「みなさんの歴史すべてみせますスペシャル」の放送後、「未知との遭遇」や「佐島コキ太郎」の検索語で訪問してくださる人がふえました。
わたし同様、あの不可思議なギャグ(?)に衝撃を受けた方や、なつかしいと感じた方がたくさんいたようです。
実はわたくしも、放送終了後にネットでしらべたクチ。
由来はけっきょくわからなかったんだけど、「小さい頃よく真似してた」と書いているブロガーさんはけっこういました。
・・・なんで自分は知らないんだー!!
と、さらに輪をかけてショックを受けてしまったような次第で・・・
なさけないやら遣らずの雨(by広川太一郎)。
いやほんとに、あの「未知との遭遇」は衝撃的でしたよ。
外国語とも日本語ともつかないノリさんのわけわからん叫び声。
完全に形のくずれたタカさんの「ワン、ツー、スリー、フォー!」のかけ声。
まるでアフリカの部族の儀式かなにかのように「バン、ババンッ!」と床を手でたたくあのうごき。
そしてとんねるずの完全な無表情・・・
これは、初期とんねるずがよくやっていた「なーつかしいですね」や「時代を先どるニューパワー」などと同じ系列の、「ギャグらしき何か」ですよね。
以前、「とんねるずのギャグ(?)」という記事で、この種の動きの特徴として、
・前後のネタの内容とはまったく無関係
・ふたりがまったく同じ動きをする
・無表情でやる
・躍動感がない
の4つを挙げました。
まさに、「未知との遭遇」にもあてはまります。
とんねるずのこういうわけのわからない(ナンセンスともちょっとちがう)、どっちかというと暗い、不気味さすらも漂わせる「身体表現」が、わたしは昔からとにかく好きでした。
ところで。
前にビートたけしさんが食わず嫌いに出た時に提案したみたいに、もしもとんねるずが食わず嫌いの罰ゲームをやらされることになったとしたら。
とんねるずは何を見せてくれるでしょうか。
たけしさんに対しては、「コマネチのギャグが見たい」とか「冗談じゃないよ、もやってほしい」とか言えるけど、とんねるずにむかって「時代を先どるニューパワーやってください」とか「未知との遭遇やってください」とかリクエストするのは、果たして妥当だろうか?
そう考えると、やっぱりそれらは、いわゆる「ギャグ」ではないんですよね。
「ギャグらしき何か」とか「身体表現」とか、わざわざ言い換えているのも、そうとしか呼びようがないから。
ましてや、最近の若手芸人がよくやる「一発ギャグ」とはまったくちがう。
FUJIWARA原西さんのギャグはちょっと近い気もしますが、でも彼ひとりのギャグですしね。
コンビがふたりそろって、完全にシンクロしてやるのとは、やはりちがう。
あ、藤崎マーケットのラララライがあったか。
とんねるずの場合、たとえば、2004年の27時間テレビ「笑わず嫌い王決定戦」でネタをやったときのように、いくつかネタがあって、そのインターバルとして「時代を先どるニューパワー」をはさみこむという形なら、おさまりがいいと思うんです。
つまり、とんねるずの笑いというのは、瞬発的ではなくつねに構造的だということ。
ひとつの流れがあって、その総体によって笑わせる。
かならずしも物語的でなくてもいいし、ましてや漫才のようなかけあいでなくてもかまわない。
とにかくなんらかの構成が必要だということです。
こう考えたときに思い浮かぶのは、英語で言うところの「ル-ティーン」と呼ばれるものです。
よく「お約束」と訳されますが、日本でいうお約束とは微妙にちがう気がします。
そもそも、英語のgagと日本でいうギャグとは、似て非なるもの。
英語のgagは、おそらく日本でいう「ネタ」に近いと思う。
たとえば、『黄金狂時代』でチャップリンが革靴を食べるシーンがありますよね。
飢え死にしそうになって、しかたなく革靴をぐつぐつ煮込んで、スパゲッティやステーキに見立てて食べてしまう。
その一連のシーンを指して、英語では「チャップリンの革靴のgag」という言い方をする。
始まりと終わりの構造をもったシーンなりシークエンスなりを、まるごとgagと言うわけです。
そして、コメディアンがひとつのgagをパターンを変えつつ何度もやるようになると、それを「誰それのル-ティーン」と呼ぶ。
とんねるずにギャグがあるとするならば、それは欧米的な意味の「ル-ティ-ン」に近いものかもしれないなーと、わたしは思ってます。
日本の、とんねるずのひとつ前の世代でいえば、とんねるずはクレージー・キャッツの系統に属するのではないでしょうか。
(もっともわたし自身クレージーキャッツをよく知らないので、これはいいかげんな推量でしかないんだけども)
植木等の「およびでない」だって、彼が「およびでない?こりゃまた失礼しました」と言える状況をまずコントで作っておかなければ、成立しえないギャグ(ル-ティーン)ですしね。
余談ですが、そしてこれもあてずっぽうなので恐縮なのだけど、クレージー・キャッツととんねるずにはけっこう共通点が多いような気がします。
どちらも音楽活動をプロとしてやっていた(いる)し(もちろんクレージー・キャッツはミュージシャン出身だからレベルはずっと高いんだけど)、どちらも強力なブレーン(青島幸男/秋元康)がいて爆発的にヒットしたし・・・
なんか、ずいぶん話が逸れてきちゃった・・・(汗
ともかく、「未知との遭遇」を見て、ただ明るく愉快なだけではないとんねるずの一面を、昔からのファンも、若いファンも、今後見てみたいんじゃないかなあ、と、ちょっと考えさせられました。
矢島美容室コントには、そういう一面がちらりと出ているかもしれないですね。
わたし同様、あの不可思議なギャグ(?)に衝撃を受けた方や、なつかしいと感じた方がたくさんいたようです。
実はわたくしも、放送終了後にネットでしらべたクチ。
由来はけっきょくわからなかったんだけど、「小さい頃よく真似してた」と書いているブロガーさんはけっこういました。
・・・なんで自分は知らないんだー!!
