サランヘヨ 登山

登る男の山行き日記がメイン
ものづくり、わが家の飯、料理レシピ、手打ち蕎麦、韓国発見は映画紹介に日韓文化比較。

062 六甲 全山縦走2

2011年03月26日 | 登 山

六甲全山縦走路は、須磨浦公園から宝塚駅までの53km。今回は、後半の市ヶ原から宝塚まで28.5km。
ルートは地図で見ると複雑であるが六甲全山縦走路の標識を頼りにすれば行ける。ほとんど地図は見なかった。
今回は2箇所で見間違った、30分間ロス(前回も2箇所で1時間ロス)。六甲最高峰から宝塚までは立ち寄る地点が無く
淡々と下ったという感じ。合計タイムは18時間。ロスタイムを差し引くと 14時間・8万歩ぐらい。
3月下旬というのに山は冷たい風が吹き荒れ、おまけに雪が舞っていた。土曜日とあって登山者が多く賑やかであった。
初めての六甲山系は起伏に富んでいて歩きやすい整備されたコースでした。またほとんどの山頂から眼下にすばらしい
展望が待っていた。先々で写真を撮るのに忙しかった。六甲は縦走以外に横断ルートがたくさんあり奥が深い山です。

写真:六甲有馬ロープウェイの山頂駅周辺、ここに六甲ガーデンテラスや六甲枝垂れという新しい建物があった。


摩耶山に登る天狗道ルートの上部に展望抜群のポイントを発見。布引の谷筋にと神戸の街と港が一望できた。


三ノ宮から地下鉄で新神戸へ新幹線の入口手前で出る。ここから市ヶ原へ、いきなり200mの急坂を登ると布引ダム
  

前回の六甲全山縦走は市ヶ原で終わったため、ここの桜茶屋から後半のスタート。崩れやすい花崗岩の岩に注意。
  

摩耶山に登る天狗道で絶景のポイントを発見。休憩と写真撮影。このあたりから雪が舞い始めた。気温は-1℃。
  

摩耶山頂の電波塔、その先に山頂の標識、展望は全く無し。ここから5分先の所に掬星台という広い展望台があった。
  

視界が悪く生駒山や金剛山は見られなかった。ここの夜景は抜群と。摩耶きらきら小径と摩耶山掬星台の展望台はコピー
 
 

摩耶山から下るとオテル・ド摩耶のグラスハウスに神戸市立自然の家を通過。遠くに六甲山牧場の赤い屋根が見える。
  

丁字ヶ辻は信号なしの十字路。その先に藤原商店・昔のコンビニといったところ。その先、六甲山ホテルが現れる。
  

六甲山ホテルのカフェ・レストランとジンギスカン・テラスが道路の向かい展望の良い場所にある。記念碑台は交差点横。
  

テレビでよく紹介される六甲山小学校はこじんまり。山頂駅近くに欧風のおしゃれな六甲ガーデンテラス。夜景は抜群か。
  

このガーデンテラスからの展望は抜群。展望塔もある。その先ロープウェイ駅付近にもジンギスカンレストランがあった。
 
 
 
ここから、六甲山最高峰までは一般道を何度か横断。所々に雪が、気温が-1℃で融けない。霜柱も3cm融けていない。
  

六甲山最高峰931mの標識。その隣に国土地理院と神戸市が共同で作った
一等三角点と方位盤の石がある。 
  

ここから宝塚へは13kmほど、塩尾寺まで休憩ポイントが一切無かった。1時間以上にわたって小走りに通過した。
  


塩尾寺手前で最後の展望と休憩。ここからは大阪・梅田の高層ビル群や南港大橋に関空が見渡せた。眼下には阪神
競馬場や武庫川・甲山がはっきり見えた。寺から宝塚駅まで急な下り30分続いた。宝塚駅は近代的な街になっていた。
  

六甲全山縦走大会をネットで調べた。主催は神戸市、例年11月の第2日曜日と23日の祝日の2回開催。今年の要項は
7月頃ネットに、定員は各日2,000人、制限時間17時間(スタート5時,ゴール締切22時)。すぐに締め切られるとのこと。

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061 六甲 全山縦走1 

2011年03月24日 | 登 山

写真:菊水山から南西方面、登ってきた山々を望む。高取山・東山・横尾山・栂尾山・鉄枴山・旗振山・鉢伏山と山並み
六甲全山縦走路は宝塚駅まで53km。今回は、須磨浦公園から市ヶ原まで24.5km。最高で500mまでの低山だが、
どの山頂からもすばらしい展望。アップ・ダウンの連続と市街地を抜けるので鍛えられる。後半は3月26日の予定

