南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆物忘れ

2011-12-31 22:05:41 | 欲望

1080 06:30家から出発、静岡は菊川インターチェンジからホロンというゴルフ場へ。年末恒例の寒さ我慢ゴルフである。手がかじかんでというより、指先がしびれてしまって感覚が無い、その上風が強くて、なお寒さが厳しい。鼻水が止まらない。厚着で寒いので体が回らない、パットも震えながらなので、入るはずがない。スコアーなど、どうでもよくなる。そういう状態が分かっていて、ゴルフを日本でやるのはなぜか、お付き合いの何ものでもない。

 別の話だが、それと、日本のゴルフで一番い気にいらないのは、前半、後半通しで出来ないこと、必ず、一時間程度の休憩?時間がある。その時に何も飲んだり食べたりしないで待っていることはあり得ない。どうしたって、飲んだり食べたりする。それが、ゴルフ場の狙いだと思うが、いかにも、金を使わせたいのが見え見えである。だから、せっかく、早朝からプレーしても終るのが15:00頃になり、家に戻るのは夕方になって、一日掛ってしまう。インドネシアなら、通しでプレーするのが原則なので、12時前には終ってしまう。お昼から、別のことをしようと思えばできる。事実、仕事をする人も多い。

 

 高速へ乗ってから、いつも無意識のうちにズボンの後ろポケットに入れてある財布が無意識のうちに入っていなかったことに気がついた。高速代を払うお金が無い、クレジットカードも無いことに気がついた。ポケットから出して、コンピューターの脇に置いたことを思い出した。免許証もその中だった。さあどうしよう、何か、身分証明書のようなものを渡して後日払うこということはできるだろうか、などと、考えていた。パスポートは持っていたのでパスポートを預けておくか、などと考えた。走行しているうちに、インドネシアで使っている財布がバッグに入っていることを思い出した。幸いなことに、財布の中には、インドネシアで使っている銀行のカードが入っていた。ほっとした、これで支払いができる。高速代もゴルフのプレー費もこれで払うことが出来た。幸い、オリンピックは受け取る側だったので小銭はいらなかったが、支払う側だったら、3日まで待ってもらうことにしようと思っていた。

 今日は、幸いにもクレジットカードを持っていたから事なきを得たが、もし、無かったら、どうなっていたでしょうか。うっかり病がひどくなってきた事を思い知らされる事態だった。何かを置き忘れて家から出てしまう事が、年を取るに従って多くなっている。そういう意識をしているのだが、その、意識を忘れてしまうので、忘れ物が多くなってしまっている。

 インドネシアをイメージして粘土で風景を作っていた。今日のゴルフの一場面、パットをした後、ボールを追いかけている人生の先輩。

 寒い 認知症 忘れ物

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(^_-)-☆無意識な物忘れ

2011-12-31 08:04:37 | 知識

1080 06:30家から出発、静岡は菊川インターチェンジからホルンというゴルフ場へ。年末恒例の寒さ我慢ゴルフである。手がかじかんでというより、指先がしびれてしまって感覚が無い、その上風が強くて、なお寒さが厳しい。鼻水が止まらない。厚着で寒いので体が回らない、パットも震えながらなので、入るはずがない。スコアーなど、どうでもよくなる。そういう状態が分かっていて、ゴルフを日本でやるのはなぜか、お付き合いの何ものでもない。

 それと、日本のゴルフで一番い気にいらないのは、前半、後半通しで出来ないこと、必ず、一時間程度の休憩?時間がある。その時に何も飲んだり食べたりしないで待っていることはあり得ない。どうしたって、飲んだり食べたりする。それが、ゴルフ場の狙いだと思うが、いかにも、金を使わせたいのが見え見えである。だから、せっかく、早朝からプレーしても終るのが15:00頃になり、家に戻るのは夕方になって、一日掛ってしまう。インドネシアなら、通しでプレーするのが原則なので、12時前には終ってしまう。お昼から、別のことをしようと思えばできる。事実、仕事をする人も多い。

 

 高速へ乗ってから、いつも無意識のうちにズボンの後ろポケットに入れてある財布が無意識のうちに入っていなかったことに気がついた。高速代を払うお金が無い、クレジットカードも無いことに気がついた。ポケットから出して、コンピューターの脇に置いたことを思い出した。免許証もその中だった。さあどうしよう、何か、身分証明書のようなものを渡して後日払うこということはできるだろうか、などと、考えていた。パスポートは持っていたのでパスポートを預けておくか、などと考えた。走行しているうちに、インドネシアで使っている財布がバッグに入っていることを思い出した。幸いなことに、財布の中には、インドネシアで使っている銀行のカードが入っていた。ほっとした、これで支払いができる。高速代もゴルフのプレー費もこれで払うことが出来た。幸い、オリンピックは受け取る側だったので小銭はいらなかったが、支払う側だったら、3日まで待ってもらうことにしようと思っていた。

