南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆私の運転術

2012-10-16 17:59:48 | 体験

 1370 ジョコ ウィドド(ジョコウィ)、バスキ氏コンビのジャカルタ州知事と副知事が就任した。お祭り騒ぎ、人気先行のモテモテの雰囲気だが、どうでしょうか,問題山積のジャカルタ、全てのことに関して、今より悪化させない現状維持も難しいでしょう。

それにしても、就任式の制服?が軍服?なのは何故でしょうか。違和感を覚える。

 

 心得ていること、1 バイクも車も、右からでも左からでも、交差点でなくても、出てきたら、一旦停止はしないで、必ず、私の車線に入ってくる。赤信号でも左折はOKという交差点がほとんどである。

2 右側で駐車している車は後方確認しないで。ウインカーも点滅させず、取りあえず突然発進する。

3 バイクも車も方向指示器は信用できない。例として、右折するために右のランプを点滅させる、それはいいが、左へ寄るのです。そして、後続車を中央車線側からやり過ごしてから、やおら、右折するのです。中央寄りで対向車を待つ、日本的な車と半々ぐらいです。消し忘れ、点け忘れ、どうでもいい、いい加減、とにかく、信用しない。

4 二車線以上の道では、割り込めるほどの車間が無くても、割り込んでくる車は当たり前に在る。

5 右折車線、左折車線、直線車線という考えはほとんどない。三車線の交差点で、中央車線から右折する車も在れば左折する車もある、右折車線から直進する車もある。 空いている車線は必ず空いたままにしておかない、必ず、後続車は空いている車線に入ってきて空きを無くす。路肩も含めて、一車線や二車線増えることも当たり前である。遠慮しているとクラクションを鳴らされる。

 

 運転術 1 常に冷静に、割り込まれても、クラクションを鳴らされても、無感情でいること。

2 渋滞の車線に進入する方法、アンコッタが来たらチャンス、左に寄ろうとしながらゆっくり走っているので、窓を開けて制止すればなおゆっくり走ってくれる。バイクが集団で来た時も同じ、車線変更のチャンスでもある。

3 右折でも左折でもUターンでも二車線以上の時には、一番外回りをする。回り終わった時には一車線になる場合が多いので、内側からの車を抑え込むように速く回れる。

4 渋滞になったら、左端車線か路肩に移動する。渋滞の時の路肩走行は捕まらない。確率の話だが、中央寄りよりは速く渋滞を抜けることができる。5 料金所に沢山ゲートあって、前で渋滞している時には、直進ゲートより、遠い隅の方が、行列が短いので、端に寄る。

5 枝の道からメインの道に出て右折する時、右から来る車を止めて右折させる人が必ずといっていいほどいる。信号の役目をしている。1000~2000Rp渡す。しかし、車線を渡って右折しなくても左側に侵入して暫く行ったところにUターン場所が在れば、そちらを選ぶ。その方が安全だと思うし、速いし、お金をいちいち準備しなくていい。ガソリン代はほとんど変わらない。

6 例えば5車線になっていて、前方で2車線になる時のように、扇の要に集まるような道では真ん中にいないで端の車線から斜めに真ん中へ寄って行く、直進より割り込みの方が強いからです。チカランバラットの出口が典型的、右端の列に着いて、前の車に離れず、着いて行けばいいのです。それに、端にいれば片側だけ注意すればいい、中にいれば両側を見なければならない。

 

 ディエンのヒンドゥ遺跡、チャンディ アルジュナの現在と数年前。どこか違います。

 コツ 空き 斜め

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(^_-)-☆自分で運転

2012-10-15 22:08:19 | 行きすぎ

 1369 “怖くて、とても運転なんかできないよ”という人が大部分です。中には、運転をしたくて、工業団地内のレストランへ行くときだけ、運転手を使わない人はいる。良く運転する人で、日曜日のゴルフ場、それも、近場に限る。工業団地内や日曜日なら渋滞が少ないからです。日系の会社は全部と言っていいでしょう。日本人が自分で運転することは許可しません。

私は自分で運転するリスクより運転手を使う不合理さの方が我慢が出来なかったので、16年前、赴任して半年後には運転手を使うことを拒否した。

1 乗る前に運転手と車を待たなければならない。この時間のロスは我慢がならない。2 運転手の運転技術が私の思う運転と大きな開きがある。車間距離、速度、アクセルやブレーキのタイミング、車線の選び方、などなど、違和感がある。3 車内の温度管理や風向きを運転手が私に合わすことなど不可能です。4 他の運転手と賭けごとをしながら待機しているだけで、給料、残業手当をもらえることは、一般の従業員に不公平感を持たせる。そんな運転手にお金を渡すなら、他の人を援助した方がいい。

 それ以降は会社に一筆書いて運転手を使っていない。車も会社の物ではなく、自分で買った。空港へ送ってもらう時だけ、他の人の運転手を借りることが唯一の例外です。

 

 その間、事故に遭ったことは何回かあるが、怖くなって、運転を止めようと思ったことは一度もない。走行不能になった事故は二回、バイクが車の横へぶっつかってきて、サイドミラーやドアーを破損させられたのが二回、坂道で前のトラックが下がってきてバンパーを壊されたのが一回、これらは、私に落ち度は無い。ただ一回だけ、ゴルフ場の駐車場で、駐車場所にバックで入れようとして隣の車の前部バンパーの隅に当てて、へこませたことでした。日系のある会社の社長の車でした。運転手を呼んで、名刺渡し、後日謝りに行った時には、保険で修理済みでした。勿論電話でそのことは前もって知らされていた。バリで買った木の彫刻、“オラン マル”を持っていって、その説明をした。

 

 ”ちっとも怖くない“インドネシアでの運転は日本でより、気を使わない、日本より自由である。違反で捕まる心配はほとんどしない。もし捕まっても、日本人は吹っかけられるが、それでも、その場で二三千円ほど払えば、済んでしまう。

 “なるほど、私もそう思う、だから、自分で運転しよう”と、思う日本人は誰もいないでしょう。私も他人には勧めません。

 

リッポチカランのルコタムリンの一角。これらの中にマッサージやカラオケ、レストラン、その他が何軒あるでしょうか。

気楽 解放 自由

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(^_-)-☆日系企業商品

2012-10-14 22:19:31 | インドネシア

 1368 “ガンナム スタリルではなくガンリマ スタイル”というジョークが分かる人は、ちょっと、インドネシア語ができる人かな?

