南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ただひたすら寒

2010-12-31 22:41:03 | 喜び

    06:30まだ日の出前にいえから出て、菊川インターからホロンゴルフへ向かった。忘年会ゴルフである。クラブハウスまでの導入道路が三月なら満開の桜吹雪を通過するのだが、枝だけの空間だらけの殺風景な道を通過して行く。

 今月、22日にインドネシアで話をしたばかりの方で、とにかく、大変な勢いの方です。インドネシアで一緒の時はそんなことはないが、日本では、ゴルフで “いきます、キャヂューさんいきます”と大声で、打つ前に叫んでくれる。ちょっと、普段の雰囲気と違って大変面白い。この会社へは、インドネシアで影から日向から、技術的な手伝いは続ける。出入り自由のお墨付きを貰ったので、来年、一年間は、手伝いをすることを約束させられた。ボランティアである。

 

 日本の場合は、前半後半続けてプレーをすることは殆ど無い。11:00頃でも、昼食休憩ということで、一時間ほど、後半までの時間を開けられる。その食事の時に、22日に話したことの再確認したが、今回は、行き違いは無かった。2012年1月から、その方の会社の開発部門の責任者になる、それまでの一年半は、私の自由にさせていただく、ただし、この会社のインドネシア工場の側面的援助をする。顧問でも、相談役でもなってくれればいいと言って頂いたが、そんな必要はない、無くても、インドネシア工場から、私の方に色々な相談は入ってくる。インドネシア人スタッフ、技術者は当然、何かあれば私に相談や報告はしてくる。そのことについて、日本人スタッフにも私から報告をする。知っていてもらわなければならない。

 ホロンゴルフ場

 確認、  楽しい、 リラックス

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(^_-)-☆一日のんびり

2010-12-30 23:15:34 | 喜び

   斜めからインドネシアを眺める 833

日本へ戻って、始めて一日のんびり、休養日だったが、ちょっと外出してゴルフシューズを買ってきた。これも高い、インドネシアで使っているのはベトナムメイドのナイキをフランクフルトで買った。ユーロ安もあって、5000円(税込)位だったと記憶している。その時のブログを確認すればはっきりするがそれなしていない。今回日本で買ったのはチャイナメイドのアディダス1万円(税込)でした。是が一番安かった。平均では1.5万円、最高は2.2万円というのが在った。チェックしたわけではないが、日本製を見つけるのは難しいだろうし、であったとしても、最高値より高いでしょうね、きっと。

 

色々、紆余曲折あったが、製造の仕事ではなく、人事、総務の責任者というか、参謀役を一年契約でやることにした。憧れの作戦参謀役である。まだ現地大将にはお目に掛っていないが、本社の社長からのお墨付きを受け取ったと同じことなので、経理や営業などにも口出しして先導をしようと思う。

 射出の小型精密成形の会社だが、決まった会社の仕事を引き受けることになっているらしい。この会社では押出成形には絶対、手を出さない。というのも、今、書けないが、大きな理由がある。

インドネシアの押出成形については、私がインドネシアにいることに意味がある。

 それと、私の仕事はインドネシア人に殆どの事務的な仕事は任せることが出来るようにすることです。成形担当のマネージャーはこの会社の本社から赴任することになっているので、彼も、インドネシア人に製造を任せることが出来るよう、そういう考えで指導するように導こうと思っている。射出だからそう難しくないはずである。

 

家の回りをブラブラ散歩してみた。サザンカ、サザンカ咲いた道、サザンカの垣根、我が家を囲っている冬の色彩、隠居場所としては雰囲気極上だと思う。が、いつになることやら、動けなくなってからの話です。金柑や花梨、ゆずも、なっている。

今日から年末休暇に入った会社が多いと思う。私のフォト アルバムでインドネシアの旅をしたつもりになれるかもしれません。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

 自宅、 参謀、 人材

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(^_-)-☆病院、インドネシア料理

2010-12-29 22:06:22 | 状況

   ガソリン価格はリッター135円位になっている。びっくりするくらい高く感じる。インドネシアは4500Rp(約40円)日本に比べれば唯みたいに感じる。大変ですね日本は、軽油の価格もしかりなので、運送費用も高くなる。全ての商品が高くなるということに繋がる。なのに、デフレ?