 今日は、幸いにもクレジットカードを持っていたから事なきを得たが、もし、無かったら、どうなっていたでしょうか。うっかり病がひどくなってきた事を思い知らされる事態だった。何かを置き忘れて家から出てしまう事が、年を取るに従って多くなっている。そういう意識をしているのだが、その、意識を忘れてしまうので、忘れ物が多くなってしまっている。

 インドネシアをイメージして粘土で風景を作っていた。今日のゴルフの一場面、パットをした後、ボールを追いかけている会長さん。

 寒い 認知症 忘れ物

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(^_-)-☆質問と許可依頼

2011-12-30 23:01:19 | 複雑

1079 我が部屋は、日中は暑いほど温室効果が良い。閉め切りでは暑すぎるので、隣の台所との引き戸を全開にして北側の台所兼食堂に熱を送っている。

私のウェブサイトやブログに関連して、私に対する相談事や頼みごとの多くはインドネシアのどこそこへ行きたいがそのあたりの情報を欲しい、ということが一番多いが、二番目に写真を使わせてほしい、です。三番目が、プラスチック押出成形にかんすること。大ざっぱにいってこんなところです。中にはエアーチケットの購入やホテルの予約をしてくれというのが在る。流石にこれらは丁重にお断りをしている。

 また、中には、自分の名前だけ名乗のって、他に自己紹介について何も書かないまま、目的が何かも書かないまま、写真を使わせてほしいと頼んでくる人もいる。何も断りなしで使う人よりましかと思い、良いですよと返事をする。そういう人は、それに対するお礼返事が無い人の方が在るかに多い。

 インドネイア人で、日本で仕事をしたり勉強をしたりしている人は全国に散らばっていると云うことが分かるほど、日本のあちこちから頼みごとが来る、その大部分は写真を使わせてほしいと云うことです。インドネシアを周囲の日本人に紹介をするためが、やはり、大部分です。そして、多くのインドネシア人は地元の人々との交流会を盛んにやっていることも伺える。その折のスライドショーで使うのです。

 原則的には写真や文章を使っていただいて構いませんが、その使った後のことについては責任を負いません。私の説明が間違っている場合もあるし、文章が現状に合わない部分もあるでしょうし、使った人が間違う場合もあるでしょう。

 使いたいと思う方は、一応、ご一報いただくのがエチケットにかなっていると思うだけです。使用料を請求することはありません。

 

 押出に関しては、新製品を考案したが、作ってくれるところがないので、作るところを紹介してほしい、また、価格的に有利だと思うのでしょう、インドネシアで作って送ってくれませんかというのもある。おいおいと云う感じ、その考案した製品が私から見ると、とうてい、売れそうもない。その上、ターゲットプライスを書いてこない、何と言うか、条件が無ければ、答えようがない。そういう人が新商品と思うものを考えついても、たとえ売れそうな商品でも、売る能力が無いと思うので、答えない。

静岡県庁前

 旅 写真 文章

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(^_-)-☆仕事納め休養へ

2011-12-29 23:22:16 | 行きすぎ

1078 取りあえず母はまだ生きている。目は開けないらしいが、手足は、動かしていると云う。

今朝の出勤は、いつもの通り眠いままだったが、既に、休みになっている会社が多いのでしょうか、全く渋滞は無かったどころか、日曜日の様に道は空いていた。いつもより30分以上早く会社へ着いてしまった。いつもこうなら良いと思う。

 手のカジカミはどうにもならない。物を掴むとき感じるし、インドネシアでは全くしたことがない、ポケットに手を突っ込むと云う行為が自然に出る。

 この会社も今日が仕事納め、ほっとしている、馴染まない環境へ暫く行く必要が無いからである。次の出勤日は1月5日である。私としては日本でのサラリーマン(微微たる金額の給料は、)のような生活は29歳までだったので、疲れる、出来るだけ波風が立たないように、当たり障りのない仕事に特化してやってきたが、それでも、慣れない環境、なれない装置の中で想うように行かなくて、全く、経過、結果共に不満を感じている。ここでなければないと思うものは一つも無かったし、足りないものが多い上に、その足りないものを足りるようにする手段も環境も無かったし、そう長くない私のこの場の仕事では、他の人が使わない道具などを買っても、私がいなくなれば無駄になってしまう可能性が大きいので、そろえるわけにもいかない。後で、捨てられる運命にあるものを買うわけにはいかない。

