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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆パンガンダラン

2023-01-24 23:59:31 | 旅行

 5116 中国正月で会社が休みになったので、また、パンガンダランへ来ている。休日で大型トラックが走っていないので、道は空いていて、7時間で、到着した。

 

その前に、カラピアックという海岸近くへ寄ってみた。新しくできた展望台(ガラスの床になている)があるという、そこからの景色はいいらしいということだった。

Saya mampir ke sebuah pantai bernama Karapiak. Saya mendengar bahwa ada observatorium yang baru dibangun (dengan lantai kaca) dan pemandangan dari situ bagus.

  行ってみると、景色はいいとは言えない上に、こんな展望台に立つだけで一人2万Rpだという。だから、登らなかった。

   Ketika saya pergi ke sana, saya menemukan bahwa pemandangannya tidak begitu bagus, dan berdiri di observatorium seperti itu saja harganya Rp 20.000 per orang. Makanya saya tidak naik.

そこにレストランもあるが、美味しくなかった。来る価値がない。 

Ada juga restoran di sana, tapi itu tidak enak. Tidak layak datang.

明日は、ラフレシアを探しに行かないで、ヌサカンバンガンへ行くことにしているので、夕方には、西海岸を徘徊してみた。

その後、土産のためのイカンアシンを買っておいた。今日の泊りは、久しぶりのブミヌサンタラにした。

23 Januari 2023 Covid-19 di Indonesia

Senin (23/1), ada 119 kasus baru corona.  月曜日(23/1)、コロナの新規感染者は119人。

 

52 Kecelakaan Sebabkan 58 Tewas di Masa Liburan Imlek di Malaysia

マレーシアの旧正月休暇中に 52 件の事故で 58 人が死亡

Wakil Direktur Investigasi Lalu Lintas Bukit Aman, Nasri Omar, mengatakan 58 kematian melibatkan pengendara sepeda motor dan pembonceng, pengemudi mobil dan penumpang (14), pengemudi truk dan penumpang (tiga), pejalan kaki (dua), dan seorang pengemudi jip.

Bukit Aman の交通調査担当副局長である Nasri Omar 氏は、58 人の死亡者にはオートバイと同乗者、自動車の運転手と同乗者 (14 人)、トラックの運転手と同乗者 (3 人)、歩行者 (2 人)、ジープの運転手が関与していると述べた。

“Sebanyak 33 orang luka berat sementara 250 lainnya lolos dengan luka ringan,” katanya dalam keterangan pers seperti dikutip Free Malaysia Today, Senin, 23 Januari 2023.

「合計 33 人が重傷を負い、250 人が軽傷を負って逃走した」と、2023 年 1 月 23 日月曜日に Free Malaysia Today が引用した記者会見で彼は述べた。

Kecelakaan terakhir terjadi Minggu malam, 22 Januari 2023, yang menyebabkan enam orang tewas termasuk dua bocah laki-laki berusia 11 tahun di jalan menuju Kahang, Johor Bahru.

最後の事故は 2023 年 1 月 22 日日曜日の夜に発生し、ジョホールバルのカハンに向かう途中で 11 歳の少年 2 人を含む 6 人が死亡しました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=CzNlnKUcs-Y

Investor Jepang siap mengucurkan dana untuk pengembangan proyek MRT fase 3 Cikarang-Balaraja dengan nilai proyek Rp160 triliun.

日本の投資家は、160 兆 IDR のプロジェクト価値を持つチカラン - バララジャ MRT フェーズ 3 プロジェクトの開発のための資金を支払う準備ができています。

  Menteri Koordinator bidang Perekonomian Airlangga Hartarto menyampaikan saat ini pihaknya tengah mendorong akselerasi pengembangan Mass Rapid Transit (MRT) fase 3 atau East West Line (Cikarang-Balaraja).

   アイルランガ・ハルタルト経済担当調整大臣は、現在、彼の党は大量高速輸送機関 (MRT) または東西線 (チカラン-バララジャ) のフェーズ 3 の開発を加速していると述べました。

  Airlangga yang juga sebagai Ketua Komite Percepatan Pembangunan Infrastruktur Prioritas (KPPIP) menuturkan, penyelesaian proyek tersebut akan didukung dengan pembiayaan dari Jepang sebagai investor utama, proyek senilai Rp160 triliun.

   優先インフラ開発促進委員会(KPPIP)の委員長でもあるアイルランガ氏は、プロジェクトの完成は、160兆IDRに相当するプロジェクトである主要投資家としての日本からの資金提供によって支援されると述べた。

パンガンダラン 西海岸 カラピアック

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(^_-)-☆芸術的岩石群

2020-10-30 23:43:45 | 旅行

 4304 9時にホテルから出て、先ず、行ったのが、明日のゴルフのブッキングと近くて、ゴルフ場まで送ってくれるというホテルスイスベルのブッキングをした。

そして、あのラスカルプランギの撮影に使った大岩群があるタンジュンティンギTanjung Tinggiだ。ここは、四回目、その時その時の印象は少しずつ違う。今回は、見慣れていて、ちょっと、またかよという感じ。だが、やはり、芸術的配置は素晴らしい。

 次は、コタをかすめて、内陸に入り、Danau Kaolin Belitung 白い山と青白い水と白い雲と青い空、いいね、ここ。辺りを歩きまわってしまった。沢山の写真は、後のウェブサイトで発します。初めての場所でした。

Sebelum populer sebagai destinasi wisata berkat novel Laskar Pelangi, Belitung lebih dikenal sebagai pusat penambangan timah. Sebagian besar persediaan timah di Indonesia dipasok dari Belitung. Namun tak hanya timah, bumi Belitung juga kaya dengan mineral kaolin.

小説「ラスカルプランギ」のおかげで観光地として人気を博す前は、ブリトゥンはスズ採掘の中心地として知られていた。インドネシアのスズ供給のほとんどはブリトゥンから供給されています。しかし、ブリトゥンはブリキだけでなく、カオリン鉱物も豊富です。

Perlu diketahui, bahwa kaolin adalah sejenis mineral tanah liat yang mengandung aluminium silikat. Material ini biasa dijadikan salah satu bahan untuk membuat porselen, kain, kertas, pasta gigi, hingga kosmetik. Daratan sekitar Danau Kaolin berwarna putih, karena mengandung mineral tersebut.

