上海地区リニアモーターカー駅にて
ここは未来都市?上海の開発事情には驚きの連続でした…
中国黒竜江省チチハル市等の友好親善訪問に参加して、先日帰国しました。
チチハル市・北京市・上海市の各政府、全国最高検察院、民生局、外務省、北京市公安局などの表敬訪問をはじめ、後半は北から南へ忙しく移動しながら思いのほかハードなスケジュールでしたが、貴重で得がたい勉強をさせていただき、また様々な啓発も受けさせていただきました。
また、私たち友好親善団は行く先々で大歓迎をうけました。友愛の情を重んじる中国の温かいおもてなしには何度も胸を打たれました。
友好都市締結から23年間。毎度、事あるごとに、誠意をもって大事に交流を重ねてきた成果が根付いていることを今回改めて感じました。
何よりもまず、想像を超えた中国の発展・成長には驚きの連続でした。
百聞は一見にしかず、の言葉どおり、初めて訪れた中国は、果てしなく広大な国土と資源そして14億人というケタはずれのマンパワーを有し、これからの世界を間違いなく動かしていくであろう底力を目の当たりにした思いです。
本市と友好都市であるチチハル市は、地図上では東北の辺地に位置しますが、それでも総人ロ約600万人の整備が行き届いたきれいな大都市でした。
市幹部との交流では忌憚のない意見交換も行い、都市部と農村部がそれぞれの特性を活かして融合し、経済発展と生活の向上を目指す努力と政策の数々をうかがい知りました。
また、将来に向けて友好都市の両市がさらに幅広い分野で交流を深めることにより、日本と中国の友好協力と平和の促進に取り組むことを約しました。
行程の後半は北京と上海を順次訪問しました。
首都北京では、来年のオリンピック開催を目途に、街のいたるところにある遺跡の合間を縫うように、開発が進められていました。
国家の威信をかけて、北京オリンピックと上海万国博覧会(2010年)といった国際イベントの成功に取り組む意気込みが感じられます。
特に、最後に立ち寄った上海は、政府による浦東開発宣言からわずか15年にして高さ400~500m級の未来都市を思わせるような異形の超高層ビルが所狭しと建ち並び、都市人口1450万人に加えて通商・産業や観光の人々や車・自転車であふれかえる世界でした。
とにかくどこを切っても大胆で精力的に開発が続く中国大都市が、今後どのように発展し変貌していくのか末恐ろしい気もいたしました。
ただし、日本の高度成長時代を彷彿させると言われる現在の中国ですが、急激な成長の影の部分も見え隠れしていました。
例えば、自家用車の普及率がひとケタ台であるにもかかわらず、道路交通環境や交通マナーの悪さは目に余るものがあり、安心安全とはほど遠いものを感じましたし、環境破壊や公害問題、経済解放特区と農村地域との生活格差、貧富の差の増大、治安の悪化、粗製乱造による製品・産物の信頼(中国産は大丈夫?)の問題、そして徹底した一人っ子政策による少子・高齢化問題など、これまで日本が高度成長の後に社会問題として取り組みを余儀なくされていることがらが、これからの中国でも間違いなく政治課題や国民生活の不安材料になるであろうことが、意見交換の場でも話題になりました。
古代から、多くの中国人が日本に渡り、様々な大陸文化を日本に伝え根付かせていたことは歴史の基礎知識程度には知っていましたし、現在も Made in China や中国生産の農工産物に触れない日が一日たりとして無いと言っても過言でない私たち日本人の暮らしは、産業界や輸出入で相当規模での中国依存傾向があります。
過去の不幸や現在の外交・通商の様々な軋轢はあるものの、日本と中国は東アジアの盟友としてこれから先も手を携え続ける必要があると思います。
両国の協力関係をより一層強固で円満なものにしていくためにも、今後も自治体や民間レベルでの行政、経済、文化、スポーツといった分野での交流に誠意と工夫をこらすことの必要性を強く感じています。
日中友好の架け橋に!と、意気込んでメンバーに加わった訪中団でしたが、言葉の壁にさいなまれること幾多・・・。
次のご指名がもしもあるならば、今回のように通訳さんがいない所ではひたすら笑顔と握手での親善活動・・・といったことのないように、中国語を少しは身に付けて出かけて、真の日中友好地方議員になっていたいと思います。
また最後に、11名の訪問団のうち今回女性は私1名であったため、何かと周囲に気を使わせてしまったことにお詫びとお礼を申し上げたいと思います。
「福田ちえ」ホームページ http://www.f-chie.jp
