨てられ、今度は施設に見捨てられるのか・・・。
恵まれない子どもを守る立場の者が、逆に子どもたちを翻弄しています。
帰る場所が無く、やっと探し辿りついた居場所であり我が家。
仲間とバラバラになったり学校が変ったりと、慣れ親しんだ環境が大きく変ることなく少しでも幸せに生活できる環境を確保してあげなければなりません。

明日午後2時から、宇都宮大学教育学部住環境まちづくり研究室や子ども人権情報ネットワークなどの団体共催で緊急集会があります。

今、子どもたちはどんなに不安で宙ぶらりんな思いでいるでしょう。
早くそれらを解消して安心させてあげたい。
普恵園の再建・存続に向けて微力ながらお手伝いしたいと思います。


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教職員の不祥事を受けて ~ 教員養成の専門家からの状況分析と問題提起

2007年10月07日 | オピニオン
今日は最近の出来事から印象的だったものとして、
先月末に、宇都宮大学で准教授として教育学の教鞭を執っておられる小原先生との教育現場が抱える様々な問題・課題に関するメールのやりとりを反芻して記そうと思います。

ご存知のとおり、夏以降相次いだ宇都宮市の教職員の不祥事を受けて、私たち関係者も心配が尽きずにおりました。
今般、市教委が全教職員に「服務規律の厳正化」と称して、「教職員行動規範の毎日唱和」や「個別面談、学校訪問」を通達し、更には個人情報盗難事件の対応策として「寄り道の禁止」まで命令するという、異常な事態に陥っています。
現場サイドからも、異常ともいえる人権侵害であるとして通達の撤回を教育長宛に申し入れるなど事態は紛糾模様です。

私も 6月議会で登壇し一般質問した際に取り上げた教育行政に関する訴えの中で、教育行政に係る予算の増額と教育環境(教職員の勤務環境も含めて)整備のための少人数学級、教員増員を提言・指摘させていただきました。
(議事録と一般質問の映像が宇都宮市議会のHPから閲覧可能です。)
宇都宮市議会会議録検索システム 平成19年第3回定例会(第4日目 6月22日)

また、先の9月議会文教水道消防委員会においても、寄り道禁止などのその場しのぎで付け焼刃的な方策はいかがなものか、そもそも自宅に仕事を持ち帰らなければ済まないような働き方に問題の根本はある、と提言しました。

更に、自宅持ち帰りを余儀なくされる教職員の過重労働や、疲弊し精神疾患(うつ病など)に罹患した教員の復帰プログラムや学校の受け入れ態勢に関して、委員会終了後も教育委員会学校教育課へ意見聴取に伺いました。

市の教育委員会のスタンスは、事務文書の簡素化や業務の見直し、更には教職員の増員は市行政の範疇外(県の役割)というもの。
指導助手は市で採用できるが、収入や身分が不安定なので人材が不足し、また、団塊の世代が退職すると教員の人材不足は更に加速し、優秀な人材を採用したくても採用できない時代が来る、といった課題を抱えていることも窺えました。

そんな折、小原准教授からはタイムリーにご連絡をいただきました。
これまで教鞭を執りながら多方面で活躍する先生のご意見は、大変示唆に富んだ素晴らしいものであり、お許しを得てそのエッセンスを披露(ほぼ原文のまま)させていただきます。


私は市内の大学で、教員志望の学生たちの教育に携わっています…
教育委員会が教師に大事なことを伝えるのに繰り返しロボットのように「唱和させる」という、時代錯誤なやり方が正しいと信じていることに愕然としております。
先生にそんなことをさせるくらいですから、先生が子どもたちをそういう軍隊式の
やり方で「教育する」ことも、教育委員会は率先して薦めているに違いないと考え、自分の子どもや教え子たちの将来を思い、暗い気持ちでいっぱいです。
そのような人権感覚の教育委員会が、教員に「高い人権意識を持つように」唱和させるのですから、一体ここはどんな時代に迷い込んでしまったのだろうとも思います… といった書き出しでした。

小原准教授によると、
OECDの教育調査結果では、日本の小学校教員は調査対象国中最も教員一人当たりの授業に従事する時間が少なく、反面、労働時間は最も長い。
授業従事時間が短いのは、韓国に次いで1クラス当たりの生徒数が多いから。逆に教員一人で担当する生徒数が多くことから、生活指導面に力を入れている日本では労働時間がどうしても長くなる。また、教育委員会等への報告関係の業務が増えていることも労働時間の増大に影響している、としています。

こうした状況の根本的な原因は、教育予算が少ないことにあり(日本の公的教育支出のGDP比は、調査対象国中ギリシャに次いで下から二番目の低調さ。)。にも関わらず、地域の弱体化が進む中で、学校の社会的役割への期待はさらに高まるばかり、という相反する実態があることも指摘しています。

文科省は授業時間数の方を増加しようとしていますが、学力国際調査で高い結果をあげているフィンランドの授業時間はかなり短く、また、教員一人当たりの児童数は相当少なくなっており、日本もフィンランドに学ぶのであれば、もう少しクラスの児童数を少なくすべきではないか…、人々の価値観における個人化がどんどん進む中で、日本の学校もそうした流れを無視するのではなく、それに対応しながら進めていかざるをえないはずだ、とも…。