 “みらい“mirai ocyaという商品名のボトル茶のコマーシャルが盛んに流され始めている。「がんばって」と平仮名で書かれた幟が何本も背景になっていて、和太鼓を叩きながら、Gambatte  Gambatteと連呼している。新発売のお茶でしょう。私は、まだ、飲んでみていない。以前にも緑茶?(tee hijau)といって売りだされたお茶が在ったが、妙に甘くなっていた。渋みのある味ではインドネシアでは売れないのではないでしょうか。この“みらい“はどうでしょうか。

 

 “Shinzui“”Masako“”Hadarabo“”Katana“”Ninjya“”Kodomo“などなど、まだまだ、沢山あります。日本語がそのまま商品名になっているのです。新しく生まれる物、消えて行ってしまうもの、色々です。しかし、次第に増えていることは確かです。それぞれ、何の商品名か分かりますか。商品と言葉が繋がらないものもあり、インドネシアに住んでいない人には分からないと思います。“Kozuii”コウズイと聞こえるがこう書いてある商品などは。まったく、商品と意味が違います。

 

 その他に、日本で売られている商品が同じ名前でそのまま売られている物は数え切れません。健康食品、スポーツドリンク、洗剤、オムツ、化粧品、生理用品、消臭剤、薬品、蚊やゴキブリ駆除剤、生活に密着した必需品は全て日系の商品です。これからも、どんどん、日本から進出して来るでしょう、日系企業同士の競争が一層熾烈になってきます。日本語がそのまま商品名になる製品もどんどん増えてくるでしょう。

 

 日系企業の商品でなくても、宣伝の中に“日本の技術を使っている”と、はっきり、言っているコマーシャルも多い。ジェパンという言葉が良く聞こえてくる。最近発売さえた、日本では病院や会社の玄関などに置いてあるような手の消毒液は、それの典型だ。

 

 インドネシアの田舎の典型的な風景、人がいますが分かりますか。

がんばって 氾濫 独占

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(^_-)-☆自動あれこれ 

2012-10-13 22:33:32 | インドネシア

1367 ここ何年間に高速道路の通行券の自動発券機が設置されるようになってきた。日本のように日時や車のナンバーの一部が印刷されているわけではない。ただ、どこのインターから入ったか分かるカードである。今まで、人が渡していた物を箱からベロっと出てくるのを引っ張り出して掴むのです。

その装置の面白いところは、券が出てくるのが遅いので、列が長くなった時には、人が出てきて、装置より10mも20mも前で券を渡す。この方法は、以前も窓口で待っていて渡していた時も、列が長くなれば、人が出てきて渡していた。内容が単純だからできる技です。

自動化されても、必ず、そのあたりに人がいなければなりません。故障で券が出てこない場合も多いし、トラック用は高い場所セダン用は低い場所と上下二か所から出てくるが、センサーが誤動作して、セダンなのに上から券がでてくる時もある。その逆の時もある。後ろから見ていると面白い。運転手は近いので気がつかない。手を伸ばして、振っている、出てこない券を催促している。担当者は常に監視しているらしくて、割合早く出てきて、券を渡している。遮断機が開かないこともしばしばである。

 遮断機ではなくて青と赤のランプで通過していいか、まだかを示しているが、券を取らないで赤の状態で通過してしまう車もある。特に列が長くなって券を遥か手前で手渡しで受け取った人はどんどん通過していいわけだが、貰っていないのに、貰った人と同じように通過してしまうのです。

 

 インドネシアでは自動というかオートというか、そういうシステムはまだなじみが少ない。自動販売機はジャカルタの空港など大きな都市の空港に設置されているが、あまり、使っている姿を見かけない。決して安くないし、同じものを売っている店がそのあたりに沢山ある。自販機は信用されていない。そして、その近所に自販機を見張っている人がいる。以前、モナスの地下の歴史博物館?にコーラの自販機が在った。その横に人が座っていた。

 車のオートマ車の普及速度が日本ほどではない。私がキジャンのオートマ車を買ったのが1998年でした。インドネシア国産オートマ車の走りでした。マニュアル車より15万円ほど高かった。今もその時と同じ価格差です。オートマ車の方が高いのです。インドネシアの人に聞くと、“故障しやすく交換部品が入りにくい“から、買いたくないという。“運転方歩が分からないから”という人もいる。1000CCそこそこの車も大部分はマニュアル車、当分、価格の設定は今と変わらないでしょう。自分が運転しないで、運転手を使う習慣もオートマ車で高い車を使う必要は無いというのが日本人の考え方でもある。

 

 洗濯機も一層で脱水までやってしまうものはまだ売りだされていないと思う。全自動ではないのです。

 

 インドネシア人は自動の物がいったん故障すれば、もう、当分使えなくなってしまうと思っている。空港の一階二階を往復するだけのエレベーター、今は直っているのでしょうか、半年以上は故障のままだったと思う。

 各地の交通信号、新設しても直ぐ故障してしまう。使えなくなって、そのままになっている物が多い。結局、警官や近所の人がいて、交通整理をして、お金を受け取っている。

 

 自動 故障 担当者

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(^_-)-☆山葵とパパヤ

2012-10-12 22:08:34 | 情報

 1366 山葵畑とクンタンゴレンの製造現場を見学する前に、サンライズを拝みに行った。04:00出発、真っ暗の中、車で15分ほど、かなり、狭くて凸凹の道を進む、一応駐車場に車を止めて、直ぐ、歩き出す。というより、登りだす。かなりの急斜面、左片側は断崖絶壁、反対側は右手で壁を触るようにして登る。普通の人では無理でしょう、と思えるような登りだ。私は四回目、今回は足元の雲海が消えず、ヲノソボの町を見下ろしことができなかった。上空に雲が全くないので、その雲からの反射光が無いため、スンドロ山は赤くならなかった。しかし、今日の景色も、一興だった。06:00下山。

その足で、クンタンゴレンを作っている場所へ行った。ディエンから11Km西の町、バトゥール。朝市の真っ最中、狭い道が一層狭くなっていて、人をかき分けるように、超ゆっくりで車を進める。

 

工場へ着いた。と言っても、大鍋が三つあるだけ、皮むきは家庭で使う、栓抜きのような形をしたもの、薄く切る道具は、鰹節削りの大きいもの、非常に台所的、こんなものかと思うが、油や塩にノウハウが在るのでしょうか。ディエンに二社在るという。