 仕事に関しては、インドネシアと日本を約一カ月おきに往復して、それぞれの場でアドバイスと云うより、自分の仕事を作ってやっていた。それらは、それぞれの工場で量産に結びつける前段階の技術開発と試作でした。私がやるテーマは難しく、他社でも自社でも出来ない物を、何とかしましょうと、引き受けるのです。だから、自分が思うようにやりたいのだが、それが出来ない一年でした。

  その間にも、他の会社からの誘いや相談が在り、それにも、対応してきた。今年の後半は来年の三月末で契約が切れるとの会社との契約は延長しないつもりで、他社との相談にも乗っていた。自分でやる可能性もあるが、私的な都合もあり、暫くは休養期間を設けることも考えている。ということで明日から一週間ほどの休養日は私にとって考えを纏める日々になる。

 

 夕方、会長訓話、新聞を読んで最新情報を知ることが大切というのが骨子だった。今年は会社にとって難しい年になったが、攻めの気持ちは変わらない。30分ほど話して終わった。最期に何を思ったのか、“太田君ひさしぶりだな“云った、突然言われた私はどう返事をしていいか迷って、何も、答えなかった。もう、訓話は終っているので私の方へ近づいてきた。”明後日、よろしく”といってやったら、ニヤッと笑って、うなずいていた。訓話を聞かされていた従業員の50人ぐらいは、どんな、関係?と思ったことでしょう。

 通勤途中にある自衛隊の静浜基地

付き合い 面倒 抵抗

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(^_-)-☆入院した母

2011-12-28 22:26:46 | 状況

1077 会社を早引けして母親の見舞いに行ったが、睡眠薬が効いていて完全に眠ってしまっていて話しは出来なかった。しかし、熱は平熱に下がっていたし、呼吸も平常に戻っていた。顔色もよく、先ず、安心でした。

とにかく、96歳なので、医者も、どうしますか、処置をしますか、このままにしておきますかと聞いてきた。そのままにしておくとはどういう事?何を云っているんだ?悪いところが有れば治してもらいたいのは当り前でしょう。それを、何も、しないでおきましょうか、とは、何を云っているのだ。結局、肺炎なのです。その治療のための抗生物質を投与してもらうことと、熱を下げてもらうように頼んだ。一週間の予定で入院し、様子を見る。その結果に依って、また、次の手を考える、ト、返事をした。母のカルテはこの病院に20年前ほどからお世話になっている事を証明している。今回の医者は、寝ているところを、呼び出された、若手で、母を始めて担当することになってしまった。こちらにしても、彼を頼りにするしかないので、丁重にお願いした。

空いていたので、ナースステーションに一番近い、個室で、一週間、面倒を見ていただくことにした。まだ、葬式は出したくないので、もうしばらく、我慢して、この世にいてほしい。

 

何とかなった私が作ったパラマウントベッドのあたま側はパネルが三色だが、一番濃いグレーを二枚使って四枚のパネルを繋ぎ合わせてある、両サイドは銀色のUの字型の一見アルミのような製品が使われている。脚側は三枚使ってある。同じデザインで緑色一色のものもある。これはパラマウントベッドの来年のカレンダーの1月に紹介されている。

 

 私 母 妹

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(^_-)-☆特殊な日本

2011-12-27 22:54:56 | 複雑

1076 日本の伝統的な工芸品を主に各種道具類、衣料品にしても、一人が全行程をやるのではなく、専門の職人がそれぞれの工程を受け持つ、そして、それぞれが世界に誇る技術や素材を追求する。分業の世界です。現在の組み立てラインもその流れでしょう。それが、日本を支えてきたし、一応、先進国の仲間に入っている大きな理由の一つでしょう。

 それは、それでいいのだが、日本の鉄工場というか、金属加工場というか、分業化されているのでしょうか、溶着、肉盛りはやらないとか、旋盤は持っていないとか、一か所で全ての加工をする零細企業が少ない。修正してほしいと金型を持って行くと、これは内では出来ないとか、この部分は他のところでしかんできないなどと言われる。それも、簡単な作業なのに、そう言われて、紹介された他のところへ行って一部だけ加工してもらい、持ち帰ってまた、別の鉄工場で仕上げてもらうと云う方法を取らざるを得ない場合が多い。時間もかかるし、費用もかかる、何より、私が疲れる。もし私が動かなければ、それらの会社の人達が動く、もっと費用も掛るし、手に入れるまでの時間も予想がつかない。

