南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

難しい局面

2010-03-31 19:20:00 | 情報

 カラワンのイミグレへ行ってきた。洪水は完全に引いていた、しかし、その爪痕は広範囲で残っていた。避難所(posko)にはまだ多くの人が残っていた。写真のように川の岸辺の木に大量のゴミが引っ掛かっていた。高さは3mを優に超えている。今日の夕方には、また、水位が上昇し、一部、洪水が最発生していると、情報がある。

私が住む、街は、洪水とは全くの無縁である。川は近くにないし、この土地自体が平坦な丘の上にある。台地というほどではなく、なだらかな、ちょっと周囲より高い場所に分譲住宅地やブカシ県の県庁を作った。そういう点では恵まれた場所にあると思う。ここにショッピングモールでも出来れば一躍、大都市に変貌する切っかけになるかもしれない。
そういう意味でも、これから、土地の価格が急上昇する可能性が高いと思う。分譲住宅を買うことにした理由です。
かなり疲れている。毎日、仕事で出かけたり戻ったり、また外出したり、何度も繰り返している。その間にミーティングに出ている。なかなか、ゆっくりする時がない。買いたいものも多いし、直したいものも多い。まだまだ、やらなければならないことが山ほどある。それをわたしの判断で、私がお金を出してやってしまうなら、簡単で早いが、そういうわけにはいかない中に入っているので、かなり、不満だが、遠回りをしなければならない。その、迂回の道にいる人たちの費用も押出が一部固定費として背負わなければならないらしい。かなり、矛盾していると思う。仕事の負担を増やしているものを管理費として費用でも、負担しなければならない。それがなければ、仕事の負担は無くなるし、費用負担もなくなる。-2が0になるのです。こういうことも、疲れの原因の一つです。
どうみても、押出にプラスの働きをしている者は私しかいない。どちらかというと、マイナス要因になっている方が多い。押出の面積はどう見ても全体の十分の一以下である。在って邪魔だった設備の簿価は20分の1も無いように思う。占有面積と簿価の両方からみて、会社購入価格の15分の1以下だと思う。それなのにそれぞれの5分の1を負担させられるらしい。

そういうなら、自分でやってくださいよ。と、言われれば、うれしい。でも、そういってくれないので、困る。

 私はメイン事務所にいない。社長室や副社長室、もう一つは何長室でしょうか。三つの部屋がある。事務所に入ってゆくと、正面の奥にある。何となく、笑みがこぼれる。その三つの部屋に私は一度も入ったことがない。こちらから、伺って、話をすることは何もない。直接話すことはない。その前に坐っているインドネシア人の総務や経理の人に聞いたり、確認したり、頼み事をするし、ついでに、冗談交じりに、世間話をする。そのうちの50%以上はそこから、先に進まないことは承知の上である。進んでも、希望通りの速度よりもかなり、遅いことは分かっている。インドネシア人の会話を聞かせてあげたいが、そういう機会も、作らない。
ストレス、矛盾、疲労、思うこと
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日本から土産

2010-03-30 19:37:04 | 喜び

最近、日本からの出張者が多く、何かと、差し入れを持ってきてくれる。一番うれしくないのが、雑誌新聞類、なんの役にも立たない、全く読まない。読んでも、表紙の文字だけである。直ぐに、捨ててしまう。雑誌は、経済的なもの、政治的なもの、芸能的なもの、スポーツ的なのも、どれもこれも読んでみる気はしないし、保存しておく気もない。日本に関する一般的な必要情報は、NHKの朝のニュースとインターネットで十分だし、特に知りたいことがあればインターネットでチェックします。ファション誌ならインドネシア人の女の子が写真を見て喜ぶ。
二番目にうれしくないのが、過剰包装で長持ちはするが、いかにも空港の待合の近くの免税店で買った、という食料品、それも、どこかの名物のようなもの、量は少ないし、人の好みで評価が分かれる、私にとっては高いばかりでおいしくない物がほとんどである。味が濃かったり、塩辛いものが多く、インドネシア人にあげてしまいたくても、彼らにとっても、全く、迷惑になる。お礼を言ってその後捨てることになりかねない。自分の好みで選んでもらってもわたしないには合わないことが多く、いわんや、インドネシア人におやである。
日本からの土産物で一番うれしいのは、多分、自宅の近所のスーパーやコンビニや百円ショップで買ってきてくれた味噌汁やお吸い物、ラーメンやうどん、そばなどインスタント食品です。若干嵩張るが軽い。長期で、少しずつ使えるし、インドネシア人にも食べてもらうことができる。日本人好みの味がどんなものかわかるので、少しずつ試してもらうことができる。あまり、分けてやると自分の分が無くなってしまうので、ちょっと、みみっちいいが、必要分は確保しておく。
渡した本人がまた持って来てやりたいという気持ちになるように、受け取ったときの、うれしさを前面に出して、本当に、ありがたいと、お礼を言うことができる。
これらのインスタント食品はインドネシアのジャカルタでも日本食品スーパーで買うことができるが、日本の値段の三倍する。バカバカしくて買う気がしない。