 

そのすぐ近くに山葵畑が在った。在る、日系企業がオーナーだという、かなり広い、まあまあの斜面に黒い網で覆われた一体が見える。その下に正真正銘の山葵が見事に栽培されている。葉っぱを摘まんで食べてみた。辛い。

ここで、収穫された山葵や茎や葉っぱはバトゥールの工場で洗われて、スマランの工場で、粉砕して、振り掛けや練りワサビの原料を作って、日本へ輸出するということでした。以前は、ディエンにこんな規模で商売になるの?と思うくらいの面積だったが。其方には今は無かった。今は、写真の規模の畑が他にも三カ所あると言っていた。今は、山葵の根の部分の収穫はしていない、茎や葉っぱの収穫だけ、根の収穫は、一年に一回だけだそうだが、茎や葉はその間三回収穫するそうだ。捨てる部分は全くなし。日本はどうでしょうか。

 日本の安曇野や安倍川奥や伊豆天城の清流で栽培している人達はショックを感じると思う。何も清流などはいらない。適した気候が在ればいいだけらしい。確かにここの湧き水は飲めるし、澄んでいるが、沢のように流す必要は無い、土に水分が十分なら良いので、水を掛けているだけ、雲、霧に覆われる時期が多いので、水やりはほとんどしないという。茶色に変色しないように、黒い網で覆ってあるそうだ。日本でだってこの方法で簡単にできそうなものなのに、やらないのは何か理由があるのでしょうか。

ディエンに小規模だが、ギンセン畑もあるが遠くから見ると似ている。

 これじゃ、多分日本の何十分の一の経費しか掛らないと思う。私たちが口にしている振り掛けや練りワサビの表示にインドネシア産と書いてあるのを見たことが無い。どうでしょうか。

 

 もう一つ、気になった果物がった。パパヤ ディエン チャリカである。形は一人前だが小さい、太さは5Cm長さは7Cmくらい、熟すと黄色くなるが、おいしくないし、柔らかくもならない。小さく切って砂糖汁で煮て、瓶詰めで売っている。乾燥してスライスし、砂糖をまぶしても売っている。とにかく、ディエンにしか無いらしい。ジャガイモ畑の畔道のようなところに植えられている。

 

 高原野菜なら何でも作っている、ちょっと目に付くのは、キャベツ、タマネギ、白菜、人参、日本なら八ヶ岳の麓、清里や野辺山など小海線沿線の雰囲気と似たところが在って、日本人が懐かしく思うような場所だと思う。茶畑もあった。

 残念ながら、日本人の観光客が来たという話は聞かない。商社の人が仕事で来るくらいのものらしい。交通の便が良くない。ジャカルタから飛行機を使うならジョクジャかスマランだが、そこから、車で3~4時間かかる、それも、日本人が想像できないほどの急な登り下り、急カーブの連続です。麓のヲノソボに泊まって、朝早くから出発し、一日中、私が行ってみた墓所を訪ねたらいいと思うが、どうでしょうか。行く気になる人はほとんどいないと思う。

 

 地熱発電所から水蒸気が登っている。ガルット近くのパパンダヤンとともに地熱発電の先駆的な場所である。

 

 結局、ディエン辺りにいたのは、18:00から翌日の09:00まで、その間、ホームステイでくつろいでいる以外、外で行動したのは5時間だけである。帰りは来た道とは違う。プカロンガンを目指した。この道も分かりにくい、表示が無い本当に狭い道、不安に思うが、その道しかないと信じるしかなかった。どうにか、北海岸へ出ることができた。

 

 山葵 チャリカ 中部ジャワ

http://otaenplaext.net/newpage36.html 旅行記

http://otaenplaext.net/newpage35.html 写真集

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html以前の旅行記

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0308.html以前の写真集

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(^_-)-☆ディエンDieng

2012-10-11 22:10:15 | 行動

 1365 ヒンドゥ遺跡と地熱発電と野菜の高原です。昨日、05:30に家を出て、北街道をひたすら東に進み、プカロンガン、バタンを通過、ウェレリと言う町から南下し、途中にディエンと言う看板が見えたから、左折して山に登り着いたのが、06:00でした。実は、ウェレリを通り過ぎてクンダリまで行ってしまったのです。一時間以上のロスでした。とにかく、インドネシアの道案内、道路標示は分かりにくい。と言うより、数が少なすぎる。道の途中には、この道はどこへ向かっているというのが全くない。在る程度大きな、交差点にしかない。ちょっとした分かれ道程度では標識は無い。また、標識のほとんどは、どういうわけか、大きな木の葉っぱで隠されている。半分も見えない標識が多い。私は標識が在れば、過ぎ下で車を止めて確認する。それでも、今回は曲がるべき場所にDiengとかWonosoboといった、私が目標としている場所の文字が見当たらなかった。地図を持っていっているが、これば、大まかなもので、当てにならない。

とにかく、ディエンに、もう、薄暗い大雨の中、到着した。まだ、土産物屋が空いていたヒンドゥ遺跡チャンディ アルジュナへ行った。実はここの土産物屋で買ったポテテチップスがおいしかったから、買いに来たのでした。在ったあった、試食をしたら、結構な味、ちょっと体調に買ってしまった。

 

ディエンはじゃがいもの全国生産量の50%だそうです。高原野菜の一大産地である。見渡す限りのクンタン(ジャガイモ)畑、とにかく、うねりにうねった山という山、谷という谷、すべてがジャガイモ畑、“耕してジャガイモ、天に登る”である。

 

機械化が全然されていない。その急斜面にへばり着くように多くの人が仕事をしている。ワイアーロープで簡易ロープウェーを作ろうと考えないのでしょうか、天秤棒を肩に担いで収穫したジャガイモを運んでいる人が急斜面を上り下りしている。

 

土産物屋でクンタンゴレンを買って、直ぐ傍のプスパ インダーというホームステイに泊まった。一泊、20万Rpで紅茶やコーヒーは飲み放題、食パンとバターやジャムは置いてあるので、いつでもどれだけでも食べられる。TVはインドビジョン、なんと、NHKワールドも受信できる。熱いお湯も出る。

