This is me.

- 無用の用 -

進化

2010-06-17 19:53:09 | Weblog
1か月ほど前だったか、旦那さんが「昨日パソコン使ってたらいきなり電源が落ちたよ」と言った。
私はその現象に全く遭遇してなかったので「へぇ」と言って終わった。
それから数日後、また同じことを言った。
その時も、私が使っている時は支障がなかったので「あら?また?」と言って終わった。
それからまた何日か経ったある日、パソコンを使っていたら突然電源が落ちた!
びっくりした。
ほぉ・・・これが噂に聞いていたあの現象か。などと思いながら、これは非常事態だと考え、外付けHDDに色々と非難させた。

その後はしばらく順調にパソコンと仲良くしていた。まぁ、5年ほど使っているので多少の難はあるのは承知も承知。上手くやり繰りしてきたわけだが、そのやり方が気に入らなかったのか、堪忍袋の緒が切れたのか、6月13日その“突然電源落ち”が続発した。
これには私も参った。
この間テレビを買ったばかりだ。そして、今年はクーラーも買わねばならない。しかし、もうそんなことを言っている状況ではない。テレビよりも使用頻度が高いだろうパソコンが、こうもすぐ落ちてしまうのは私としても困った限りである。
とかなんとかぐだぐだ書いたが、もう2回ぐらい落ちたところで腹は決まっていた。そろそろパソコンを買おう!と。画面と本体を繋げる部品もかなり外れてきてるし・・・。

翌日14日。最近のパソコンの売れ行きや、ネットでの評価、値段、それらを比較検討した。色々調べてみた結果、今までと同じ東芝にしようかなぁ・・・とぼんやり考えていた。
仕事が終わり、その日帰ってみると事態は悪化していた。パソコンがもうすぐに落ちる。落ちる落ちる落ちる。先代の98並みじゃないか!と久しぶりに先代のパソコンに会ったような気がしたが、98の方がまだ優しさのようなものがあったと思う。
ジジジジ・・・と考えているような音が響き、落ちるよ落ちるよそろそろ落ちるよ、と教えてくれていた。しかし、今回のXPに関してはそんな暇はない。ヒュンという音ともに今までパソコンを使っていなかったような空間がそこに現れるのだ。あれ?今何してたっけ?と自分の頭を疑いたくなるような、そんな落ち方だった。
そして、決まった腹が再度決まった。明日パソコンを買いに行こう!と。

週末に入っていたチラシを見て、家電量販店2軒見に行った。
1軒目は名前は出さないが、まーやる気のない店員だった。言う方も言う方なのだろうが「これ、ちょっと下がらないですか?」の問いに「これ以上は」とあっさり切り捨てる。そして、夏モデル発売前だから在庫もないという。これでは埒があかないと思い、2軒目に行った。
ここは違った。色々と丁寧に話を聞いてくれる。そして話も早かった。私は買う気満々なので単刀直入に切り出す。「これ、いくらになりますか?」値段は当然書いている。しかし、新型モデル発売前なら売ってしまいたいだろう。そこを敢えて聞いているのだ。「えっと・・・○○ぐらいにならなりますが」というので、もう少し・・・と交渉すると、それじゃあポイントを上げますよ、という。これはしめた!と思った。夏のクーラーに回せる!それで手を打とうと旦那さんとごにょごにょと相談していると、なんと店員さんの方からもう1%プラスしてくれるという。私は「買います!」と高らかに宣言した。


いや~前置きが長くなったが、文明のこの進みっぷりは素晴らしいね。
5年前に買ったパソコンよりスペックが断然高いのに、値段は低いという、ね。
サクサク動くし、それにこの機種の売りなんだろうな、音が非常に良い。テレビよりもはるかにいい。当初は買うつもりじゃなかったのだが、色と音に惹かれてこれに決めたらおまけにブルーレイまで付いてきちゃったよ。
DVDは普通のDVDしか見られないし、おまけに地デジも対応していないから来年にはまた買わないといけないというのに。。
しかし、売り場を回ってびっくりした。今時のパソコンって地デジが映るのね!ってそりゃテレビが観られるパソコンがあったのだから時代の移り変わりに伴って地デジ化するのも当たり前か。

ちょっと驚いたのが、帰ってきてお客様登録をしようと思い、以前使っていたパソコンを買った日付を見てみると「2005年6月14日」と書いてある。今回買ったのは「2010年6月15日」。
5年きっかり頑張ってくれてありがとう。お疲れさま。

『うつ病の妻と共に』御木達哉

2010-06-05 20:30:29 | 
『うつ病の妻と共に』御木達哉


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
夏のある朝、健康そのものだった妻が錯乱する。この時からうつ病の妻と過ごす日々が始まった。夫にできることは何か?自らが医者であるにもかかわらず、無力さを抱きながらの試行錯誤の連続。病院勤務のかたわら、妻と自分のために三度の食事の支度をし、きょうも一日平穏であれ、と願う日日を潔く克明に綴る、感動の記録。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
御木達哉(ミキタツヤ)
本名・御木達也。PL病院副院長。1936年、東京生まれ。中央大学法学部、同大学文学部独文科卒業。63年から66年までドイツ・テュービンゲン大学でカフカを研究。帰国後、日本大学医学部に学士入学、70年卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



