福田ちえのときどき日記

日々の活動や雑感を掲載いたします。

祖父の介護を通して感じたこと

2006年03月10日 | オピニオン
                  祖父も好きだった白椿「雪舟」
                  幼木に花を持ちました・・・


私の祖父が93歳で他界して早2年が過ぎました。
祖父は晩年、1年間ほど身体の自由が利かなくなり、在宅介護やデイサービス、ショートステイなどの介護制度を利用させていただきました。

ケアマネージャー、ヘルパーさんや医師、看護師の方々など、親族以外に祖父の晩年の生活を助けてくれた方々が大勢います。

在宅介護の実情(苦労)を身をもって体験しましたが、より良い介護を実現するには、まず、介護専門職の方々との良好な連携が欠かせないことを知りました。

介護の期間中、複数のヘルパーさんに接しましたが、人間同士ですからどうしても上手に人間関係が保てない場合や、こちらの期待どおりに動いてくれないと、手抜きをしている、といらいらすることもありました。

しかし今では、こちら側が「介護の依頼主なんだ」という驕った気持ちを持つことが、そもそもすれ違いの始まりなんだという反省の気持ちが持てます。
祖父への身内感情から、どうしても批判評価の眼で接しがちだった当時を振り返って、「介護専門職の方々の苦労を斟酌しなければ、より良い介護は不可能」であることが理解できます。

デイサービスやショートステイも利用していましたが、行く先々で祖父も家族も初対面の方々と一から接するため、祖父の身体の状態をその都度細かに説明することを求められ、縦割り運営の限界も感じました。
「要介護者の、一元化された情報管理体制があればなぁ・・・」


介護を「する」、介護を「される」は、ほとんどの人間が避けて通れない道です。
決して他人事ではない、「明日は我が身」の身近な問題です。
今後ますます介護のノウハウは洗練されていくと思います。

「尊厳ある命・人生」の幕を引く最終章の過し方です。
「当事者(本人、家族、介護専門職)がより安心・安全で効率的な介護を行なえる体制」を今以上に充実させることは、真に社会の務めであると感じています。



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祖母の「米寿」の集いで・・・

2006年03月05日 | 活動報告
               近くに住む親戚と祖母を囲んで


祖母の「米寿を祝う会」をささやかに開きました。

2年前に連れ合いと死別し寡婦となってからは、要介護1級で、最近は日常生活で体を動かすのも不自由を訴えることがありますが、
今日は大好きな着物に身を包んで、精一杯おめかししてもらいました。

最近は寿命が延びて、80歳、90歳と長寿のお年寄りの数はどんどん増えています。88歳という年齢も、特に珍しい年齢ではなくなりました。

とはいえ、闘病もなく、寝たきりでもなく、耳が多少遠くなったため、たまにとんちんかんで人の話を聞かず自分のことばかり勝手に話すようになってきたとは言うものの・・・、まだまだ自分の足で歩けて、米寿のお祝いの膳にも美味しく箸をつけることの出来る88歳は少し数が限られることを考えれば、祖母が元気で「米寿のお祝い」をうけられたことは、本当に嬉しいことでした。

生まれたときからこれまでの人生。在りし日の祖父との波瀾の人生。
それぞれの時代に、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、苦労したこと、頑張ったこと、おもわず笑ってしまうようなこと・・・。
これまでの様々なエピソードに花が咲きました。

深い愛を持ち、常に人のことに思いを馳せ生きてきた祖母。
いつも温かく私たちの人生を支え、また自らも前向きに生きるという姿勢を示し教えてくれる祖母の半生。
感謝の思いで、歓談の途中、胸が一杯になりました。

気がつくと、ひ孫は10人になりました。

祖母の命が、子から孫、孫からひ孫へと伝承されて、こんなに多くの命を育んできたことをあらためて考えた時、不思議な感動を覚えてしまいます。

人の命は絶えることなく伝承していく。

河の流れのように・・・、過去から未来へと・・・
小さい木の芽が枝葉を少しづつ伸ばしながら、いつしか天にも届く大木となっていくように・・・

「米寿のお祝い会」は、家族の優しさ温かさが胸に沁みる初春の佳き集いとなりました。


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