カオリンは、ケイ酸アルミニウムを含む粘土鉱物の一種であることに注意してください。この材料は、磁器、布、紙、歯磨き粉、化粧品を作るための材料の一つとして使用されます。カオリン湖周辺の土地は、ミネラルが含まれているため、白です。

 昼食はコタのチャイニーズ、イフミーだった。これが、私の舌にピッタリ、おいしかった。2、5万Rp,安!

 

次いで、ブリトゥンの最南部の海岸、Pantai Penyabongまで、行ってみた。ここも大岩小岩の芸術、タンジュンティンギに負けていない。端から端まで大岩に登った。自撮りもしてみた。帰りというか、ホテルに向かう途中、空から見える広大なパームヤシのプランテーションのほんの端っこに寄ってみた。

 今月26日から来年6月まで、閉鎖になっているコモド生息島、リンチャ島で、ジュラシックパークの建設が始まったようです。

https://www.youtube.com/watch?v=jEgRjsrz1H8

Pemerintah melalui Kementerian Pekerjaan Umum dan Perumahan Rakyat (PUPR) tengah membangun sarana dan prasarana pendukung pariwisata di Pulau Rinca, Taman Nasional Komodo.

公共事業・公共住宅省(PUPR)を通じた政府は、コモド国立公園リンチャ島に観光支援施設とインフラを建設しています。

Kawasan tersebut hendak dijadikan destinasi wisata alam seperti di film Jurassic Park, sekaligus sebagai bagian dari penataan menyeluruh Kawasan Strategis Pariwisata Nasional (KSPN) Labuan Bajo di Nusa Tenggara Timur

この地域は、映画「ジュラシックパーク」などの自然観光地として、また東ヌサ・トゥンガラのラブアン・バジョ国家観光戦略地域(KSPN)の全体的な配置の一部として使用される予定です。

 

update corona 29 Oktober 2020

https://www.youtube.com/watch?v=rQGmUorSRwg

  1. Jumlah kasus positif bertambah 3.565menjadi 404.048 1. 陽性症例数は3.565件増の404.048人
  2. Jumlah pasien sembuh bertambah 3.985 menjadi 329.778 2. 回復患者数は3.985人増の329.778人
  3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 89 menjadi 13.701 3. 死亡患者数は89人増の13.701人
  4. Jumlah pasien dalam perawatan mengurangi 384 menjadi 60.569 4. 治療中は384人ぞう減で、60.569人

 

いろいろな集団があるようですね。市役所への何十人もの抗議者は、知事が学生や労働者のデモの首謀者であると非難した。

Puluhan massa yang menamakan Gerakan Jaga Indonesia menggelar aksi demonstrasi di depan Balai Kota DKI Jakarta, Jakarta Pusat. Mereka menyebut Gubernur DKI Jakarta Anies Baswedan mendalangi aksi demonstrasi rusuh di DKI Jakarta.

インドネシア警備隊運動を呼ぶ何十人もの人々が、中央ジャカルタのDKIジャカルタ市庁舎の前でデモを行いました。 彼らは、DKIジャカルタ知事のアニエスバスウェダンがDKIジャカルタでの暴動のデモを首謀したと言った。

大岩 カオリン ラスカルプランギ

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(^_-)-☆コタキナバル

2019-04-19 22:22:33 | 旅行

 3744 5連休の二日目、4日間、ゴルフでもいいが、やはり、それではもったいない、インドネシア内で、もう、行くところがない、ニ回目になるが、ラフレシアを見たくて、コタキナバルにした。

01:00過ぎに会社から出発、以前、真夜中だから高速は、空いていると思って、3時ころ出発した、ところが、大型の貨物車で、大渋滞、結局、空港へ行けず、引き換えしてしまった、その経験から、6時出発だが、1時にでた。順調なら2時半についてしまう。3時間半待ちになる。その通りになってしまった。

 

   クアラルンプールに着いた。イミグレまでの通路が分かりにくい、四差路や三差路でどちらか、選ばなければならにが、看板がハッキリしない。やっと,イムグレの前に着くと、カンターは沢山あるが、どれの20人以上並び、後ろの壁まで一杯、横切るのも大変、ここで、40分以上掛かった。

 

ジャカルタで、渡されたコタキナバルまでのボーディングパス、ゲートがK18になっていた。それを信じて、ゲートを探した。三階に真ん中がHという字の横棒のはしとすると、上の方がJ1~20がある。下の方にK1~20がある。迷わずKのずっと端に近い18まで行った。誰もいない、まだ早いからかな?そんなことを思いながら待った。その前にある電光板を何となく見たら、コタキナバルは20になっていた。そして、直ぐ奥の20へ行った。そこには30人くらいの人が、ゲートを空くのを待っていた。よくあることだ、ゲートが違うことはと、思いながら、そして20に入る案内があった。皆さん、入ってゆく、チケットにあるブーディングタイムより、50分もはやい、変だと思って、ゲートの案内をミタラ、コタキナバルではない。慌てて、先ほどの電光掲示板を見に行ったら、Kじゃなくて、Jだった。びっくりである。Hの字の上の端だ。2Kmくらいあるのじゃないか、ロングホール4つ分だ。ボーディングタイム迄は、40分ほどある。ただ、ほとんど真っすぐ、時に動く歩道を歩いて、そして、20分ほど余裕をもって、間に合った。

  国内便の乗り換え迄3時間以上にしておいてよかった。帰りも乗る次は3時間見てある。

 

前回 ヴィザの申請にきたときも感じたが、ごちゃごちゃしている上に、案内板が分かりにくい。初めての外国人はかなり右往左往すると思う。国際便から出て、国内便に移動するにも大変だった。インフォーメーションやセキュリティーに何回聞いたことか、言葉が通じなければ、本当に大変な場所だと思う。、

 

今のホテル、ワイファイOKという条件で決めたが、これがダメ、どうにもならない、何やかや理由を言っているが、理由を聞いても仕方がない、3夜のブッキンブをしたが、明朝、チェックアウトする。投稿ができていない。

 

もう一つ、残念、タラップが見当たらない。シーズンが短い、8月前後の一カ月間だそうだ。前回は、8月だったかな、チェックしてみようと思う。その代わりと言えないが、ドリアンをたらふく食べた。

 

前回と同じコンセントとベルトを買ったショッピングモール、この道を左の道を向こうにゆくと、いろいろなパサールがある。

 

