南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆怒鳴れない 

2012-10-22 23:01:21 | 行きすぎ

1376 私に対して、怒鳴った人に、怒鳴り返したことはある。その組織で私より地位が高い人達です。そういう人達が私より仕事ができるとは若いころから思えなかった。そういう人達は私より遥かに高額給料を受けとっていることも許せなかった。そういう人達は私に限らず、怒鳴る対象の人達に自分がやって手本を見せることはできない。出来ないのにも係わらず、自分が想定した速度でできなかったり、想定した機能を持った製品ができなかったりすると、“いったい、なにやってんだ“と、みんなの前で怒鳴るのです。“そんなにいうなら、自分がやればいいじゃないか”と工具を投げ出して、その場から、逃げ出し、工場の外回りを何回も回りながら、頭を冷やして元の現場へ戻ったことも何回かある。こんなことで、仕事を投げ出したら自分の負けだと思うからだ。結局は客先に説明をするのは私だし、満足される製品を作るのは私しかいないからだ。その完成した製品を持って行くのはその私を怒鳴った人である。

しかし、客先は分かっている。客先の担当者も早く作ってほしいし、その製品を持って、主力商品にしたいから熱心です。私は土、日曜日に出勤して試作を当たり前のようにしていたので、客先の担当者も土日でも様子を見に来ることがしばしばだったから、私一人がその製品に関係していることは十分知っていてくれた。

 

29歳で、サラリーマンを止めたのは当然の成り行きだった。当時の工場長は私が辞表を出して半年も受理しなかった。大学の時の先生や親会社の取締役をしていた私が家に招かれて囲碁の相手をして方に頼んで私を説得してくれたが、一度出した辞表を引っ込めるほど半端な決心ではなかった。半年後にやっと、離職票を受け取って、職安へ持って行くことができた。半年間、出勤しないで子守りをしていた。給料はいらないというのに、振り込まれていた。

 

そういう私ですが、指導対象のインネシア人、社長時代の部下たちに対し、怒ったことは一度もない。カッとなって怒鳴ることなど出来ようがない。部下や教え子にたいし、世間でいう、“頭にきた“ことは、一度もない。しかし、上司の分からず屋には何度も“頭にきた”ことがある。

思うように事が運ばない時には私の指導の仕方を考えなおす。充分指導したと思っていて、出来ない場合は、残念ながら、この人はこの仕事に向いていないと思う。他にこの人に向いた仕事があるはずだと、説得する。部下や指導対象者で、お山の大将的気分で、怒りっぽい人には、同じ程度の仲間と一緒にやるような仕事の場に変えてやる。

部下の中には“社長は甘い。怒るべき時はある、そういうときには怒ってやることが、その人にためになる“と私にいう人がいた。”そうか、それじゃ、まず、怒鳴らなければならないのは、何々君だな“とその人間にいった。彼は黙ってしまった。

 

だから、インドネシアで仕事をしている時にはインドネシア人に取って私は、何でも話せる良い人である。色々な個人的な悩みをきいてやるし、皆さんを食事に招待したり、ジャカルタへ連れて行って、ボーリングやアイススケートやジェットコースターなど、全く、経験したことが無いことを経験させたり、夜学に通う人に学費を出してやったり、社内のチェス大会や卓球大会など後援をしたり、とにかく、皆さんの職場が楽しくなるように支えた。勿論、技術指導に必要な言葉は半年でマスターしたくらいだから、日常会話などはもっと早く覚えた。

こういう技術指導者(テクニカル アドバイザー)の身分の私の存在が邪魔になるのは当然かもしれない。組織のプレシデント ダイレクターやマネージャーの日本人にとっては、全てのことが彼らには出来ないことだし、やろうと努力しようなどとは思いもよらないこと、そんな余裕も気配りも行動力も補助心も持ち合わせていない。ただ、思うようにさせたいだけ、それができなければ、怒鳴るだけ。

 

着任早々、本社の当時のNO2のO常務が、インドネシアに来た時に、いきなり、「太田さん、あんたみたいな人(仕事の手伝いをするよう外部から呼ばれた人、そういう人は役立たずで給料だけ持って行く、と、彼が思っている人達)は本社に大勢いる、とにかく、何もしないで、契約期間が終わるまでじっとしていてくれればいい」と、おっしゃった。また、押出しの現場の環境のことでその常務に提案をしたら、「あんたは、ないも言わんでええ、黙って見とりゃあええ」と、名古屋弁?で怒鳴られた。

インドネシアのプレシデント ダイレクターやマネージャーはその人の子分たちだった。それ以後、常務がインドネシアに来ても、まったく、しかとされた。挨拶をしても、知らん顔された。それほど、私のやることは、気に入らなかったのです。インドネシ人に受けがいいことを気に入らなかったのです。彼らができないことを私を使ってやればいいのに、そうして、インドネシア従業員が素直に彼らになじむようにすればいいのに、そういう、能力は彼らにない。

 

 それらの人は、今は、どこで何をしているのでしょうか、今は、組織から外されている。

 

 カキリマを運んできても、ここで商売してもいけない、禁止と書いてる看板の前でカキリマが商売をしている。

 

火炎樹と散り落ちた花弁。

能力 実行 補助心

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