毎年この日になると色々と考える。忌々しく思う気持ちは去年よりはましかもしれない。だが、ましなだけであって、消え去ることはない。
不要だ。
この一年本当に色々なことがあった。
去年の今頃、自分がこうなっていることを予想出来ただろうか。答えはノーだ。明日のわが身もわからないのだから。しかし、ここまでになっているとはやはり誰も思ってなかったと思う。
前の彼とはいつかは別れるかもしれないとは思っていた。夏にケンカをして、それをきっかけに疑いの気持ちが私の中のどこかを常に冷やしていたと思う。
私は彼の携帯電話を勝手に見たり出来ない性質なのだけど、それでも誰とどんなメールや電話のやり取りをしているかは簡単に想像できた。
しかし、私は彼の言うことを信用するしかなかった。
たぶん「ああ、この人を信用することにしよう」と改めて決めたのが、去年の明日だったと思う。そうだ。思い出した。私は去年の明日、そう決めたのだった。
言ってくれることはとても優しく、すっかりそれに甘えていた。仕事が少し忙しくなり、体調も思うようにいかず、相手の仕事も結構ハードなスケジュールで、会う日が少なくなっていっていた。
そんなある日、彼からメールが来たのだった。
私はきっとずっと忘れないだろう。
私と彼女に宛てて同時に送られたメール。
信用が一気に崩れた。自分の気持ちを計られているのが途轍もなく嫌だった。色々なことがあり、ようやく彼を信用しようと決めていた自分の気持ちを踏みにじられたような気分になったのだ。やっとここまで思えるようになった私の気持ちの過程を分かっているのか?と。
その時、私には怒りしかなかった。そして、絶望。
時間が経ち、呆れ。そして、諦め。
また時間が経つに連れて、後悔。
消えてしまいたいと本気で思っていた。それは彼に振られたからではなく、いや、振られたのが最後の引き金だったと思う。
その時、たくさんの人に心配してもらい、暖かい言葉をたくさん頂いた。
そうだ。私はたくさんの人に迷惑をかけた。本格的に破綻していた。
人には普通に会える。食欲も普通にあり、見た目は普通に生きている。しかし、一旦一人になると心の中は冷え冷えとして、なんの感情もなく、ただ追われるように本に没頭していた。どこかの世界に所属していないと自分という存在が危うかった。この世界にはもう何もなかった。ただ、逃避していた。
今振り返ってこうして書いてみると、これらは改竄されたものかもしれないが、おそらくそういうことだったんだと思う。
やはり私は色々な人に支えられ、そして生きている。また一年生きてきたのだ。
感謝。
不要だ。
この一年本当に色々なことがあった。
去年の今頃、自分がこうなっていることを予想出来ただろうか。答えはノーだ。明日のわが身もわからないのだから。しかし、ここまでになっているとはやはり誰も思ってなかったと思う。
前の彼とはいつかは別れるかもしれないとは思っていた。夏にケンカをして、それをきっかけに疑いの気持ちが私の中のどこかを常に冷やしていたと思う。
私は彼の携帯電話を勝手に見たり出来ない性質なのだけど、それでも誰とどんなメールや電話のやり取りをしているかは簡単に想像できた。
しかし、私は彼の言うことを信用するしかなかった。
たぶん「ああ、この人を信用することにしよう」と改めて決めたのが、去年の明日だったと思う。そうだ。思い出した。私は去年の明日、そう決めたのだった。
言ってくれることはとても優しく、すっかりそれに甘えていた。仕事が少し忙しくなり、体調も思うようにいかず、相手の仕事も結構ハードなスケジュールで、会う日が少なくなっていっていた。
そんなある日、彼からメールが来たのだった。
私はきっとずっと忘れないだろう。
私と彼女に宛てて同時に送られたメール。
信用が一気に崩れた。自分の気持ちを計られているのが途轍もなく嫌だった。色々なことがあり、ようやく彼を信用しようと決めていた自分の気持ちを踏みにじられたような気分になったのだ。やっとここまで思えるようになった私の気持ちの過程を分かっているのか?と。
その時、私には怒りしかなかった。そして、絶望。
時間が経ち、呆れ。そして、諦め。
また時間が経つに連れて、後悔。
消えてしまいたいと本気で思っていた。それは彼に振られたからではなく、いや、振られたのが最後の引き金だったと思う。
その時、たくさんの人に心配してもらい、暖かい言葉をたくさん頂いた。
そうだ。私はたくさんの人に迷惑をかけた。本格的に破綻していた。
人には普通に会える。食欲も普通にあり、見た目は普通に生きている。しかし、一旦一人になると心の中は冷え冷えとして、なんの感情もなく、ただ追われるように本に没頭していた。どこかの世界に所属していないと自分という存在が危うかった。この世界にはもう何もなかった。ただ、逃避していた。
今振り返ってこうして書いてみると、これらは改竄されたものかもしれないが、おそらくそういうことだったんだと思う。
やはり私は色々な人に支えられ、そして生きている。また一年生きてきたのだ。
感謝。