安い、きれい、行く人にはお勧めです。その他にもちょっと道を走っただけでも、ホームステイやホテルの看板を沢山見た。以前はそういう看板は無かったが、観光に町が力を入れていることが分かる。

寒い、2000mの高地、コンビニでアンチ モスキート(ニャムック)を買おうとしたら、売っていない。蚊はいないよ、と、言われた。ホテルにエアコンは必要ない。

 

 ポテトトップス、厚い薄い塩味。昔懐かしい味がする。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0308.html

過去の旅行記と写真です。今回の記録は何日か後です。

 

今どこにいつかというと、チカランの家に戻っている。

高原 寒い ジャガイモ

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(^_-)-☆近場のゴルフ2

2012-10-10 22:11:44 | ゴルフ

 1364 カラワンはどうか、27ホールあり、コンペをするとき、不公平が生ずるような気がする。ロータス、オーキッドのコースが一番難しいと思うし、一番疲れると思う。メンバーはカートを使っても使わなくてもいいらしいが、それ以外の人は、必ずカートを使わなければならないらしい。これも、金額的にも疲れかたでも、不公平になる。もう一つ、私が思うに、カートを使ってもかなり疲れる、使っても使わなくても同じではないかと思う。カート道がコースより、5~10m高いところにある。カートから降りて、そこから下り、打ち終わってその降りた分、また昇って、カートに戻らなければならい。打つ度に下り登りを繰り返す。ばかばかしくなる。結局、コースが登りの時も、カートへ戻らない場合が多くなる。だから、メンバーは歩く人が多い。ビジター、ゲストはカートを使うのがばかばかしくても使わなければならない。変だと思う。

クラブハウスの改修中、いつまで,改修中なのでしょうか。レストラン、ロッカー、シャワーなどの設備がテンポラリーなので、状態が良くない。終わっての食事は、スダナの方へ行く人が多い。

とにかく、日本人の会員が多い。ここの会員の人は、他ではほとんどやらない。費用が違いすぎるからです。

 

 私のホームコース、ジャバベカはどうか、気になるのは、プレー費が一番高い、メンバーは25万Rpだが、ゲストはどうでしょうか、はっきりとは知らないが、150万Rp位するのではないでしょうか、会員以外の人を誘いにくい。他のコースのメンバーの人はここでコンペをするなら参加しないと言う人も多い。コンペの人数によっては割引も聞くが、100万Rp以下にならない。メンバーではない人は、平日に、仕事と称してやるようです。平日のプレー人数は四コースの中で一番多いのではないでしょうか。

 コースの状態は、一番いと思う、上り下りは少ないし、グリーンから、次のティグラウンドまでの移動が少ない。土、日曜日はカートを義務ずけられているので、進行も早い。バンカー、グリーンの様子は癖が無いと思う。コースの横に水が多く、曲げる人は、ボールを失くす確率が高い。

 レストラン、味はまあまあだが、値段が高い。コンペ以外の人は、リッポチカランへ行って食事をする人が多い。

 メンバーの私としては、このコースが一番疲れなくて良いと思う。

 

今どこにいるかというと、ディエン(Dieng)にいる。何しに来たかと言うと、ポテトチップスを買いに来た。何と、乾季どころか豪雨だった。寒くて仕方が無い。

 登り 下り 平坦

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(^_-)-☆近場のゴルフ

2012-10-09 22:16:44 | 行きすぎ

 1363 ジャカルターチカンペック高速道路沿いに四カ所ゴルフ場がある。チカランバラットからジャバベカ、カラワンバラットからスダナとカラワン、ブキットインダーからチカンペックである。

 素人の私がそれぞれのゴルフ場から受けた印象を書いてみる。そんなことは無いと思われるかもしれませんが、私の印象ですから。

一番遠い、チカンペックから、始めてゆく時には分かりにくい場所です。ブキットインダーのインターを出て、直ぐ突きあたりで、右折します。ブキットインダー工業団地とは逆の方向です。直ぐに、造成中の工業地帯が在り、日系企業の工場建設もしています。それを右に見て、1Kmくらい行くと右側にププク クジャンの工業団地の入口です。そこがゴルフ場への入口です。ゴルフ場の看板はありません。守衛から目的を聞かれます。工業団地の中を真っすぐ進んで突き当りを左折、100mくらいのところが右にゆっくりカーブをしている。そのカーブを曲がる手前で真っすぐ前を見ると小道が在り、そこに小さい看板が在り、肥料屋のゴルフ場と書いてあります。バッグを渡して駐車場へ行き、ロビーへ入ります。土日は20万Rp,平日は8万Rp、キャディーは男だけ、完全歩きです。ティグランドが砲台になっていて、グリーンも砲台で4カ所の中で一番狭い。コースはひたすら登る印象だ、グリーンから必ず下って次のティグランドへ行く時は登る、ティショットを終わるとまた下る、そして、コースをひたすら登る、グリーンに遠くから転がしてオンはできない。パーオンをさせるには、高い球で止めることができる人でないと難しい。とにかく疲れるコースです。安上がりでダイエットをしたい人向きです。アウトは特にボールを失くす心配は在りません。水も無いし、うっそうとした林もありません。インはちょっと、水も林もあるので、曲げる人は失くしやすいでしょう。

 グリーンの様子もバンカーの様子も普通です。初心者が練習するには良い場所だと思う。特に若い人向きでしょう。コンペを開催しにくい。打ち上げをする場所はどうしようかということになりそう。

 

 スダナはどうか、場所は分かりやすい。高速を降りて右へ曲がり、遠くないが、ポリシティドゥールが多いので、車を運転する人は気を使う。

カートでボールの傍まで行けるのがいい。ただし、雨の後など下が緩い時には禁止になる。カートを使っても使わなくてもいい。しかし、歩きでは登りが多いし、コース間の移動が遠いので、大変だと思う。

コースの途中に小川があるコースが多い、二打目で超える飛距離の人は問題ないが、人によっては、いちいち、手前で止めなければならない。

一目の印象でバンカーが多い。フェアウェーバンカーは問題ないが、ガードバンカーの状態が私に合わない。回りの50Cmほど斜めになっている部分に柔らかい砂をかき集めて在るのでそれ以外の大部分の平らな場所は、固い土になっていて、ボールを砂と一緒に上げることができない。どうしてもトップしてしまう。出してもグリーンを遥かにオーバーしてしまう確率が高い。