 

是も勿論一年ぶり、静岡県立総合病院、総合診療科の袴田医に会ってきた。パニック障害が一夜にして治ってしまったのは、2006年6月に突然症状がいろいろ出てその三カ月後でした。総合診療医にたどり着いたから治った。それまで総合診療科という科があることも知らなかったし、勿論、その意味も知らなかった。

色々な症状を聞きだし、病名を特定する科であり医師です。先日、インドネシアのNHKで総合診療科の若い医師三人がある女性の色々な症状から病名を当てる番組を見た。ベテラン医師がさまざまなアドバイスをしていたので、その、ベテラン医師は、当然、病名を特定できているわけで、そういう、医者を紹介する番組であり、若い医師に、病名を特定するための道筋のヒントを与える番組で、素晴らしいと思った。

分けの分からない複合的症状がでて、それぞれの専門科で検査しても、異常ないと言われている、そして、症状の原因と病名をはっきりさせてもらえない人、また、病名を特定されて、薬を処方され飲んだり、治療を進めたりしても、一向に改善しない人は、総合診療科へ行って相談することをお勧めしまう。専門家医師が、総合診療科へ行った方が良いですよ、と紹介することは殆ど無いと思います。ぜひ、総合診療科を覚えておいた方が良いですよ。

 今日も、パニック障害の薬は処方してもらったが、ついでなので、二時間くらいで尿を我慢できなくなる。と言ったら、前立腺肥大の可能性がるから、血液検査とエコーで膀胱をチェックしましょう、ということになった。前立腺肥大は微小、血液は異常なし、エコーで膀胱の内側に出っ張りが写っていて、腫瘍の疑いありの所見が書かれていたので、今度は尿検査をした。血液に混じりはなく、これも、問題なしという結果が出た。ただ、それで一安心だが、頻尿についての原因ははっきりしなかった。試しに五つある頻尿解消の薬の内、一つを試しに二週間飲むことにした。効く可能性20%だそうで、一般的には時間があれば、五種類を試して行けば必ず頻尿を無くす薬に当たると言っていたが、私は一種類しか日本では試すことが出来ない。他の四種類はインドネシアで試すしかない。

なんとなく、何がなんか分からないが、今年の荷物を一旦下ろすことが出来たような気がした。

 

 静岡県立大学の大学院学生のヤント君と会って、インドネシアからの食料品などの土産を渡した。彼は既に7年近く日本で勉強をしているが、勉強だけでなく、インドネシアと静岡県の間で色々な世話役をしているし、インドネシア人のリーダーになっている。私が彼の保証人を6年していたことはひそかな自己満足になっている。静岡の駅ビルにインドネシア料理店が開店したというので、“東京ナシゴレン”という名前の店でした。料理人はスマランからのインドネシア人、カンクンの味付けはインドネシア内と同じだった。メニューにビーフンゴレンはあったが、ミーゴレンは無かった。どうしてでしょうか。高い、インドネシア人は自分で払って食べることはできないでしょう。

ヤント君は二月から一年間中国へ留学することになっている。世話役の後継者についてと彼の結婚について親のように話をした。

ナシゴレン、 異常なし、 久しぶり

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(^_-)-☆興味深い話

2010-12-28 22:26:05 | 矛盾

   ホテルの中の乾燥もそうだが、寒い以外に乾燥には参った。部屋に加湿器が備えてあるが、それでも乾燥している。一歩、部屋から出れば、たちまち、乾燥空気と寒さで口の回りが空からになってしまう。

インドネシアで仕事をしていて一年ぶりに日本へ帰ってきている自分がこんなことに遭遇するとは、世の中、何があるか分からないものだ。

上田のプラットホームの椅子の上に、この場所は鳩の糞が落ちてくるので注意と書いてあった。それには気が付いて、あ、この椅子の辺りは注意しようと納得して上を見たら、電線を這わせている金網の棚がホーム全長に吊り下げてあった。そのあたりに鳩の糞が引っ掛かっていた。

その場から離れて、別の場所に立って新幹線が入るのを待っていたら、掃除のおばさんがにこにこしながら近づいてきて、“お客さん、そこは鳩の糞が降ってくるよ“と注意してくれた。と、頭の上を見ると、鳩が留っていた。金網ではなく、屋根を支えている張りに、だった。どこにいれば安全なの?と聞いたら、どこにいても、上に注意だよと言っていた。このホームを知っている人は注意するだろうが、知らない人は上など見ない。きっと、糞が頭に直撃した人は多いのでしょう。

六文銭の真田幸村と真田十勇士で有名な土地柄、町のあちこち、勿論、駅にも六文銭が町のシンボルマークのように、書かれてあるし、飾られてあった。いつごろからか知らないが、新幹線ホームの鳩の糞はまずいんじゃない。