また、大学で教員養成に携わっている立場から、現代の教職を志す学生を取り巻く環境や実態をかいつまんでお教えいただきましたが、

大変優秀で熱心な学生が、栃木県の教員採用試験で、一次の学力試験で合格しながらその子の実力を見てもらうことができず二次の面接で不採用になっている。
大学側は、どうしても教員になりたいという熱心な学生には、競争率の低い東京や神奈川、千葉などの都市部の受験を薦めざるをえない。
地元での就職にこだわらない優秀な学生はそうして県外に流出しており、家庭の経済事情が許すような学生で、どうしても地元に残りたいというような学生だけが、倍率8倍という中で就職浪人をしているという実態があるとか…。

教員採用が県の人事であるのはその通りだが、市町村が独自予算を組めば少人数学級を作ることは可能で、先進自治体では既にその取り組みが始まっている。
しかし、宇大教育学部の場合でも教員志望で入ってきた学生の半分くらいが、最初の二年間で教員になることをあきらめるという実態があるとのことで、
その主たる原因は
A 現職教員の話を聴く機会があり、その仕事がいかに大変か思い知ること
B 教員採用試験の合格率が低く、自分には無理なのではないかと思うこと

Aに関しては、景気もある程度回復し、他の仕事の選択肢も増えているという状況もあり、事実として仕方の無い事。
逆にそれを知った上でそれでも教員になりたい学生は、相当熱意がある人で、そういう学生はまだまだたくさんいる。
またBに関しては、先に述べたように栃木にこだわらず、教員採用試験の倍率が低いところを受験するよう薦めざるを得ない厳しい現状がある。

教員の仕事の大変さが知れ渡り、より楽な道を求める学生が増えていることから、全国で教育学部の入試倍率は軒並み下がっているという事実もある。
安易に教員を志望する学生を排除することは教員の質を高めることにもつながり問題ないが、実はもっと大きな問題は、教員の仕事の大変さに見合った社会的評価が得られていないことにあるとも…。

小原准教授のご意見には、
マスコミによる教員バッシングは、回りまわって教員の質の低下をむしろ進めている…、
あるいは、ゆとり無き教育現場の状況打開のために、退職したOB教職員や地域やPTAのボランティアの力を借りることの弊害といった、更に興味深い分析ご意見もあり、そちらも後日お披露目させていただきたいと思います。

戦後期から高度成長時代を経て、成熟期を迎えた日本で、今、教育の現場や政治、大人社会が様々な変化に対応しきれていないと感じます。

「教育=人づくり=国の最も大切な財産」といった社会の命題を私たちは忘れてはなりません。

此度の小原准教授の様々なご教示は、具体的な事例も沢山いただき、大変参考になりました。
今後とも、よきアドバイスをいただけますよう心からお願い申し上げたいと
思います。


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友好都市「中国:チチハル市」訪問に出かけます

2007年10月06日 | 活動報告
9月議会閉会後もスケジュールの詰まった毎日で、帰宅が深夜となる日が続きました・・・。ブログの更新も滞りご無沙汰してしまいました。

明日は西原地区の運動会(自治会対抗です)。
天気も上々のよう。思い切り体を動かして(まだまだ人一倍体が動くことを確認して?)来ようと思います。

さて、今月17日から行われる市議会の「友好都市訪問」のメンバーに指名されました。現在、いろいろなスケジュールの折り合いをつけています。
訪問先は「中国のチチハル市」。訪問団のメンバーは総勢で11~13名。

議員や公務員による特権的な海外視察については、日本中で公費の無駄遣いとの呼び声も高く、近年、自重縮小の傾向にあると聞きます。
宇都宮市でも議会費による議員の「海外視察」は行っておらず、世界に4都市ある「友好都市」のうちから毎年一箇所に国際交流行事として議員を派遣している状況です。

良く耳にする、現地での公務はほんの僅かで殆どは観光地とご当地美食めぐりといった視察はもちろん許されるものではありませんが、視察調査を隠れみのにしたほぼ観光目的の「海外視察」と今回のような「友好都市訪問」とは性格を異にしたものと考えています。
また、「友好都市」とはこれまで永年にわたり様々な分野において相互訪問による交流が続いています。異国文化の相互理解と平和・国際協力を目指した国際交流は、やはり自治体レベルでも適正に維持されるべきものと思います。

ただし財政状況や市民感情を踏まえて、経費や趣旨・目的は厳しく管理されるべきで、私たちも常に妥当性の有無を考える必要があることは勿論のことです。
派遣の頻度や人選方法の見直し(議員の枠を減らして学生や市民の希望者に席を振り向けるとか)も必要でしょう。

いずれ、市の事業として行われる友好都市訪問ですから、市民の皆さんの賛同なくしては成り立たない事柄です。
友好都市訪問に限らず、そろそろ見直していく必要があるように思うことは、慣例だから…と安易には受け流さず、外からの声もどんどん議会に寄せて頂きたいと思います。

さて今回は、日中関係があまり良くないという事を、ある程度覚悟して行って来ようと思います。表面は歓迎してくれても、日本人を快く思っていない中国の方は少なくないと思います。
永い眠りから覚め益々大国への道をひた走る中国についての知識と理解を深めて、近いのにとても遠い国との距離を僅かでも縮めることに貢献できればと思っています。


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