グリーンは酷いうねりは無いが早い、最初、寄せの距離感を修正しなければならなくなる。受けのグリーンが多いと思う。直接カップを狙うにはバンカー越えが多くなるが、とにかくオンをさせればいいのなら、転がせての乗せやすいと思う。

コンペを開きやすい。打ち上げも、中でもいいし、近くの何カ所かの日本食レストランを使うのもいいと思う。

宿泊施設も拡充したし、現在、在る会社の寮(メス)を建設中、この辺り、もっとにぎやかになるでしょう。

 

一番からクラブハウスを振り返る。

 

在る会社の寮を建設中。

歩き カート 体力

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(^_-)-☆醜い日本人

2012-10-08 20:27:13 | 人間

 1362 自分で会社を興してから、20何年間、色々な人と出会ってきたが、付き合う人々は社長として見るので、取引関係、雇用関係や上下関係、損得関係ははっきりしていた。だから、だれも私に対して文句を言ったり、怒鳴ったりしなかった。そういう経験が私にはないのです。だから、インドネシアで始めて、53歳にして、怒鳴られるということを経験した。大変ショックだった。怒られると、この人、頭がおかしいいんじゃないのと思う。怒られて、なるほどと思ったことは一度もない。
 事実、どう見ても、私のほうが能力は上だし、結果も私のほうが出しているし、第三者からの評価も私のほうが上である。しかし、冷静さを欠いて私を叱る。自分は何様と思っているのでしょうか。総じて、インドネシアで同じ会社で出会った人は怒りっぽい。私より若い人からも怒鳴られた。これには本当に参ってしまった。言って聞かせてやろうと思っても本人冷静さを欠いているし、私の言うことを彼らの能力では理解できないのだから仕方が無い。私に仕事や技術についての知識は全くお持ちでない。本当に参ってしまった。こちらが冷静に受け答えをすると、なお、頭にくるらしい。 

そういう人は私より会社では責任ある立場だし、私が命令や指図(日本へ返すとか、他の人と変えるとか)出来ない立場だし、かといって、直ぐ逃げ出すわけにも行かないので、なお弱ってしまう。
 オタンウータンはインドネシア語で”森の人”ですが、96年からインドネシアで仕事を始めて、出会った人々は私にとって初体験の変わった人が多かった。これが一般社会の普通の人たちかもしれないが、私にとっては、オラヌータンに会うように新鮮だったし、ショックだった。これほど、人間はいろいろな種類があるのかと。余りにも世間知らずだった。
 新任の社長さん、私より10歳若い、どう見ても、動きが悪い、物覚えも悪い、その上、白を黒と言って、インドネシア人を怒鳴りつける。そういう人が、“私と一緒にやりましょうよ”と、上から目線で、いってきた時は、まったく返事にこもってしまった。“良くいいうよ”この人、私と一緒にやれる何も持っていないのに、この発言の裏付けは何だろうと考え込んでしまう。 この人はその後、私の仕事の足を引っ張ることしかしなかった。黙って見ていてくれれば、成果が上がって、その人の手柄になるのだが、そういうことは、自分の立場を悪くするという被害意識を持ってしまうのです。私をうまく使うという人間的容量が無いのです。私が育てている人間を他の部門に異動させてしまった。やはり育てていたQCの担当者を、母親の病気の為に休暇を取って故郷へ一週間ほど帰って、会社を休んでいた。その時に私が日本へ仕事でいっていて、インドネシアにいなかった。インドネシアへ戻ったら、目を掛けていた、その担当者が止めさせられていた。私に何の断りも報告もなかった。それらはほんの一例である。

 

 最近、ゴルフ場で日本人の酔っ払いが、ゴルフ場の人間に暴力を振るって、怪我をさせた。泥酔状態だったと言うが、それで、情状酌量されるものではない。酔っ払っていなくても、暴力をふるう日本人はいる。だから、本当に泥酔だったかどうかも疑わしい。暴力や暴言は恥ずかしいことです。みっともない、日本人の恥だと思う。

 今日の記事とは無関係。昨日の文章と関係あり。

醜い ソンボン 旧日本軍

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(^_-)-☆これからも

2012-10-07 22:14:38 | 人間

 1361 これからもよろしく!!成り行きで間に入ってしまった会社が、知識でも技術でも何ら役割を果たすことができなかった。何年かその状態が続いたが、話し合いで抜けてもらうことにした。直接、取引が徐々に増えていった。利益は充分に上げさせてもらった。それ以上にその会社にもっと多くの利益を与えていた。当時、Kg600円~1000円する原料で製品を作り、三倍の1800~3000円で納めていた。利益は三分の一を超えていたので,一カ月3トン分納品すれば、百八十万~三百万円の利益があった。その会社は原料価格に十倍で売っていた。諸経費を引いても、五百万円くらいの利益を上げていたようだ。今もその製品は同じ客先に納められている。それを知ったら、腰を抜かすほどの話だと思う。それぞれの売値は半減して利益も半減しているが、それでも、充分、満足な仕事として継続している。ただし、その会社の兵隊さん、いちゃもんを付けては、たびたび、私の会社の現場に乗り込んできて、いつの間にやら、そっくりの方法で、社内で生産を始めてしまっていた。だから、その会社の一部の建物の小物製品生産工場は、私の会社の装置とそっくりである。

半年ばかり、その方の要望で顧問として、通ったことがある。良くここまでまねたなと思うほどの装置が自分達の技術と思い込んでいる若者作業者によって、運転されていた。

その他にも、私の会社で手掛けた製品ではないが、その会社の技術開発担当者がしばしば私に相談に来た。今は現役を引退したり亡くなってしまったりした人たちだが、その人の腹心の部下として、創業以来会社に貢献してきた人たちでした。海外の工場も彼らが前線で恰好を付けたのでした。その活躍ぶりを知っているし、同世代なのだし、技術屋なので、話があった。彼らの問い合わせや確認には親身になって答えた。私が指示した通りに装置を作ってトライをし、その結果について、検討し、再度、改良装置でトライ、それを繰り返して、ついに製品化に成功した製品が幾つかある。いわば、共同開発だが、それは、彼らだけの力でやったことになっている。そういう製造工程も数ラインある。

 