睡眠不足と歩き回って疲れた。よくやるよ、後期高齢者。

元気 疲れ 確認

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(^_-)-☆久しぶり

2018-11-13 23:28:31 | 旅行

 3587 疲れた、例によって、忙しく走り回らる。気を使う。早朝、ジャカルタから、出発、6時過ぎにはジョクジャに到着、早速、一日の行動をタクシーの運転手話す。10時間で50ジュタRpだという。先ず、チャンディプランバナンに向かった。外国人とインドネシア人の入り口が別だということがハッキリわかるようになっていた。私は4万Rp、彼らは、35US$払ったという。10倍以上である。こりゃ酷い、後で行ったボロブドゥールもラトゥボコも同じように10倍になっていた。彼らが気の毒だが、仕方がない。そういえば、パンガンダラン チャガールアラムも10倍くらいになっていた。

 

プランバナン以前と、私は、多分7~8回来ているのが、変わっているところはない、それでも、彼らにとっては、十分、満足らしい、私は、何となく、歩くだけ。次が何と言う場所だったか、新しき出来た観光地、あの柔らか層の石を切り出す岩山に案内された。私も興味はあったが、いって見ると、その石は、取りつくしてしまって、動じようかと考えて、観光地にしたとか、山の上なので、良い天気なら、ジョクジャの町が一望できるから、それが売り物なるだろうが、遺跡でも何でもないので、外国人を連れてゆく場所ではなかった。

 

そのすぐ手前に入り口があるラトゥボコには、満足してもらった。私も付けれ来た良かったと思う。一番奥の水溜りの遺跡、これは、他にない、私にとっては魅力的だ。こちらからの景色は、プランナンの方、良く見えた。ただし、ムラピさんは雲の中で、残念。

 

ボルブドゥールへ、とに角、歩く、歩く、私は良いが、皆さんは、既に疲れている、気の毒、高い料金を払って、歩かせた、上り下りをさせた。皆さん、もう、よれよれだ。それでも、良くついてきたくれたと思う。最後の降り場所から、出口までは、また、遠い。30分以上、掛かった。しかも、以前の場所は、降りて、斜め右から、一望できる場所だったが、そこには行けなくなっていた。残念。土産物売り場が出口の手前にあるのだが、これがまた、どこも同じだが、迷路にように、グルグル歩きまわされる。いちいち声を掛けられるが、いちいち、面倒を見ていられないので、立ち止まらないようにと頼んだ。

 

私は、ボロブドゥールの直ぐて前にある、仏教とヒンドゥーに施設が向かい合っている場所が良かったと思う。名前を忘れた、のちに調べようと思う。仏教の方は遺跡というより、新しい寺院のようだった。過去あたりの仏教徒にとっては、ボロブドゥールより、こちらの方が重量な場所ではないかと思う。

 

観光を終え、マリオボロ―のムティアラホテルに入った。一休みをして、外の出て、歩道レストランで食事、後は、散歩、この通り、随分、整備されたと思う。以前がバイクがずらっと、駐車していたが、今は、まったくなくなっていた。一体、どこへ駐車させている二だろうか、不思議なくらいだ。歩道に椅子が並んでいて、休むことができる。素子て、以前と変わっていると言えば、ベチャが殆どなくなっていて、ベモになっていた。相変わらずの賑わい、そして、安い。100円以下で買えるTシャツなど、バティックのシャツもある。

 

寝不足と歩きで疲れたが、皆さんにとっては、何もかも、珍しく、楽しんでもらったと思う。明日が、また、大変だと思う。

疲労 満足 変化

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(^_-)-☆またまた、バリ

2018-04-23 20:23:18 | 旅行

 3383 朝からゴルフ、14時に終わり、16時に会社からタクシーで出発、フライトは21時だが、例によって、日曜日の夜でも渋滞が心配で早めに出た。タクシーの運転手に任せたところ、ブカシバラットを過ぎたところから北のプルがドン方面に向かう高速道路に入った。たらしく開通したタンジュンアプリオク港に向かう道だ。三車線で広いうえに、まだ、交通量も多くない、スイスイお進み、チャワンからの今まで使っていた道と合流し、アンチョールへ向かった。これは速い、今後は、この道を使うことになりそうだ。空港へ着くまでに、自動車道料金は5回払った。合計、35000Rpだが、それを含めて、45万Rp以下なので、安いと思う。

 

予定より、一時間遅れて、デンパサールに到着、ホテルに入ったのは1時だった。空港からクタのホテルまで25万Rp,高いが深夜だし、OKするしかなかったが、どうだろうか、今日の朝から、タクシーを一日中、チャーターしようと、その運転手に値段を聞いた。一日、最大12時間で、ガソリン代込みで、60万Rpだという。これは、安い。早速、明日、朝、ホテルに来てもらうことにした。友人のホテルは近いから、6時半には、寄ることにした。バリにはメータータクシーは無いといわれた。

 

何回目のバリだろうか、またまた、バリ。

バリ 深夜 新有料道路

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(^_-)-☆コタ ソロン

2017-03-26 20:35:49 | 旅行

 2989 マッカサール(ジャヤプラやムラオケに行くときは、必ず経由する。スラウェジ島の南部にあり、タナトラジャに行った時にはここで降りた)でトランジット、時差が1時間、バリなどと同じ時間だ。03:00到着、5;20に出発、私が乗ってきた飛行機はアンボン行きだったので、別の便に乗り換える、今度の便はソロン経由マヌクアリ行だ。

 

ソロンに到着して、さて、何をしようか考えた。観光インフォメーションを探したがない。いかつい顔をしたおじさんが、大勢、そこら辺りにたむろしていて、皆さんが、タクシー?とつぶやいてくる。適当に、その中でも、一番、体つき、顔つきが一番怖そうな人に、話しかけた。ラジャ アンパッへ行きたいことと、先ず、ホテルで寝たいと。すると、周りに数人の友達?同業者?が集まってきた。皆さんがOK.OKという。私に任せろと名乗りあげている。最初の人に、頼むことにした。先ず、港に近いらしいホテルに案内される。ワイファイを使えるというので、そこにした。70万Rpだった。パプアの物価はジャカルタと同じくらい高いことは、今までの経験から分かっていて、このくらいかなと納得した。ネットで調べても40万Rpが最低で、70万Rpは平均だった。