横尾山から下ると花崗岩の地肌がむき出しのところがある。ここが須磨アルプス。馬の背という狭いところもあった。
この一帯は地形があまりに険しく、地表の土砂が流れ切っていて、植林ができなかったようだ。展望が抜群でした。


六甲全山縦走のスタート点は須磨浦公園、阪神電車で直通。須磨浦公園の急坂から神戸や明石海峡大橋の展望抜群
  

鉢伏山へは須磨浦公園駅からロープウェイであがれる。もちろん山頂展望台からの眺めも抜群。次が旗振山。
  

鉄拐山山頂には、212.2mの「神戸市三等多角点」とともに「国土地理院復興基準点」が埋められていた。高倉山(通称:おらが山)は
標高427m、360°の大パノラマ、神戸でも数少ない絶好ポイント。 大阪湾から登る朝陽の写真が飾ってあった。
  

おらが茶屋から高倉台へ下る300段余りの階段。階段からは次の栂尾山と横尾山が見えるがステップを見ないと危険。
歩道橋を渡ると高倉台団地の中心部を通る。ここにはスーパーや商店がたくさん、銀行・交番・郵便局もあった。

  

栂尾山への400段階段を上る。階段途中から振り返るとこれまで登ってきた山が眼の前に広がる
  

栂尾山から横尾山へはー旦下ってから上り返し、
この付近の山は独立しているので低山ではあるがきつい。
  

横尾山から下りはじめると、岩肌が崩れやすいので注意との標識が。花崗岩で崩れやすい岩肌が露出している。
  

ここが須磨アルプスと呼ばれている。一部、馬の背という道幅が狭く両側が谷という危険なところがあった。
  

東山から横尾山を振り返る。東山では子供達の歓声が、家族何組か楽しそうに昼食を取っていた。また市街地を通る。
  

高取山に向かう市街地で道に迷う。この町中は距離がある。高取山の高取神社で昼食。ここからの展望もすばらしい。
  

高取神社を登り切ったところが山頂、階段途中からの展望がすばらしい。
  

高取山頂から少し下ったところに茶店が。おばあちゃんがご苦労様と声を掛けてくれた。下山してひよどりごえの市街地
  

神戸電鉄・鵯越駅(ひよどり)付近は、道がくねくね、「六甲全山縦走路」の標識を見落とさなければ市街地は通過できる。
  

菊水山までの分岐で間違い、鈴蘭台手前まで行って気付きUターン。菊水山の手前1キロは急坂。振り返ると展望抜群。
  

菊水山頂で午後4時、地元の方に帰りのルートを教えてもらう。鍋蓋山から大竜寺・市ヶ原を経由して新神戸駅がいいと
  

鍋蓋山へも一旦下山して登る。小一時間かかた午後5時過ぎ。ここからの六甲全山縦走路では誰も会わなかった。
  

大竜寺の山門を通過、自販機でスポーツドリンクを飲み市ヶ原へ。布引ダム付近を通って下山。このダム明治33年完成
  

布引の滝は夕暮れで通過。新神戸駅付近の二つの高層ビルは、ジークレフ新神戸タワーとANAクラウンプラザホテル。
  

 

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060 ボ谷 岩湧山 砥石谷

2011年03月22日 | 登 山

写真:岩湧山頂から西方向、電波塔が建っている三国山、槇尾山と施福寺、蔵岩に猿子城山がはっきり見えた。

岩湧山頂は一面がカヤト。冬、枯れているときは、遠く葛城山や三国山からも岩湧山がすぐ分かる

昨年は3月28日に岩湧山の山焼きが行われていた。今年は何時かと調べに行った。 山焼きの際はダイトレ岩湧山
付近は通行止めになるはず。予告の掲示物が貼ってあると調べたが山焼きの掲示物は一切なかった。
帰ってから調べた。 河内長野市ホームページによると、今年、4月3日(日)実施予定の山焼きは中止するという。
理由は東北太平洋沖地震に伴う諸般の事情というが?  残念、来年は山焼きの写真を撮るぞ!どこから撮ろうか? 


