とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

パロディの神様(3)

2006年12月17日 16時10分16秒 | とんねるずコント研究



とんねるずを、建築物にたとえてみよう。
建物の中に絵をかけ、家具をえらび、華やかに飾りつけるインテリア・コ-ディネイターがノリさんだとするなら、タカさんは設計者であろう。建物をたてる土地を見つけ、全体像を構想し、設計図の青写真を書く。それがタカさんだ。

パロディコントをつくりあげるにあたって、タカさんが果たす役割をかんがえるときにも、「設計者」という位置付けがいちばんわかりやすいのではないかと思う。

(2)の記事において、貴明&憲武のキャリアが「お笑いスター誕生!!」でのものまねネタからスタートしたことにふれた。それが「芸」としての完成からほど遠いものであったにもかかわらず、貴明&憲武は、プロの芸人たちを尻目に4週目までストレートで勝ち抜いてしまった。なぜだろうか?

審査員との相性、他の出場者のレベル、時代の空気、フレッシュさ、そしてもちろんふたりの潜在能力・・・などなど、さまざまな要因があっただろう。しかし、わたしが注目したいのは、ネタの「構成力」あるいは「演出力」の高さである。

たとえば第1週のネタでは、様々なスターを取りあげ「バックアップ」する、という枠組みをまず作ることで、持ちネタをはめこむための流れを作っている。さらに、「時代を先取るニューパワー」などのギャグ、というかジェスチャーを間に入れて、ネタとネタが遊離せず、1本芯が通るよう工夫している。

こうしてネタをたたみかけ、流れで見せることによって、観客はものまねのレベルそのものよりも、ネタ全体のおもしろさを感じることができたのではないだろうか?

ネタはふたりで作ったものであろうが、まずひな形を考えたのはタカさんであったと想像しても、まちがいではないだろう。もちろん、この時彼が意識的に「構成」をしていたかどうかはわからない。しかし、その重要性に本能的に気づいていたことは確かではないだろうか?

さらに先も見てみよう。貴明&憲武からとんねるずに改名し、5週目再チャレンジしてからは、とんねるずはもう完全にコントで勝負している。

8週目の「青春ホモコント」は、「自分で書いたネタであり、当時いちばん自信があったネタ」とタカさん自身言明している。このコントは、すでにコントの域を超え、立派なひとつの「芝居」になっている。はっきり言って、貴明&憲武時代のネタとは雲泥の差なのである。

さらに、10週目再チャレンジでグランプリを獲得した「スランプの堤大二郎とマネージャーコント」は、まさにそれまでのネタの集大成ともいえるもので、芝居とコントとものまね(猪木さんと馬場さん)、さらに当時のスター(堤大二郎、近藤真彦)のパロディが渾然一体となった、ほとんど抽象芸術のようなまさに力作であった。


これら初期のネタからわかることとは、何か?
それは、石橋貴明のドラマ(芝居)への強い志向と、ロマンチシズムである(*1)。

ネタを羅列して瞬発的な笑いをとっていく、というやり方がもちろんあっていいのだが、おそらくタカさんは飽き足らなかっただろう。流れの先に確実に笑いがとれる場面が来ることがわかっているなら、そこにたどりつくまでは、確実に芝居をしていれば、それでいい---もっと言えば、笑いのための笑いではなく、ドラマの中の笑い、ドラマの流れのなかで必然的に生まれてくるものとしての笑いを、タカさんは欲したのではないだろうか?(*2)

このようにして磨かれていったタカさんの作家・演出家としての能力は、やがて、何人かの才能豊かなブレーン(と、もちろん相方)との共同作業を通して、「みなさんのおかげです」のパロディコントにいかんなく発揮されていくことになったのだ(*3)。

「おかげです」のパロディコント(苗場でのコントにも言えることだが)の最大の特徴は、尺が長い、ということだ。それは、まるで1本のドラマを作るようなものだったのだ。「北の国から」のパロディ「ちょっと北の国から」のように、1本1本が短いコントの場合は、かならず継続的に放送していた。また、後期「おかげです」でよくやっていた洋画パロディなどは、ほとんど映画そのものの再現であり、ネタばれも怖れず結末までしっかりパロディしていた。

さらにそれらのパロディは、本家を茶化すものではあったけれども、「バカにする」ものではなかった。本家への敬意がそこには常にあり、本家を演じる人々への敬意があった。それは、タカさんのロマンチシズムのあらわれである。彼はニヒリストではない。だからこそ、本家の役者たちは喜んでとんねるずのパロディコントに出たのだ(*4)。

ノリさんの高度な芸と、タカさんのドラマ性。
これがひとつになったのだから---とんねるずのパロディは、「最強」だったのである。


(*1 瞬発的な笑い、まったくナンセンスな(あるいはシュールな)笑いが、とんねるずにやれなかった、というのでは決してない。残念ながらわたしは見ていなかったが、「コラ~ッとんねるず」などではシュールで野心的なコントを見せていたようで、いまでも番組の根強いファンがたくさんおられる。)

(*2 この意味で、タカさんの笑いはやや保守的であるといえるかもしれない。たとえばクレージーキャッツのような乾いた「笑い」よりも、『男はつらいよ』のようなウェットな「喜劇」の系譜に、とんねるずは属するのかもしれない。)

(*3 もっとも、「おかげです」で非芝居的なネタを完全に封印していたというわけでもない。「おかげです」の「ホラ~とんねるず」は、おそらく「コラとん」のシュールさを受け継いだコーナーであろう。非常に面白く、知的で画期的なネタがたくさんあった。)

(*4 時には、とんねるずのパロディの方が本家よりもおもしろいドラマとして成立した例もあっただろう。小林信彦氏は、ビートたけし主演のドラマ「浮雲」が、オリジナルよりもとんねるずによるパロディの方がおもしろかった、と書いている。)


性懲りもなく・・・さらに続く!!





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