 

ところで、使えると言われたワイファイ、各部屋では使えなくて、ロビーでしか使えなかった。生憎、其のロビーで、結構、派手な結婚パーティーが模様されていて、その中のソファーに座って、作業しなければならないので、外出した帰りにちょっと寄って、確認しただけだった。また、持って行った、スマートフレンのモデム、圏外になっていて使いもにならない。マッカサールでは、使えた。

 

ここは、日本タイムと同じだ。先ほど頼んだタクシーの運転手に、一眠りした後13時頃から、ソロンを案内してもらった。特に、これといった観光地がなく、海岸をいくつか歩いた。その前に肝心な、ラジャ アンパットへどんな方法でいつ行くか、いつ帰ってくるのか、宿泊はどうするのか、だった。このいかつい顔を運ちゃん、かなり、親切に、港へ行ったり、旅に会社に寄ったりして、色々確認してくれた。28日の昼前に空港に戻らなければならないことと、島めぐりを、できれば、丸一日することが条件だった。

 

結局、ソロンの港から、定期便が9時と14時に出る。ワイサイからも同じ9時と14時にでる。所要時間は1時間半だと確認したので、明日、9時に出発して、28日の朝、向こうから出発することにした。それで、大丈夫ということし、実際1時間半以上かかるとしたら、27日の14時にワイサイから出ようと思う。泊まる場所はいくらでもあるという。島めぐりなどの手伝いをしてくれる人は、向こうに着いてから、行き当たりばったりで、頼むことにした。いつものやり方だ。

 

5時間ほど付き合ってもらって、60万Rp払った。明日、8時にホテルに迎えに来てもらって港まで送ってもらうことにした。明日からの天気次第だ。どうなることでしょうか。ここ二日は雨が降っていないという。もう、乾季に入ったようだと言っていた。

 

何ともない、普通の海の景色、ワイサイの方向だ。雲が何にみえますか。私にはフェニックスにみえた。

天気 どうかな 明日

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(^_-)-☆私もスルガへ出発

2017-03-25 16:46:24 | 旅行

 2988 平日なので、渋滞のことを考えて、18時には家から出て、空港へ向かった。ブリトゥン行きの時に、既に使ったことがあった、車の宿泊駐車場(パーキル イナップ)に駐車した。

 

今から、機内に入る。23;30発、ガルーダで、パプア “ラジャ アンパット”というスルガ(天国)に向かう。途中、マッカサール、トランジットで、現地時間8;45(日本時間と同じになる)ソロン着、待ち時間を含めて、11時間の旅になる。戻りは,28日の夜。栗崎さんに、メールで、今度の休日はゴルフ、キャンセルと、報告すると、また、例の処?という返事が返ってくる。例の処とは、パンガンダランである。しかし、今回は、じゃなくて、パプアだよと、報告してあった。

 

パプアは、ジャヤプラ(パプアの北東端)とムラオケ(パプアの南東端)は既に行ったことがある。それぞれ、日本にいては想像もできないほど、別の世界が広がっていたが、今回は、パプアの北西端のソロンという町を目指す。写真では見ているが、実際、どんな景色が目に入ってくるだろうか、期待が膨らむ。

 

リッポチカランのシロアム病院です。栗崎さん、三日間ここで皆様の見送りを待つ。手前のサヒッドリッポ ホテルとの間を曲がって、駐車場に入れますが、満車の場合が多い。隣のCIMB NIAGA銀行の駐車場は広い。運転手は路上駐車で待っているでしょう。

 

先ほど、甲子園選抜で静高が勝った。失礼だが、相手に恵まれた。“甲子園、出ると負けの静高”小学校のころから、そう思っていた。「何だ、また、静高か、静商(セイショウ)が行けばいい」と思っていた。ところが、二年の時に、夏、準優勝しちゃった。私の同級生たちだった。よかったねという印象だった。それから、何十年も過ぎて、何度も甲子園へ行っているが、一度だけ、準優勝したのかな。やはり、出ると負けか、二回戦負けが続いているという印象だ。今回はどうでしょうか。過去、選抜は15回出場、15敗ということは、優勝していないということ。そして、9勝しかしていないということは、一回戦負けが6回以上ということを示している。例えばの話、三回、二回戦で負けたとすれば、一回戦で9回負けたことになる。どうですか、期待しても無駄だよと言っているようなもの。今回は、どんな理由で特別枠をもらったのか知らないが、相手を一回戦だけは勝たせてやろうというようなチームと当たった籤運が良かったみたいでしたね。自分の出身校をけなしてはいけないが、統計的には、こんなものです。

 

甲子園に出場となれば、何回出たって、その都度、寄付金の集まりがすごいが、直ぐ帰ってきてしまうから、余ってしまうと聞いている。商店街や県庁や市役所で募金箱を持って回れば、またかよ、と言われながらも、直ぐに箱が一杯になるらしい。私の処には家に振り込み用紙が送られてくる。何回か振り込んだことがある。

静高 選抜 旅立ち

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(^_-)-☆今回の旅から

2017-03-18 23:02:57 | 旅行

 2981 ブリトゥンの旅は、景色やガイドなど現地の人々との接触は満足だったが、気に入らないこと、気を付けなければならないことに沢山であった。インドネシアだからと言って、ティダ アパ アパ、と、言いたくない。

 

ホテルのワイファイ、使えることを確認し、止まることにした。フロントでパスワードも教えて貰った。そして、部屋で接続してみた。繋がらない。フロントに電話で聞いたら、修理中だから、10分ほど待ってほしい、できるようになったら、電話するから、と言われた。一向に電話が掛かってこない、30分後に試してみた。ネットワークなし。また、電話した。故障をしているという、いつ治る予定か聞いた、いつになるか分からないという。私が持っているスマートフレンのモデムは、圏外としか出てこないから使えない。結局、ネットに繋ぐことが出来なかった。最後の最後、空港でもネットワークなしだった。

 

