1373 意外にも、昼前、押出機三台、ナイフカッター付き引取機二台がタンジュンプリオクから到着した。これで、大物の装置は揃ったことになる。
十何年もインドネシアで技術指導をしてきて、何ライン作ったでしょうか、恐らく、20ライン以上作ったでしょうか。最初は一ライン一千万円くらいかけて日本から持ってきたが、十ライン以降はインドネシアで中古押出機を買い、引取機などの後続装置はインドネシアの町工場を指導して作ってもらった。一ライン四百万円くらいでできた。今回は、押出機を、私が昔使ってた太田化工に置いてあったものをほとんど運賃だけで持ってきた、後続装置は水槽とスパイラルカッター付き引取機だけをインドネシアの町工場でつくってもらったので、一ライン二百万円ほどで整えることができた。
今、日本で、50mmφ押出機チューブ製造一ラインを手に入れるには2千万円が相場でしょうか、事実、ここ数年以内に、自社で使うチューブ製造装置を日本で買って持ってきた会社を二社知っている。一社は一台の押出機から二本取りをするライン、四千万円かかったそうです。それも、収率が良くないし、稼働率も50%以下なので、他の仕事を取りたいが、他の種類は出来ないという。太田さん、買ってくれないかと言われたが、丁重にお断りして、その会社で使うチューブの内、その装置では出来ないものを、私が作って納めていたので、今はN社がお手伝いしている。
まだ、直ぐに装置を動かすことはできないが、全ては社内で準備をすることが残されているだけなので、スケジュールを立てやすい。今月中には全ての準備を完了し、始動スイッチオンをしたいと思う。
長い間待ったが、待たされたという気はしない。順調にことは推移していたが、その順調はインドネシアでの順調なので、とにかく、ゆっくりである。私はその行程で、何もできない。お任せするしかない。それを、分かっているので、焦る気持ちは無かった。御客さんになってもらう方たちにも、何も、日程については話さなかった。
これからは、他人に任せることではなく、自分でやることだから、話をすることができる。稼働までのスケジュールを建てなければならない。
一人だけ、かなり遅れて私の教え子になった若者をリーダーとして入ってもらった。前の会社ではカルヤワン トゥタップ(正社員)になれなかった人です。今、問題にされているコントラクト(契約社員)のままの人です。
私の10年以上の元部下たちの全員は正社員になっているので、給料もある程度高く設定されている。トップは10ジュタ貰っている。平均で6ジュタくらいだろうか。そういう人を私のもとへ呼ぶことは無いし、もし、今の会社を止めてしまっても、私は拾わない。
心境としては1996年にインドネシアへ上陸し、仕事を始めた時とほとんど同じなので、最低賃金の若者を採用して、育ててゆくつもりだ。
急こう配の急カーブの道、スキーでパラレルをしている気分。ジャワ島中央部の山岳地帯では珍しくない。
すれ違うことができない、山賊が出そうな山道、実際に山賊に会ったことは無いが、若干の不安を感じる。
揃い踏み 高ぶる ついに来た