そういうことは、その人知っていて、色々世話になっているなと、何回か言われたことがある。

そういう人達がいなくなってしまって、創業当時の貴重な経験、経過を知る人はいなくってしまった。本人一人が年齢も飛びぬけて高くなってしまった。それでも、会長として、孤軍奮闘、側面から見ていて、もう、そろそろ、気楽になったら?と思うことがあった。私が言うのはおこまがしいが、実際に、そう言ってあげたこともあった。取り巻きに言ってやる人はいないからだ。

かくして、テレビドラマでしか見たことが無いような、クーデターが起きてしまった。直属の部下たちも反対しなかったし、そんなことなら、私も身を引くとは言わなかった。

 

私がインドネシアへ来てしまってからも、日本へ帰るたびにゴルフに誘われて、やっている。今もそれは継続している、この年末、年始にも何回かご一緒することになるでしょう。今までずっと、家庭を振り返らなかったので、今後はゆっくり奥さんと旅にでも出てほしい。多分、そのお手伝いをすることになるでしょう。どっちかが死ぬまでよろしくと言うところでしょう。

 

 最近現れた焼き芋屋、蜂蜜のように甘いさつま芋と言う意味です・値段は1Kg一万Rp、約、80円です。

 

 年末のオープンと書いてある工事中のホテル、ズリ エクスプレスと書いてあります。マクドナルドの裏、ファーマーズマーケットの右横。リップチカランの現在のホテルの合計部屋数の倍くらいの部屋数が在りそうだ。

 

長生き 息抜き 回顧

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(^_-)-☆お世話になった

2012-10-06 22:07:00 | 人間

 1360 雨季になりそうな黒い雲が現れるようになってきた。時折、昼間でも小雨がぱらつくようになった。

 

今朝、会社概要などが更新された。完全にトップ交代を公表したことになる。発表責任者もファンドからの人間だ。悲哀を感じる。

何故、ジャスダックの上場を止めてしまって、ファンドと手を結ぶことにしたのか、資金調達の早道か安全か、狙いは何だったんだろう。結局、それが、命取りになってしまった。牛耳られてしまった。腹心だと思っていた部下たちも長いものに巻かれるしかなかった。そうしなければ、自分が路頭に迷うのだから。

従業員とその家族、関連下請けを含めれば、恐らく一万人以上の生活に責任があると心配してきた。それが、社外に発している方針とは別の経営の基本方針だと、常日頃言ってきた。それが、私の誇りだと言ってきた、その人が、こんなことになってしまったのだから、残念でならない。

 

1981年倒産した会社の後を引き継ぎ、新日鉄化学などの支援を受けて、創業社長になった。倒産した会社の組合とかなり厳しいきわどい交渉をし、何とか、障害を無くして専業に集中できるようにした。

押出部門はもともと地道な利益を上げていたし、その部門の直属の部下たちは、私と同世代の人達で、皆さん、優秀だった。倒産した会社の時からその人たちを知っていた。大学の後輩もいた。その他、国立大学の工学部を卒業した連中が多かった。

私が独立したのが、1973年ごろ、静岡へ本社を移したのが1982年でした。その直後から、手違いがあって、間接的な取引が始まった。断面が小さい、塩ビ以外の製品の孫請けになった。30年以上前からの手伝いです。V0のPP丸棒3φ、5φで長さが50mmから2000mmまで、数ミリ刻みの種類があった。耐熱難燃N6黒のスパイラルチューブ、5φで肉厚は0.5mmでした。それも、長さが50mmから1000mmまであって、1mm刻みの種類があった・長さの公差が±2mmだから、1mm刻みの規格は変じゃないのと言っても、いうことを聞かない。

その他にも縦割れチューブやのノ字チューブでも原料がN6やPCでこなした。その成型技術を持っていなかったというより、自社に挑戦する迫力がある人材がいなかったので、私のことは、直ぐに、その創業社長に伝わった。それ以降は、何かと、お呼びがかかった、何とか工業会などは、私は出席したくなかったが、引っ張り出された。

 

ジャボンという木です。紙になります。

 

構想道路わきの枯れ草が燃えあがっています。多分、誰かがわざと火を付けたのだと思う。高速道路の両脇には焼いた跡が連続している。

反乱 クーデター 出張中

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(^_-)-☆派遣、契約社員

2012-10-05 22:13:32 | 行きすぎ

 1359 例の辞任の件、公表されたようですね。

9月21日決定、26日社内公表そして10月3日ネットで公表した。たった一行、冷たい感じがする。

労働組合が大きな問題の一つとしてアウトソーシング システムの解消を訴えている。私は、それらの気持ちは十分わかる。私が、インドネシアの労働者なら、先頭に立って、そのシステムの解消運動に参加するでしょう。

アウトソーシングとは一般的に人材派遣業者と人材紹介会社を利用することだと思う。

前者はその業者に雇用された状態で、各会社に派遣をする。例えば警備会社、仕事の内容範囲、給料、保険、退職金などは業者と会社の契約で、派遣された人達が実際に給料や残業などでどういう待遇になっているかは関知しない。要するに、契約の金額を払えば、本人に対して会社は何も責任を負わない。給料は派遣会社から振り込まれる。ただし、派遣された人の仕事ぶりに不満があれば、交換してもらうと言うことは、業者との契約内容に含まれている。運転手も派遣会社を使う会社が多い。専門職と言われる職種で派遣会社を使う会社が多いが、中には、一般職で誰でも出来るような仕事が急に忙しくなって、一週間とか一カ月などの短期間で使う会社もある。彼らの手取り給料が幾らかは会社は関知しない。

後者は手作業の担い手の採用をしたい会社に人材を紹介する会社です。人数は何人でも構わない、採用したい人数に+αを紹介してもらい、面接やテストをして採用し、採用した人数分の礼金を払う。採用された人達は先ずコンタクトといって、会社との契約社員になる、期間はばらばら、半年もあれば一年もある、もっと短いのもある、それは、本人と会社の契約です。契約社員になるということです。どういうわけか知らないが、契約は三回まで延長できる、それ以降は止めてもらうか、正規社員にするか会社が判断する。おおくの会社は止めてもらって、新たに契約社員を採用する。三分の一ずつ毎年契約社員を定期的に新しく採用するシステムを取っている会社が多い。ところが、仕事ができる人に関しては、例えば、一年毎の契約の人は、三年後に一旦止めてもらって、一ヶ月後にまた、契約社員として採用する会社もある。許されるのかどうかは知らない。本人は、本当は正社員にしてもらいたいが、仕事がなくなってしまうよりましだし、給料も最低より若干上乗せしてもらえるので、勤め続けることを優先する。