 

ガラッと変わって、昼過ぎに静岡へ戻り、太田化工へ挨拶に行ってきた。細かい、難しそうな仕事だけを、相変わらずやっていた。是が、太田化工の生きる道ということです。難燃、耐熱、艶消し、光遮断着色、耐候性、耐衝撃性というPCの材料を使ってプロファイルを作っていた。グロメットは相変わらず独占生産で、息が長い。私が27歳の時、40年前に日本で初めて作った製品が今でも続いている。

 

夜遅くまでの話と上田までの往復と会社訪問で一日があっという間に過ぎてしまう。今日は何日で何曜日だっけ、と、ふと、思ってしまう。

今朝の上田の駅前、軽井沢駅前のほんの一部。

往来、 多忙、 眠い

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(^_-)-☆寒いがホット

2010-12-27 22:22:14 | 矛盾

   長野新幹線の上田という駅の前のホテルにいる。なぜ、この場所にいるのでしょうか、インドネシアで仕事をしようとする会社の社長さんと面接のためでした。全く初めての場所で、静岡から行くのに、若干心配だった。東京での乗り継ぎがどうなるのか全く知らなかったからである。何のことはなかった。隣のホームだった。上越、長野新幹線は同じホームということを知ったし、東北新幹線も同じホームの反対側?だということも知った。

一番の印象は、東京からの乗客は少ない、次の上野からが其の三倍以上だった、また、大宮からは上野と同じくらいだった。新幹線のホームも上野は東北や信越方面の臭いがし東京駅と人種が違うような気がして面白い。

 

東京から約一時間半の上田駅で降りて、食事の場に連れて行かれた。S社の社長さんとインドネシアの担当の方、二人とお話をさせていただいた。話は、人事、総務の仕事をしてほしいという事でした。製造の方はそれなりの人が行っているらしいということと、親会社が面倒を見てくれるということらしいので、ジェネラルマネージャーを筆頭にアカウント、パーソナリア、PPI,マーケティング、パーチャシングなどのポジションのトップ、など、リーダー的存在の従業員集めに期待をしていることが分かる。

 

私からの条件は一年契約であることと、押出成形はやらない事を上げた。射出成型が主で進出するらしいが、どうも、マーケティングのチェックが甘いような気がするし、各種手続きの進行が遅いので、本格生産が、予定通り行かないのではないかという心配をさせられた。大丈夫かなと。実行担当者が同席していたので、話す内容で、その人に気を使った。

 

 インドネシアはGDPの顕著な上昇を示しているが、業種によってはバブル状態に近いものもあり、何とかなるだろうといった安易な気持ちでは成功しないでしょう、ということを強調しておいた。それと、エージェントの話です。ここも例の会社を頼りにしていた。しょうがないなと思うが、区切りがつくまで、そのことも話をしなかった。ただ、二社以上から情報を入手した方が良いし、確認は頻繁にした方が良いし、信頼しすぎて、なにもかもお任せというのは大怪我のもとだということも強調しておいた。

 

連絡は、年内にあるらしい。私を使うかどうかの結論を、である。私は、この会社で仕事をすることにこだわっていない。どうも、気にいられたように思うが、条件がどうなるかだと思う。

 

 今朝の安倍川橋から、笠雲を被った富士山、東京駅の電光掲示板。

未知  畑違い  経験

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(^_-)-☆日本生活始まり

2010-12-26 23:23:38 | 喜び

    予定通り、09:00に成田到着、やはり寒い。成田エクスプレスから建設中の何とかおという、NHK プレミュームでしか見たことがかった塔が見えた。あんなものかと去思っただけだが。

 

ところで、今回のガルーダの価格は勿論往復で約8万円でした。静岡へ到着して直ぐ、明日の長野行きのチケット往復と1月7日成田行きの切符を買った。今日の成田から静岡までのキップを会わせて4万円でした。比較するのは意味が無いと思うが、デフレ日本と聞いていますが、まだまだ、高いものが沢山あると思った、

 

 静岡駅前の元、日興会館が、静岡にしては高層ビルの内に入る、新しいビルになっていたのが印象深かったが、相変わらず、北口駅前で何の工事なのか知らないが、立ち入りできない区域がある。工事をしているということは、お金をつぎ込んでいるということだから、何十年もお金をつぎ込んでいて、いつまでつぎ込むのでしょうか。家康の立ち姿の銅像の意味も良く分からない。中途半端な大きさだし、なぜここなの?という気もする、どんな人のセンスでこうなっているのでしょうか。変!!