 インドネシアなら一か所の工場で全部やってしまう。あちらこちらへ持って回る必要はない。私は動かないし、いつまでという指定もしやすい。日本は不便だし、高価格になるように出来ている。

 

 町工場がそうだから、会社の中の工作機械部門などに仕事は100%頼めない。何回か横を通ったことがあるが、人が作業をしている気配が無い。それでも依頼書を書いていつごろから作業ができるか確認すると一週間後とか十日ごとかの返事が返ってくる私にとってはとんでもなく遠い先の話になってしまう。頼めるわけがない。どこの部門の仕事をうけてやっているのでしょうか、相当、長い時間を掛けて作っても間にあう仕事なのでしょうね。修正だけなのに、図面が無ければ出来ないなどと言われると今度は自分で書かない限り、また、申請書を書いて何日も待たなければならない。もう、こうなれば、頼む気に全くならない。

 だから、どうしたって、外注でやってしまう。

 

 なぜかと云うと、先ほど01:00頃母親を病院へ運んで、そのまま、入院させた。

 トイレの手洗い場

 外注 修正 遠回り

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(^_-)-☆出鱈目行政日本

2011-12-26 22:09:54 | 矛盾

1075 朝7時二人揃って、まだ、布団に入っている私の報告に来た。エプロンとプリキュアのおしゃべりペンタッチファイルを持ってきた。ね、サンタクロースが来たでしょ,といいながら。

話しはガラッと変えて。日本国債の利息を上げなくても引き受け手が在るのは何故?国の借金の総額はGDP(国民総生産)の2倍である。そして、あまり意味はない数字だが総額は1000兆円、想像がつかない金額です。そして、税金など国の収入と同じ金額の借金を毎年、上乗せしている感じです。例えば1000兆円の借金は毎年20兆円増やしていって50年分です。勿論、借金増加は利息増も含みます。

私が知る限りでは毎年の予算編成の時に国債を減らす、歳出を少なくする、小さな政府、行政、地方に譲る、民間に譲る、と云っていた。何年後には借金を増やさないで利息だけはらうようにすると云ってきたように思う。しかし、借金は膨れ上がる一方、来年も大幅番ぶる舞い、公共事業を再開、この、困窮国家が何故バブル期に建てた計画をそのままにしようとするのでしょうか、若者人口は減るし、老人は増えるし、税収は尻すぼみなのに、止めてしまわないのか、復活するのか。仕分けはどうなったのでしょうか、もし、仕分けをしていなかったら、2~3兆円は予算が増えていたでしょう。

整備新幹線の意味を分かっている日本人は私を含めて少ないと思う。新幹線の延長と何が違うのでしょうか、今ある新幹線の線路や設備や車両を整備するための予算でしょうか。

それなら、民間鉄道会社がすることではないでしょうか。何とかダムの工事再開は何故、始めることにしたのでしょうか、止めて何か不都合が在ったのでしょうか。何年後かに完成して、何か良いことが在るのでしょうか。それらのことも、私を含めて大多数の日本人は知らない。

 

本当に税金を納め続けている私としては、税金を払いたくない。

 

そして、なぜ、こんな借金地獄で国が倒産しないのか、世界の中で円が安心と評価され円高になっているのか。それは、個人の資産です。国債を低利で引きうけるお金が民間にあるのです。外国が日本国債を売っても、それを買うお金が在るからです。国民の総貯蓄額が国を助けているのです。また、企業が銀行から借金をして設備投資をすることを渋っているから、銀行に預金されているお金は余っているのです。

しかし、それも、数年後には急激な減少に向かうという危機感を唱えている学者もいます。それもそうです。どこまでも借金を増やし続けられるはずが無いし、年金支給の時期の逃げ水現象と高齢化社会が深刻になって、貯蓄を食いつぶし始めるはずです。

 

税金 無駄使い 私僕

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(^_-)-☆めざす完全じじい

2011-12-25 23:00:18 | 複雑

1074 いつも28日頃から日本に帰ってきていたので、このクリスマスの前後には日本にいなかった。そのクリスマスイブ、孫たちと一緒に町の中心に行ってきた。市役所の地下駐車場に車を止めて、二時間ほど、界隈を歩いた。本屋へ寄って、本を十冊近く買った。一万円近く払った、高い。児童会館があるかと思って、県庁の前と脇を通って、内掘りの橋を渡ったところで、無くなっていることを知った。その後、散策したが、駿府公園内堀の鯉の大きさにはびっくり、高校時代から50年以上ぶりくらいに鯉を見たが、1m以上の大きさ、金色や紅色の濃いも1m以上はあった。掘りの主の大集合、橋の上から眺めていると、餌を貰えると思うのでしょうか、大集合してきた。