雨が上がったばかりか山はガスがかかっていた。ボ谷道もダイトレ合流まではポツリポツリ雨が当たった。
  

ダイトレ道に合流してから陽が差してきたが登山道はところどころに水がたまっている。
足跡がなく、ぬかるんではいない。
  

山頂までは誰とも会わなかった。
  

五ツ辻付近の展望ポイントは、今日はガスのため展望が悪かった。気温は5℃少し寒い。
  

岩湧山頂はちょうど晴れ間となっていた。昼食休憩中も陽が差し、暖かかった。
  

雲が多いため展望は良くなかった。関空も望めなかった。ジェット機が離陸時に出す排気音は、うなりのように聞こえた。

   

山頂は私一人、貸切状態だった。しばらくして、高校生のグループが登ってきた。電気の話題が多い。電気系の生徒か。
  

下山時は、3組のグループとすれ違った。平日で登山者が少ない。急斜面は水が引いて足下はしっかりしていた。
  
砥石谷道は、傾斜が緩いためか。水たまりが多く残っていた。
  

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059 ダイトレ大会 下見1

2011年03月19日 | 登 山

写真:金剛山ダイトレ・旧パノラマ台から奈良・御所市方面を望む 、畝傍、耳成の大和三山もうっすら望めた 

2011/04/10(日)開催の第36回大阪チャレンジ登山に出るかどうか迷いがあったので実際のコースを下見した。
今日は、ダイトレマラソンやチャレンジ登山の下見に来たと思われるグループ20組以上と出会った。
後ろから走ってくる人の邪魔にならないよう、度々、道を空けた。金剛山付近の5キロ程は残雪や氷が残り、
その影響でぬかるんで歩きにくかった。走っている人の滑ったあとがあちこち、硬いところを探しながら進むのが疲れた。
結果は11時間で何とか完走できた。 全体的には、前半は軽やかに、後半はバテ気味であった。
葛城山まで14キロ、そこから金剛山まで7キロ、ゴールまで15キロ。全36キロのコースはさすがに長かった。
とくに水越峠から金剛山までが足下が悪く距離があるため疲れが来た感じた。昼食をとっていなかったのも原因か。
また金剛山からの天見まで、普段よく登っているコースだが身体や足の疲れからか遠く長く感じた。

今日の問題点を整理してみた。 荷物が重かった。ペット3本の水は足りなかった。非常用のパックが不要だった。
弁当を食べるのに時間を要した。写真を撮りすぎた。NTT専用道で迷った。一回の休憩が長かった等
これからいろいろ作戦を考え、目標8時間での完走を目指しトライすることにした。申し込みは3月22日に。

近鉄南大阪線・二上神社口駅で下車。ここから徒歩15分で道の駅ふたがみパーク當麻。 チェックポイント P1
  クリック拡大

二上山麓から岩屋峠へ、ここから二上山には登らないで下山すると二上山・万葉の森  チェックポイント P2
  

国道166号を渡りNTT専用道路に、普段は通れない。NTT電波塔       岩橋山 チェックポイント P3
  
葛城山近くも丸太階段が、電波塔を過ぎると葛城山    チェックポイント P4
  

葛城山頂へは登らない。正月からは、いつも雪景色だったが、雪はどこにもなかった。正面が金剛山
  

葛城山から水越峠への下山道は階段の連続。踏み外さないよう気をつける
  
水越峠 チェックポイント P5、      金剛の水を飲む・顔も洗い一息。本番は行列が出来飲めないかも
  

金剛山一の鳥居 チェックポイント P6   までは長い、階段道はぬかるんでいた、また残雪・氷にも滑った
  

ちはや園地での昼食は1時を過ぎていた。 金剛山から久留野峠への道もぬかるんでいた。
  

中葛城山付近は、足下もしっかりして歩きやすいがバテ気味でスピードが出なかった。
  

写真を撮りすぎたため時間をロスした。
   

千早峠で休んでいたら道を間違ったという人が2人いた。標識が分かり難いようだ。
  

行者杉 チェックポイント P7   からは誰にも出会わなかった。ここから紀見峠まで、まだ6キロ程あるという。
  

タンボ山付近はとくに身体の疲れか足取りが重かった。無理せずたびたび休憩した。
  

ダイトレ尾根からブンタ谷道で天見へ下山。 少し元気が出てくる。川の水を汲む
  

やっと鳥の谷集落、天見 最終チェックポイント P8 まであと少しだが舗装道が疲れた。 写真は全てセルフタイマー
  

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058 槇尾山 三国山 猿子城山

2011年03月16日 | 登 山

写真:槇尾山付近の蔵岩から北方を望む、 ここは360°のパノラマ、すごい眺望。この蔵岩の上を通ったよ。

ダイアモンドトレールの南の終着点・槇尾山施福寺へは一度来たが、槇尾山には登っていなかった。
また大和三山、三輪山、音羽三山と三つながりで三国山や猿子城山にも登ることにした。
3月中旬というのに寒く風も吹き荒れていた。気温もほとんど氷点下で一時吹雪いていた。
施福寺から、登った蔵岩はロッククライミングを楽しめるという。
またロープを伝っていかないと見られない清水の滝があるなど、初心者にとってはきつい山でした。