 

建設中の塔と成田エクスプレスの中で買ったチーッバッグの熱いお茶、美味しかった。それはそれでいのですが、PSの蓋が付いていた、私にしては、その蓋のデザインです。上は平らでなく、色々な凹凸が付いているし、何やら記号と文字が彫り込まれている。リサイクルの記号以外、10以上に関して、何のことだろう、どうしろというのか、お茶の蓋以外に何か効果的に使う方法が示されているのか、30分くらい考えたが、思い当たらない。参った。

 

一年ぶりに日本でした、静岡でした。

初日  疲労  寒い

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(^_-)-☆中身が一杯

2010-12-25 22:34:00 | 状況

    今回はブラックリストから消されていて、問題なく出国が出来た。ブラックリストの記載は誤りだという文書を持っているがそれを出す必要もなかった。

今、スカルノハッタ空港からです。ワイアレスランのラウンジで書いている。

23:50ガルーダで成田行きです。結局1月15日辺りまで、今の会社から席を外さないことにした。だから、昨日送別会をしてもらったが、来年は取りあえず20日位までは申し送りなどで、今の会社に出勤のようなことになるらしい。その間に次の会社のワーキングビザの申請手続きをする。その後も出入り自由で、あたかも、本社のテクノセンターの人間が主張してきたような役割をすることになる。

早朝からお別れゴルフ?来年1月8日にはまた、殆ど同じメンバー?でやることになっている。午後からは、例によって買い物、静岡にいるインドネシア人のためにインドネシアならではの食料品やお菓子を届けるためである。膨らむ前のクルプックとかインドミーなどである。

 

  今年のインドネシアでもいろいろあったが、何と言ってもPPプロファイルの立ち上げの事でした。この歳になって、何日も徹夜のトライや修正をして、なんとか、やっと、本生産にたどり着くことが出来た。客先の対応にも助けられた。出来るはずの製品がなかなかできない、誰に相談するわけにもいかない、とにかく、インドネシアだけから手に入るものを使わなければならない。また、インドネシア人にある程度任せながらやらなければならない。本生産をしながらオペレーターに作業をポイントを覚えてもらわなければならない。とにかく、今は、ほっとしている。

 そして、自己満足をしている。今は、これからも、やらなければならないことが山ほどあるが、なにも、心配になることはないし、追い詰められていることはない。今年末も安穏な内に経過するでしょう。Gitu de

  インドネシアを象徴する風景、ヤシの木と大雨の状態。

帰国  出発  安堵                              

 

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(^_-)-☆最終日のはず

2010-12-24 23:49:23 | 状況

    この会社最期の日でした。昼食は特別食、ほかほか弁当の出前だった。そこで従業員の皆さんに別れの挨拶をした。勿論、インドネシア語で。長い人は14年以上前からの付き合いだし、短い人は今日初めて顔を見た人もいる。私の趣味について話した。どう受け止めてもらえたのでしょうか。

 

 結局、インドネシアのほかの会社で仕事をするため、この会社を止めることはやめるが、、出入り自由なよそ者という存在になるので、送別会がその意味をなさなくなるのだが、そんなことは皆さんに言えない。どうでしょうか。技術的バックアップを必要とされればいつでもすぐに駆けつける、新しく赴任してくる押出担当営業と密に接することを頼まれたし、定期的にコンタクトをとることも約束をした。どうもその人の手腕を頼りにするようだ。私も期待する。色々な意味で、考え方が違うので、私の思いと違うのでそういうやり方で上手くいくのかどうか疑問だが、この会社の役割分担があって其の組織を生かそうとするやり方で上手くいく、ということなので、なにも言えない。私一人がやってしまうことを三人以上で場所も日本とインドネシア共同で進めようということですから、考えただけでも大変だと思うが、その方がいいのでしょうね、きっと。

 会社の方針というか、目標が語られた。かなり、きつい目標だと思うが、不可能ではないと思う。あちこちから集まったその道の専門家達です。それぞれの部署で精いっぱいの成果を上げることを期待する。

 

 そういう私は、一年の猶予を貰ったので、この一年を有効活用しなければならないと思っている。この歳になって新たな経験を積む仕事に係わるかもしれない。求められているだろう事に直ぐに答えられない自分がいるが、もう一か所からもどうしてもと求められそうなので、御免なさいというしかない。