先日、静岡から見えたお客さんがあって、私が、バリバリの静岡人ということを知らず、その人は、静岡県外人で、静岡へ二年ほど前から出向で来ていた人でした。静岡の名物というか特産品というか、魚の角煮の真空パックを買ってきてくれた。確かに好きな人は好きだが、私は好きではなかったし、物心がついたときには、もう、食卓にはいつも有ったので、特に、有りがたいもの,うれしいものではなかった。スーパーで売っている価格を知っているので、この包装では、倍ぐらいしただろうなと思ってしまうのでした。ごめんなさい。静岡らしい土産の生シラスや生サクラエビや黒はんぺんを港の近くの市場で買って来て貰うのが飛び上るほどうれしい。いずれも、日持ちがしないので、産地以外では売っていないし、インドネシアへ持ってきても、一日以内に、要冷蔵である。
 うなぎパイを買って来て貰うなら、やはり、フリカケトかお茶漬けのもととかおにぎりに混ぜる物の方がいい。ちなみに源氏パイはインドネシア製がある。
 焼酎が少ないし、めちゃくちゃ高い。多くの日本人はアルコール類を土産にもらうことが、一番、うれしいのではないでしょうか。私が日本人のために持ち込むのは酒類です。私は一滴も飲みませんが、だれと誰にやるということを想定して持ってきます。
写真はインドネシアでも日本でも有りません。ドイツのニュールンベルグの郊外の娘たちが住んでいる場所に近くです。ニュールンベルグの遠望と其の場所の麦畑の風景です。

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承知の洪水

2010-03-29 21:22:52 | インドネシア
いつ、売れる時期が来るか、今月、一杯までの契約社員四名は7月末までの延長になったようです。7月の末ということは、従業員を全員、円満解雇してから、丁度一年過ぎることになる。私が手伝った従業員との退職金交渉はこじれるどころか、超円満に片付いたにもかかわらず、私が手伝うことができない、自分の能力が試されるEPTE解消については、見通しが立っていない。その日本人も、今月末に帰国すると言っていたようですが、このごろは7月末になると、言っているようです。大変、魅力的な場所ですから、買いたい会社は多い。だから、開けるのを急ぐ必要はないのかもしれない。インドネシアでの釣りをまだまだ楽しめそうで、うらやましいです。
どこが、跡地を購入するのか、回りの工場にとっては、広さには関係なく、どこも、欲しいでしょうし、この場所は、新しく進出しようとしている会社にとっても、一等地です。ただし、広さが、適切かどうかが、一致すればの、話です。
 
洪水の季節通り全国各地で大規模な洪水が発生している。一番近いところではカラワンの町中、Citarum川の氾濫による洪水で、深いところでは2m以上に達したまま、一週間水が引いていない。バンドンまでの高速道路の西側の山地にあるジャティルフールという発電、灌漑用の大きなダム湖があり、その水位が限界以上に達したので、大規模な放水をした。その川が、チタルン川である。そのダムから、100km下流の町カラワンで氾濫したのです。Kali malang川は氾濫していない。火曜日に住民票の申請でカラワンのイムグレに行かなければならない、大丈夫と聞いているが、行ってみなければわからない。
 誰かの判断で洪水が起きているのです。ジャカルタの洪水も、ボゴールの水門を開くことによって起きることが頻繁にある。いずれも、途中の街を犠牲にして、上流の事故を防ごうとするのです。その水が、海へ達するまで、しばらく、途中の町の人は我慢してください、という、システムになっている。普通はそれらの川は、水量が少なく、ちょっとした、流れの悪い、ゴミだらけの臭い臭い川である。町のゴム捨て場である。それが、洪水によって、綺麗に海に流される。洪水が引いた跡は、清流とまではいかないが、臭さとゴミはしばらく消える。素晴らしい、浄化システムである。政府、行政はそれを狙っているのでしょうか。考えようによっては、有効な方法である。
 先日いったばかりの、スマトラのパレンバンでも本来、湿地帯ではない場所まで氾濫が拡張し、多くの学校が休校になり、卒業テストができなくなっている。問題を送ることができない場所が各地にある。
 
 家の庭の孫姉妹と安倍川に架かる駿河大橋から、洪水や氾濫は江戸時代の話、富士山と愛鷹(あしたか山の遠望、手前右の山は通称日本平です。海岸側は久能山東照宮があり、久能山の石垣イチゴの場所です。
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虎視眈眈

2010-03-28 22:14:25 | インドネシア
 某男性化粧品の大メーカーのM社を訪問した。KITAGAWA時代は隣でしたが、今後は斜め裏になりましたと。ご近所で、何回か訪問させていただいていますが、いつ見ても、当然ながら、清潔な雰囲気である。こんな状態が、私は好きである。PT.KOHNOも規模は小さいが、雰囲気は似ている。それなりの利益的裏付けがないとお金を掛けられないが、私は、後の先(ごのせん)的な考えで、環境を最初から充実させることが大切だと思う。それには、同じ仕事を連続でできるような仕事をやるようにしなければならない。ちょっと現場の横を通っただけだが良い刺激になった。
 また、元勤めていた会社を横から眺めることができた。向かって右からはPT.A側から、左側はPT.M側から見ることができるが、私が作らせた金型の焼き場はそのままになっていて、LPGのボンベもそのままになっている、もう、使われなくなって、一年半以上になるがそのまま放置してあって、PT,MさんとのK社側の金網に内側は雑草が伸び放題だった。人は全くいないわけではないし、日本人がいないわけではないのでしょうが、寂しい風景にしたままである。
 PT.Mさんも、おそらく、K社の後に入りたいと考えているに違いない。拡張するには最高の場所である。工場の横に道が付いているのだから、PT.Mさんは拡張する一方だし、今の出荷入荷口はレイアウトとし、素人の私が見ても、不便である。また、オフィスが以前の奥の工場に二回を今でも使っているので、来客を迎える時は不便である。それらを全て解消するためには、K社跡とその後ろ側の空き地(現地人所有)をまとめて買うことが一番便利な方法である。

