とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

クローズアップ現代「パロディ裁判」を見て

2013年02月19日 21時14分51秒 | とんねるずコント研究



たったいま放映されていた「クローズアップ現代」での、「パロディ」の語の用法にはなはだしく違和感をかんじたので、とりあえずの感想を書いておくことにします。


番組は、吉本興業が発売している“パロディ商品”「面白い恋人」が、“オリジナル商品”「白い恋人」の発売元から訴えられた裁判をとりあげ、「パロディとは何か」というテーマを追うかたちで構成されていました。


番組全体を通して、「パロディ」という語があまりにもおおざっぱにとらえられすぎていた。はっきりと誤用していたところもありました。


そもそも、吉本の「面白い恋人」という商品を“パロディ”と呼ぶべきなのかどうか?この時点ですでに気持ちの悪さをかんじずにいられなかったんですが・・・


これは憶測でしかないのですが、吉本と石屋製菓との裁判のなかで、吉本側が「うちの商品はパロディであり、文化的な手法なんだから、べつに悪いことはしてない」といった論法を使ったんじゃないでしょうか?そして、「パロディ」という裁判では聞き慣れない語が使われたことに、番組制作者がとびついた、というのが背景ではないかという気がします。憶測なので、まるっきり間違いかもしれませんが。


しかし実際、番組の取材にたいして吉本側は「パロディだから許されてもいい」という言い方を何度もくりかえしていました。だから、わたしの憶測もあながち的外れではないんじゃないかと思う。

パロディという、あまり日本でなじみのない一種のコメディ用語を盾にして、自分たちの正当性を訴えようとする、いかにも吉本らしいしたたかさのあらわれではないか、とわたしには見えました。


それはともかく、「面白い恋人」という商品をパロディだと呼べるのかどうか?これは単なるもじりとか、ダジャレとかいう程度のものですよ。百歩ゆずってパロディだとしても、自分で名乗ってるほどにはたいして“面白い”ものじゃない。

石屋製菓が裁判をおこしたのは、吉本が商魂たくましく関西圏以外に販路をひろげようとしたためであって、慎ましい売り方をしていた間は“オリジナル”側も黙認していたのです。


それはそれでいいとしても、そのあとの番組内容はひどかった。コミケや二次創作までも十把一絡げにパロディだと言ってしまうのにはあきれました。

二次創作、つまりファンフィクションにはもちろんパロディ的な作品もあるでしょう。しかし、全体としてはパロディではないはずです。

とんねるずがマイケル・ジャクソンのMVをパロディしたり、香港映画『インファナル・アフェア』のパロディとして『インファナル・アンフェア』が作られたりするのとは、まっっったく異なる創作活動であることは、誰に目にもあきらかでしょう。


たとえば、最近邦訳が出た小説『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は、世界で何千万部も売れた大ヒット小説ですが、もともとは『トワイライト』の二次創作としてネット上でアマチュア作家が書いていたものです。

わたしは原書を買ったまままだ読んでないので、エラソーなことは言えないんですけど、しかし、これが『トワイライト』の“パロディ”などではないことくらいはわかります。


そういった事象もふまえずに、パロディという語を乱暴につかってしまうことそれ自体が、日本のパロディ文化や認識の貧しさを露呈してしまっている。


番組に出演したコメンテーターの弁護士さんが、欧米におけるパロディは社会風刺であると言っていましたが、これも非常におおざっぱというか、やや古臭い認識です。

わたしも以前はそう考えていた。でも、いろいろ見たり読んだりしてるうちに、かならずしも諷刺や社会批評をするものばかりではない、いやむしろそういうものは少ないんだと知りました(リンダ・ハッチオン『パロディの理論』参照)。パロディ=諷刺、ではない。


番組では『タンタンの冒険』のパロディをするフランス人作家が例としてあげられていましたが、はからずも、というか、あれこそ正しいパロディ(あるいはパスティーシュ?)の例でしょう。オリジナルの表紙と比較してみるだけで、そこにさまざまな揶揄やオマージュや新鮮な視点が読み取れる。

オリジナルがもつこわばった“真面目さ”を、知性を駆使して“不真面目”にして遊ぶ。立派な創造的活動です。「白い恋人」を「面白い恋人」といいかえたぐらいで「パロディだ」などとは言ってもらいたくないわけなんです。


とはいえ、今夜の番組がおもしろい問題を提起してくれたことも確かです。二次創作のグレーゾーン、著作権のありかた、というのは、非常にむずかしい問題ですから。

わたしは法的なことはさっぱりわからないんですが、ファンフィクションの作家たちと“オリジナル”の作家たちとの関係や、あるいはファンアートの著作権は存在するのかどうか、といったことには興味があります。

番組で「日本らしい法整備を」と言っていたのは、おもしろい視点だったんじゃないでしょうか。すくなくとも、二次創作の文化を擁護する立場で番組がつくられていたのは、良かったと言えるのかもしれない。


とんねるずがコントでパロディを追求しつづけたことについて、長年真剣に考えてきた者としては、今夜の「クローズアップ現代」はちょっと黙っておれない内容でした。普段はおもしろく拝見しておりますよ。キャスターの国谷裕子さん、ファンです♪


とりあえずのまとめ、終わり。またもうちょっとしっかりした形で書くかもしれません・・・



こちらの過去記事もご参照ください:

パロディの神様(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
T.N.シミュレーション


さらに関連記事。古いエントリーなので主張が矛盾してるところもありますが:

仮面ノリダーはパロディか(1)(2)









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