ジャカルタに戻って、先ず、車の宿泊場からの迎えの車について、何処で待つのか案内に聞いたら、決まった指定場所はないという、呼べばいいという。駐車チケットに駐車場に掛かりの電話番号が書いてあるから、そこに電話して呼び出すと言われた。そのチケット、車の中に置いてきたので、持っていない、と言ったら、それじゃ、だまだよ、持ってこないのが間違いと言われた。誰かを送ってきた通り掛かりの車を捕まえるしかないという。それも、到着フロアーで待てという。どうも変、送ってくるのは二階の出発フロアーじゃないのかというと、いや、下に来るから、過去で待てという。一向に、通らない、来ない、40分ほど待っていたが、待ちきれずに、彼らを無視して、二階で待つことにした。二階でも、掛かりに何を待っているのか聞かれ、先ほどと同じことを言われた、しかし、待つしかない。30分ほど待って、やっと来た。外に出て、1時間以上、イライラさせられた。電話して迎えに来てもらうシステムなど知らない、聞かされていない。普通は、シャトルバスの後場と同じように、駐車場からの迎えの車を待つ場所を作っておくと思う。そんな場所かない。

 

駐車チケットは持って出るのが当たり前だとも言われた。日本のように、買い物をすれば、無料になるなどのシステムなら、持って出るが、インドネシアには、そういうサービスはないから、持って出ることはない。車を盗難されて、チケットがあれば、外に簡単に持っていかれるでしょ、駐車券は車の盗難防止の為に持って出るのが当たり前と言われた。なるほどと思うが、車の盗難など、私の周りで20年以上、聞いたことがない。それより、決まった待機場所がないなら、迎えに車を呼び出すシステムなら、そのことを、チケットを渡すとき言うのが常識でしょ、と言ってやった。運用して、多分、半年以上過ぎると思うが、足りない部分が沢山ある。インドネシア人は、問題ないのでしょうか、不思議だ。

 

16時半に外に出て、18時前にやった、駐車場から脱出した。それから、ジャカルタ方面に向かい道が分かりにくい、新しい道だが、案内の看板がない。とにかく、山勘で、道を選んで進んだ、LRTの線路に突き当たり、線路沿いの道に出た。どうも、方角が反対、しかし、一方通行、戻れない、レールの反対側の道は、向こうからの一方通行になっている、あちらの道に行かなければならないと思っていた。すると、500mほど先で、その線路を跨いでUターンするように、陸橋の道が出来ていた。ぐるっと回って、先ほどと反対方向(ジャカルタ方向)になった。そして、先ほど線路沿いの曲がった、突き当りの場所も通り過ぎて、100mほどのとことで、やっと、右折、ジャカルタ方向という看板があった。不思議な事に、何故、先ほど線路の突き当たった場所に陸橋を作らないで、500Mも離れた場所に陸橋を作ってUターンさせ、合計1km以上も遠回りをさせなければならないのでしょうか。相当な無駄使いだと思うし、時間や燃料も無駄になるのに。

 

今度は、渋滞の心配があった。ウイークデー。渋滞は覚悟していた。タマン アングレックのずっと前に大渋滞にハマった。北回りをしようか、迷ったが、グロゴール側を選んだ。20時前にはジャバベカに着くかな、と思いながら、渋滞の中に入っていた。

スマンギまで1時間、そこで、友を下して、ブカシバラットまで2時間、もう20時を回っていた。家に着いたのが21時過ぎ、クラッチを踏む足は、良く、釣らなかったと思う。とにかく、全ての出口の手前では渋滞になる。出口を過ぎると、少し流れが速くなるが、しばらく走ると、また、出口に手前の渋滞になる。

 

ということで、一日中、PCを開くことはなかった。家に戻って、やっとブリトゥンの投稿が出来た。もう、22時(日本時間0時)ちょっと前だった。やっと、その日に、間に合った。

楽しんだ後の大試練だ。平日のジャカルタは、とんでもないことになるから、絶対に行きたくないが、今回は仕方がなかった。

 

パンタイ ブキット ティンギのほんの一部。

 

この海岸、素晴らしい景色、しかし、遠浅の海岸は汚染せれていて、色が黒っぽいし、臭い。歩いてみようとしたが、歩ける状態ではなかった。

 

ヒラタ美術館(記念館)どぎつい、配色のオンパレード、ヒラタ氏がこれを認めたのか、彼の考えなのか、以前の素朴な自宅のままの時の方が私は好きだったが、今のペンキ塗りの家や周囲の壁は、気分が悪い。彼の作品は,“二十四の瞳“を、模したと言われても仕方がないような内容だが、その世界と、今の展示場の雰囲気は別の次元というか、世界だ。彼の本心が今にあるとしたら、ラスカル プランギは、いったい何なのだろうかと思う。やはり、本当に彼の作品その物かどう疑いたくなる。それに、彼の作品で、これ以外の物を聞かない。

 

http://otaenplaext.net/newpage48.html  前回

http://otaenplaext.net/newpage49.html

 

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html 前々回

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html

汚染 不十分 俗っぽい 

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(^_-)-☆チカランに戻った

2017-01-13 22:45:28 | 旅行

 2916 東海岸のホテルに三泊したが、雨季の今、まともなサンライズを一度も見ることが出来なかった。また、西海岸のサンセットも雲の中だった。

 

今朝の日の出から一時間以上過ぎた時の東海岸。

 

 西海岸の私が言っているウミさんのレストランでミーゴレンを食べた後、 8時半に出発、9時半、バンジャルサリを通過、順調に10時、バンジャールを通過 両側の広大な田園地帯は、今、実りの時期だ、沿道のバナナの木?には、バナナの大きな房?を見ることができる。パパヤも今が時期のようだ。典型的ンインドネシアの田舎の風景が続く。順調にチアミス、タシクマラヤのバイパス的道を通過、チレニーの高速道路入り口近くに着いたのが、五時間後の13時半、しかし、ここで、予期せぬ渋滞になってしまった。ここは昔は十字路になっていて、当たり前だが、直進、左折、右折ができた。今は、左(ゲートの方)にしか行けなくなっている。といことは、直進、右折の車も左折して、右側の車線からUターンしなければならない。その辺りがいつもちょっとした渋滞になっていることは知っているから、いつもは、左に曲がったら、一番左車線の通っていた。ここで、車が動かなくなることはなかった。今日は、車が動かなくなる時間が長い渋滞だった。平日なのになぜだろうか、トラックやバスが通過できない場所があるから、それが、遠因なのか。とにかく、高速道路に入っても芋虫渋滞が続いた。このバイパス的自動車道、パジャジャランまで、20分くらいで通過できるのが、1時間近く掛かってしまった。そして、ここへきて、渋滞が無くなってしまった。原因が分からないままだった。

 