 一方、PT.A社にとっても、大変魅力的である。奥の土地の一緒に買うことができれば間の医道は私道のように使える。
 いずれにしても、奥の土地の所有者にとって、一獲千金の大チャンスになること間違いなしです。もしこれが狙いで奥に入り込んだK社の裏側を購入しておいたというのなら、すごい、予知能力だと思う。

 PT.N会社もまだキャンセルしていないので、交渉権の一番目を保持している。これも、裏側の土地を含めて書くことができれば、工場の裏表に出入り口を作ることができ、入荷口と出荷口を別にして、原料から出荷までを一直線にすることができる。このことは、PT.Nの隣のPT.S社も全く同じことが言える。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT,NANBU PLASTICS INDONASIAの会社紹介

 昨日の押出工場の様子です。なぜか、青く映ります。蛍光灯のせいでしょうか。実際には、緑の雰囲気です。環境を整えることを優先します。
 孫と静岡の自宅の庭のちょっとした林の中です。
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相互に刺激

2010-03-27 20:54:42 | 情報
 PT,PARAMOUNT BEDのお手伝い(日本から輸入していた押出成形品のインドネシア国内調達)を初めて、10年ほどになる。当時、社長の坂本さんから何とかしてほしいと頼まれ、難しい製品だったが、何とかお手伝いができるようになった。
 今日、ジャカルタ新聞トップでも紹介されているインドネシア奮闘記とでもいうのでしょうか、私は、先日のお別れパーティーで受け取り、一気に読ませてもらった。その本は、いま、日本から来た若者に参考になるようにと渡してある。
 坂本氏の動きについては二三年前にわたしのウェブサイトで紹介してあります。同じ昭和18年生まれの同期生として、目標にしていたし、刺激を常に与えられていた。逆にわたしも坂本氏に大きな影響を与えたと思う。
 P.BEDの坂本さんがインドネシア中を走り回って会社を留守にすることが多かったし、アチェやニアスの災害の時などは長期でいなくなることが多かった。その時、留守を守った、細野さん、先日、坂本さんと同時に送別会を行った。真の功労者でした。そして、昨日、日本のP.BEDの国際調達関係部署に戻った。今後の検討を祈りたいと思います。彼には教えてあげることも多かったが、教えてもらうことも多かった。

ご両人とも、インドネシアで、また近いうちに会えるような気がする。

ベンケルサンジャヤという鉄工場で押出の金型や装置を作ってもらって、10年に以上に付き合いである・チビトゥンのMM2100工業団地と高速道路を挟んで反対側の一般国道沿いにある。今日は一回、昨日は3回でかけている。試作に時は修正が多く、自分たちで修正できないときには、金型を持って行って、手直しをしてもらう。トライを続けるために、持っていってすぐ直してもらい、何時間後かに受け取りに行って、その時に次に修正してもらう金型を持って行く、またそれを取りに行く、その繰り返しである。付き合いが長いし、友達のような付き合いだし、常に仕事を絶やすことなく頼んでいるので、修正は、持って行けば直ぐやってくれる。
工場は明日明後日土日ともにオーバータイムである。
その鉄工場へ行く道が幾通りかあるが、一番近いのが、直接、高速道路に掛る橋を渡って向こう側に行く道である。その橋の幅が中途半端で、バスやトラックは橋の上ですれ違うことができない。交互通行にせざるを得ない。渡るたびに思う。だれがどういう理由でこの幅に決めたのだろうか。この中途半端な幅の橋はここだけではない。高速道路に掛る橋のいくつかがこの幅になっている。

その、悪名高い橋と鉄工場の様子です。
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秘密の奥の手

2010-03-27 07:02:54 | 人間
 ちょっとだけ専門の話。プラスチックでインドネシア国さんはPVC(ポリ塩化ビニール)と、PE(ポリエチレン)とPP(ポリプロピレン)だけだと思う。PVCのおもな原料になるポリマーという白い粉はジャカルタの北の海沿いのタンジュンプリオク付近のコンビナートで日本企業が手伝って、作っている。PPとPEはジャワ島に西の端アンニュールにチャンドラアスリとトリポリタという会社のコンビナートがあり、やはり日系企業の指導で生産されている。