いずれの方法でも労働者は業者に登録料や謝礼金を払わなければならないし、派遣社員は、毎月、何%かをピンはねされていることになる。登録料は採用されなくても変換はされない。

地元系もあれば日系もある、その他の外国系もある。それぞれに紹介料も使用料も違う。使う側は、比較して使うことになる。自分で募集活動をしなくても良いので、結構、利用会社は多い。正社員の比率をできるだけ少なくしようと思うのは当たり前で、現場の作業者は上から下まで全員、契約社員か派遣社員という会社も珍しくない。

なぜ、正社員の人数をできるだけ少なくしようとするのでしょうか。一番の問題は退職金制度と時間外労働手当制度が労働者にとって優遇され過ぎていることです。これらの労働基準法が変わらなければ、この傾向は変わらないでしょう。余談だが、正規社員に有利な条件を知らないまま、新規に進出した会社で、運転手も警備員も経理や人事の人達と同じように最初から、正規採用してしまった会社は、後悔していてが、もうどうにもならない。カラオケやゴルフ場で運転手は博打をしながら待っているだけで、時間外手当がどんどん加算される。それが、何百%だから。笑いが止まらない。

 

労働省も簡単に派遣会社や人材紹介会社を禁止することはできないでしょう。日本のように職安という、人材紹介の職業紹介のための成熟した公的機関が無いのだから。

 

対向車線を逆走するバイクデモ隊

 

昨日の名残、ここの何千人も集まった。ゴミの山が散在していた。

 

何の花?http://otaenplaext.net/newpage0.html

 

派遣 紹介 斡旋

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(^_-)-☆荒れた労働者

2012-10-04 22:04:45 | 行きすぎ

 1358 Buruh Mogok労働者が故障したのではなく、デモやストライキのことです。そういうタイトルで、放送されていた。昨日から、この前のデモの様子からして、相当、コントロールが効かない、羽目を外した行動がとられるのを予想して、会社は休みにしなくても日本人や韓国人は出社しない人が多かった。それは、賢明な判断だったと思う。私も会社ではなくゴルフ場に、06:00過ぎに向かった。EJIPの入口の突き当たりの交差点にはテレビ局の中継車が既に待機して、中継の準備をしていた。嵐の前の静けさだったようだ。

 

朝早かったが、従業員出勤バスは、早めに会社へ着かせるために、早めに迎えに行ったのでしょう。既に工業団地に向かう方向は渋滞をしていた。ジャバベカ工業団地方面は出勤者が少ない。休みにした会社が多かったと後で聞いた。賢明である。

ゴルフ場へ着くと、平日にもかかわらず、駐車場の車の数は土曜日曜並みに多かった。そして、受付カウンターの前には平日で一人しかいない受付女性の前で長い列ができていた。そして、皆さん、ちゃんとブッキングしているのです。突然の休みではなく。以前から今日は出勤しないと決めてあったのです。

 

ゴルフをしている最中にも、各会社の従業員から情報が入ってきていた。結論から言うと、MM2100もEJIPも事務局が従業員がデモに参加しないように出勤させて工場内から出ないようしようとしたが、それが裏目に出たようです。休みにしてしまって自宅待機を命じていれば、参加する、あるいは参加させられる人数は、少なかったと思うが、各会社に出勤してきているのですから、デモ隊の思うつぼになってしまった。デモ隊は、会社の門前で大騒ぎをして、中には門を壊された会社もあるほどで、強制的に男性社員はデモに合流させた。今から会社の仕事は止めて男はデモに合流する。女性は返す、という連絡を受けた日本人は多かったともう。

女性は、門の外に出された。多くの会社の従業員はデモに参加しなければならなくなってしまった。かくて、バイクに乗った若者が、工業団地内外を我が物顔で乗りまわした。FJIPの入口には、5000人とも6000人ともいわれるバイクと人が集まったという。

チカランバラットの高速の入口は警察が封鎖して、デモ隊が高速道路に侵入しないように警戒していた。チビトゥンもそのようだったらしい。高速を使いたい人は、解除になる18:00ごろまで両ゲートは使えなかった。デルタマスから入った人は、問題なかったようです。

 

私はどうしたか、何が起こるか分からないが、とにかく、家の方向(EJIPと同じ)に向かった、先ず、ジャバベカ2の中を通過した。マテル(テディベアーで有名)は休業、そのあたりの会社全てが休業、だから、セキュリティーが閉ざされた門扉の内側で外を警戒しているだけで、道は普段より空いていた。メイン道路に出て左折し、高速の入口方面に向かった。何事もない、日曜日のように空いていた。異変を感じたのが、カリマランの川を渡ったころからでした。対向車線勿論、こちらの道の中央寄り車線も対向車がハザードランプを点滅しながらやってくる。これは、前方で閉鎖されていてUターンしてきた車だなと思った。前の車はそのまま前進しているので、行き着くところまで行こうとそのまま南下した。何事もなかった、さっきのUターン車はなぜだったのだろうかと首を傾げながら、私はずっと順調、高速の入口前を通過した。

 

記念に写真を撮った。高速の上を越えて降りた時にいきなり右側の高速道路ジャカルタ方面だけの入口方向からバイクデモの大集団がやって来た。

 

初遭遇である。しかし、対向車線なので私の方は順調そのもの、その対向車線を私と同じ方向、EJIP方面にバイクデモ隊が逆走大行進を始めた。私の車と中央分離帯を挟んで並走して行った。間もなく、その並走とは別れて、私の家の方に入った。無事に何事もなく、ちょっと、物足りない感じで家に着いた。

 

工業団地と言う工業団地は、大小に限らず、デモ隊が威嚇行進をしたようです。そして、仕事をしている会社は軒並み、仕事を辞めさせられて、男はデモに引きずり出されたらしい。その点、ジャバベカ工業団地は、休業させたのが正解だったようです。ゴルフを一緒にやった人の中にも、会社は休みにして土曜日出勤にしたと言う人がいた。それらは中小の会社だが、バイクの集団が何回か前を通過したが、何事も起きていないという、報告が入っていたようです。

 

前回のデモから学んだことは高速道路に侵入させないことでした。それは、成功した。しかし、今回の問題点は、従業員を出勤させたことで、逆にデモ隊の人数が膨れ上がったことでした。そして、デモに参加したくなかった人も参加させられてしまったことでした。