槇尾山・公園口に無料駐車場があった。すでに6台ほど止まっていた。施福寺の
(仁王門)にたどり着く。
仁王門は豊臣秀頼の寄進と伝わる。その後、度々修理が行われている。1799年(寛政11年)修理の遺材が残る。

このお寺の開基は、仏教が伝来して間もない頃、第29代欽明天皇の時代に建立したと伝えられている。


激急坂を登り切ると目の前に大きな岩、蔵岩だ、想像以上の規模でびっくり。かなりの広さで周りの展望を楽しんだ。
360度の大展望は素晴らしかった。写真を撮りまくった。 高所恐怖症ではあるがここは気合いを入れ蔵岩の上を
通って向こう側に下りた。その写真が今日のブログのトップを飾った。


次に、槇尾山に向かうが蔵岩を渡りきって登ればすぐであったが、道を間違い、迂回コースで槇尾山に。


槇尾山からは、一路、南へ。三国山までは90分ほど登り調子の道。


三国山の名前は和泉河内紀伊の三国の国境に当たったことによる。三国山の頂上付近には航空路監視レーダー
や放送局の中継局など3基設置されている。右端の写真が航空路監視レーダーで、全国に19箇所設置されている。
同一航空機の位置をマルチレーダ処理し、航空機の飛行位置を監視し追尾できるという。

三国山付近から、すぐ東に岩湧山が見えた。どこに山頂があるのか探した。三国山頂は展望は悪く風当たりが
強かったのでかった電波塔の下で昼食をとった。帰りの三国山から猿子城山までは-2℃、強風のうえ吹雪であった。


猿子城山はわずかに展望があった。五つ辻からは関空に淡路・六甲方面。 清水滝へはきつい崖、ロープが頼り。
この猿子城山は南北朝時代の古城跡らしいのですが、全く痕跡は無かった。


清水(きよず)の滝、人智開明の滝がある。そこへの道はややわかりにくく危険な箇所もある。


登山道は分岐が多く初心者には分かり難かったがコースがか短く予定より早い下山となった。駐車場は吹雪いていた。

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057 音羽三山 御破裂山 明日香

2011年03月13日 | 登 山

写真:甘樫丘から南東を望む、眼下は明日香、正面が御破裂山、左最後方が音羽三山(音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳)

千数百年の歴史を持つという古刹、音羽観音から音羽三山に登った。
音羽観音寺伝によれば、藤原鎌足公を、談山神社に祀った際、鬼門除けの寺として丑寅の方角、音羽の地に一寺を
建て鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始めと伝えられている。

このルートは予想以上に苦労した。それは急斜面の残雪や氷に滑ったり、倒木で行く手を阻まれたり、熊笹に足や
ストックが引っかかったり、熊笹で道がどこか分からない等の連続が多かったからである。このあと竜門岳から下市口
へ行く予定であったが変更し大峠から下山した。山深い登山道で誰一人出会わなかった。実に寂しかった。
下山したのが正午前と早かったので、音羽観音とゆかりのある談山神社へ、そこから石舞台・飛鳥へ向かった。
石舞台からは飛鳥周遊歩道をのんびりと景色を楽しみながら甘樫丘まで歩いた。


桜井駅から談山神社行きバスで下居へ。急坂を登ると音羽観音寺が。ここから本格登山道に入る。
沢沿いやザレ場・ぬかるみという道悪の急坂で登りにくい。一つ目の音羽山頂は展望が無い。すぐ次の経ヶ塚山へ。


急峻な登り坂が残雪と氷で足が滑りストックを持つ両腕が疲れた。経ヶ塚山頂は石灯篭があったが展望は無かった。
三つ目は急坂下り、残雪や笹が粘土質の地面を余計滑り易くしていた。真正面に美しい熊ヶ岳が待ち構えている。