 世界的に、オレフィン系の樹脂を主に不足しているようです。インドネシアへ樹脂が回ってこない状態のようです。例外はある。たとえば、PEでもLDPEは調達困難。しかし、LLDPEは比較的容易に入手できる。HDPEはやはりタイトです。PPでも種類により違う、HOMOは、全く不自由しない。押出用の原料の話ですよ。
 溶融粘度の高い押出成形用の樹脂は需要が少ないし、製造コストが高くなるので、この原料タイトの時各社とも、まず、押出用の原料の製造をやめてしまう。カタログに載せてあっても、MIが低い樹脂は現在作っていないと言えわれてしまう。輸入も、同じことで、シンガポールや日本から主に輸入していたのですが、それらも、今輸入ができない状態になっている。困ったことになったと思っている。商社に見積もり依頼をしても、商品の手配ができないのでは、見積もりを頂けない状態です。出してもらっても、価格は一年前に比べると30%以上は高くなっている。
 
 それを、何とかするのが私です。そして、何とかする方法についてはノウハウです。指定というか、今まで使っている原料と同じということで客先の承認は得る。原料が手に入らないので製品を提供できませんでは、供給責任を全うできない。押出用の原料が、この世にまだなかった時代、40年位前のことを考えてれば、今の状況はまだ、ましだと思っている。この方法で、P社向けの試作品が一部、完成した。インドネシアン子どもたちはその方法にうなづくばかりでした。
お父さんの株が上がるというものです。

  ニュートンサーカス(シルクス)Newton Circusの様子、大部分が駐車場になっていた。昔は、駐車場は見当たらなかった、小さなレストランが秩序なく広がっていた印象がある。
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焦っている

2010-03-25 17:51:39 | 試練

 オーチャードストゥリートの様子。しゃれたお店が芸術的な雰囲気の中に並んでいる。買い物をしなくても、爺さんの私でも、チュチマタ(cuci mata)目を洗うことができる。というわけで、疲れたが、無事に日帰りでビザを取ることができた。
 ジャカルタのイムグレで、ちょっと失敗あった。出国した時に受け取った入国カードの半券をそのまま、出してしまった。新しい、ビザを収得したことに気がつかれ、新しいカードに書いてくださいと言われてしまい。何枚のカードを持っていたので、直ぐ書いて出しなおし、イムグレを通過したが、受け取った出国カードにKarawangと書かれていた。この半券は、パスポートとともに、カラワンのイミグレへ提出し、住民票を貰う申請をするという意味です。ジャカルタのエージェントが分かるでしょうか。私の予想ではジャカルタのイムグレへ申請をしてしまうと思うし、私も、ジャカルタまでいって指紋を問われたりする羽目になると思う。予想が的中しなければいいと思う。

 試作が行われている。ギリギリの納期でやっているので、全員が焦っている。納期にはどうしても間に合わせたいので、今度の土日は出勤である。装置の準備も、綱渡り的きわどさで進められている。メンテナンスの人をもう一人増やしたいが、可能だろうか。なんといっても、なかなか動いてくれない人が手配する役目になっているので、障害物競争をしながら、スタートダッシュという難しいレース状態になっている。インドネシア人従業員が全員、不満に思っている。わたしがやるならとっくに終わっている事の大多数がいまだに目標日を明らかになっていない。

PT.KITAの四人の契約社員4人の契約が今月いっぱいで切れるので、また、三カ月延長に6月末になった。また、いなくてもいい代表者の帰国も6月末以降になることも決まったようです。こんなものでしょうか。
 
スタートダッシュができていないことを感じる。オーバータイムも何か言われそうで、申請を堂々と出せる雰囲気になっていない。
従業員の皆さんには、この一連の仕事が終わったら、PT,NANBUとしての押出部門の自分勝手なオープニング食事会をしようと餌をぶら下げてある。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT,NANBU PLASTICS INDONASIAの会社紹介
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流石のトイレ

2010-03-24 20:02:13 | 情報

 地図はなく、昔の記憶で、広い道に沿って右へ行けば、着くことは分かっていたが、その他に別の記憶があって、手前で、右に曲がれば、斜めに最短で行けることになっていた。それが、迷う原因になってしまった。後で分かった事だったが、シンガポールの道は、曲がりくねっていて、意識できない状態で、方向が変わってしまうことを意識していなかった。ドンドン遠のいていってしまったのでした。道端の測量や工事をしている人に道を聞こうとしても、知らない人が多く、また、英語もマレー語もできない人ばかりで、全く当てにならなかった。表示もほとんどなく、あっても、何メートルとか何キロという距離は全くいてない。看板によって、まっすぐ行けば行けるとわかった後でも、三差路が出てくる。そこには右か左かの案内が無い。
 最後に、500m先のこの道の右側にあると言われて、そのつもりで、行くと、400mくらい先で、道が右側に直角近く曲がっている。その道の右側は、住宅地が続く、実際にはその道の左側にあった。しかし、さっき、教えてもらった場所からの方角はさっきまっすぐの状態の道の右側になる。人の見方や思い方は違うんだと、思って、首をかしげた。決して、彼らが言ったことはまちがいではない?のかな?