デモ アウトソーシング ベースアップ

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(^_-)-☆知恵の使い方

2012-10-03 22:12:05 | インドネシア

 1357 皆さんの努力は涙ぐましいものがある。

聞きたくないが、バソやサテアヤム、サテカンビンなどに、ネズミや犬の肉が混ぜられている。貴方が食べたサテのくしに刺さっている幾つかの肉の内の一つはネズミかもしれないですよ。焼いてあるから、心配はありません。そこまでしなくてもいいのにと思うが、事実です。流石に、これには警察も関与していないと思う。

 

 小学校の塀の外で売られている水飴やアイスクリームや駄菓子類全てに人工甘味料や着色剤が使われている。それらのほとんどが、保健省や産業省から承認されていない物です。時々、抜き打ち検査をするが、やはり、承認されていない、発がん物質が含まれている物質が使われている。テレビで隠しカメラ(camera sembunyi)や声を変えたインタビューで放送されるが、皆さん、気にしているのでしょうか。相変わらず、学校の近所を通ると、子供たちがカキリマに群がっている。先生も何も言わない。

 

日焼け防止 化粧品、口紅など女性が肌に塗る類の物全てがやはり、不純物が混ぜられているか、空の容器に似たような粘度の物質を新たに充填して売る。肌が荒れてしまった女性からのインタビューや製造元の人間へのインタビューが声を変えて流される。

 

 最近、コマーシャルで目立っているのが、日本人なら、だれでも、商品名で、日系の物だと分かる、シャンプー、石鹸、洗剤の偽物を作るのは、簡単でしょう。作ろうと思えば私にもできる。50年前、学生時代に何種類か作ったことがある。インドネシアで今、一番人気の石鹸、私も使っているが、これとても、田舎へ行けば本物は少ない、と、インタビューに答えている人がいる。

 

 車もバイクのエンジンを使った地を這うような四輪車や三輪車が公道を平気で走っている。偶に、そういう車の愛好者が大会をやっている。集団で、何十台も道を占領することがある。パンガンダランへ大集合と言う、催しがあった時には数百台がインドネシア各地から集合した。途中に動かなくなった車が何台も放置して在った。集まって、何をするでもなく、それぞれの車を眺めたり、技術の交換をしたりするのです。勿論、車検証は無いし、ナンバーもない。それでも、警察につかまっているのを見たことが無い。

 

 円柱形やロケットのような形をしたヤシの実からできる砂糖、茶色で沖縄の黒糖とは一味違った甘さで、健康にも良さそう。しかし、これにも色々な物が混ぜられていて、純粋な物は少ないという。サトウキビからの当たり前の砂糖を混ぜるなどは当たり前らしい。田舎へ行くと大鍋でヤシの実からとれた果汁をかき混ぜながら煮詰めている。次第に粘度が増してくる、その途中で、何やら、瓶から化学物質を何CCか鍋の中に混ぜる。甘さを増すのと、早く、固まらせる効果があると言う。一種のノウハウでしょうか。テレビでは発がん物質だと解説していた。

 

 こそくな手段でも多くのインドネシア人は少しでも安く提供し、自分は儲けようとする。他に知恵の使い道は無いのでしょうか。

 誤魔化し 自分だけ コソク

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(^_-)-☆生きる工夫

2012-10-02 22:27:01 | インドネシア

 1356 善意?奉仕?色々な物の入れ替え少量販売で、できるだけ公平にばら撒く業者が生まれる。

インドネシア全土的に水不足、特に地下水を汲みにくい山間部の小川は枯れている。飲料水の不足は深刻である。大手の飲料水メーカーはそのような山地、僻地までサービスが行き届かない。そこで、ボトルの飲料水を供給する業者が必要になる。大きなガロンボトルから小さな600mlなどに移して小売りする。

もっとも、これとは別に都市部で、大手飲料水メーカーの空のガロンボトルに普通の水を入れてキャップは同じものを作って封をして売っている業者がある。これは、とっちめなければならない。

 先日、LPGガスの入れ替え販売業者が摘発された。3KgLPGシリンダー(ボンベ)が灯油不足と多額の援助を消すために、LPG3Kgを、例外はあるが全国的に普及させた。それは成功したが、その後のガスの入れかえが間に合わないことと、周辺諸国の事情でLPGも価格が高騰した。そこで、12Kgや40Kgの大型ボンベから3Kgに移し替えて売った。若干高くても、無くては商売にならない人種が多い。当然、購入するし、その業者も儲かる。一種の社会奉仕のつもりでやっている。確信犯だが、ガスの取り扱いだから、当然、免許とか資格とか認可が必要だろうが、それは、タンパである。

 

 水ガスがそうなら、ガソリンや軽油は昔からの話で、今どうのこうのではない。自然発火の可能性がある揮発性可燃物の取り扱い、販売だから、当然、大量保管したり売ったりするのは法律違反だと思うが、インドネシアは問題ない。4500Rpga6000~10000Rp/Lで売っている。地方へ行けば、ガソリンスタンドの向かい側に1Lボトルに詰め替える作業場あり、200Lドラム缶から、10Lや20Lのポリエチレンタンクに移し替える作業もしている。その様子を警官が見守っている。何のために警官がいるのか分からない。写真撮影をされないように回りを見回しているように見える。

 

 と、この、ガソリンもそうだが、水もLPGも警察が関与しているのは間違いない。昨日書いた色々、書類も警察が関与している。とにかく、うまみのあるような仕事、業界には、必ず、役所も警察も係わっている。皆さん、持ちつ持たれつの関係である。偶に、どこでどう間違えたのか、摘発されたというニュースが流される。そこだけの話で終わってしまう。事件の拡大はしない。

 

 チャガールアラムのジャングルへ入る前の緩衝地帯、昔はここを通る侵入者を監視していたが、今はガイドと一緒なら自由に通過できる。左端にジャングルへ向かう道がかすかに見える。右側に鹿がいる。

 

 二十分くらい急な登りの後、平らなちょっと開けた場所に出る。そこに石の椅子がある、私の休憩用指定席です。

 

 乾季で日に焼けたラフレシアの蕾、二週間後位に咲くでしょう。しかし、日に焼け方が酷いので、咲いたと同時に黒くなり始めるでしょう。

 詰め替え 小売 社会善

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