熊笹に残雪がおおいコースがわかりにくい。熊ヶ岳も展望は無かった。 急坂を下り、はじめて展望が開けた。


大峠から不動の滝に下山するが八井内トンネルを歩いて談山神社方面にショートカットした。立派な山門の談山神社。
談山神社は、ひっそり静まり返っていた。みやげ店・食堂は閉まっていた。秋に行ったときは紅葉に負けない人の山。


談山神社の奥、御破裂山に登り大和三山を眺めながら弁当を食べた。箸を忘れたのでボールペンで代用した。
ここでは、4組の登山者と出会った。やはり、大和三山の展望を楽しみにここまで登ってくるのだと言う。


石舞台の上に展望公園が、菜の花に思わずシャッター。ここから飛鳥周遊歩道で岡寺に。飛鳥の田園風景はのどか。


甘樫丘・展望台に上がり、今日登った音羽三山と御破裂山を探した。音羽三山は遠くに、かろうじて確認できた。 

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056 三輪山 龍王山 初瀬山

2011年03月12日 | 登 山

写真:山辺の道、三輪明神と久延彦神社近くの公園高台にある絶景ポイントから大和三山に金剛・葛城山脈

大和三山の続編で三輪山に登ることにした。 また高取城址つながりで、三輪山の北側に位置する龍王山の山城を
見に行った。三輪山登山は人気があるようで10組以上のグループと会った。龍王山へは案内のないルートであったが
地図とコンパス・高度計それと勘で何とか登ることが出来た。山頂には10人も。ここから長谷寺へのルートは寂しかった。


山辺の道から大神神社(三輪明神)に参拝。三輪山に登山するため、登拝口のある狭井神社に参った。


受付で登山カードに氏名・住所を記入300円を納めると参拝証である鈴付きのたすきと入山心得十箇条を頂く。
この心得には、飲食・写真撮影が禁止とあった。拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。
クリック三輪山登山図 

ここは、神水を汲みに来る参拝者と三輪山に登る登拝者で賑わっていた。
ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病 気が治るという。
このため遠近から神水を汲みにくる参拝者は多い。自由に取水することができ、その量にも特に制限を設けていないと。


三輪山登山の次は、龍王山。再び山辺の道に沿って長岳寺へ向かうが時短のため檜原神社を過ぎたところで笠地区へ。

龍王山の全景が見えた付近で右折れ一般道から登山道へと進んだ。山頂近くには残雪があちこちで見られた。


山頂からの展望は抜群なのに、今日はあいにく奈良盆地全体が霞がかかっていた。二等三角点もあった。
遠くに金剛山から葛城山そして二上山、さらに信貴山から生駒山も、眼下には三輪山、大和三山が視界に入。、


山城の石垣などを探したが見つけることは出来なかった。山頂近くの石段が当時のものか、中世、戦国時代の城は、
盛り土や簡易な木造建造物、木棚で出来ていたという。中世の城郭と近世の城郭とは様相が全く異なるようだ。
龍王山から初瀬山への道は道標もなくわかりにくい。何度か間違いながらハイキングコースに合流した。


笠山荒神と笠そばの看板があった。ここ桜井市笠は、標高400~500mの山間地域。国営総合農地開発事業に伴い
平成4年からそばの栽培に取り組んでいると。笠の気候、風土に合ったのか、作柄、品質ともとても良いそばが出来
ると。現在、15haの畑地でそばを栽培している。また、(有)荒神の里・笠そばをたちあげ、平成15年、新そば処を
オープンし地域の
女性部による“そば処”の運営を行っているという。  初瀬山は展望が全く無くがっかり。


ところどころに、長谷寺の案内があった。とても小さい手づくり道標で見落とさないように進んだ。長谷寺はボタン寺。


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055 高取城址 高松塚古墳

2011年03月09日 | 登 山

日本一の山城「高取城」の城下町として栄えた高取町へ、そして高取城址へ登った。 写真は、高松塚古墳付近から高取山を望む。
今日は高取山で岡山から来られた方と一緒になり高取城址をくまなく見て回った、山城のことは何でも知っておられた。
石積み・櫓・多聞・大手門・本丸・井戸・堀・横矢掛かりなど素人の私に丁寧に説明をして下さった。高取城址の石垣を見て回る度に、
ものすごいものに出会ったと終始、感動しておられた。いろいろ教えて頂いてありがとうございました。このブログ見てますか。