 すぐ、左側の大型車の列が始まった。チカムニンから一般道に降りなければならないからだ。その5分後。大型車通行不可の原因になっている橋に差し掛かった。急降下から急上昇する道に最下部に当たる。いつ頃、治るのか表示はない。どんな補強しているんでしょうか、道に下なので、これも分からない。こんな場所ですよ、中国製に高速鉄道予定地は。

 

 チバトゥゲートで出て、グラハタマンに戻ったのは。15時半、途中、給油で止まっただけだったが、往路より30分長かった。無事に戻った。明日は幾つか約束が入っているので、どうしても、今日には戻っていなければならなかった。

 

 そして、疲れた。こんなに毎日疲れてまで、どうして、こんなことを止められないのだろうかと思う。自己満足。爆睡。

心地 疲労 満足

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(^_-)-☆お勧め旅先

2016-11-29 22:23:54 | 旅行

 2874 ゴルフばっかりやっていないで、偶には、ちょっと、インドネシアの風景を楽しんでみたらいかがでしょうか。暮れ正月の帰国しない方には特にお勧めします。

久しぶりの旅のお勧め先の紹介です。が、最近は旅をする機会が少なくて、新しい場所はありません。

一泊二日なら、なんといっても、バンカブリトゥンのブリトゥン島です。バンカ島ではありません。空港は、Bandar Udara H.A.S. Hananjoeddin、Kota Tanjung Pandanタンジュンパンダンのハナンジョディン空港ですね。ここなら、家族、友人、デート何でもありで、宿泊も周遊費用もピンキリで、自分たちのペースで楽しめると思う。ツアーもあるが、出来れば、自分たちに合ったコースと時間設定を、現地について,空港で、交渉したらいいと思う。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0075.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00092.html

http://otaenplaext.net/newpage48.html

http://otaenplaext.net/newpage49.html

これらの写真を見るだけでも旅をした気分になるかもしれませんが、如何でしょうか、行って見ませんか、日本にいては、味わえない竜宮城の感覚に浸れるかもしれません。スカルノハッタからトランジットなら、日本の朝出て、その日の夜には現地到着です。インドネシアに住んでいる方なら、昼前の現地に行けます。翌日、サンセットまで滞在できます。

二泊三日(最低)もっと長期なら、もっといい。インドネシア、ほとんど、全ての島に行っているし、秘境的なところにもいっている。何か所かの山登り、何か所かで泳いだり、シュノーケリングもしたりしている。伝統的な隔離したへの訪問もしている。いろいろな動物にも会っている。植物にも、花にも。いろいろな食べ物も食べた。

私の行動力に従うと、パンガンダランに匹敵する場所はない。パンガンダラン周辺と言った方が良い。私のウェブサイトで、もう結構と言われそうなくらい、紹介をしている。インドネシアらしい風景や食べものや人情に触れる事が出来るし、インドネシア人の行動、生活ぶりも目の当たりにする。

http://otaenplaext.net/newpage21.html 2014年に書いた資料です。ジャカルタからのルートと周辺の詳しい地図も載せています。 

http://otaenplaext.net/newpage19.htmlヌサカンバンガン チラチャップ

http://otaenplaext.net/newpage20.htmlフォト

http://otaenplaext.net/newpage33.html ラフレシア パトゥマ フォト

 

ここも、家族ずれには最適です。圧倒的なインドネシア人の大群の喧騒の中を、ちょっと、海の沖へ、山の中へ、ジャングルの中へ出かければ、喧騒とは無縁の自分たちの世界にワープする。但し、惜しいかな、パンガンダランは、日本からの旅ということになると、ちょっと、難しいですね。

ブリトゥンもパンガンダランもどちらかというと、海、海岸の風景を想像するが、山側も日本ではなかなかお目に掛かれない、見どころが沢山ある。鉱物資源の発掘や各種果物やゴムのムランテーションなどは、勉強にもある。

 

FPIイスラム防衛戦線(Front Pembela Islam)は、Super Damai宣言 12月2日のアホックデモは、超おとなしい、を宣言した。

 

新工場も二か月以上遅れたが、やっと、目途がついた。今日、最終チェックのつもりで現地へ行ってきたが、矢張り、まだ、があって、明日、9時にもう一度、チェックに出かける。

天国 竜宮城 別世界

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(^_-)-☆バニュワンギ

2016-09-10 22:44:38 | 旅行

 2794 チカランから1000Kmほど東、ジャワ島の東端、ちょっと東向こうに、バリ島がある。ここは、バニュワンギBanyuwangiです。今朝、5時前に家から出て、ちょっと、ここまで来てしまった。スカルノハッタ空港のターミナル3がガルーダのドメスティックになっている。以前、コタキナバルへ行ったときに、アジアンエアーでここに来たことがあったが、様変わり、広すぎるし、案内板が私には読みにくい、大体、ガルーダのカウンターが、やたら沢山あり過ぎて、どこのカウンターへ行ったらいいか分からない、私が預ける荷物は持っていないから、バゲジを預けない、エコノミーカンターに行けばいいが、それだけでも、多すぎる、結局、聞いてしまった。どこでもいいよと言われた。

 

次に、搭乗ゲートに行くにはどこからか分からない、広いフロアーの人の流れを見ても分からない、分かたないはずだった、ずっと向こうの端で、それも、そのあたり、レストランやショップを建設中で、簡易の壁が沢山あって、ゲートへの入り口にその20mほど手前まで行かないと見えてこない。

 

渋滞を見込んで、余裕を見て、早く、家から出てきた良かったと思う、渋滞はなく、空港へは早く着きすぎたが、空港内で、いろいろ、探すのに時間がかかってしまった。聞いてしまえばいいのだが、聞かないで、自分で探そうとしたからだ。それも、また、旅の始まりとしては良いかなと思う。

 

スラバヤ、トランジットでバニュワンギ、12時には到着した。何も、決めてないので、先ず、インフォメーションらしきところで、ホテルを探していることと、今晩、イジエンの火口に行きたいと話したら、一人のタクシードライバーを紹介してくれた、彼が、全ての世話をしてくれるでしょうと。AJIさん、41歳だそうだ。聞くと、結構、詳しく、私の行動を提案してくれる。結局、彼の世話になることにした。私が、移動する度にタクシーを使ってほしい、それが、彼にとってのメリットになる。先ず、ホテル、一泊40万Rp以下を指定した。そして、今、泊まっているホテルスラメットに落ち着いた。一泊、30万Rp,三日で90万Rp、私にとっては十分すぎる状態のホテルだ、プンギナパンとは言わない。

