とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「猪木兄弟の結婚式」その2(1/11、1/29追加)

2005年12月27日 18時16分04秒 | とんねるずコント研究
<石橋貴明とアントニオ猪木>
2004年夏、27時間テレビ(フジテレビ)の深夜のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」でとんねるずが貴明&憲武のネタを再現した時、「アントニオ猪木が正月家に帰って、餅を食べている倍賞美津子(猪木の元妻)を怒って凧をあげる」ネタが披露された。この時、前フリコメントでノリさんは「テレビでアントニオ猪木さんの物まねを初めてしたのが、この石橋貴明でございます」と言っていた。

筆者は、このコメントがずっと気になっていた。というのも、いまでは猪木氏の物まねをするタレントは多く、タカさんがその先駆けであったということに驚きを感じたからだ。猪木氏の物まねをするタレントでまっさきに思いうかべるのは春一番氏であろう(彼の場合、物まねというよりも、常に猪木になりきっている)。しかしプロフィールを見てみると、彼が芸能界入りしたのは昭和60年頃と意外に遅い。

では、石橋貴明が初めてテレビでアントニオ猪木の物まねをしたのは、いつなのだろうか?

まず『とんねるずのコント』に収録されているインタビューによると、<高校三年生からテレビの素人参加番組に出るようになり、その頃から猪木ネタをやっているから、もう20年近くのつきあいになる>とタカさん自身はコメントしている。しかし『大志』によると、石橋貴明が初めてテレビ出演を果たしたのは小学六年生の時、『アフタヌーンショー』の素人ものまね大会のコーナーだった。1972、73年あたりであろうか。

『大志』にはその時やったネタについて「あの時は"加藤茶大会"かなんかに出て、"どうも、シズレイしました"とか"ちょっとだけよ"なんていうのをやったりした」とある。この時点ですでに猪木ネタをやっていたとはやや考えにくいだろう。

次に彼がテレビ出演するのは、中学二年生の時。1974~75年ころだろう。同級生の島崎伸一氏と「ザ・ツンパ」という前衛的な名前のコンビを組んで、『ぎんざNOW』の「しろうとコメディアン道場」に挑戦したのだ。この時のネタについては『天狗のホルマリン漬け』に書かれているが、「下ネタで受けた」としかなく、物まねネタについては一切書かれていない。

そして高校三年生となり、野球部からも引退したタカさんが出場したのが『テレビジョッキー』の「ザ・チャレンジ」。78~79年ころか。ここで彼はグランドチャンピオンとなり、名実ともに「日本一おもしろいシロート」となる。『大志』には、この番組をサッカー部の仲間と見ていたノリさんの、<星一徹のまゆ毛、飛雄馬の目、スピードスケートネタをやっていた>という証言がある。しかしここでは、猪木ネタについてはふれられていない。

「みなさんのおかげでした」の「ウイーケストリンク」のコーナーのレポによると、番組中で「テレビジョッキー」の物まねネタのことが話されている。しかもその直後ノリさん扮する小港Pがタカさんに「アントニオ猪木のまね」をお題として出しているので、もしかしたらタカさんは「テレビジョッキー」で猪木ネタを披露しているのかもしれない。

そして、ノリさんとコンビを組んで初めてのテレビ出演は、『所ジョージのドバドバ大爆弾』。しかしこの時やったネタについては、いまのところ一切わからない(ちなみにこの出場時の公開録画場所は、茨城県の守谷市または取手市市民会館だったらしい!)。

貴明&憲武としての出演はもちろん『お笑いスター誕生!!』(1980)である。初出場第一週のネタは、なんとほとんどが物まねである。そしてここで「猪木の凧上げ」をネタの後半でやっている。このことから、この時点で猪木ネタがすでにタカさんの得意芸となっていたと言っていいと思う。ちなみにこの時の音声は、アルバム『おまえ百までわしゃ九十九まで』の「とんねるずのテーマ」で一部を聞くことができる。