 到着して、食事をし、オーチャード通りへ戻るときには、昔、従業員とわいわい言いながら帰った道をそのままだったので、まったく、問題なく、30分でイセタン辺りに戻った。それにしても、昔はその通りの両側に目立つ高さのビルはなかったが、現在は、全部が高くなってしまっていて、緑が少なくなり、イギリス領だった紳士的な町並みは消えてしまっていた。ラッフルさんもビックリでしょう。

 そのホテルに泊まったわけではなくロビーで待ち合わせただけだったので、部屋の様子か知らないが、さすがにシンガポールのホテルである。ロビー近くのトイレの小便器の下にタオルが敷いてあった。このようなトイレは今までに出会ったことがなかった。思いついても、なかなかここまでしないと思う。

 インドネシアもそうだが、外と建物の中の温度差が大きすぎると思う。そう思うのは、私だけでしょうか。外を歩いて汗びっしょりかく、きている服が汗で濡れる。その状態で、デパートに入ってレストランで食事をし、一時間後には汗はしっかり乾いている。そして、茶色のシャツのあちこちに白いしみがついている。塩である。そのまだら模様のまま、外に出る。また汗をかいて濡れて、その白が消える。一日のうちに何度か繰り返し、インドネシアへ戻って来たが、最期は、白い部分が、シャツ一杯に広がっていた。まるで、塩田現象である。

 サトウキビの搾り機、ステンレス製の製麺機の様なもの、30cmほどに切りそろえた、サトウキビを三四本掴んで何回も通す。手つきは鮮やかである。
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再びビザの収得

2010-03-23 19:45:12 | 体験
 03:00起き、デルタマスの家を03:30出発、空港へ向かい、04:45にターミナル2に着いた。06:19発でシンガポールへ出発。PT.NANBUとしての労働ビザを収得するためでした。前回、PT.MAKUTAとしてのビザ収得の時と全く同じ行程でした。オーチャード通りの高島屋の近くのホテルのロビーで待ち合わせて、受け取った書類とパスポートを渡し、17:00に同じ場所に戻って、ビザのカードが張られたパスポートを受け取った。問題はその間の時間をどう過ごすかである。シンガポールに知り合いは何人かいるが特に呼び出して、話をすることもないし、食事を共にする間柄でもないし、彼らは町中にいないので遠くから呼び出すのも気が引けるので、一人で過ごすしかない。
 タクシーに乗る前に、空港で、Rpからシンドルにチェンジしてみた。できた。何となくうれしかった。五十万Rpだけだったので、オーチャードと空港往復で五〇シンドルを使うので土産物を買うには足りなかった。町中で一万円を両替した。150シンドルを受け取った。67円が1シンドルということを知った。
 どう過ごした方かというと、ニュートンサーカスへ行ってみることにした。20年ほど前だったと思う。太田化工の社員旅行で、シンガポ-ルにきた。そのとき、高島屋付近のホテルへ泊まり、ある夜、私、一人で、ワニに肉を食べて見なくなり、地下鉄に乗って、ニュートンサーカスまで行き、ワニの肉のスープなるものを食べた。鳥のささみのようで、ワニかどうかを確認する方法はなかったが、とにかく、これは正真正銘のワニだとレストラン(屋台に毛が生えたようなもの)の親父が言っていたので信じた。その日の夜中に、従業員に話をしたら、嘘でしょう、本当ですか、と、疑われた。現在の社長や工場長です。しゃくに障ったので、じゃあ、明日、連れて行ってやると約束した。もし、明日、ワニが無ければ、嘘になってしまうところだった。実際、5人ばかり連れて行って、そのオヤジに昨日のようなワニをと頼んだ。
 メーニューには載っていない。その時、そこに店に準備もしてなかった。困ったと、思ったが、親父さんが、30分待ってくれ、近くの知り合いのレストランに有るはずだからといて、取りに行ってくれた。皆に、本当だ、うまいうまいと言われてほっとした。
そういうことが有ったところへ、今日はいってみた。全然雰囲気が変わってしまい、昔の素朴さが無くなってしまい。ジャカルタにもどこにでも有る。個店が並び、そのうちの一軒や二軒に注文し、テーブルまで持って来て貰うシステムになっていた。丁度、昼ごはん時だったので、近隣のサラリーマンで結構にぎわっていた。場所は変わっていなかった。
 その中の、一軒でサトウキビの絞り出しジュースを売っていた。子供のころ、家の裏の畑にサトウキビが植えられていて、良くかじったものでした。その時の甘さと青臭さが入り混じった、飢えてた頃の懐かしい味を味わった。今回はワニではなく初めてのサトウキビのジュースでした。
 サトウキビジュースと湾岸埋めたて地の新名所?
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0100.html
各種必要申請について書いてあります。
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フィラの手配

2010-03-22 06:56:42 | 生活

一昨日はエアーチケットを二種受け取った、ひとつはシンガポール、もう一つはPalangkaraya
シンガポールはワーキングビザ収得のため、四回目である。パランカラヤは純然たる観光というか、旅行です。カリマンタン トゥンガーだが、南です。バンジャルマシンに近いが、ジャカルタからバタビアしか出ていない直行便で行くことにしている。何があるのか、私も、まだ、知らないが、とにかく行ってみる気になったので、行ってみて、何があるのか、聞きながら、界隈を徘徊しようと思っている。私流です。いずれも、いつかは書かない。事後報告にする。