いつか見たことがある応接セット?会議室セット。今日の送別会の特別弁当を受け取る列。

 

離別  特食  挨拶

 

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(^_-)-☆どうなるの

2010-12-23 22:02:58 | 行動

      中部ジャワのムラピ山の噴火による火山灰で唐辛子が不作になり二倍以上の化買うになっている。また、東部ジャワの東端バニュワンギ付近では、天候が不順で強風による稲の不作、海では漁に出る機会が少なく,不漁になっていて魚の価格が二倍とか。インドネシアもなんだかんだと大変です。

 どうしようか、困ってしまうことになった。26日の夜、なんと、長野県で打合せがある。昼ごろ、東京経由で今まで一度も乗ったことが無い長野の方へ行く新幹線で軽井沢へ行かなければならなくなった。雪だろうな、寒いだろうな、何新幹線というのでしょうか、長野の方行く新幹線はどこから乗るのでしょうか。軽井沢プリンスってまだあるのだろうか、泊ってスキーをしたいが、27日夕方には静岡にいなければならない。

てな具合で、ひょんなことから、ひょんな方向が現れてしまった。それも、押出成形の仕事ではなく、射出成型絡みの会社の手伝いに係わるかもしれないという話である。このことを置いておいて。

 

ある方と話をする機会があって、一つのゲートを通り過ぎた。それでも、まだ決断の段階ではない。場合によっては掛け持ちで仕事をしなければならなくなるかもしれない。そうなると、コンサルタント的な仕事というのが、現実味を帯びてくる。本当に迷わされる。

 

実をいうと、自信がそれほどあるわけではない。何社から期待を掛けられているのですが、私自身、押出成形技術以外は、そんなに期待を掛けられる程の能力はないと思っている。勿論、体力的にも、自身、歯がゆく思うくらい、落ちている。期待通りの働きが出来ないのではないかという心配がある。

 

結論らしい話として、完全にこの会社から出て他の会社の手伝いをするが、一年を限度にして、日本の本社直轄の開発センターかインドネシアのこの会社に入るということで了解らしきものを得た。その間、技術的な手伝いは、頼まれればすることも約束した。

 

 日本の大手メーカーの方から電話が入った。その会社、今、ちょっと厄介な問題を抱えていて、その方も、心労が絶えない中、私のことで、心配してくれていてありがたく思っています。何とかこの会社の仕事の手伝いもしてあげなければならないと思っているのですが、そういうことが出来る状態になれる場所を作ることも含めて、迷いの中から抜け出せない。

いつまた、会えるのでしょうか。彼女達と。

 複雑  転職  面接

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(^_-)-☆形になってきた

2010-12-22 22:58:14 | 習慣

    受注生産の会社、工場は、なかなか、スタートが大変である。多くの会社の下請けになろうとする会社なので、それなりの準備が必要だし、客先からの厳しい監査をくぐり抜け、任せても大丈夫だというお墨付きを貰わなければ、なにも始まらない。

社長を始め、第一工場、第二工場、押出、射出、塗装、真空蒸着、営業、経理などなど、日本人の着任が揃ってきている。既に10人以上の日本人が赴任してきている。来年初めにもう二人増えるらしい。私ともう一人が出るが、それにしても、一般的に百人に一人と言われている日本人が今は二十人に一人以上の割です。これから、どんどん装置を入れて、人も入れて、急激に生産量を拡大する予定になっている。順調に予定通りに伸びることを祈る。

 押出のISOは既に取ってあったが、会社全体としてもISOの認定を受けた。来年から、いよいよ、インドネシアで目立った動きを開始するでしょう。

 

 会社に申請できずに自腹で金型の修繕を頼んでいたものが多かったが、今日、其の最後の支払いを終えて、未払いは無くした。勿論,会社へ寄付する部分が多いが、自身の研究や勉強になっているので、普通だと思っている。

その他には身辺整理はなにもなし、また、すぐ、インドネシアへ出てくるので、現在の会社関係以外は全て継続である。切る物は何もない。

 

 会社から出るが、今回は自分から望んだ道だから、円満退社ということになるだろうし、この会社との縁が全くなくなるとは考えていないので、また、いずれかの機会に潜り込むかもしれないし、外部からお手伝いすることになるかもしれない。とにかく、先ほど到着したVIPとの話が残っているし、日本でも年末年始で二日に渡って顔を突き合わせることになっているので、縁は切ることはできないし、切る必要もないし、切られてしまうこともあり得ない。お付き合いは続く。

 

