This is me.

- 無用の用 -

『人間は笑う葦である』土屋賢二

2009-05-25 21:19:49 | 本 2009
『人間は笑う葦である』土屋賢二


【内容情報】
笑えないものは何もない!「大学の塀は何のためにあるか」「それでも美人になりたいか」「首相になれといわれたら」「人間はなぜ笑うか」などなど、大学の塀から人間の本性まで、森羅万象すべてを笑いに巻き込む、ご存じ“笑う哲学者”プロフェッサー土屋の爆笑ユーモアエッセイ集第三弾。



土屋先生の本を読む度に、こんなユーモアがあればなぁ・・・・・・と思う。
一度こういう感じで書いてみたいと思うのだけど、きっと、え?悪いものでも食べたの?と言われそうで、未だ実行に移せない(前も書いたか)。


ユーモアもさることながら、やはり哲学者、収録されている「ナンセンスの疑い―「わたしってだれ?」って何?」はとても興味深かった。

こういうふうに生きれば(考えれば)いいのかなぁ、と考えさせられる。



あと、解説が森博嗣なのだけど、これもユーモアたっぷりで良かった。

『宿命』東野圭吾

2009-05-19 22:04:55 | 本 2009
『宿命』東野圭吾


【内容情報】
高校時代の初恋の女性と心ならずも別れなければならなかった男は、苦闘の青春を過ごした後、警察官となった。男の前に十年ぶりに現れたのは学生時代ライバルだった男で、奇しくも初恋の女の夫となっていた。刑事と容疑者、幼なじみの二人が宿命の対決を果すとき、余りにも皮肉で感動的な結末が用意される。



東野作品を読んだのは、おそらく10年ぶりぐらいだと思う。
『どちらかが彼女を殺した』を初めて読んで、それっきりだった。
この作品はちょっと変わってて、犯人の名前が明かされないまま終わってしまう。
どうしてこれを買ったのか覚えてないのだけど、これを読んだ時にはもうなんともいえない気持ちになったのだけは覚えてる。
犯人誰なんだよーって直接聞いてやりたいほどだったもんなあ。
それに、当時は今ほどネットが普及してなかったから調べようもなかったし。
また読んでみようかなあ。今なら分かるかも知れないし、どこかに答えらしきものもあるかもしれないな。



ああ、だいぶ話が逸れてしまった。

この本を読み終わった後の感じとしては、面白かったけどもちょっとやりすぎなんじゃないの?と思った。しかし、解説に書かれていた著者のことばを読んで納得した。


「犯人は誰か、どういうトリックか―手品を駆使したそういう謎もいいけれど、もっと別のタイプの意外性を創造したいと思いました。」


うん。確かに。この言葉ぴったりだと思う。

執筆は2ヶ月ほどだけど、書くまでに3ヶ月を要しているとか。
すごい作品だなあ。


それと、ここまで、最後の「終章」まで、一体何がどうなって終わるのかが予想できなかった作品は初めてかもしれない。
色々と裏を考えたり、あちらこちらから攻めて考えてみるのだけど、この作品に関しては全然分からなかった。
そりゃちっとは考えたものもあったけれど、ことごとく違ったもんなあ。
うーん、ちょっと悔しい。



それと、この作品をドラマ化したら面白いんじゃないだろうか、と考えていたら、もうなってた。
やっぱりなー。東野圭吾はホントすごいね。映像化されてるの何本あるんだろう。
wikiでキャスティングを見たんだけど、意外な感じがした。
でも考えてみると妥当な感じなのかなあ。
私は読みながら勝手に、和倉勇作は市川亀治郎になってた。
なんでだろうなあ、と考えてみたら、前にNHKでやってた『七瀬ふたたび』の刑事役をやってるのを観たからだと気付いた。
映像の影響ってすごいね。





「宿命」ってあるんだろうか。

かけちゃうなー

2009-05-15 21:38:21 | moblog
ちょっと興味深い記事がここにあった。
これは、ここが元かな。


私もかけちゃうんだよなあ。
おかずが不味いからとか、少ないからとか、そういうのじゃないんだよなあ。
もう習慣ってやつかな?家でご飯(白米)を食べるときは、9割ふりかけをかける。
親も二人共かけるから、我が家では問題にならないんだろうなあ。

これって、やっぱ家庭環境の問題だろうな。
小さい頃から、お弁当とか家でのご飯とか、ほとんどふりかけかけて食べてた。
だから今でもふりかけをかけて食べる。


だけどさ、ここに書かれてる、
 子供までふりかけでご飯を定着させてしまったら
 他家にお邪魔した際など、作ってくださる方に失礼ですよね
って・・・・・・。
他所様のうちに行ってまで「ふりかけないんですか?」とは言わないよー!!