 “るくる“という駅の南の科学館へも行ってみた。浦島太郎の私としては児童会館が無くなっていることを知らなかったし、その代わりがあるかも知らず、そのあたりの人に聞いたら”るくる“というのがあると云う、どこか聞いたが駅の向こう側という、そのことだけを頼りに駅の南の駐車場に車を止めて、聞いたら、すぐそこだという。パスポートの発行場所と同じビルだった。遊びながら知らぬ間に理科の勉強になるという科学遊戯場である。大人も結構勉強になるだろうし、楽しめる。昔の児童会館のちょっと現代版ということでしょうが、当然、初歩的科学の知識を使った遊具なので、50年前の知識とまったく同じだと云うことは当り前、現象の理由も同じである。と、理屈を云うより、子供達にとっては面白い場所だと思うので、こういう場所は有って良いと思う。

 

 クリスマスケーキを買った。これも昔々、ある時、以来である。皆で食べた。こういう風景は何年後にも続くといいと思うが、どうでしょうか。と、孫たちはなかなか寝ない、興奮している。サンタクロースが来てくれるか気になっているのでした。先ほど23:00過ぎに彼女達の枕元へサンタクロースが贈り物を置いた。

 

 光の不思議という場所で、オレンジの照明は色を変えると云うことと、光の三原色を合わせると無色になることを使った光の遊び場。

 からくり人形のからくり。

 遊び 勉強 クリスマス

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(^_-)-☆この歳になって

2011-12-24 22:02:43 | 複雑

1073 出勤でした。今日も出勤途中は半分居眠り運転だった。これはどうしようもいない。帰りは寄るところが有って16:00過ぎに会社をでた。背後からの夕日が美しく、その明るさのなかで、眠気は全く感じなかった。一時間以上早く会社を出たことと、祭日だったことで、渋滞にもなっていなかった。明日、24日は孫や家族と一日中一緒なので一人で行動して買いに行くチャンスは無いと思い、帰りに遠回りをして、孫たちへのクリスマスプレゼント(サンタクロースからの贈り物)を購入した。何が良いか非常に迷ったし、姉妹で争いになってもいけないので、同じものでどちらにも楽しめそうなものを選んだ。おじいちゃんとしては、また、別のものを一緒に買い行こうと思う。

 冬至から一日遅れのゆず湯に孫たちと一緒に入った。庭の木から数個むしり取って風呂に放り投げた。孫たちはさっそく、つっついたり、叩いたりして、グニャグニャにして、中味をむしりだしてしまった。いいにおいだね、始めて、こんなの、と云っていた。こんな自分を客観的に見ると、この世界だけで良いんじゃないの、と思うでしょう。

 ところだ、そうはいかない。これはこれである。仕事の方はどうか、うまくいっていない。今の職場での仕事は、残り、5日間しかない。しかし、一つの課題で行き詰まっている。求める厚さの均一性がでない。こんなことは40年以上で初めてのことなので、どうしたらいいか分からない。今日になって、壁にぶち当たってしまっている。しかし、やることが無くなってしまっているわけではない。まだ、刀も槍も持っている。後、三日にかける。どうなるかな。

 何をするにしても、この歳になって、なぜやっているのと思うから、面白い。

先ほどまで,渡哲也と渡瀬恒彦の帰郷というドラマを見ていた。インドネシアにいれば、見ることができなかった。40年ぶりの共演だとか、私がサラリーマンを止めると決心した頃の事らしい。この歳になって鑑賞できる重い、思い話だと思う。

 流れ 徒然 成り行き

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(^_-)-☆命がけの往復

2011-12-23 22:09:01 | 仕事

1072 朝晩の車の中は毎日辛い。インドネシアでは車を運転して通勤もしているし、旅にも出かけている。何の苦痛も危険も感じることは無く、ただ、淡々と運転しているし、楽しい。気になったこと、苦になったことは一度も無い。しかし、日本で通勤を何十年ぶりに始めて、また、この寒い冬の通勤も何十年ぶりで、ただ、辛い、それも往復で3時間弱である。無駄な時間だし、危険だし、忍耐がかなり必要だし、良いことは何もない。