 AFFスズキカップの決勝はマレーシアと26日マレーシア29日インドネシアで行われるらしい。

 チアトル付近の道の様子。登り下りに右往左往の連続である。

 手伝い 縁  近況

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(^_-)-☆国中大騒ぎの夜

2010-12-21 23:07:41 | 状況

     ジャカルタからここまで、3時間半~4時間で着くと思う。眼下に広い深い火口が広がる。始めて訪れた人にとっては大変印象深い景色だと思う。こんな景色はちょっとジャワ島西部にはない。お鉢回りのコースもあって、もっと、もっと景色が良いところを通るが、最低三時間はかかるし、アップダウンが激しいので、体力に自信がある人に限ります。

 二年ほど前に火山活動の活発化の傾向があるということで、近づくことが禁止された時期があった、ということで、現在、ジャワ島ではムラピやブロモの例もあるし、観測体制を充実してきているようです。

また、場所によって硫黄のガスが濃いことがある。臭いがきつくなるので分かるが、急に風向きが変わると思わず強いガスを吸い込んでしまう。注意です。フローレスのクリムトゥのような危険が潜んでいる。カワ ドマスへ下りる場合は国立公園管理者の許可を得なければならないと言っているが、管理者がいないので、自由に行くことが出来る。

 

Photo Albumの修理が終わりました。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html

  タンクバンプラフの最新写真を追加しました。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page005.html

 

サッカーのアセアンカップ的な大会です。昨日、ジャカルタのブンカルノスタディアムでフリピンとの試合が行われていた。準決勝だと言っていた。ホームアンドアウェーで競技をすると言っていたが、どういうわけか、前回も今回もインドネシアの同じスタディアムで行われた。不思議ですね。テレビ中継を見たが、大変な熱気で応援をしていた。十万人収容と言われているスタンドが超満員、立見席もびっしり埋まっていた。SBY大統領夫妻も観戦していて、先制点が入ったときには万歳して喜んでいた。結局、前回も今回も1-0でインドネシアが勝って、合計2-0で決勝にコマを進めた。決勝に相手はどことどこの勝者なのか、いつどこで試合をするのかの報道が無い。

スズキカップと言っていた。サッカーはスパックボーラと言って、インドネシアの国技です。バドミントンの方が世界的には通用しているし、何人かの一流選手の人気も高いが、やはり、サッカーが大衆の国技です。どんな田舎へ行っても、裸足で子供がボールを蹴っているし、ちょっとした海岸へ行けば、浜辺で、やはり裸足でサッカーをやっている。

 

今回も、国中が大騒ぎになっていて、競技場の周囲では入場できない観衆の騒ぎも半端じゃないという感じだった。

言っちゃ悪いが、その割に、素人目にでも、上手いと思えない。凡ミスが多い割に、ラフプレーや乱闘は一人前にやっている。

 

 自然の造形、露出した根っこにコケが張り付いている。何に見えますか。怪しい温泉卵、売られている卵はゆで卵のような感じがする。黄身が半熟ではなく、しっかり固まっていた。

 大騒ぎ  国技  荒っぽい

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(^_-)-☆タンクバンプラフ

2010-12-20 23:27:26 | 旅行

   雨季で朝から雨が降ることが普通でしたが、例外的に朝から快晴でした。其の中で、腰の痛みが完全には消えていない状態でのゴルフでした。久しぶりに爽快な気分でした。

タンクバンプラフへはジャカルタからなら、チカンペックへ向かう、カラワン ティムールを過ぎて、チカンペック手前数キロmのところにバンドゥン方面は左車線という看板が出てくる。左車線に入り、すぐ、右カーブになり高速道路をまたいで南に向かう。一つ目の出口サダン、スバン方面で出る。直進(東向き)でサダンの町を過ぎスバンを目指す。いくつかのゴムのプランテーションを通り過ぎる、道は狭いが交通量は多く、遅いトラックが多いので、盛んに無理な追い越しを掛けてくる車が前方から来るし、こちらも、次々と追い越しをかける、追い越しを掛けないと後ろの車から、催促のクラクションを鳴らされる。かなり、危険な道だと思う。順調なら、サダンまで一時間、スバンまでまた一時間くらい。スバンの町へ入る前に一方通行になり大きく迂回して街へ入る、看板に従ってバンドゥン方面を目指す。間違いないかどうかは、スバンの町を出てすぐ(南向き500mくらい)のところから急な上りになり中央分離帯のある登り下りとも二車線の道になる。