 

朝食付きだ、今晩、11時にホテルから出発し、戻りは明日朝、7時ころになる予定だから、戻ってから食べられる。先ほどの夕食は、表の通りを散歩しながら、ウビバカールを500g、1万Rpで買って、歩き食いをしていたら、バソマランの屋台を見つけて、それを食べた。バソマランはインドネシアでバソとしては、一番有名で、私は、本場で食べたことがあるが、確かに、私に合っていて美味しかった。バニュワンギのバソマランはいかにと、美味しかった。マランで食べた時の味がこんなだったと思った。

 

プロペラ機、久しぶりに利用した。乗り心地は、良し。それほど高くないところを飛ぶので、下の景色がよく見える。今晩 登る山の北側を通過、左の高い方だ。Gunung Ijien。

 

バニュワンギの空港に着陸する前の下の景色、畑や田んぼがパッチワークのように広がっていて、これも、きれい。

 

眺め バソ 旅

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(^_-)-☆ニルワナから戻った

2016-05-23 22:48:39 | 旅行

 2684 今朝6;30頃の西海岸、南北の海岸で、海は西側インド洋です。南方面はパンガンダラン半島(チャガール アラム)、北は、半島の肩です。その肩を西に向かうとグリーン キャニオンやバトゥ カラスなどです。どうですが、この人達、どこから湧き出てこの海岸に集まったのでしょうか。ライフガードの話では、4万人くらいだという。野球場やサッカー場に比べればたいしたことはないかもしれないが、とにかく、芋の子を洗うよう、という、表現では足りないくらい、私の視力ではどこまで向こうまで人がいるのか分からない。写真でも分からない。先日四連休は、こんなものではなかったという。 

http://otaenplaext.net/newpage22.html

 

特徴、1 海水着は一人もいない。2 90%以上の人は立って居る。3 子供とその保護者が水際に座ったり、ボディボードをもったりして、10mほど先まで、海水に浸かっている。50以上沖まで50cmくらいの深さだ。4 波の高さは、朝のうち1mくらい、午後になると2m近くなるので、その波を潜り抜けて沖まで泳いで行く人は一人もいない。沖へ泳いでゆく人も20年近く来ているが見たことがない。見たことがあるのは、私自身だけだった。サーファーはボードを持っていて沖へ行く。5 浮き輪を持ってくる人はいない。そのあたりに売っている店もない。昔、タイヤの貸浮き輪があったが、今は、貸しボディボードだ。6 そして、この人達、8時前に、海岸から消える。どこへ行くのでしょうか、変な乗り物に乗ったり、買い物をしたり、宿泊所でくつろぐのです。日帰りの人は,それだけで帰る。7 海岸に人が殆どいなくなると、貴金属など落とし物を探る人が活躍し始める。若者男子はサッカーを始める。8 17時ころ、テントレストランで夕食のためとサンセットを眺めに、大勢出てくるが、朝の半分ほどの人数だ。それでも、多い。

http://otaenplaext.net/newpage21.html

体中が痛む中、6時にチェックアウトで、西海岸のUMMIレストランへ朝食と別れの挨拶にゆく。昨日は、交代で一晩中、営業していたとか、UMMIさんもご主人も、今朝は、私を待っていてくれた。ハグをして、挨拶。海岸を少し確認し、写真を撮り、その間に、出来あがっていたミーゴレンとテンペ、アヤムゴレン付、でした。美味しい。

 

この家族には、もう、19数年の付き合いで、かわるがわる、息子さんたちが私のガイドをしてくれている。日本語学校に通う資金を援助したり、この夫婦が病院の世話になるときにもお見舞金を出したり、家族11人、今は、彼らの孫も6人、全員が私とかかわりがある、只、その中の一人が、亡くなっているのは、残念。7時15分、再会を期し、ハグをして、サンパイ クテムでした。

途中、給油と眠気を覚ますためにテンパット イスティラハット(サービスエリアー)に合計10分ほど、エンジンを止めただけだった。順調に帰宅、14時前だった。7時間かからなかった。写真を撮るときには徐行しているので、ロスがあるが、田舎の道、まだ、パンガンダランから出発する車はごくわずか、前方に車が見えることはほとんどなかったので、自分のペースで運転ができた。

いつ最後になるかを、思うようになった。一応、次はレバラン休暇のうち二三日泊まろうかと思っている。ジャングルに入る体力がいつまであるか。片道8時間くらい運転をして、往復できるのは、いつまでか。孫といつか行ってみたいが、出来るだろうか。

 

“卬高(こうこう)のダブルスのパートナー、逝ってしまったとの報、南のニルワナで思う。ペースメーカーの友はいかにとも。”共に卓球に関わった同級生を思う。

ちなみにNirwana 天国 涅槃の意味 バリ島のゴルフ場や北ジャカルタの斎場の名前にもなっている。

満足 まだできる 天国

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(^_-)-☆ブリトゥン

2016-01-29 22:57:47 | 旅行

 2569 インドネシアの旅先として、検索が、私のウェブサイトに当たる確率が一番多いブリトゥンについて、ふたたび、紹介する。

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/39583578.html

気持ちが洗われる。とでもいうのでしょうか。アートの島です。リラックスの島です。まず、前提は、天候に恵まれて入りことになるが、これは、どこへいっても同じこと、せっかく、スイスの山歩きをしても、雲の中だけを歩くのでは、箱根の山なのか、高尾山なのかわからない。ということで、ブリトゥンは、空と海と海岸の状態が最高なら、天国というか竜宮城というか、絵にもかけない美しさというか、息を飲む状態の連続だと思う。スイスは山だが、こちらは海。今は雨季、ブリトゥンを訪れる季節ではない。雨にたたられる確率は80%以上だと思う。それも、半端な雨ではない、強風が吹きはじめると、大雨が近い証拠、水の塊が落ちてくるときに起こす風だ。それをなんという風でしょうか、名前があると思うが、知らない。すべてが台無しになるし、場合によっては危険な状態にもなる。

 

