This is me.

- 無用の用 -

『的を射る言葉』森博嗣

2009-03-06 15:05:42 | 本 2009
『的を射る言葉』森博嗣


【内容情報】
的を狙わずに、本質を射抜く108のメッセージ。「気づかされ」、そして「気づく」ための言葉。



この手の本、好きだなあ。
好きなのにも関わらず、ずーっと前に頂いた本なのだけど、今まできちんと読んだことがなかった。
あまりにも手軽すぎて、それがかえって遠ざけていたのかも知れない。


やっぱり森博嗣ってすごいな。

切れのある言葉たち。


最初は心に残った言葉を少しだけ載せようと思ったのだけど、やっぱりそれはいかがかと思ったので、オビに載ってあったのをご紹介。

 虚しいと思う気持ちは
 虚しくない

 自信がない人間ほど、
 「自信がないのか?」と
 他人に問いかける。

 何をやったか、は見える。
 何をやろうとしているか、
 は見えない。

 「やる気」の有無は
 重要ではない。
 問題は「やる」か
 「やらないか」の違いだ。

 「誠意」が
 相手に届くことは
 稀であるが、
 自分に届かないことは
 決してない。

 

積み重ね

2009-03-06 01:18:46 | Weblog
私は、かなり言葉を選んで話す方だと思っている。
時には思いつきが口をついて出てくる時もあるが、ほとんどは選ぶ。
それでも、誰かを嫌な気分にさせたり、傷つけていることもあるだろう。

これは小さい頃からずっと母から「話す前に考えてから喋れ」と、それは何度も何度も言われて育ったからだ。

私は、今の何倍もお喋りさんだった。
親戚が集まると、皆口を揃えて言う。
よーしゃべる子やった、と。
喋り疲れたのか、もう何十年分も喋ったため、今ではあまり話さなくなったんじゃないか、と笑い話になる。


この母から言われた言葉にはすごく感謝している。
その裏にある話は決して楽しいものではないが、この事に関しては感謝している。





先日、友達夫婦がケンカした。
ケンカは同棲していた頃から頻繁にあって、最初に聞いた時は、またか、という感じだったが、内容がこれまでと違った。

旦那さんが、家で暴れたらしい。
発端は彼女のたった一言なのだが、余程腹が立ったのだろう。
椅子を蹴り倒し、食器棚のガラスを殴って割り、ふすまを蹴って倒れたふすまの角が壁にあたり、壁がめり込んだ、とか。

話を訊くと、確かに彼女の発言は悪い。
しかし、男の人ってそこまでキレるものなんだろうか。




私の家も昔は荒れてた。
卓袱台は2,3回ひっくり返ったはずだし、父の投げた一升瓶が空を切り、壁にぶち当たって穴が開いている。何かをぶつけてテレビも壊れた。母もお皿を壁にぶつけて割ってた。父から蹴られたこともある。すごい力で、あの時は折れたかと思った。腫れ上がって痣が出来ていた。枕もぶつけられてた。

そんな環境だったから、一緒に住んだ男の人が暴れたら、私はどうするだろう?と考えた。
きっかけにもよるだろうけど、きっと相手の男性が怖くなり、逃げ出してしまうだろう。
恐怖。
それしかなくなるような気がするのが、怖い。

足りないなら求めて与えるから

2009-03-06 00:14:41 | Weblog
今、すごく不安な気持ちに襲われた。
仕事に行くのが急に怖くなった。
病気になった当初を思い出した。
気を取り直して、適当にしてりゃいいねん、と自分に言い聞かせる。




久しぶりに音楽を聴いている。
彼女の声を聴くと、落ち着くような落ち着かないような、不思議な気分になる。

病気になってすぐの頃、よく『Tiger in my Love』を聴いていた。
出だしの、
 貴方がその醜さに怯えるために全てが鏡であればと願った
この部分を、別れた彼に聴いてもらいたいとずっと願っていた。
アンタの事だよ、と。
今考えるとそんな自分が怖い。
ああ、私ってかなり病んでたんだなあ、と思うことが多々ある。
今思い返せばなんてことないことでも、すごく拘っていた。
なんでこんな小さなことに拘っていたんだろうなあ、とあの時の自分に苦笑い。






年に数回、極度に、寂しい、と思う。
とにかく人と接したい、話をしたいと思うときがある。
誰でもいい。こういう時に頼る人は限られているのだろうけど、そういう人たちには頼れない。時間とか、都合とか、色々考えてしまう。
そして、本当はそんなことをしても解決しないのを知っている。
結局は面倒なのだ。
自分を持て余して、自分のことで精一杯になってしまう。
「もっと甘えてほしい」とよく言われる。
「十分甘えているよ」と答えるものの、多分、こういうところなんだろうと思う。
甘え方が分からない。わかっているのだけど、相手の都合を考える。
いや、都合を考えているふりをして、結局は自分のことしか考えてない。
頼られる嬉しさを知っているのだけど、肝心なところで頼らない。
結局、私は、それで生きていけるからだ。
それほど重要なことではないということかもしれない。



最近思ったのだけど、今までの私は、彼氏、という存在にすごく依存していた。
それを毎回ひしひしと感じていた。
それが、今回はあまり感じない。
とっても好きなんだけれど、今までのように依存していない。
依存の仕方が変わったのかな。わからん。



束縛って結構難しい言葉だと思うんだけど、今時の子ならだいたい意味を知ってるよね。