道なりに登り下り右往左往した道を進むと間もなく道の両側が広大な茶畑になる。木の高さは日本と同じだが、平らである。この近くではジャカルタから南のボゴール方面のプンチャックの茶畑も有名だが、ここの方がはるかに広い。

茶畑ばかりかと思って見ているとパナップル畑も混じっている、道の両脇にパイナップルの直売所が並び出す。その店の後ろ側に近い方がパイナップル畑で、その向こうが茶畑という分布になっている。カカオの木も茶畑の中に植えられている。

間もなく、右側にチアトルの入り口になる。温泉で有名な観光地で、多くの人が服を着たまま温泉に浸かっている。遊園地のようなものもあり家族ずれでにぎわう。この辺りに馬事公苑もあり、そこから馬に揺られて周囲を散策することも出来る。滝を眺めたり、茶畑の中を進んだりで、天気が良ければ、お勧めです。爽快な気分になるでしょう。

こことセットで観光する人もおおいタンクバンプラフへはなおバンドン方面へ向かいレンバンの直前(峠)までかなり急な上りが続く、両側の景色は言いが運転者は見ていられない。危険な道である。登りきったところで右折し、タンクバンプラフの入り口になる。車と人数分で内訳は分からないが、49000Rp払った。

急な上りがなお続く、途中、バスの駐車場が左なってバスできた人たちはここからミニバスに乗り換えて火口へ向かう、一般の車は火口の回りの駐車場まで直接行く、駐車場で車から出ると数歩で火口を見下ろせる場所になる。

今朝のチカランの空

火山  温泉卵  近い

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(^_-)-☆寄り道の方が

2010-12-19 22:16:36 | 日記

    この会社の社員のまま日本へ帰ってインドネシアへ戻るため、この会社の在籍を半月ほど伸ばして、1月15日ごろまでとしてもらった。エポはそのころ、そうすれば一月末までに次に場所のビザをとれば、シンガポールへ出るだけで、インドネシアに居続けることが出来るという段取りです。

  出勤日でした。バンドンのインフレーション成形工場から招待があって、どんなものかと見学に行ってみた。バンドンの南のバイパス的高速道路に沿って工業団地があり、その中のローカル企業です。押出機の口径が40~65mmφで15ラインあった。創業は15年前ほどだというから、インドネシアでは草分け的なプラスチック袋のメーカーです。最初は日本から装置を輸入したが今では全て中国製を輸入している。経営者も中国系インドネシア人です。スカルノハッタ空港付近に沢山のプラスチック袋のメーカーがあるが、気にしていないようで、あそこは皆リサイクル原料を使って、低級品を作っているから、問題にしていないと言っていた。かなり、食に安全な原料を使っていることを強調していて、自信があるようだった。私に見せたかった理由は、そういう工場と、ポリシーを知ってほしかったからと受け取った。この会社を手伝うという思いは一番大きい。

 

 帰る途中レンバンからタンクバンプラフへ寄ってみた。9年ぶりでした。今回は御はち回りをする時間は無かったので、下へ歩いて、カワ ドマスという硫黄ガスが噴出している場所まで行ってみた。ここの売りは温泉卵と足湯です。火口回りの駐車場へ駐車し、1.2km下ります。25円とちょっと高いが卵を買うとザルに入れて、噴出しているお湯の中へ浸けてくれて15分後位に塩を添えて持ってきてくれる。黒くはならないが、インドネシアの卵は薄茶色でその色には変化が無い。大変おいしかった。写真にあるように丸くお湯をためる場所が作られていて、回りは平たい石で囲ってありそれに坐ることになる。42~3℃と調度いい。膝くらいまでの深さなので歩いて中心の方へ行ってみたら、ぼこぼこお湯を噴き出している場所を踏んでしまい、あわてて逃げた。照れ笑いをしていた。

 

 インドネシア人は足湯に浸からないようだ。眺めているだけである。スバンはチムベダックの産地、ちょうどシーズンで道端でパイナップルと共に売っていた。一個250円位です。ドリアンと同じくらい大好き。

 息抜き  温泉  国立公園

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(^_-)-☆まずは一安心

2010-12-18 23:26:15 | 状況

    別工場でこの会社の押出工場としてやっていれば、既に利益は上がっているし、次の仕事の準備もしている。ということを横に置いて。

引き渡しの状況はほとんど完璧に近いと思うが、私なら、こうするということがある。その一つは、製品の出荷で何点かの工程を通らなければならないものがあって、その工程の中で、速度を遅らせてしまっている工程がる。その工程の速度が全体の速度を決めてしまっている。それを早くするようにすれば、全体が早くなるし、人も少なくて済む。そのことにどうも気が付いていないようだ。あるいは気が付いていても、金型の修正と試作に係わってくるので出来ないのかもしれない。