・・・・・・もしかして、今時の子なら言っちゃうのか。

そぎおとす

2009-05-12 22:10:03 | Weblog
最近、冷たくなってきたような気がする。あ、これ前も書いたっけ。
冷たくなった、というか、たぶん、範囲が狭くなってきたんだと思う。
んーどうだろう。自分自身でここら辺は評価出来ないからなあ。

「まあ、いっか」と思う機会が多くなってきたような。

別に何もしていないのに、ふと「嫌われてるんじゃないだろうか」と感じることってちょいちょいある。
前なら、どうしようどうしよう、ってそればっか考えてたのが、悪いことをした覚えがないのにそう思われるのならまーしゃーないわな。どっかで誤解がとけたらええか、で終わらせられるようになってきたというか。
自分の仕事や生活が乱れない程度なら、許容範囲内になってきたような。いや、多少は乱れるのだけど、乱れないようにしているというか。それで、いいや、と思えるようになってきたっていうか。


今だけの一時的なものかな。

『働く過剰』玄田有史

2009-05-10 15:31:17 | 本 2009
『働く過剰』玄田有史


【内容情報】Amazonより
若者と労働をめぐる言説は多い。「ニート」「即戦力」「コミュニケーション能力」「自己実現」「過重労働」……。▼しかし、それは責任を放棄した大人が作り出したプレッシャーではないのだろうか。いわれなき圧迫に翻弄される若者たち。その背後には日本社会の階層化も忍び寄っている。
「働くことに疲弊する若者」と「働けない自分に絶望する若者」を、理解不能な存在、単なる社会的弱者として排除することなく、大人たちが個人として、社会として彼(彼女)らの就業と自立のためにできることとは何か。
企業の本音、支援現場の声、そして豊富な最新データを総合した本音の革新的論考。「ニート論」の火付け役にして労働経済学の第一人者による「現代若者論」の集大成。



しばらく前からこの本が本棚にあった。
いつ、どこで、どうして購入したのか全く覚えていない。
まあ、きっと私のことだから、どこかでレビューを見て興味を持って、それで買ってたんだろうなあー。
ちょっと難しい感じの本だから、読むのに躊躇してるうちに忘れてしまったってとこだろう。
いつの間にかあり、そして、次に何を読もうかな?と考えるたびに、「これ読んでないなあ」と思いながら素通りしてた。
しかし、今回思い切って読んでみよう、と思った。
この本は単行本なので持ち運びに困るため、このゴールデンウィークの間に読んでしまおうと思っていた。しかし、なんだかんだで読めずに、結局電車の中でも読んだりした。


結論から言うと、なかなか興味深い内容だった。


現在、私は、この本で言われているところのフリーターであり、少し前までは、サラリーマンをしていて心の病に罹ってしまい働けなくなったニート、だった。
働きたいという意欲はあるものの、働けない、という、非求職型、であったわけだ。
それが、2年8ヶ月ほどの休職期間を経て、ようやくフリーターに昇格したという、ね。

結局のところ、なんで自分は働き始めたのだろうなあ、なんてふと思い返してみた。
やっぱり、なんだかんだ言っても仕事がしたかったんだよな。社会から取り残されていく感が耐えられなかった。というか、“それまで当たり前のように出来ていたものが出来なくなった”ことが耐えられなかったのかもしれなかったなあ。
その他諸々も勿論ある。家族に後ろめたいとか、収入が欲しいとか。

私と同じような境遇にある人って、今たくさん居るんだろうなあ。
別に焦ることはないと思う。何年休んでから働きなさい、なんて答えがあるもんじゃないし。これだけは本当に人それぞれ。
自分でやろうと思い始めたその時が、その時、なんだと思う。
色々事情はあるかもしれないけれど、辛いかもしれないけれど、きっとぼちぼちでも働ける日は必ず来ると私は信じてるんだけどな。
それには、勿論、努力は必要だ。
「努力」と言っても、一概に働くことへだけに頑張るベクトルを向けたものだけじゃない。
「休む」ということに、頑張る、というか。
うーん、まあ、まだ私もフリーターなので、偉そうなことは言えないし、同じ病気でも、本当に人それぞれで、風邪で熱が同じ38℃出てしんどさが人と違うように、本当に人それぞれなんだわな。
難しいわなー。