 朝、6:30頃まだ暗い中、そして寒い。暖房が効き始めるのが6:40過ぎてから、本当はまだ眠いのだが、その時までは震えているだけで眠くならない、暖房が効き始めると、眠気が起き出してくる。次第に眠くなる、ついには、時々目を閉じるようになる、それでも、運転し続ける。時々、前の車に急接近してはっとして急ブレーキを掛ける。時々車線を右往左往している。そのうち、渋滞にはまる。前の車が出ても、私は気がつかないでいる、はっとすると、前の車はずっと前へ行っている。インドネシアならとっくにクラクションを鳴らされているが、日本ではクラクションを鳴らされないので、そうなってしまう。慌てて、急発進し、前の車に近づく、また、うとうとしてしまう。目薬を刺す、ボトルの水で顔を洗う、それでも、眠気は収まらない。

 いつか書いたように、じぶんの靴下を脱いで、臭いを嗅げば眠気が飛ぶはずだが、これも私のその時の状態では効果が無い。ということで、一時間以上の運転の中で40分くらいは、居眠り運転をしている。なぜか、会社に近づいて、大井川の橋を渡るころ眠気が無くなる。

 会社から出る時には既に暗くなっている、帰りは会社から出たらすぐに渋滞にはまる。だから、その渋滞の中で、車の中は暖かくなる。眠気が襲ってくる。それから、一時間、居眠り運転である。時々、目をつむる。会社へ向かう時と同じことの繰り返しである。おまけに帰りの渋滞は家の近くでも起きる。一時間早く会社を出れば渋滞は全く無いが、時間通りに会社を出れば、出勤の時以上の渋滞になる。今日、はっとした回数は5回以上あった。危ないことは分かっているが、解決法は見つかっていない。明日、事故を起こさなければ良いと思うだけである。本当につらい。

 

 成田エックスプレスも新幹線も100Vの電源がシートの傍にあるので、便利になった。走る社内ではUSBモデムを使えないのが残念、しかし、新幹線内では、ケーブルを持っていればLANに接続できるようになっていた。

 ジャカルタ空港でガルーダ側のイミグレを通過して直ぐ右の土産物屋、レストランに220Vの刺し込み電源があるので、ここから、出発前の投稿をする。

 

運転 状態 別世界

 

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(^_-)-☆トライと指導の再開

2011-12-22 22:10:00 | 行動

1071 難しいトライが始まった。トライアンドエラーで根気よく流れを調整しなければならない。補助押出機からの距離が異なる三か所の出口から同じ量の樹脂が出るように通り道の深さや出口の大きさを調整する。新入社員に指導しながらなので、自分がさっさとやてしまうわけにもいかない。その調整がうまくできたら、次は、主押出機からの樹脂の異なる隙間の広さから、出てくる樹脂の速度を同じになるように隙間と隙間の幅、長さを調整する。それが出来たら、冷却金型に始めて通して、全体の形状を寸法通りになるように金型の隙間を調整する。時間は今週いっぱい、それも朝9:00から夕方4:00ころまでで、その他の時間は使えない。時間外の仕事は出来ないシステムになっている。難しい、思うようにならない。まだ、結果が出ない。

 

 孫の上の子の宿題の面倒を見るのが私の仕事の一つになってしまったようだ。一昨日、日本へ到着したその日の夜から、宿題の世話をすることになった。何をするかというと、国語の教科書の朗読を聞いて、その結果の感想を書くこと、計算カードを使って答えを連続で云うのを聞きながらストップヲッチで時間を計って結果を書く、最期は、漢字を書くのを見ている。新しく覚える漢字を何回か書いて、その後、その漢字を使った短文を考えて書く、その手伝いが主のようだ。それだけで、約一時間掛る。その時間、他のことは何もできない。完全に彼女と一対一である。その時間は私にとって苦痛の時間です。私が家にいない時には、妻や娘がその役割をしていて、その他にも孫達の身の回りのことや学校や幼稚園の関係の事をしているのだから、大変だと思う。彼女達がする全ての手伝いの内の一つを引き受けたにすぎない。間もなく、冬休みになるので、私の負担が少なくなることを期待する。

 ここは九十九里浜だと思う、津波が来たら、ここは海の底か?ゴルフ場には緑が無い、当り前だが、インドネシアのゴルフ場とは大違い。

 

 役目 負担 責任

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(^_-)-☆お世話になった方

2011-12-21 21:50:09 | 喜び

1070 今朝、05:30起きで06:30家を出発、まだ、真っ暗である、インドネシアならもう明るいし、温かい。ところが日本は真っ暗なうえに超寒い。07:40に会社へ到着、車から降りるのがつらかった。皆さんとは昨日も会っていたような雰囲気で無関心に出迎えてくれた。早速、試作の準備、一日掛ってしまったが、明日は、朝から取りかかる。