庭の花(名前は知らないが、アジサイの原種に近いような気がする)とバナナ(テンプラ用の種類)バナナは、次から次へと収穫できるが、10本ほどある木(木というのかどうかわからない)が全部、そのまま食べる種類ではないので、あまりうれしくない。
ところで、四月末で今のところの契約が切れる。二か月ほど前から、次の住処を探していたが、つい、一週間ほど前に、分譲住宅を買うことに決めた。今の家賃は二万円ほどだが、十年払い続けるなら、このあたりのインドネシア人が住む、高給住宅地の一軒家を買える。そこで、買うことにした。200平米の土地に2DKの120平米の平屋が乗っかって、240Juta(およそ240万円)です。収得税は5%で、たいしたことはない。固定資産税は一年、三万円ほどです。インドネシアに後何年居るかは断言できないが、おそらく、二年ぐらいでしょう。日本へ帰ることになるでしょうが、年に何回かは一週間とか二週間のインドネシア滞在が必ずあると思うので、この家を別荘の様に使えば、経費の節約になるし、余計な手配や心配をする必要もなくなる。元気で、仕事ができる体調が続く限りは、役立たせることができる。
バナナやドリアンやマンガの様な実がなる植物を植えたいと思う。
また、インドネシア人に貸して置けば、家の状態も保つことができるし、私が泊る時は準備や世話をしてもらえるし、一人孤独でなくて済む。
そのお金はどうするかって?その位は、インドネシア内でかき集めれば湧いて出てくる仕組みになっているので大丈夫、日本から送ってもらう必要はない。
会社に家賃の負担をしてもらう必要はないので、私の部門の固定費を下げることができる。良いことばかりである。ジャカルタやその周辺都市の高い家賃のアパートに住む、一般的な日本人には、私の様な生活はなかなかできない。
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下手クソ会

2010-03-21 19:53:34 | ゴルフ
 決して下手クソばかりではないが、下手クソ、大歓迎という、趣旨の会ということで、時々馬券賞金の提供者として出席しているアクラブ会のコンペに参加した。一か月ぶりのカラワンインターナショナルでのゴルフである。成績は横に置いてカラワンインターナショナルゴルフの様子を書く。まず、メンバーの皆さんの評判から、食事がまずくなった。カラワンゴルフは他に比べて暑い。カートを使わない方が普通なので、後半、疲れがたまってくる。これらが悪い方の評判です。いい方の評判は、余りないが、大きいのは、会員権の獲得費用が安い、3~4千ドル(名義変更料を含む)で手に入れている人が多い。それだけ、メンバーになっている日本人が多く、手放したい人も多いかららしい。年会費はメンバーで五百万Rp、一年会員は千四百万Rpらしい。これも、他に比べると安い。
 今日ゴルフ場へ払った金額は、朝、緑茶を飲み、それを含めて八千円くらいでした。キャディーへチップと参加費と馬券費で総額、一万一千円くらいでした。カート道は整備されて、使うこともできるが、使えば、千円ほど余計に払わなければならない、ジャバベカと同じ価格帯になってしまう。
私の印象は、そんなことで、日本人のメンバーが圧倒的に多く、インドネシア人や韓国人、欧米人を見ることは殆どない。コンペも日本人関係のものばかり、インドネシアの経験が少ない日本人にとっては、一番、気楽にできる場所だと思う。
 コースは27ホール有り、ジャスミン、オ-キッド、ロータスです。コンペを二グループら三グループに分けてスタートすると難しさが違って不公平の様な気がするが、それを、いう人はいないようです。
 グリーンが難しい。これはその時々の印象なので、印象は分かれると思うが、私にとっては、難しい。微妙に曲がることと上り下りの程度を読みにくい。一メートルくらいの斜面の横に着けた時、ワンパットでは、全く入らなかった。方向と距離がぴったり会わなければ入らないわけだが、それが、難しい。
 微妙な上り下りのコースが多く、歩きなので、ロングホールを登り続けるのは大変。いい運動になるが、 微妙な上り下りのコースが多く、歩きなので、ロングホールを登り続けるのは大変。いい運動になるが、疲れてしまって、疲れていなくても飛ばないボールがなお飛ばない。あきらめているが、それでも、歯がゆい。

本日特筆すべきことは、私がドラコン賞を獲得したことです。というのも、13人中私だけがフェアウエーをキープしたのでした。一組目だったが私は、恥ずかしいから、名前を書かないで欲しいと頼んだが、万が一のことがあるからと言って、チームリーダーが私の名前を書いて旗を立ててくれてしまっていたのでした。上がってみたら、その後の人たち全員まっすぐ飛ばなかったそうで、私の旗が残ったということでした。ちなみに130m位でした。

 カラワンバラットのゴルフ場とは反対側のKIIC工業団地の入り口付近。
チビトゥン出口、MM2100と反対側の風景、カリマラン川に架かる橋の上。
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絵日記