私も次へのステップに向けて、とりあえず今を頑張らなければならない。
さっきも書いたけど、我武者羅にやることだけが、頑張ることじゃないと思っているから、時には休息も必要だと思うし、ってそこら辺のさじ加減が難しいんだよなー。
まあ、なんだかんだ言いながらここまできたんだから、今の仕事を2年ほどやって、次は週5で働きたいと思っている、という感じかなー。
ってなんだかレビューに全然なってないな。ま、いっか。(←こういうのが大切。笑




読んでいて、印象に残ったところ。


「やりたいことなんてなくても大丈夫」とはっきり伝えたい。「やりたいことは、働くなかでほとんど偶然のように、みつかるものだ。(略)」

これは、本当にそう思うな。
私も低学歴に入るのかな?高卒で、会社にだって、先生が勧めるからなんとなく入社したし。入ったら入ったで、最初なんて自分が何してるんだかちんぷんかんぷんだったし。
そのうち、あることがきっかけで資格を取ろうと思って、取った。
そしたら異動の話が来て、あれよあれよという間に、同じ会社だったけど、転職したも同然の状態になって、また自分が一体何をしているんだかちんぷんかんぷんの世界に入って・・・・・・なーんていう状態だったもんな。



・すべての信頼関係は、目の前にいる相手のことを「自分はわかっていない。でもわかりたい」という気持ちをお互いが共有し続けることでしか保たれない。その緊張を忘れ、相手のことをすべてお見通しとわかったつもりになった瞬間、関係の崩壊は始まる。

この一文はとても深いなーと思ったな。
これって確か、企業側の人材育成についての章に書かれていた言葉なんだけど、多くの人間関係に繋がる部分だよなあ。
初心忘れるべからず、という感じだろうか。これってやっぱ大切だよな。と思って、密かにやってることあるけどねえ。





この本って一体誰向けなんだろうなあ。
多岐にわたっているので、一体誰向けなんだろうな、って思いながら読んでた。
誰が読んでもなかなか興味深いんじゃないだろうかなあ。

あと、章ごとに、ここがポイントみたいな感じで、まとめてくれているのもわかりやすかった。






しかし、これが出版されたのが2005年。
参考にしているデータが2002年。
現在は、2009年。
もう既にだいぶ変わっているだろうな、なんて思った。

『鎖(上・下)』乃南アサ

2009-05-01 21:45:22 | 本 2009
『鎖(上・下)』乃南アサ
 

【内容情報】
東京都下、武蔵村山市で占い師夫婦と信者が惨殺された。音道貴子は警視庁の星野とコンビを組み、捜査にあたる。ところが、この星野はエリート意識の強い、鼻持ちならぬ刑事で、貴子と常に衝突。とうとう二人は別々で捜査する険悪な事態に。占い師には架空名義で多額の預金をしていた疑いが浮上、貴子は銀行関係者を調べ始める。が、ある退職者の家で意識を失い、何者かに連れ去られる。



久しぶりの乃南アサ本。
どれくらいぶりだろうなあ~。最後に読んだのは何だったっけ。
乃南アサとの出会いは、高卒すぐ入った会社で、先輩から借りたのがきっかけだった。
そう言えば、あの時って周りに本を読む人が結構居たなあ。
今考えると珍しいかもしれないな。

そして、その後何冊か読んだのだけど、いや~これも面白かった。
以前に読んだ『凍える牙』がとても面白かったという印象だけが強く残っていて、その主人公が再び登場ということで、かなり楽しみにしていたんだけど、なかなか期待通りに面白かった。

これは「音道貴子シリーズ」の第三弾になるのだけど、第二弾は確か短編集だったから買わなかったんだよなあ。
今度見つけたら買ってみよう。
というか、『凍える牙』がどんなだったのか思い出せないので、再読してもいいなあ。
うーん、やはり私は女刑事モノがどうやら好きみたいだな。





これは、かなりテンポが良く、次が気になって気になってさらさらさらーと読んでしまった。
上巻の方は、通勤途中や、寝る前に少しずつ読んでいたのだけど、下巻は一日で一気に読んでしまった。私としては、かなり珍しいな。久しぶりじゃないだろうか。






なんだろうな。
結局こうなるんでしょ?的なのが多少なりとも予想出来るのだけど、それでも楽しめた。
こういう本は貴重だと思う。