その準備の最中、会いたかった方が、私の目の前に現れた。PT.NANBUの初代社長K氏でした。つい数か月前のお別れしたばかりだが、それまで、殆ど毎週土日はゴルフを御一緒させていただいた方で、突然だったのでびっくりしたが、お話ができて大変うれしかった。日本へ帰って、ゴルフを一度もやっていないと云う、残念だと思う。

 来年、また、中国のローカル企業のお手伝いをするつもりだとか、日本にくすぐっているより、その方が良いに決まっている。私と同じで、じっとしていたら早く衰えてしまう人だから。現在、社内に会長も社長もいないので、挨拶出来ないのが残念らしかったが、二人とも忙しい人なので仕方が無い。私はインドネシアで大変お世話になったので、テクノセンターに顔を出していただいて大変よかったと思う。

 この方は、中国の日系会社を三か所各5年ずつ十五年に渡って会社の立ち上げから安定するまでの面倒を見てきた方で、海外会社の立ち上げのプロです。今回、請われてインドネシアの会社の立ち上げに携わってきたが、何しろ、私も思ったが、当初の状況が様々な事情で悪すぎた。いかに、プロの彼でも、一年や二年で、利益を上げることは無理の状況だった。黒字の見通しがつかないので取りあえず資本会社との関係上、交際もやむ負えなかった。その後の人も大変です。彼は、その時に身を引いて良かったと思う。今もずるずる社長をしていたら、もっと、深みにはまって、大変な状態は重く一層彼の肩にのしかかっていたことでしょう。

 考えようによっては、早く、止めて良かったと思う。

 また、インドネシアで一緒にゴルフができれば良いと思う。

 ガルーダから富士山、分かりますか。バリからのガルーダが横に。

友 共 伴

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(^_-)-☆機内描写

2011-12-20 22:21:42 | 人間

1069           寒い、夕方になって急激に冷え込んだ。寒さと戦う日々が始まった。静岡の家に昼過ぎに到着した。例によって、ガルーダの機内はガラガラ、私はいつものように32で一番後ろから二番目の座席に座った。前を見渡すと、20番辺りからこちら側に乗客は十人もいない。そこで、少し前の四人がけの方に移って肘掛を全部上げて、成田到着一時間半前に食事のために起こされるまで、熟睡することが出来た。

 そこで知ったことは、四人がけの一番後ろ30番の列は肘掛が上がらないことでした。慌てて、その席に座って、これで眠れると思って安心しても、いざ、寝ようと思ったら、肘かけが固定されていた。

 機内寸描、ブラケットというか毛布を綺麗にたたんで置くのは日本人、自分の機内持ち込みバッグに余裕が有れば、バッグに詰め込んで持って行ってしまうのはインドネシア人、ヘッドセットのコードを元通りに綺麗に巻いておこうとして、機内アナウスでコードは巻かないようにと言われてまた解くのは日本人、差し込みから抜きもせず、アテンダントに云われて始めて抜いて、そのまま渡すのがインドンネシア人、富士山が見えますとのアナウスで左の座席に移動して写真を取っているのはインドネシア人、私も、それに参加した。日本人は移動しない。私も、インドネシア人に近い。

 10番から15番の席には20人ほどの若い女性がいた。明らかにカラオケで働く目的で集団で斡旋されて来た子たちだ。彼女達の行き先は北関東方面だと聞いている。昔、バリの空港であった女性は日本から逃げてきてパスポートを待っていなかった。雇い主に取り上げられたのです。イミグレに駆けこんで強制帰国という手段を選んだのでした。お金を全く持っていなくて、彼女の友人の家まで空港から起こって行ったことがあった。

 

キャビンアテンダントの中に日本人が二人混じっている。一般的には日本人が彼女たちを頼りにするのは分かるが、私にとっては奇妙な感じがする。日本人は日本語で話しかけてくる、インドネシア人は英語で話しかけてくる。どちらに答えるにも私は何も考えないでインドネシア語で答えようとする。云いかけて、考えて、日本語と英語で答える。どちらも、インドネシア語で話しかけてくれよと思う。インドネシア人にインドネシア語で答えれば、その後同じインドネシア人ならインドネシア語で話しけてくる。そして、彼女が暇なときには話がはずむ場合もある。

 

 たまたま、残っていた18日の朝の新聞を見たら、鞠子(丸子)の宿のことが紹介されていた。

 ガラガラの機内。

 変換 特徴 人間性

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(^_-)-☆雰囲気は常夏

2011-12-19 21:29:05 | 状況

1068 今からガルーダの成田便に搭乗する。また明日の朝から日本での生活です。複雑な心境です。三月にこちらの社長さんが交替して、前任者の方は日本で勤めているようだが、フルタイムではない。こちらにいる時には毎週、土日はゴルフを一緒にやっていた。酒とゴルフがセットで楽しみにしていて、仕事の緊張というかストレスを吹き飛ばして張り切っていた。ところが日本へ、帰って、ゴルフは全くやっていないそうで、寂しそうな心境が伝わってくる。その方は、そのまま日本で隠居してしまうような人ではない。必ず、中国辺りで再度活躍されることでしょう。日本で会いたいが、ちょっと、無理のようです。