2010-03-20 22:33:18 | 環境
 PT.PARAMOUNT BEDとのお付き合いは、PT.KITAGAWAが近所だったので、進出した1996年にご挨拶に伺った。その時、坂本社長と初対面でした。押出製品はその時頼まれましたが、設備が整っていなかったので、その時は、出来るような設備が入るまで待ってほしいと話した記憶があります。その後、坂本社長はどこかできるところはないかと探したはずです。しかし、インドネシアでできるところがありません。1999年にできる大きさの設備を入れたので、出来るようになりましたと,言ったところ、早速、作ることになったのでした。その後、十年以上過ぎても、P.BEDさんが使う押出品を作ることができる日本人は私だけですし、インドネシア人では私の子供たちだけです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.html
P.BEDさんに関するページです。
 KIICの某S社を訪問した。今月、実に四回目です。最初は、インドネシア人の購買の人にアポを取って行ったところ、急な会議があって会いないと言われてしまった。二回目はその、インドネシアジンスタッフに会うことができた。ところが、押出製品のICケースについての知識は全くない。話すことすべてが、トンチンカンで、話にならなかった。この人、大丈夫じゃないなと、思った。三回目は、インドネシア人は頼りないから話をしても仕方がないと思い。以前、購買だった日本人にアポをとり、訪ねた。ところが、その人、今は購買ではないと、訪問してから、言われてしまった。それなら、電話で、アポ取りをした時、言ってほしかったし、今の購買の日本人を紹介してほしかった。何かこの会社は変。やっと、その時、購買の人を教えてもらった。それから。一週間後の今日、その購買のMさんに会うことができた。
 四回目にしてまともな相手とまともな話ができたと思う。約四年前からの係わりの話をし、今後、どうするつもりなのか、尋ねた。インドネシア内の調達が目標になっていることは確認できた。そして、私の条件も話した。後は、反応待ちである。

 今日のオマケは、その、S社に入ったときの様子がただ事ではなかった。従業員の殆どだと思うが、外の広場で、秩序なく、佇んでいた。何をしているのだろうか、何かを待っているのだろうか。警備員の受付に車を横付けした時、聞く前に彼らから火事で避難していると言ってきた。
 取りあえず、Mさんに会いに来たと告げたら、会える状態かどうかわからないが、ロビーへ行ってくださいと言われ、行ってみたら、誰もいない。ゴムが燃えたようなツンとする臭いが充満していた。煙や炎は見えないが、とにかく、工場の中に刺激臭が充満し、中にいることは耐えられないので、全員が外の避難していたようでした。Mさん、直ぐに現れ、まだ臭い、会議室に通され、前述したとおりでした。
 開示室から約45分後の出てきたときは、臭いが軽くなっていて、車を正門に移した出るときには外にいた従業員は居なくなっていた。全員、持ち場に戻ったのでしょう。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
 チカラン バラット インターチェンジ近くの陸橋の上でゴルフをしている大男。
 KIIC S社の避難風景。
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下手クソ会

2010-03-20 21:37:00 | ゴルフ
 アクラブ会のコンペに参加した。一か月ぶりのカラワンインターナショナルでのゴルフである。成績は横に置いてカラワンインターナショナルゴルフの様子を書く。まず、メンバーの皆さんの評判から、食事がまずくなった。カラワンゴルフは他に比べて暑い。カートを使わない方が普通なので、後半、疲れがたまってくる。これらが悪い方の評判です。いい方の評判は、余りないが、大きいのは、会員権の獲得費用が安い、3~4千ドル(名義変更料を含む)で手に入れている人が多い。それだけ、メンバーになっている日本人が多く、手放したい人も多いかららしい。年会費はメンバーで五百万Rp、一年会員は千四百万Rpらしい。これも、他に比べると安い。
 今日ゴルフ場へ払った金額は、朝、緑茶を飲み、それを含めて八千円くらいでした。キャディーへチップと参加費と馬券費で総額、一万一千円くらいでした。
私の印象は、そんなことで、日本人のメンバーが圧倒的に多く、インドネシア人や韓国人、欧米人を見ることは殆どない。コンペも日本人関係のものばかり、インドネシアの経験が少ない日本人にとっては、一番、気楽にできる場所だと思う。
 コースは27ホール有り、ジャスミン、オ-キッド、ロータスです。コンペを二グループら三グループに分けてスタートすると難しさが違って不公平の様な気がするが、それを、いう人はいないようです。
 グリーンが難しい。これはその時々の印象なので、印象は分かれると思うが、私にとっては、難しい。微妙に曲がることと上り下りの程度を読みにくい。一メートルくらいの斜面の横に着けた時、ワンパットでは、全く入らなかった。方向と距離がぴったり会わなければ入らないわけだが、それが、難しい。
 微妙な上り下りのコースが多く、歩きなので、ロングホールを登り続けるのは大変。いい運動になるが、 微妙な上り下りのコースが多く、歩きなので、ロングホールを登り続けるのは大変。いい運動になるが、疲れてしまって、疲れていなくても飛ばないボールがなお飛ばない。あきらめているが、それでも、歯がゆい。

本日特筆すべきことは、私がドラコン賞を獲得したことです。というのも、13人中私だけがフェアウエーをキープしたのでした。一組目だったが私は、恥ずかしいから、名前を書かないで欲しいと頼んだが、万が一のことがあるからと言って、チームリーダーが私の名前を書いて旗を立ててくれてしまっていたのでした。上がってみたら、その後の人たち全員まっすぐ飛ばなかったそうで、私の旗が残ったということでした。ちなみに130m位でした。

 カラワンバラットのゴルフ場とは反対側のKIIC工業団地の入り口付近。
チビトゥン出口、MM2100と反対側の風景、カリマラン川に架かる橋の上。
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友、去る