高取町では、「町家の雛めぐり」というイベントが開催中で、至る所にお雛様が飾ってあり、町全体が華やいでいた。3月31日まで開催。



またこのあたりは、なぜか「土佐街道」と呼ばれていた。気になって調べてみると、「都造りのために召し出された土佐の役夫が任務を
終えても朝廷の援助が無いために故郷へ帰れず、都から近いこの地に住むことを余儀なくされ、故郷への想いを地名に残した」という。
地図を見るとこの付近は他にも吉備、松山、兵庫、薩摩など日本各地の地名が多く残っていた。
また、石畳は阪神大震災の復旧工事
で出てきた阪神国道の路面電車の石畳を利用していると。山城では不便なため
藩主をはじめ家臣の屋敷は街道筋に移されたと。


高取城に行く途中に壺阪寺がある。   山門に厳つい顔をして立っておられる仁王さん、大日如来像は平安時代のもの


壺阪寺から登りがきつくなり、展望が開けた。五百羅漢付近から登山道に変わる。城址手前の八幡宮。


標高584mの高取山山頂一帯に残る石垣には圧倒される。


日本三大山城の一つとの案内があった。大和高取城、美濃岩村城、備中松山城本丸の石積みは打ち込みハギ・寺勾配


高取城は明治維新に廃城となり、天守以下の建物が取り壊された。石垣に根を下ろす杉はその後に育ったもの。


城下町土佐の子嶋寺に高取城・二の門が、石川医院に新御殿表門が移築して現在に残る。


大和高取城鳥瞰図(宇陀門より上)、歴史遺産として文化財の価値が高く評価され平成18年、日本100名城に認定。


高取城址・本丸跡から東方に高見山を、南方に大台ヶ原、大峰山を望む。  猿石が二の門の外に置かれている


下山道中に水車が、水路にはイモ洗い水車が勢いよく回っていた。 高松塚古墳は国営公園でよく整備されていた。

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054 水越峠から葛城山

2011年03月08日 | 登 山



今日は、葛城山頂から、大和三山と奈良盆地を確認するために登ったが視界が悪く良い写真が撮れなかった。
ところが葛城山頂は一面が銀世界、積雪10cm、気温-2℃。写真の後方は 金剛山1125mで山頂は白い。
平日のためか山頂はひっそり、雪面に踏み跡が無い。歩き回って美しい写真をたくさん撮ることが出来た。
前日、平地では肌寒く雨が降っていた。やはり1000m近くの山では気温が下がり雪になるのだ。
期待していなかったが霧氷も見ることが出来た。ただし朝陽にあたって融け出し登山道は雨が降っているようだ。

水越峠まで下山したあと金剛山に登る予定であったが急遽変更した。理由は、おいしい豆腐を買いに行くためだ。
靴とストックを川で洗いザックを載せたら急いで車に乗り 旧国道309号線で奈良県側に下った。
名柄の交差点を右折したらすぐに「梅本とうふ」の旗がたなびいていたのですぐ分かった。
実は二日前の日曜日、葛城古道を歩いた際に近くによって下見していた。この時店は閉まっていた。

お店の方に、はじめて来ましたと言ったら丁寧に説明してくれた。試食の豆乳鍋に厚揚げや豆腐を食べながら
注文用紙に記入していった。とうふ屋のドーナツもあったので、コーヒーを買っておいしく頂いた。
豆腐や揚げを作っている人も注文をさばく人も美しい女性ばかりだ。なんとなくおいしい理由がわかった。

なにぶん弁当を食べていなかったのでお腹がすいていた。これ幸いとドーナツをどんどん口にほおばった。
隣のおばはんの目が、「どんだけ食べるねん」と言っているようであったが、うまそうに笑いながら食ってやった。
いろいろ注文書に書いたら支払いが5000円以上でびっくりした。

葛城登山口(天狗谷道)から、葛城山を望む、右手、金剛山頂はガスがかかっている。登り口は雪なし。


標高600m付近から雪が、山頂近くの林は寒々としていた。山頂下の展望台は積雪10cm以上。


山頂付近は一面真っ白。休日だったら子供達や大人も歓声を上げながらソリ遊びをしているところ。


山頂の木々に霧氷が着いて白い。高原ツツジは一面白銀の花か!大和三山の展望はさんざん?


