「とんねるず」は、いかにして生まれたのか---
BT(Before Tunnels)探究の道はいまだ始まったばかりであるが、これまでにわかってきた事実と、それにもとづいた検証を、ここでまとめておきたいと思う。
最初にわたしがとんねるず創世の過程にふれたのは、コント批評での「猪木兄弟の結婚式」分析の中でであった。タカさんは小学生の頃からテレビの素人参加お笑い番組を荒らしていたが、それについては「猪木兄弟」の記事でまとめてあるのでご参照いただきたい。
その調査の中でわたしは「貴明&憲武」結成の過程に強く興味を引かれた。
「そんなことは『大志』を読めばわかるじゃないか」
---確かに。
『大志』はとんねるず自伝の決定版である。その後の本人たちの発言内容と照合してみるまでもなく、この本に書かれていることは、ほぼ正確な事実であったと見てさしつかえない。
だがしかし、実はこの『大志』を読んだからこそ、「貴明&憲武」結成のいきさつについての疑問が、わたしの中に芽生えたとも言える。それは、『大志』に書かれていないこと、いわば『大志』の空白部分に、興味をひかれたからだ。
帝京高校在学中の石橋貴明と木梨憲武が、コンビを組んだきっかけとして、広く一般に知られているのは、たとえば『大志』の次のような記述であろう。
この番組(筆者註・ドバドバ大爆弾)は二人一組で出るのが原則だった。そこで、部室が上下の関係でよく顔を合わせ、サッカー部のひょうきん者で通っていた憲武を貴明の方から誘った。
「木梨、一緒にやんねえか?」
「ああいいよ。おもしれえ、出ようや」
こんな軽いノリが、のちのち『とんねるず』となるふたりのコンビ誕生の最初のきっかけだった。あっさりしたコンビ誕生だった。
これは、まったく事実であろうと思う。
しかし、『大志』には、書かれていないことがある。それは、なぜタカさんがノリさんを誘ったのか、ということだ。
(---ひょっとすると、このことについては、後年ラジオなどでタカさんがすでに話をしているのかもしれない。もしご存じの方がおられたらぜひご教示いただきたい。が、筆者は聞いた事がないので、危険を承知でとりあえず推論を続けます。)
『大志』には、「テレビジョッキー」などに出演するタカさんをノリさんが見て笑っていた、ということは書かれている。しかし、タカさんがノリさんをどう見ていたのか、については一切書かれていないのだ。わたしは、それが知りたかったのに。
石橋貴明というタレントをすこし注意深く見てきた人ならば、彼がプロューサー的な資質を多分にそなえていることを指摘されることだろう。その資質を、彼はおそらくかなり若い時期から持っていた。「火曜ワイドスペシャル」の枠をくれとフジテレビの制作局長に直訴した、という有名な話が、それを十二分に証明している。
それだけの客観性と冷静さをもった彼が、「軽いノリ」で大切な相方を選ぶとは、わたしには到底考えられないのだ。極端な話、サッカー部で「オレよりおもしろかった」とノリさん自身が認めている吉野晃章氏を誘ってもよかったわけである。
しかし、タカさんはノリさんを誘った。そこには、なんらかの合理的な理由があったはずだ。いや、なければならない。
では、それはなんだったのか?
ここで、この疑問を解くためのキーポイントを整理しておく。
○高校時代のノリさんのお笑いに関係する活動(「テレビジョッキー」出演など? *1)
○タカさんとノリさんの、高校時代の関係
○ピン芸人としてのタカさん
それぞれの点については、まだ資料不足である。特に一点目、ノリさんの高校時代の活動については、不思議となかなか事実が出てこない。
二点目についても、あくまで憶測する以外手はない。したがって、次回の記事では、主に三つめのポイントに絞ってまとめておきたいと思う。
(*1 『大志』の内容は正しいのだが、とんねるずがいかに「軽く」成功したかを強調しようとするあまり、事実をはしょる傾向が見られる。ノリさんが「テレビジョッキー」に出演してチャンピオンになっていたことも、一切ふれられていない。これは、ノリさんが芸能界に入って初めて花開いた「天才」であったことを強調したかったがゆえの、悪意のない「カット」であろうと思われる。)
(2)へつづきます♪
みなさん終了からのネットあさりしてます。。。
サッカー部の部室を通った時にノリさんが西城秀樹のものまねをしていて、それを見かけたときこいつは面白いって思って、と大志に書いてあったと思ったけど、違うんですね、何処かで再現Vとかで見たのか、まるで一目惚れのシチュエーションかのように私の脳裏には、貴さんに見えたであろう光り輝いて見えたノリさんの姿が焼き付いています。
本人も、仲の良さからも吉野とかでもよかったはずだけど、ノリさんに才能を感じたと言ってました。