以上のことから、わたしは石橋貴明が初めてテレビで猪木のものまねをしたのは、『ぎんざNOW』か『テレビジョッキー』のいずれかであると推測する。

なぜ『ぎんざNOW』かというと、*1975年はアントニオ猪木があのモハメド・アリとの有名な異種格闘技戦を行い、それが全世界に中継された年だからだ。熱烈なモハメド・アリファンであった石橋貴明少年が、この試合を見逃していたはずはないだろう。ここで彼が目に焼きつけた15Rの闘いの中で、猪木を細かく観察しただろうことは想像に難くない。

(*記事執筆後に再度確認したところ、猪木氏がアリと闘ったのは1976年の誤りであることが判明しました。75年は、最初の異種格闘技戦として、ミュンヘンオリンピック柔道金メダリストのルスカと猪木が闘い、猪木が勝利しています。訂正いたします。しかし、70年代に入ってから、猪木が次々と王座を奪還し、格闘家として飛ぶ鳥を落とす勢いであったことを考えれば、タカさんが『ぎんざNOW』出演時に猪木のまねをした可能性は、やはり十分あったと考えられる。)1/11追記

また、『テレビジョッキー』では、かなり高い確率で猪木ネタがあったとわたしは思っている。ここでウケた実績があったからこそ、大一番の『お笑いスタ誕』でも自信をもってこのネタをぶつけることができたのではないだろうか?

プロレスにくわしくないので断言はできないが、おそらくこの'70年代中~後半が、アントニオ猪木氏のキャリアの中でもひとつのピークだったと言えるのではないかと思う。往々にして、絶頂期にいるスターというものは、なかなかパロディの対象にはなりにくいものだろう。頂点を越えて、スターにすこし余裕が見えてきた頃に、はじめてパロディが生まれる。

だから、70年代後半の時期には、猪木の物まねを(それがいかにチャレンジしがいのあるネタだったとしても)あえてやろうというプロの芸人は、おそらくいなかったのではないか。

しかしこの時期、石橋貴明はまだ素人だった。それがアドバンテージとなって、彼は堂々とテレビで猪木の物まねをすることができたのではないだろうか?それは、まだ誰もやったことのないネタであり、なおかつ絶頂期にあるスターをおちょくるという、画期的なものでもあった。

このように考えると、後年の「みなさんのおかげです」で、その時々の人気絶頂のスターやドラマ、映画をパロディにするというコントのあり方の萌芽は、すでに10代の石橋貴明の中に芽生えていたのかもしれない。

もっとも、過去の番組を見る事ができない以上、ここまで述べたこともすべて憶測の域を出ないのだが・・・。しかしもしも『ぎんざNOW』が猪木ネタの最初だとすれば、このネタはゆうに30年もの歴史を持っていることになる。


註:執筆後の新情報。『所ジョージのドバドバ大爆弾』出場後、ふたりは1980年にパルコで行われたビックリハウス主宰の「エビゾリングショウ」に出場していた。ただしコンビとしてではなく、それぞれ個人での出場(ノリさんは飛び入り出場)。優勝者は竹中直人、タカさんはパルコ賞受賞。しかしこれはテレビで放送されたものではない(と思われる)ので、記事内容には影響しないと見なします。

ちなみに個人で出場した理由は「コンビで出ると優勝しても賞金が少なくなるから」だとタカさんは言っている(「広告批評」92号)のだが、果たしてそうだろうか?筆者は、ここに貴明&憲武のコンビ結成に至るカギが隠されているような気がするのだが(『大志』にはエビゾリングショウ出場について一切ふれられていない。)…。

確証がないのであくまで推測だが、ひょっとすると、「エビゾリングショウ」はコンビとしてやれるかどうかを測る場だったのではないだろうか?言い方は悪いが、素人とはいえすでに全国区で名前が知られていたタカさんが、ノリさんをある意味「オーディション」する、あるいは舞台度胸をつけてもらうための場だったのでは…?これは今後の課題。
(1/29追加)

関連記事→特報!ビックリハウスそして貴明とB君



その3へつづくぞー!!



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