下山道は南斜面で雪が融けベチョベチョ。下まで来たら雪は無し。その代わり杉花粉がいっぱい飛んでいた。

峠付近は無料駐車場が3箇所40台、路上に50台は止められる。祈りの滝と水越川遊歩道が整備されていた。


梅本とうふ店は地元のお母さん達が元気に働いていた。国産大豆に天然にがりとうまい水で創っていますと。

梅本とうふ
店 

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053 葛城古道

2011年03月06日 | 登 山

昨日行った、大和三山を葛城山麓からはどのように眺められるか楽しみで歩いた。あいにくの曇り空でかすんで見えたが
これもまた味わいある展望かと。
葛城古道は奈良盆地の南西、葛城川に沿った金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道。
歴史的に貴重な遺跡や数多くの名神大社や由緒ある寺院が存在する。
またイチョウ、杉、クスノキ、ケヤキなどの巨樹がご神体のように大切にされ四季それぞれに趣を変え楽しませてくれる。
終点の風の森では、早くも雨が降り出した。コミュニティバスに乗って近鉄御所駅に着いた。
今日は行き帰りとも、コミュニティーバスのお世話になった。

朝乗ったバスの運転手からコミュニティーバスについていろいろ伺った。御所市が地域住民の足として運行、市の職員が
が運転したら経費がかかりすぎるので運転手は奈良交通バスの社員がしている、12時間働いている、料金は一律100円、
路線バスよりはずっと安い、山麓の集落を走り回るので便利、ただ2~3時間に1本と運行本数が少ない。
最近、バス会社が赤字路線を廃止している、このため行政が地域住民の足を確保するためこのようなシステムを取り入れ
ていると。御所市の他、桜井市も同様に運行していると。

高天彦神社のご神体は、背後の白雲峯と言う美しい円錐状の小山。参道には天をつく樹齢ン百年の老杉

もっとも古い街道・竹ノ内街道につながっている。のどかな農村風景の中をたどるコースはゆったりとした気分になる。


古代に勢力を誇っていた葛城族や鴨族の根拠地で歴史的に貴重な遺跡や数多くの名神大社や由緒ある寺院が存在
駒形大重神社、九品寺(くほんじ)付近は奈良盆地の景観を楽しむポイント、一言主神社での願い事は一言だけ


高天彦神社は豪族葛城氏の祖を祀り、高鴨神社は、豪族鴨氏の氏神社、本殿は重要文化財。
極楽寺ヒビキ遺跡は古墳時代の濠に囲まれた大型建物をはじめとする遺構が出た。



北東に大和三山を望み奈良盆地が一望。 東の遠くに高見山がマッターホルンみたい。 南東には大台山脈が白い。


一言主神社の大イチョウは高さ20m以上、高天彦神社の参道両脇は樹齢ン百年の老杉。高鴨神社は日本桜草が。


駒形大重神社に、かえるが(無事蛙)、風の森付近は強い風が吹く峠で棚田が広がっていた。ここで雨が降り出す。

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052 大和三山

2011年03月05日 | 登 山

葛城山頂から大和三山がよく見える。飛鳥も時々行って大和三山を見るが何故か、これまで一度も登ったことが
ない。 葛城山頂で案内板を見て、あれが天香久山・耳成山でその隣が畝傍山か・・・と、その時は覚えるのだが、
次に登ったときは、どれがどの山なのかわかりません。
こんなことを毎度繰り返していては、大和三山に失礼ではないかと思い今回の大和三山、確認の低山登山となった。

30年近く前、先輩から甘樫丘に登って見る大和三山の眺めが大変すばらしいと聞いたことを思い出した。
そこでスタートは甘樫丘にした。その展望台から見た大和三山の眺めは実にすばらしく位置と歩くコースを確認した。


橿原神宮から東へ30分ほど、標高150mの展望台からは大和三山が一望できる絶景ポイント。感動もの。


甘樫丘からの展望。西から畝傍山(背後は二上山)、中央が耳成山(三角形の頂点にあたる)、東が天香久山。


飛鳥寺付近の酒船石に亀形と小判形石造物 何に使われていたのか
水落遺跡は中大兄皇子によって、671年に造られた日本最古の水時計の跡


甘樫丘の裾を流れる飛鳥川の水は澄んでいた。水落遺跡付近からみた天の香久山とふもとの天香久山神社。


耳成山は最も北に位置する。山頂から展望はない。山頂には三角点があった。中腹に山口神社があった


藤原宮跡は実に広大な空間になっている。ここからも大和三山がはっきり展望できる。


橿原神宮は大和三山のひとつ、畝傍山の東南ふもとに広大な神域をもつ。初代天皇とされる神武天皇が橿原宮に
即位したという『日本書紀』の記事にもとづき、明治23年(1890)に創建された。