久しぶりの読書感想文。
本は読んでいるが、今年になって記録を書くのをやめた。あ、ブクログはやってるので興味のある方はどうぞ!
http://booklog.jp/users/erisbookshelf
改めてみてみたら、今年に入って半年になるけれどまだ19作品しか読んでないのかあ。でも、マンガや上下巻物、5冊で一作品とかあるから、冊数にするとまあまあ読んでるのかな。


この本はある日ブックオフで見つけた。
最近ではもうこの手のコーナーに行かなくなったので、文庫コーナーにあったのを見つけた。
ふと目に留まって、何気なく開いた。パラパラと立ち読みを始めたら止まらなくなった。その日は早く帰らないといけなかったので、その本を買おうかどうしようか一瞬悩んだがやめた。
翌日また行ってみるとまだあった。昨日と同じように立ち読みを始めた。パラパラと飛ばして拾い読みをしていた。
・・・どうしよう。気になる。
ここ最近あまり調子がよくなかった。なのであまり読みたい感じではなかったのだけど、どうも気になって気になって仕方なかった。悩んだ末、その日一律値下げをしていたのもあって結局購入した。

この本がほかの本とは違って買う気になったのは、著者はうつ病ではない、ということだ。
うつ病になった人が回復したという手記は何冊か読んだ。
しかし、そばで見ている人が書いた本は初めて読んだ。

これは、私の経験の話なのでほかの人はどうかわからないけれど、かなりのうつ病になったら、ほとんど寝ていることが多い。あ、誤解されるな。睡眠障害というのもあるのだが、これは夜や朝方の話で、日中は寝ているか、ぼーっとしているか、のどれかだったと思う。と、こういうふうな生活を毎日続けていると、今が起きているのか夢の中なのかわからなくなってくる(私は頻繁に夢を見たのもある)。
つい先日病院を変えたが「どれくらいひどい状態が続きましたか?」と訊かれて、かなり前のこともあって覚えてないということもあったが、あまり記憶がはっきりしてなくて覚えてない、ということも事実だった。
そこで、この本は健康な人がうつ病を診て書いたもの、ということでとても興味があった。人にどんなふうに写っているのか。いたのか。


購入し、帰って早速読んだ。
最初の方なのに、ページを繰る毎に涙が止まらなかった。

 あぁ、そう。こんなだった。

そんな気持ちで読み進めていった。


この先は内容に触れているので、読みたくない人はスルーしてください。




















この奥さんの気持ちが痛いほどわかって、泣けた。
おそらく、同じ病気になった人でもわからない人はわからないだろうし、わかる、と一言で言ってもきっと同じではない。だけど、私には同じように感じられた。

「どうやったら誰にも迷惑をかけないで死ねるか、わたし、そればっかり考えてるの」

この一文を読んだとき、思わず本を閉じてため息が出た。
私も同じことをずっとずっと考えていた時期がある。どうすればみんなが納得する(という表現も変だけど)死に方ができるだろうか。
結局たどり着いた結論は、死んでも誰も納得しない、だった。

「わたしはあんたのために生きてやってるんだ!」

誰にともなく、というか、周囲のすべての人に対してこう思っていた時期があった。
そして、死ねない自分を人のせいにしている自分にまた落ち込んだり。


この著者の奥様、美紗子さんは、この本の『追記』で亡くなっている。
この『追記』は第四刷にて加筆されたものらしい。私の手元にあるものが、ちょうど第四刷だった。

実際にうつ病で友達を亡くしているが、この病気は死ぬ病なのだと改めて感じた。
美紗子さんも友達と一緒で、ビルの上から飛んだ。

そりゃそうだわな。つらかったんだもの。あんなつらいことないわ。今でも時々死にたくなるもの。きっかけは、ほんの些細なことだったり、何かが起きた、というわけじゃないときも、ふっとこの考えは私の頭をかすめる。
私の場合、嬉しいことがあっても死にたくなる。ああ、今死んだら幸せだろうな、と。

人はいつか死ぬ。
以前よく考えてた。
生まれてくることを選べないのなら、死ぬことぐらい選んでもいいだろう、と。


あー何が書きたいのかわからなくなってきたな。
この辺でやめとこう。

と、言いながら、読み返しながら考えた。
私がまた以前のような状態になったらどうなるのだろう。どうするのだろう。
おそらく私のことだから役所に離婚届取りに行ってすべて書き込んで相手に渡すだろうな。
そしてそれが提出される日を怯えて暮らす。そんな気がする。