とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「シュール」って?

2012年11月03日 23時15分59秒 | とんねるずコント研究



「いいをさん、“シュール”ってどういう意味だと思う?」


大阪なんばのお好み焼き屋の2階で、ある知り合いの版画家の女性にこう聞かれたことがあります。

わたしはぐっとことばにつまって答えられず、黙って豚玉の欠片を口におしこみ、生ビールを飲むしかなかった。

「シュール」ということばを日頃なんとなく使っていても、いざその意味はと聞かれると答えられない。そういう人はけっこう多いかもしれない。


問われて答えにつまった質問というのは、いつまでも心に残るものです。
版画家に質問されて以後、シュールって何だ、としばしば考えるようになった。


そもそも「シュール」という言葉は和製外国語なんだそうです。フランス語のsurrealisme(英語ではsurrealism)を短縮した言葉。

英語読みに近い「シュールリアリズム」が一般に流布していたこともあり、わたしも以前は使っていましたが、英語のsurrealismは「シュール・リアリズム」ではなくて「シューリアリズム」と一語です。だから「シュール」というのはもう完全に日本語独自のことばになっている。



笑いの世界において「シュール」といえば、なんとなく奇妙、なんとなく不条理、ブラックなナンセンス、無気力、といった意味で使われることが多いでしょう。それはすでに日本独自の使われ方だから、全然オッケー。

この日本で独自にうまれた解釈は、いまはひとまずおいて、シュルレアリスムの原義をもうすこし見てみましょう。


シュルレアリスムとは、もともとは第1次大戦後、特に1920年代に世界的にもりあがった芸術思潮のことです。ウィキペディアに頼りたくはないけども、わりと良くまとめてくれています。

シュルレアリスム絵画について参考までに引くと:


1. 自動筆記やデペイズマン、コラージュなどを使い、自意識が介在できない状況下で絵画を描くことで、無意識の世界を表現しようとした画家たち。彼らの絵画は具象的な形態がなくさまざまな記号的イメージにあふれ、抽象画に近づいてゆくことになる。マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、アンドレ・マッソンら。

2. 不条理な世界、事物のありえない組み合わせなどを写実的に描いた画家たち。夢や無意識下でしか起こりえない奇妙な世界が描かれたが、彼らの絵の中に出てくる人物や風景はあくまで具象的であった。サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットら。



と説明されている。


よく読めば、このふたつの分類は結局方法論のちがいでしかなく、基本的には同じことをめざしているのではないでしょうか。

つまり、無意識や夢のなかでのみあらわれる「事物のありえない組み合わせ」を表現することによって、目に見える現実を超えたもうひとつの現実をかたちにすること。それがシュルレアリスムです。


イメージとしていちばん近いのは、やはり「夢」ではないでしょうか。たとえば「沢尻エリカといっしょにマイクロバスに乗ってバラエティ番組のロケにいく」という夢を見たことがあるんですが(笑)要するに、そういうこと。

あとから考えるとあまりにバカバカしい夢で笑っちゃうことって、よくあると思う。お笑い、コメディというのも、シュルレアリスムの芸術同様、多かれ少なかれ「夢」の可笑しさを再現することで笑いを生む側面って、あると思うんです。


本来的な意味でシュルレアリスティックな笑いというのは、日本に存在するのか?


「シュールな笑い」のはしりというと、やはり象さんのポットあたりになるんでしょうか。YouTubeにアップされている彼らの漫才ネタはとても興味深い。

(YouTube仕様変更のため現時点でリンクができません。「象さんのポット 漫才」で検索して「お笑いスター誕生」出場時の映像をごらんください)


「熱海に行こうと電車に乗って、窓の外に腕を出してたら腕が消えていた。駅に着いてあせってさがすと、網棚の上に腕を置き忘れていた」


---これはまさしくシュルレアリスムと言えるでしょうね。川端康成の短編小説『片腕』を思い出させるほど。『片腕』は、若い娘が自分の片腕をはずして恋する男に一晩だけ貸し出す話です。

しかも、このボケに対して相方が「あわてんぼうだね」と返すのがすごい。超現実的状況を「おかしいだろ!」と否定するんじゃなく、ふつうに受け入れてしまう。それによってこのボケの超現実性は完成するわけです。


このネタのみで判断するのも乱暴かもしれないけれど、象さんのポットが「シュール」と言われたのは、単に彼らが無気力でネクラだったからではなくて、そのネタがほんとうにシュルレアリスムに基礎をおいていたから、ではないだろうか?


現実にふつうに存在するモノを、ありえない組み合わせで見せる。あるがままの現実をわずかにスライドさせて、現実を超えてゆく。そこに笑いや驚きが生まれる。

シュルレアリスムはファンタジーとはまったく別物だと、わたしは考えます。非現実なもの、存在自体がありえないものを現実のなかにおくことは、シュルレアリスムではない。


そういう意味では、たとえばドリフターズが「ドリフ大爆笑」でやっていた「もしものコーナー」は、実はもっともまじめな意味でシュルレアリスティックでした。

「もしも芸者さんが老婆だったら」「もしも健康コンサルタントが幽霊だったら」「もしも寿司屋の板前が歌舞伎役者だったら」・・・

もっとも、コントの最後に長さんが「だめだこりゃ」と言うことによって、ドリフはコントの超現実的世界をきちんと現実にひきもどしていたわけですが。


「ゲバゲバ90分」には、こんなコントがあったらしい。金持ちの紳士にふんした萩本欽一が豪邸に帰ってくる。玄関のドアをばっとあけると、家の中は巨大な熱帯魚の水槽になっている。それを見た欽ちゃんがひとこと:


「わしゃ、満足しとるよ」


このセリフはアドリブだったそうです。欽ちゃんの無意識からわきでる狂気のあらわれでしょうか。あまりにすばらしいネタで、聞いたとき感動すらしてしまった。


とんねるずはどうでしょう?とんねるずと「シュール」は、あまりむすびつけて考える人はいないかもしれない。だからこそ「とんねるずのビデオ」に収録されたネタを観て衝撃をうける人が多いようです(わたしもそうだった)。


収録ネタのなかでもっともシュルレアリスティックなのは、やはり「馬場/猪木兄弟の結婚式」でしょう(「とんねるずコント研究」のカテゴリーにレビュー記事あり。ご参照ください)。

馬場さん/猪木さんが結婚式に出ること自体はふつうのこと。彼らに兄弟がいたとしても、それはやっぱりふつうの現実。しかし、もしもその兄弟が双子だったら。ここに、スライドされた現実、超現実のおもしろさがあったわけです。


同じような意味で、「ひとりものまね紅白歌合戦」や「ほんとのうたばん」のひとりスマップなども、まさしくシュルレアリスムの笑いだったと言えます。



こうしてシュルレアリスムの視点からお笑い界をながめてみれば、思いもよらないネタや芸人がじつは「シュール」だったんだなってことに気づけるかもしれません。













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6 コメント

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Unknown (aiko)
2012-11-04 13:33:30
笑いって深いですねww
シュールというとまず松尾スズキの舞台が浮かぶ…w
ひどいネタで構成されてるんだけど、それをみて笑っている自分という現実。ああ、自分という人間はこういう非人道的ネタで笑えるんだと気づかされたりして。その現実もシュールだったりしてw

そして私の中での究極の笑いのうちのひとつは、チャップリンを除けば、
志ん生ですね。神です。

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シュール (FUJIWARA)
2012-11-04 14:57:35
「シュール」ですか~

イメージ的にはお笑いのシュールネタだと、ガハガハ笑う感じではなく、クスクスと笑い後に引く感じがしますね。
そして、見た側の捕らえかたも色々あって、もしかしたらそのネタに関してまったく違う感想を持つ人もいるのではないでしょうか?

映画とかだと、そう多くは見たことは無いのですが70年代初頭~中期あたりのフランスの映画なども何本か私はシュールだと感じたことあります。
恋愛映画であってもそれまでの話が何の脈絡もなく終わってしまうような感じ。
オチがないというのかな~。

また、物語自体も何か恋人同士の様子を淡々に描いているだけという感じのものも。
大抵我々が思い描くのは普通は何か大きな事件、問題、困難があったりしてドラマチックな盛り上がりというモノを期待してると思います。
しかし、
ただ女性が夜部屋に帰って来てストーブをつけて静かに本を読む。
恋人と会ったときは二人コートを来て寒々と公園を散歩する。しかも曇っている。
ボソボソとしたフランス語が・・・
そういう展開で終演を迎える。

これナンだったのだろう?どこかに深く意味があり自分が見落としていて解らないだけなのだろうか・・・?と。
これらは有名な俳優、女優さんの代表作をさかのぼってみるかと思い見た作品の中にあったと思います。

見終わったとき、この映画駄作だな~とは思わず、どこかシュールだな~と思い、ちょっと体に気だるさが残るのも特徴です。

と、私のシュールを感じるときを述べてみました~
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aikoさん (ファイアー)
2012-11-04 23:00:14
なるほど~松尾スズキさんの舞台、観てみたいです。
映画での彼の演技がちょっとだけ苦手なので食わず嫌いなんですけど・・・

志ん生も聞かなくては、とずっと思ってるんですがなかなか。
落語の知識皆無・・・
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FUJIWARAさん (ファイアー)
2012-11-04 23:06:13
日本語の「シュール」は、もうかなり幅広い意味で使われてるでしょうね。
いろんな意味をもってるし、伝えられる言葉だと思います。

フランス映画かあ。なるほど。
70年代のちょっと前のゴダールとかトリュフォーとか、
ヌーヴェルヴァーグの人たちからの影響もあるのかもしれないですね。
わたしもほとんど観てないんですけどっ
「けだるさ」っていうのは大事なキーワードかもしれない。
あんまり「シュール」を見た後元気はつらつにはなりませんねw
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Unknown (メロメロバッチ)
2012-11-09 15:15:44
なるほど。シュールとはそういう意味合いだったんですね。
大学のサークルに異常にシュールな言葉遊びをする青年がいてココロ惹かれたのを覚えています

当時は”なんでこんなにおかしなヤツに惹かれるんだ?!”
と思っていたのですが、 意識を超越したところを具現化する能力にホレたのか!といま納得。
やっぱり才能はセクシーw
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メロメロバッチさん (ファイアー)
2012-11-11 00:03:43
シュールな言葉遊びをする青年!
なんだかすてきですね~惹かれるのわかります。
うん、才能はセクシー!Brainyはニューセクスィー!!
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