 もう一つは、今、次の新しい仕事の話すらない。私なら、現状、仕事が安定してしまっている二か月以上前には新しい仕事をするための試作を始めている。そして、それをいちいち出すか出さないかは別の話として、装置稼働率を上げるためと、客先の期待に答えるための途中工程に入っているはずです。

 その二点が無いので、何のために、何が目的でここにこの部門があるのか、仕事の内容の焦点がぼけているというより焦点が外れていると感じる。

 

 ゴルフ仲間のY社のKさんの肺の手術が無事終わって、今は日本で自宅療養となっている。時間をもてあましているのが、伝わってくる。私より5才ほど年上の方ですが、まだまだ、色々な意味で意欲満々で、自宅にじっとしてなどいられない人で、肺の手術は、私の胃の摘出と同じで、単なるお腹の怪我のようなもので、開いた傷がある程度治ってしまえば、元のままの動きに戻るでしょう。多分、今年一杯とまでは日本で辛抱できないのではないかと思う。インドネシアの方が住み心地は良いに決まっているし、一か月もすれば、棒振りも始めるのではないかと思う。まずは、元気な声を聞いて一安心です。仲間もキャディーも待っています。

 ゴルフプレー後の食事の時にサラダを頼むのですが、この方の差し入れのドレッシングいつもキープしてあって、それを混ぜて皆で突っつく。しかし、もう使ってしまって、今は無いので、サラダを頼まない。Kさんスペシャルドレッシングを欲しいのも早くインドネシアへ復帰して欲しい理由の一つです。

 

 MM2100のルコの中に昨日、新装開店したミニ屋台村、カキリマ村、インドネシアのお祝い事の花輪、花飾りの典型です。と、家の前のミニガーデンに咲いている可憐な花。下向きです。

 怪我  休養  仲間

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(^_-)-☆雲行きに変化

2010-12-17 22:06:05 | 状況

   斜めからインドネシアを眺める 820

今朝のニュースでも、名古屋の署名運動無効の原因と有効に変わった理由に触れていなかった。変ですね。

 

先日私の家に家族で遊びに来たかつての会社の部下がいる。押出成形に関して彼はインドネシア人で5本の指に入る高度な技術を持っている。私に熱心に質問してきていた。今でも時々電話で質問をしてくる。POMのチューブがまだできないらしくて盛んに聞いてくる。実際にやって見せられないのが残念だ。ハイレックスが未だに日本から輸入しているチューブです。私が、二年前にサンプルをその会社の時に提出してあってOKを貰ってあったが、再度求められて、今は、出来ない。彼は何とかしたいと思っているが、こればかりは、口で説明しても、幾らかれでも再現はできない。POMは厄介な原料である。

 会社の現状について詳しく話してくれた。仕事は大変忙しいそうだが、利益に繋がっていない。というのも、見積価格が変だという。収率が見込み通りに上がっていないので、殆どの製品が赤字になっているとか。それは、理解できる。もともと、どう考え違いしたのか、どう見ても、原料価格と製品価格が同じという製品もあるらしい。

 

 年末、年始の日本での予定がほぼ決まった。かなりの過密スケジュールになる。インドネシアへは1月10日以内には復帰するが、どこの会社へ復帰するかはまだ確定していない。この22日から28日の間に何人かの日本人とお会いし、確定する。これも予定である。10日前ほどに決定したつもりのインドネシア企業への手伝いを優先と考えているが、まだ、迷いは消えていない。お会いする日本人の方の話を聞き終えるまでは決めかねる。

 日本での滞在で静岡にいるなら比較的暖かくていいが、寒い地域へ行かなければならないので、相当、着こんでいかなければならないと思う。

 

 太田化工のK.S君から写真が届いた。彼は山好き、写真撮影好き、ギター演奏とボーカルはプロ並み、仕事は勿論プロです。懐かしい。静岡県最北端、山梨県堺(今は静岡市でもある?)の南アルプスの主峰、富士山の次、日本で二番目に高い北岳(3193m)の頂き。昔、学生時代に白根三山を縦走したことがあった。ヤントと北岳、間ノ岳に行ったときです。北岳からの富士山。

 

 未定  誰  変

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