地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

赤とんぼ殺人から・・

2016-09-13 14:09:58 | 最近のニュースから
元・福井大学准教授の前園泰徳(44)被告(以後略)が教え子の女子大学院生・菅原みわさんを殺した事件の裁判で、
前園は嘱託殺人(自殺関与・同意殺人罪)を主張した。。。

善良な人達は犯罪に対しての罰の大小など知る必要もないし、さほど詳しく知ろうと考える事はないと思います。

もしかすると、、、
高畑裕太の事件で、強姦罪に致傷が付くか付かないかで、その罰の大きさがこんなに違うんだと、初めて感じた人も多いのではないでしょうか。

妻子のある先生が教え子と不倫関係、、、そして殺人。。
ドラマによくあるストーリーみたいな事件です。

被害者の女性は「自殺する」とか「相手の家族を殺す」とか、かなり激しい言葉を発していたように言われています。

事件発生当日も、その様なやりとりがあり、、、結果、殺人事件に・・・。

女が男と自分の望む男女の関係に将来もなる事が出来ないと思い込んだ時にとる行動は(男女が逆の場合も)予測できません。
「死んでやる」とか「殺してやる」とか「貴方の家庭を壊してやる」とか、何処まで本気なのか解りません。

そして何度もそういう場面を繰り返すと、、、
本気じゃない(一種の愛情表現)との思いと、うっとうしい感情が入り乱れます。

普通、、、、一方が興奮すると、もう一方の人は冷静になろうとします。

ところが、この感覚は限界を超えた時には反転します。 冷静な人が興奮している人より大きな興奮状態になるんです。
反転するタイミングは「うっとうしい」なんです。冷静な人にこの感覚が強く出た来た時に相手より強い興奮状態になります。

子供が駄々をこねた時に、母親は一旦は優しくなだめますが、それでも治まらない時は興奮した状態を装い子供を叱ります。
この場合は「装う」のですが、それでも駄々が治まらない時は、母親もけっこう本気で興奮して怒ります。

それでも治まらない場合は「アキラメ」や放置する方法を選択しますが、、、、
これが大人の男女の場合は一方があきらめても解決しませんし、放置をしても解決しませんし、より一層悪い状態になる可能性があります。

法律の話しじゃなくて、私個人の感覚ですが、、、、
先生が教え子でもある菅原みわさんを殺した時に、(報道されている内容から)よりによって扱いにくい女の子を不倫相手にしたもんだと・・

それに妻子のある男だと知った上での付き合いは、厳しい事を言うようですが、その男の妻に対しては重罪です。 
その妻や子供の人生を大きく変えてしまいます。
この種の事件の時には亡くなった被害者と加害者に目が行きがちですが、被害者と加害者の道はほぼ決まっています。
それよりも、これから何十年も生きていかなくちゃならない妻や子供の事も考えて欲しい。
亡くなってしまったので批判はしにくいのですが、被害に遭う一秒前までは何の擁護も出来ない。


嘱託殺人の主張
少なくとも公表されている内容からはありえない。
この元・福井大学准教授の前園、卑怯者・自己中心、、汚い言葉の全てを使っても批判しきれない

自殺関与・同意殺人罪は6ヵ月以上7年以下で、死刑・無期まである殺人罪とは大違いです。
嘱託殺人だと刑の執行を猶予する場合もあります。
神戸の震災の後もありましたし、最近でも介護の現場でもありました。 それらは多くの人が「現実社会の人」として同情出来る部分が多くある場合に限ります。
この前園には同情出来る部分が見当たらない。私の個人的な感覚として「扱いにくい女」と表現しましたが、そんな女(男)はゴロゴロ居てて普通の枠の中なので、特別に同情するには値しません。

人を殺す・・・人間社会でこれ以上の罪は無い

しかし現実には殺人罪で逮捕されても、殺人罪で罰を受ける被告は(逮捕人数より)かなり少ない事実があります。
傷害致死とか過失致死とか、他にも有りますが完全な殺人罪を確定するにはかなりのハードルが必要なんです。

通りすがりに「目が合った」等と言って、相手を殴り殺すと傷害致死です。
保険金目当てに計画を立てて人を殺すと殺人です。

どっちが悪いと聞かれたら  「両方とも最悪」です。

では、、
どちらの犯人が再び犯罪を犯して殺される被害者が出る可能性が高いか・・
これは一瞬で興奮して相手を殴り殺す奴の方が可能性は高いと思いませんか。
傷害致死なら短い期間で社会に戻って来て、貴方とスーパーですれ違うことだって有りますヨ

刑事事件の罰は何度か改正され、段々と量刑が重くなっていますが、それを適用する感覚が平成時代の感覚とズレでいるのではと疑問を感じる事がよくあります。
裁判員裁判で一般人の感覚を少しでも汲み取るとされていますが、その前段の時点で法律家の感覚に一般人の感覚を汲み取るルールが法律の中にあっても良いのではと感じています。

罪と罰の計りじゃなくて、、、法の適用段階で「計り」が欲しい。