と、さらに輪をかけてショックを受けてしまったような次第で・・・
なさけないやら遣らずの雨(by広川太一郎)。
いやほんとに、あの「未知との遭遇」は衝撃的でしたよ。
外国語とも日本語ともつかないノリさんのわけわからん叫び声。
完全に形のくずれたタカさんの「ワン、ツー、スリー、フォー!」のかけ声。
まるでアフリカの部族の儀式かなにかのように「バン、ババンッ!」と床を手でたたくあのうごき。
そしてとんねるずの完全な無表情・・・
これは、初期とんねるずがよくやっていた「なーつかしいですね」や「時代を先どるニューパワー」などと同じ系列の、「ギャグらしき何か」ですよね。
以前、「とんねるずのギャグ(?)」という記事で、この種の動きの特徴として、
・前後のネタの内容とはまったく無関係
・ふたりがまったく同じ動きをする
・無表情でやる
・躍動感がない
の4つを挙げました。
まさに、「未知との遭遇」にもあてはまります。
とんねるずのこういうわけのわからない(ナンセンスともちょっとちがう)、どっちかというと暗い、不気味さすらも漂わせる「身体表現」が、わたしは昔からとにかく好きでした。
ところで。
前にビートたけしさんが食わず嫌いに出た時に提案したみたいに、もしもとんねるずが食わず嫌いの罰ゲームをやらされることになったとしたら。
とんねるずは何を見せてくれるでしょうか。
たけしさんに対しては、「コマネチのギャグが見たい」とか「冗談じゃないよ、もやってほしい」とか言えるけど、とんねるずにむかって「時代を先どるニューパワーやってください」とか「未知との遭遇やってください」とかリクエストするのは、果たして妥当だろうか?
そう考えると、やっぱりそれらは、いわゆる「ギャグ」ではないんですよね。
「ギャグらしき何か」とか「身体表現」とか、わざわざ言い換えているのも、そうとしか呼びようがないから。
ましてや、最近の若手芸人がよくやる「一発ギャグ」とはまったくちがう。
FUJIWARA原西さんのギャグはちょっと近い気もしますが、でも彼ひとりのギャグですしね。
コンビがふたりそろって、完全にシンクロしてやるのとは、やはりちがう。
あ、藤崎マーケットのラララライがあったか。
とんねるずの場合、たとえば、2004年の27時間テレビ「笑わず嫌い王決定戦」でネタをやったときのように、いくつかネタがあって、そのインターバルとして「時代を先どるニューパワー」をはさみこむという形なら、おさまりがいいと思うんです。
つまり、とんねるずの笑いというのは、瞬発的ではなくつねに構造的だということ。
ひとつの流れがあって、その総体によって笑わせる。
かならずしも物語的でなくてもいいし、ましてや漫才のようなかけあいでなくてもかまわない。
とにかくなんらかの構成が必要だということです。
こう考えたときに思い浮かぶのは、英語で言うところの「ル-ティーン」と呼ばれるものです。
よく「お約束」と訳されますが、日本でいうお約束とは微妙にちがう気がします。
そもそも、英語のgagと日本でいうギャグとは、似て非なるもの。
英語のgagは、おそらく日本でいう「ネタ」に近いと思う。
たとえば、『黄金狂時代』でチャップリンが革靴を食べるシーンがありますよね。
飢え死にしそうになって、しかたなく革靴をぐつぐつ煮込んで、スパゲッティやステーキに見立てて食べてしまう。
その一連のシーンを指して、英語では「チャップリンの革靴のgag」という言い方をする。
始まりと終わりの構造をもったシーンなりシークエンスなりを、まるごとgagと言うわけです。
そして、コメディアンがひとつのgagをパターンを変えつつ何度もやるようになると、それを「誰それのル-ティーン」と呼ぶ。
とんねるずにギャグがあるとするならば、それは欧米的な意味の「ル-ティ-ン」に近いものかもしれないなーと、わたしは思ってます。
日本の、とんねるずのひとつ前の世代でいえば、とんねるずはクレージー・キャッツの系統に属するのではないでしょうか。
(もっともわたし自身クレージーキャッツをよく知らないので、これはいいかげんな推量でしかないんだけども)
植木等の「およびでない」だって、彼が「およびでない?こりゃまた失礼しました」と言える状況をまずコントで作っておかなければ、成立しえないギャグ(ル-ティーン)ですしね。
余談ですが、そしてこれもあてずっぽうなので恐縮なのだけど、クレージー・キャッツととんねるずにはけっこう共通点が多いような気がします。
どちらも音楽活動をプロとしてやっていた(いる)し(もちろんクレージー・キャッツはミュージシャン出身だからレベルはずっと高いんだけど)、どちらも強力なブレーン(青島幸男/秋元康)がいて爆発的にヒットしたし・・・
なんか、ずいぶん話が逸れてきちゃった・・・(汗
ともかく、「未知との遭遇」を見て、ただ明るく愉快なだけではないとんねるずの一面を、昔からのファンも、若いファンも、今後見てみたいんじゃないかなあ、と、ちょっと考えさせられました。
矢島美容室コントには、そういう一面がちらりと出ているかもしれないですね。
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