畝傍山への登山道。急坂の道から登った。頂上には三角点があり標高は198.8メートルと三山の中では最も高い。


畝傍山の畝傍には、「火がうねる」という意味が。古代の人々がこの山を火山と認識していた可能性があるそうだ。
山頂からは奈良盆地、耳成山、天香久山とはっきりとく展望できるよう伐採されている。地元の登山者が多かった。

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051 高見山 2

2011年03月03日 | 登 山

昨晩の天気予報で寒くなると。早速パソコンで東吉野の天候を調べた。
東吉野の明日の天気は、曇り・0℃・80%、。金剛山の山頂ライブカメラでは、雪・-5.7℃。これはいい条件。
次は、バスと電車の時刻。まず奈良交通バスは、榛原発の高見山登山口行きが7時05分にある。これはいい時間。
乗換を調べると新金岡発5時31分でなんばへ、上六で6時15分発の快速急行榛原行きに乗ると7時00分に着く。
あとはザックの中味を点検・出発の準備を整え11時に就寝した。

先週2月27日(日)に登ったときは気温10℃。樹氷のかけらも無かった。いい汗かいて、いい温泉に入れたが。
それから4日、今日は、今シーズン最後のチャンスと気合いを入れて、午前5時過ぎに自宅を出発した。バスは俺一人。
高見山登山口は思った通り、雪化粧で気温も-2℃、風も結構強く、霧氷は間違いなしと確信した。ワクワク登った。
高見峠まで雪面に足跡がない。高見峠の駐車場に2台の車。足跡も2人。1000m付近で下山の方と登山の方に出会う。
山頂の山小屋で、晴れるのを待っていたら計7名の方が次々に登ってきた。皆、写真撮影に夢中だった。
バスの時刻を聞いていたので、ゆっくり撮影モードに入った。下山したら、たかすみ温泉にゆっくりつかろうと思ったら、

写真の通り、初めて見た高見山の霧氷は美しく神秘的。エビの尻尾もいたる所にあった。
10時、山頂はガスがかかって周囲の展望がほとんど無い。白いガスがどんどん下からすごい速さで湧き上がってくる。
一瞬、晴れ間になったと思ったらまたガスに覆われる。その繰り返しを1時間近く見守った。
待った甲斐あって11時頃には山頂付近が晴れ、周囲の山並みがきれいに見れるようになった。
ここから、どんどん撮りまくった。 寒さで電池が悲鳴を上げた。カメラを持つ手もかじかんで自由に動かない。
今回のブログは撮影した200枚の中から選りすぐりのものをいっぱい広げました。 適当にクリックして下さい。

高見山から富士山が見える。 
登山時と山頂での2時間、ご一緒した方から、別れ際に貴重な写真を頂いたのがこの左の1枚の写真。
朝日が富士山のシルエットを浮かび立たせている。それもど真ん中に、一日で太陽の昇る位置が太陽一個分ずれると。
地図で確認したら、高見山からは東北東の方角、260kmに富士山、その間には高い山脈が無いことが分かった。
morio kimura 2008.7.28撮影と記されていました。 木村さん貴重な写真ありがとうございました。感心しました。

小さい写真はクリックすると拡大します。 時系列で並べています。説明なしで見て下さい。

登山口も雪景色-3℃。旧伊勢南街道の雪面に足跡は無い。 小峠から高見峠(大峠)に向かう道で鹿の足跡があった。

高見峠は、標高950m程、この真下に駐車場とWCがある。ここは奈良県と三重県の県境。2台駐車していた。


高見峠から山頂に向かって急坂のつづら折れの道が続く。中程に休憩広場があり振り向くと大台ヶ原が望めるというが。


山頂は-8℃。北側は下から吹き上がってくる強風で痛いように寒い。バッテリーが弱るが予備無し、ポケットに入れる。


山頂には避難小屋が、屋根が展望台。360°のパノラマで兜岳・鎧岳・曽爾高原・金剛葛城・三峰山・竜門岳など見れた。


山頂から北側は、特に風当たりがきついため、霧氷が大きく出来ている。エビの尻尾も大きく成長、重く枝が折れそう。


エビの尻尾は、霜柱のようにだった、強風で木が揺れるがバリバリと氷が割れるような音がする。

晴れると遠くの山々の緑が霧氷と一体となり美しい写真となった。


雲間から太陽が顔を出すと霧氷の色が変わり幻想的な感じに。


高見平野への下山コースも積雪があった。振り返ると高見山は白く輝いていた。 たかすみ温泉、木曜日が定休日です。


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