福田ちえのときどき日記

日々の活動や雑感を掲載いたします。

病んだ子ども達を「新教育基本法」は救えるでしょうか

2006年11月27日 | オピニオン
クリスマスのイルミネーションが街のいたるところで可憐に瞬く季節になりました。
でも、浮かれる気持ちをすぐに遮るのが、全国各地でいじめの苦しみを訴え、悲痛な遺書を残しながら自ら命を絶った子ども達への思いです。

サンタさんからのプレゼントを見ることなく消えた多くの幼い命。
いつになったら悲劇の連鎖に歯止めがかかるのでしょうか。

今年になって文部科学省が発表した「全国のいじめに関する統計調査結果」は、

「いじめ認知件数は平成7年度をピークに減少の一途を辿る。いじめによる生徒児童の自殺も平成11年度以降は0件。いじめ排除の諸対策と現場の努力が見事に奏功した・・・。」というものでした。

実態ではないことは誰の目にも明らかです。
タウンミーティングの件といい、教育行政は「やらせ数字づくり」に躍起だったと指摘されても仕方ありません。
やるべきだったのは、事実を隠すことではなく、子どもの心の訴えに真剣に向き合い、実情を正確に把握することであったはずです。

いじめが発覚すると責任問題が生じますが、学校側だけに責任を負わせても問題の根本的な解決にはならないと思います。
社会の隅々で、強い者・勝ち組が弱い者・負け組を軽々に扱う風潮が蔓延している世の中で、子どもたちにもその影響が確実に及んでいることも無視できません。
いじめは罪である(傍観者になることも同じ)との意識と、逃げることなく立ち向かう(声を上げる)ことの正しさと勇気を、もっと真剣に教える努力をはらうことを、今を機会に私たち親が、そして社会が、再確認しなければならないと思います。


現在、日本の未来に多大な影響のある「教育基本法改正案」が国会で審議されています。
いじめ問題については、政府案が通るとますます悪化するのではないかという多くの教育専門家の意見があります。
今よりも教育現場の自由度を奪い、国家による介入の力をさらに強めようという改正の理念が論戦の焦点です。

教育現場のあり方や教育の様々な制度に国家の影響力を強め、画一的、強権的に対策を講じていくというやり方で恩恵を被るのは誰でしょうか?
「脱ゆとり教育」。行き過ぎると、子どもたちにとっても教師たちにとっても学校が窮屈な環境になることは間違いありません。
学校ぎらいの増加。いじめの陰湿化。実績(成績)偏重・格差容認。教師の疲弊。
教育現場の環境悪化は十分に考えられます。

例えば、
・教育の自由というものを今後もおおいに認めていかなければならない。
・地域単位の様々な自由裁量を認めていくべき。学校関係者だけでなく様々な分野の方々も交えて、地域単位でそしてPTAも含めて運営にあたれるしくみをつくろう。
・チャータースクールやコミュニティスクールなど自由度を持たせた学校をもっと創設できるようにしよう。
・少数派の子どもの発想も尊重し、受け入れられるような教育の自由を担保していこう。

といった、民主党の代案にある子どもの人格形成尊重と地域教育充実の部分は、政府案の中に少しでも取り入れられることを切に望むところです。
教育は国家のため、大人のため、あるいは学校関係者のためにあるのではないわけですから、何を差し置いても、子どもの側に立った慎重な審議がなされて欲しいと思います。



 「福田ちえ」ホームページ http://www.f-chie.jp 

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