2010-03-19 19:29:43 | インドネシア
一つ、不思議なことは、また、納得できないことは、綺麗ではない工場では碌な製品ができない、という考え方です。ひらめきで、今までできなかったものができるようになった。チェック方法を思い付かずに、NG品を取り除くことができなかったのが、底工場では他にないチェック方法で、不良品を取り除くことができるようになった。ということと、工場が綺麗ということと。全く、別物だと思う。綺麗にするなら、お金をかけて、人を掛けて、きれいにすればいいのです。そこで、素晴らしい、他の会社ができない製品が、できる、出来ないは、人が違うし、綺麗とは全く関係が無いことだと思う。製品ができてから、綺麗にするなら、他の綺麗にする専門の人が来て、綺麗にすればいいことです。

 こういうことがある。原料を至急取りに行くためにトラックを借りて、早朝、出発させた。そのトラックが先方に到着する寸前に、会社のある事務の人が、そのトラックのレンタル料金が高いと言って、その人の許可なないと言って、キャンセルさせた。トラックは呼び戻され、安いレンタル料のトラックを借りて出直させることにした。
キャンセルしたトラックとこれから行くトラックが昼過ぎの会社へ到着した。しかし、相手先の倉庫は15:00に閉まってしまう。13:00ごろ出発しても15:00前には到着しない。だから、今日中に原料を手に入れることはできなくなった。今晩からの生産は原料が無くなってしまって、出来なくなる。早くいて明日の昼過ぎ再開になる。
手配が、遅れたことは、生産量の変化や注文の遅れであることだが極力、余裕を持って手配しておかなければならないことは承知の上で、今回は緊急だった。そのつもりで、手配したのに、

事情を知らない人がキャンセルしてしまった。私のサインは何だったのでしょうか。キャンセルしないで、今回は、そのまま、使って、次回からはその安い車を借りるようにすれば何事も起きなかった。だれも、不満が無かった。
ところが、キャンセルさせた本人は、荷物を載せる直前だったという話は、聞いていなかったという。インドネシア人のそこにいた人すべてが、目的地についていることを言い、そこから、キャンセルするのかと確認したと言っている。完全に、話が違っている。私はその人のインドネシア語は殆ど駄目だと思っているので、インドネシア人を信じる。

 PT,P社で、大活躍をした現会長の坂本氏と工場長で中を指揮った細野さんが今月いっぱいでインドネシアから去ることとなり、その、お別れ会がジャカルタのグランメリアで行われた。長きにわたって活躍されたので、知り合いの方も多く、たいへん盛大に行われた。まだまだ、会長は引退には早すぎるので、また、インドネシアへもどられるのではないかと予想します。
 ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの3イン1の手前の使われていないバスレーンを通って、ホテルに向かう。坂本会長を囲んで。
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思うこと、どう?

2010-03-18 18:42:02 | 情報
 朱鷺がテンに襲われた。ケージに隙間だらけ。これではテンに限らず猫や鼠や色々な動物が自由に出入りできるようにわざとしたように見える。色々な点で間抜けな呆れた話だと思うが、ニュース的にはそういう風には報道されていない。これから、真剣に取り組むと言った、報道になっている。おいおい、そんなものですか、日本の鳥類や自然動物の研究者の知識が結集されて作られははずのケージが穴だらけ、どこから入ったか確認する必要があると言っているらしい。常識的には、素人でも、穴があいていて、頭場はいれば体全体が入ることになっている。5cm直径があれば、テンは入ることができる。調べるなんて言っていないで、直ぐに閉じたらどうですか。
 cctvの画面にテンが映っていたその日に襲われたと言っているが、信じられない。ずっと以前からcctvに写されているはずである。その後も、何回か入っているようなのに、cctvのことには触れていない。これ変、粘着テープにテンの毛が付いていたことが確認されたという。そんなことはどうでもいいことで、早く、隙間を無くせば入ってこないのだから、やればいいのに、何をしているのでしょうか。
 ケージを作った業者も変に思わなかったのでしょか、人がはいってこなければ問題ないと思ったのでしょうか、完成時に、チェックした、そこの施設の責任者は何をチェックしたのでしょうか。まさか、テンやイタチが金網を登れないと思っていたとは考えられないし、土を掘って侵入するとも考えなかったのでしょうか。お粗末、の、一言です。
 億単位のお金を投入しているのでしょう。

ヤント君からのメールを紹介します。涙は出ませんがでそうになりました。
 太田さんへ
こんにちは。毎日、大変お忙しいと思いますが、お元気で過ごしていますか。
静岡では日ごとに暖かくなりました。そろそろさくらの季節が迎えます。昨日、静岡産業大学の卒業式でした。お陰さまで私は無事に卒業することができました。太田さんは卒業式に出席できなかったのは残念ですが、ユニーさんと子供が来てくれました。
 あっという間に6年間が経ちました。振り返ってみると、私はここまで成長して、頑張っていたのは決して太田さんの存在が無ければ、叶わぬままの夢でした。私は「ありがとう」しかいえません。将来のことはまだ分かりませんが太田さんに誇れる仕事をやりたいです。4月から県大院生になります。研究を重ね、努力をして、夢を実現したいと思います。母国の外務省の仕事を目指して、頑張って行きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
ヤント
ユニーさんとは、三年前までヤント君と同じように6年間手伝った女性で、今は、太田化工の従業員と結婚して清水に住んでいる。彼女もインドネシア人の学生の相談役になっている。ヤント君のお姉さんとして参列してくれたのです。
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