 

 クリスマスも過ぎ出し、正月も直ぐだが、南国では、その雰囲気を感じるのは難しい。イスラム国なので、かなりの都会かスマトラや北部やマルク諸島などごく一部の地域でしか盛大にはならない。また、新年もそんなに派手にはならない。一応、クリスマスセールや年末年始のセールはあるが、どう見てもラマダン、レバランのセールの方が規模が大きい。

 会社も暦通りの休日だし仕事です。祭日としては25日と一月一日だけで、その他の日を休みにする会社は殆ど無い。日本人も日本へかる人とこちらに留まる人は半々くらいだと思う。家族連れの多くは家族だけ日本へ帰すという例も多い。だからインドネシア人はこの時期、郷里に帰る人は殆どいない。それでも、レバラン前程ではないが、人の往来は普通より多くなるので、乗り物は全部料金が値上がりするし、場合によっては、希望の日はウエイティングということもあるので、早めに予約するのが普通です。インドネシア人の動きが少なくても、欧米や日本からの観光客の動きは年間を通してハイシーズンと云うことは間違いない。寒い国から南の暖かい国へ行きたくなるのは当り前の話ですね。私もそうです。この時期、正直、日本にいたくない

雨季ですが午前中はこんな雰囲気です。垣根の外の売店、殆ど新品と見分けがつかないロストボール白と黄色は45円、オレンジやピンクは90円です。日本で使うボールも勿論ここで買って持って行く。

雰囲気 暑い クリスマス

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(^_-)-☆忙しいのは何故?

2011-12-18 20:55:40 | 状況

1066 難しい製品を引き受けて製造しているのでしょう。納期も品質もぎりぎりの状態でなんとか回っている感じがする。客先が休日返上で組み立てているので、こちらも、休むわけにいかない。生産量が使用量とほとんど同じだから、仕方が無い。在庫三日分を持つように客先から云われているがそれどころの話ではない。品質クレームが発生しれば同時に納期クレームになる状態だ。余裕が全くなしの緊張状態が続いている。と、私は思う。大変だなと思う。

 日本人の皆さま、緊張状態が続いているようですが、くれぐれも体調を壊さないように、無理をしないようにしてほしい。

 

 ある会社の社長さん曰く、日本へ出発するのが何故日曜日の夜ですか。日本から出発するのが金曜日の朝ですか、と云われるそうです。要するに土曜日と日曜日はインドネシアで過ごしたいのです。ゴルフをやってから日本帰りたい、ゴルフをしてからインドネシアで仕事を始めたいのです。それほど、インドネシアでのゴルフは開放的で良い汗を掛けるのです。私も明日午前中にゴルフを楽しみ、土産物を午後から買いに行き、夕方、家から出発します。日本ではそういうわけにはいかない、快適なゴルフを楽しめる時期は少ない。今回も、日本滞在中に二回、やることになっているが、色々な意味で辛い、厳しいゴルフになりそうだ。それでも、お付き合いだから仕方が無い。ゴルフに関してはインドネシアの方が遥かに楽しい。

 

 頼んであった金型は全部入手した。試作で使いたいもので、私個人の全額負担である。約、40万円分でした。どうしても、確認したいことが在るので、勝手に注文し、勝手に支払った。バゲジに突っ込んで日本へ持ち込む。

 日本へハンドキャリーで持ち込むことはどこまで良くてどこから悪いのか、私は知らないし、知ろうと思っていないので、とにかく、節約第一と考えれば運賃を只にしたい。輸入になるのだから、関税がかかるかもしれないが、それも、払いたくない。一種の密輸入になるかもしれない。品物の種類や価格に依るのだと思うが、自由貿易を率先してやっている私としては調べようとしていない。

 ということで、会社として、品物の代金を払うが運賃や関税を払わないのは、つじつまが合わない。だから、品物の代金は私が負担するのです。そして、勿論、会社の資産にはならないから、減価償却の対象にならない。もし、その品物で価値が生じても投資はゼロから利益を生み出すことになる。会社にとってはこんな良いことは無いが、どうでしょうか。

 今作っている引取機や水槽、巻取り機の骨組み、ランブータンとナンカの道端販売。

関税 運賃 節約

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