お勧めの時期は、4月から10月前、乾季ですね。1月2月は最悪だと思う。という私は、二月に行っている。天候には、恵まれなかったが、雨季の晴れ間は、乾季の晴れ間より空気が澄んでいるので、それだけが救いで、思いがけなく、素晴らしい景色と場合によっては、ラスカルプランギの島のように、大きな虹の橋が現れるかもしれない。

http://otaenplaext.net/newpage49.html

http://otaenplaext.net/newpage48.html

ジャカルタータンジュンパンダン往復、40万Rp(3600円くらい)から、100万Rpとバラツキがある。スリウイジャヤが一番安い、ライオンエアーは高いようだ。飛んでいる時間は30分ほどだ。最高高度まで上昇しないうちに下降を始める。機内のサービスは基本的にする時間がない。

 

通勤の車の前、私の車を追い越して、前のトラックも追い越していった。インドネシアは女性のバイクの運転もかなり荒っぽいし、オジェックに乗っているスタイルもさまざまである。

ブリトゥン 芸術 リラックス

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(^_-)-☆ランチャール

2015-09-28 22:37:03 | 旅行

 2446 順調という意味です。仕事や交通などによく使います。

一応、四連休の最終日なので、午後の渋滞を避けるために。6時には、パンガンダランを出発した。家に着くまでランチャールでした。

 

道中は順調で、途中10時過ぎに、レストランに依って、本当に、久しぶりにイカン グラメのゴレンを注文した。イカン マスと共にインドネシアでは代表的な淡水魚です。ナマズと共に、ほとんど100%養殖です。日本人にとっては、ちょっと臭みを感じると思う。インドネアシア人は一般的には、サンバルと共に食べる。私はケチャップ マニスを付けて、臭みを消して食べる。美味しいですよ。ゴレンにした時の盛り姿を各レストランは工夫する。立体的な姿にする場合も多い。バカールかゴレンで食べる。この一匹をたいらげた。ナイギレン半分を頼んで食べて、5万Rpでした。

 

棕櫚(シュロ)を知っている日本人は相当の歳より、私の家は荒物屋でした。箒や羽毛を売っていた。藁や竹で作った者より高給で、庭ではなく座敷で使われていたと思う。その材料は、シュロと言っていた。南国から来た材料ということも知っていた。実際、収穫や集積を見たのはインドネシアでした。ヤシの木、全てかどうか知らないが、椰子の木のような木の高いところの葉っぱの付け根辺りに、こんなものがくっついている。タシクとチアミスの間の山道に脇に積まれているのをよく見かける。今でも、インドネシアからかどうか知らないが、輸入されたシュロで色々なものを作っている人もいると思う。

以前、私は、箒と羽毛と玄関の敷き物を日本へ土産として持っていたことがったが、飾られているだけだと思う。

 

旧日本軍が作らせたと思われる鉄道用の橋、今使われている物と、使われていないもの、信じられないと思うが、この小さな橋の事を近所の人は、テッキョウと言っていた。食事時間を込みで8時間掛からない2時前に家に到着、洗濯をして、疲れて直ぐに寝てしまった。起きたのは19時を回っていた。同じことをしていても、ゆかれ疲れ方は、増しているようだ。と思いながら直ぐ寝てしまって、目が覚めたのが01時を過ぎていた。

 

そろそろ、最後と思いながら、又、行ってしまったパンガンダランでした。雨季に入って暫く、ということは、12月の初めに、また、行けたら行ってみようと思う。それとも、コタキナバルへもう一度か。

シュロ グラメ チャペッ

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(^_-)-☆歩きまわる

2015-09-27 22:43:58 | 旅行

 2445 特にいってみたいところもないので、パンガンダランの首根っこの部分を歩いて回ることにした。いつも、車でスッと通り過ぎてしまうので、ゆっくり、様子を見ることはなかった。網の目のように張り巡らされた道の全てに、ホテルやロスメン、プンギナパンがあり、コソン(空き室)の札が出ている。車ではすれ違えないどことか、入ることができない、狭い道の奥にも、泊る場所がある。

 土産物屋も同じだ。体を横向きにしなければ通れない道にもある。それでも、まだまだ、増えるようで、建設中、増築中の施設が目に入らない場所はない。

 

 東海岸の地曳網は、毎朝、海岸道路を塞ぐようにして引いている。10年くらい前まであった海岸が消失してしまって、こんな状態になってしまっている。

 

 西海岸は昼間でもととろどころで地曳網を引いている。500mのロープだそうだ。2時間半掛かるという。収穫と言えば、気の毒に思うほど微々たるもの、大きな魚はいなくなったという。

 

ライフガードの事務所へ久しぶりに行ってみた。2006年だったと思うが、津波が押し寄せ、500人ほどの犠牲者を出した。その時の様子の写真が多く張られていた。私たちは、こんな活動をしているという表示だ。イピン君、彼とは、10年以上前にチャガールアラムへ一緒に入ってラフレシアを捜しまわったことがあった。彼が、説明をしてくれた。私が、ライフガードのユニフォームのスポンサーの一人だった事も、彼は、覚えていた。

 

  昨日の夕方とは打って変わって、人が湧き出していた。本日、夕方6時前の西海岸の人出です。凄いでしょ。泳ぐ人は一人もいない。少数に人が、発砲スチロールの板で、戯れているだけ、他の大多数は、写真を取っている。只、立っている。単に眺めている。砂遊びをしている。男も女も日本で言う水着を着ている人は一人もいないし、ジルバブをしたままの女性が多い。

 

こういう雰囲気の中で、海岸端でじゃれているインドネシア人を尻目に、私だけが、沖へ向かって、泳ぐことが多かった。100mくらいまでは水が引いた時には足が付くほどの遠浅だが、沖で泳ぐことは禁止なっている。私は、ライフガードに断って、2~300m沖で、プカプカ浮きながら、海岸に沿って泳いでいた。パシール プティーへ向かうボートが時々、私の傍を通る。それを、監視していて、もし、助けを求めたら直ぐに救助に来るように頼んであった。一回だけ、頼みもしないのに、数人が、私に向かって、競争をするように、向かって来た。私は、もっと、沖へ逃げたが、直ぐに捕まってしまった。訓練のつもりだった。彼等は直ぐに海岸に戻ったが、私はゆっくり戻った。そんな事も、イピン君は覚えていた。今は、流石に、足がつることを心配して、沖へ出ることはしない。

 湧き出た 大混雑 ブラブラ

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