This is me.

- 無用の用 -

この空白は私だけのもの

2009-03-22 23:47:22 | Weblog
鬼束ちひろの『NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS』を買った。
買ったものの長いこと観てなかった。
これを聴いた瞬間、惹き込まれた。


鬼束ちひろ Angelina


裏付けられたものが欲しい
バランスを望むわけじゃない
私はまだ死んではいない

隙間を埋める花々(はな)が欲しい
満ちても麻痩するばかりじゃない
私はまだ死んではいない
死んではいない

この空白は私だけのもの
孤独も弱音も全て
私が愛さなくて誰が愛する?
私が愛さなければ誰がそれを
愛するの?

暗闇を歩く炎が欲しい
余計なだけの力はいらない
次第にまた立ち上がれる
立ち上がれる

この寂しさは私だけのもの
痛みや言葉に耐えるため
私が愛さなくて誰が愛する?
私は答えなんかじゃないし
目の前に続く地をただ行くため
私が愛さなくて誰が愛する?
私が愛さなければ誰がそれを
愛するの?

傷口を照らす光が欲しい
どんな影にも怯えたりはしない
私はまだ死んではいない
死んではいない

この空白は私だけのもの
孤独も弱音も全て
私が愛さなくて誰が愛する?
私は名前なんかじゃないし
飾りや模型なんかじゃない
私が愛さなくて誰が愛する?
私が愛さなければ誰がそれを
愛するの?





『この空白は私だけのもの
 孤独も弱音も全て』

ここで、決まった。


24の時に鬱病になって会社を辞めた。人生が180度変わった、ような気がした。
26から少しずつだけど働き始めることが出来るようになった。
まさしく「この空白は私だけのもの」だ。
誰にもわからないし、今ではわかってもらおうとも思っていない。
そりゃわかってくれるに越した事はないけど、たぶん、きっと、わからない。
同じ病気の人でも、それぞれに違いがあり、やはり自分自身にしかわからない。
誰かにわかって欲しい、と望んでいた時期もあった。しかし、それは望んではいけないことだと気付かされた。

未だ完治はしていない。ずっと付き合っていくものだと覚悟している。
薬とさよなら出来る日が来るのだろうか。




そう言えば、最近友達数人から、「なんやかんや言いながら一番強いのは、あんたや」と言われた。
たぶん、私って、自分で思っている以上に強い。
薄々気付いてはいたけど。

ああ、だから、一人でも大丈夫だよね?って感じになっちゃうのかもしれないな。





そう言えば、前の仕事場で、どんな話の流れだったのかは忘れたが、「えりちゃんは世間ずれしてないというか・・・」ということを言われたときに、すごく違和感を覚えた。
ああ、私はそんなふうに見られているのだな、と。
自分で自分は見えないものだ。




全然まとまりがないな。
まあ、書き散らかすのは毎度のことだけど。

わからないこと

2009-03-22 23:20:06 | Weblog
友達が結婚式に、親から教わったこと、を言ってた。
それを聞いて、私は親から一体何を教わったか、を考えていた。

「考えてから物を言え」

これがすぐに浮かんだ。

時々考えなしにすぱーんと言ってしまうときがあるのだけど、だいたいは考えてから発言をするようにしている。
内容にもよるが、メールやブログにしても、書いて読み返す、を何度も繰り返す。
そして、発言をしてからも考える。
考えてから物を言って、言ってからも考える。
そしたら細かいところが気になってきたりする。
結局は杞憂だったりするのが、ほとんどだ。

なんか無駄なことをしている気がして仕方ないんだけどな。

無駄、ではないか。







先日、お母さんと二人で買い物に行ってきた。
お母さんは一人で服とか買いに行けない人なので(極度の方向音痴)、引率して行ったって感じだった。
結局、ご相伴に与り、ちょっと服とかを買ってもらっちゃったのだけどー。



考えてみたら、こういうのをするようになったのはつい最近だ。
ここ1,2年だと思われる。




小さい頃から社会人になっても、友達が、家族で買い物に行ってきた、とか言ってるのにすごく憧れた。羨ましかった。

低学年の時は、服は親が買ってきてくれてた。
たまに近所に一緒に買いに行ったりした。

学年が上がってきた頃には、年に2回、ボーナスが入ると、家族で衣類を買いに出かけた。
衣類全般を取り扱っている卸?みたいなところに行って、「今回は○万円まで。じゃ、○時までに集合」と言って、みんな自分のものを買いに散る。
時間になったらレジに集合して、お会計を済ませて家に帰ってきてた。


よく考えたらすごいことだなーと思った。
だって、小学生ぐらいの子が一気に何万もの買い物をしてるってどうよ。
全身なので、何から何まで買うから、それぐらいは使っちゃう。


自分が親だったら、絶対そんなことはしないだろうな、と今になって思う。






中学生か高校生の頃からずっと「子どもはいらない」と言い続けている私だが、最近友達に「アンタは子育てが出来るわ」と言われることが多い。

理由を聞いてみると、ああ、そういうことか、と思う。


最初は、親との関係が悪くて、それで子どもが欲しくなかった。
バカみたいだけど、自分のような子をもう作っちゃいけない、ってずっと思ってた。
だから、子どもが欲しくない。

だけど、親のことを考えたら、孫の顔を見せられないのを哀しく思う。
そして、その時に一緒になる人のことを考えたら、とても哀しく思う。


映画で男の人と子どもが遊んでるシーンなんか見ると、途端に泣いてしまう。
ああ、自分にはこういうことが出来ないんだ、こういう幸せであろう時を過ごしてもらうことが出来ないんだ、と無性に自分が情けなくなる。



そして、私には恋愛する資格があるのか?と自分に問う。

答えはいつも決まっている。



「わからない」

時間の上には何がある

2009-03-22 22:44:45 | Weblog
記憶が正しければ、
今日で一年になる。


早かったと言えば、早かったし、
遅かったと言えば、遅かった。

何度も書いているが、記憶があまりない。
一体何をどうして過ごしてきたか、あまり覚えていない。
喚き散らして迷惑をたくさんかけた。
私は、たくさんの人のお陰で生きている。

感謝。
言葉が見つからない。




厳密には別れてからも連絡を取ったりしていたので、実際に、さよなら、をしたのは去年の今日ではないが、でも、関係が壊れた、もしくは、壊した、のは今日だ。


確実に時間って過ぎていくのだな。
そして、考えは変わっていくのだな。

とても不安定で、なんて流動的なんだろう。

結局、いい加減でしかないのかもしれない。





たぶん、終わった、ってこういうことなんだろうな。


ただ、ただ、虚しい。



今、好きな人がいるだとか、
彼氏がいるだとか、
そういうことは関係ない、と思う。

これは、あの人と私との関係の問題なのだ。



後悔はしていない。
反省はしている。