ここは未来都市?上海の開発事情には驚きの連続でした…
中国黒竜江省チチハル市等の友好親善訪問に参加して、先日帰国しました。
チチハル市・北京市・上海市の各政府、全国最高検察院、民生局、外務省、北京市公安局などの表敬訪問をはじめ、後半は北から南へ忙しく移動しながら思いのほかハードなスケジュールでしたが、貴重で得がたい勉強をさせていただき、また様々な啓発も受けさせていただきました。
また、私たち友好親善団は行く先々で大歓迎をうけました。友愛の情を重んじる中国の温かいおもてなしには何度も胸を打たれました。
友好都市締結から23年間。毎度、事あるごとに、誠意をもって大事に交流を重ねてきた成果が根付いていることを今回改めて感じました。
何よりもまず、想像を超えた中国の発展・成長には驚きの連続でした。
百聞は一見にしかず、の言葉どおり、初めて訪れた中国は、果てしなく広大な国土と資源そして14億人というケタはずれのマンパワーを有し、これからの世界を間違いなく動かしていくであろう底力を目の当たりにした思いです。
本市と友好都市であるチチハル市は、地図上では東北の辺地に位置しますが、それでも総人ロ約600万人の整備が行き届いたきれいな大都市でした。
市幹部との交流では忌憚のない意見交換も行い、都市部と農村部がそれぞれの特性を活かして融合し、経済発展と生活の向上を目指す努力と政策の数々をうかがい知りました。
また、将来に向けて友好都市の両市がさらに幅広い分野で交流を深めることにより、日本と中国の友好協力と平和の促進に取り組むことを約しました。
行程の後半は北京と上海を順次訪問しました。
首都北京では、来年のオリンピック開催を目途に、街のいたるところにある遺跡の合間を縫うように、開発が進められていました。
国家の威信をかけて、北京オリンピックと上海万国博覧会(2010年)といった国際イベントの成功に取り組む意気込みが感じられます。
特に、最後に立ち寄った上海は、政府による浦東開発宣言からわずか15年にして高さ400~500m級の未来都市を思わせるような異形の超高層ビルが所狭しと建ち並び、都市人口1450万人に加えて通商・産業や観光の人々や車・自転車であふれかえる世界でした。
とにかくどこを切っても大胆で精力的に開発が続く中国大都市が、今後どのように発展し変貌していくのか末恐ろしい気もいたしました。
ただし、日本の高度成長時代を彷彿させると言われる現在の中国ですが、急激な成長の影の部分も見え隠れしていました。
例えば、自家用車の普及率がひとケタ台であるにもかかわらず、道路交通環境や交通マナーの悪さは目に余るものがあり、安心安全とはほど遠いものを感じましたし、環境破壊や公害問題、経済解放特区と農村地域との生活格差、貧富の差の増大、治安の悪化、粗製乱造による製品・産物の信頼(中国産は大丈夫?)の問題、そして徹底した一人っ子政策による少子・高齢化問題など、これまで日本が高度成長の後に社会問題として取り組みを余儀なくされていることがらが、これからの中国でも間違いなく政治課題や国民生活の不安材料になるであろうことが、意見交換の場でも話題になりました。
古代から、多くの中国人が日本に渡り、様々な大陸文化を日本に伝え根付かせていたことは歴史の基礎知識程度には知っていましたし、現在も Made in China や中国生産の農工産物に触れない日が一日たりとして無いと言っても過言でない私たち日本人の暮らしは、産業界や輸出入で相当規模での中国依存傾向があります。
過去の不幸や現在の外交・通商の様々な軋轢はあるものの、日本と中国は東アジアの盟友としてこれから先も手を携え続ける必要があると思います。
両国の協力関係をより一層強固で円満なものにしていくためにも、今後も自治体や民間レベルでの行政、経済、文化、スポーツといった分野での交流に誠意と工夫をこらすことの必要性を強く感じています。
日中友好の架け橋に!と、意気込んでメンバーに加わった訪中団でしたが、言葉の壁にさいなまれること幾多・・・。
次のご指名がもしもあるならば、今回のように通訳さんがいない所ではひたすら笑顔と握手での親善活動・・・といったことのないように、中国語を少しは身に付けて出かけて、真の日中友好地方議員になっていたいと思います。
また最後に、11名の訪問団のうち今回女性は私1名であったため、何かと周囲に気を使わせてしまったことにお詫びとお礼を申し上げたいと思います。
「福田ちえ」ホームページ http://www.f-chie.jp