南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

孤独な仕事

2010-04-30 20:15:18 | 試練
 昨日は徹夜でした。なんとか、望み通りの製品を作ろうと思い、色々やってみましたが、結局、満足する製品はできなかった。しかし、ヒントは数々見つかったので、目塗りにつく前に、修正をし、起きて、会社に14;00頃、入ったときには再トライがインドネシア人の手によってなされていた。修正した方向は間違いではなかった、ただし、まだ問題があって、今夜もまた、現在、トライが行われている。バキュームは良く効くようになったので、厚くしなくても、形はできる。

 こんな話をかいても、分かる人は一人もいないと思う。昨日も、カワンラマというインドネシアでは工具類をはじめ、各種工事道具、工事の安全に関するものを扱っている大手も、チェーン店です。そこの日本人が売り込みに来た。インドネシアの会社はちょっと規模が大きくなると、日系企業に売り込むために日本人の営業マンを雇う。インドネシアに長期で済む人を現地採用するのが普通です。それはそれとして。
 その人が、押出成形ってなんですか。と質問してくれた。その他にも、大勢の方々から、押出?という顔をされる。知らないのが当り前です。

 同じ会社の中で、技術的な知識を持たない事務的な仕事をするし人、技術でも押出以外の人は全く知りません。違いを知りません。ですから、それぞれが持っているシステムをおしつけようとする、拒否をすると、何故だ、と言われる。説明しても理解してもらえない。

 22才 就職して直ぐ、上司から、なぜできないんだ、こんなものが?と、言われたことがある。その人が自分でやって、出来るかというと、出来ない人です。形は単なるコノ字型の単純なものでしたが、日本では、どこも、だれも、成功していない、というより、手がけていない樹脂で形状の製品でした。それを、こんなもの、と言われるのです。その人からの評価は最悪になるのです。

 私にとって、相談する人や参考になる書物には、この仕事を始めて以来、一度もありません。孤独な仕事です。

 よる10時ごろの工場と、我が家で収穫したゴレン用のバナナ、皆さんに分けてあげた。

 分からない 難しい 孤独
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高価な日本食

2010-04-29 19:14:31 | インドネシア
 その閉じた会社(実際にはまだ手放せる状態になっていない)を購入したいと、最初手を挙げたのが、今回来イしたVIPでした。昨日、その閉じた会社の代表者を訪ねて行ったようです。奇妙なことに、もう他の買い手に決まったという情報もあるが、それは信じがたい。最初の交渉権を持っている会社を差し置いて、他の会社に決めてしまうということは、代表者が普通の人ならあり得ないからです。もし、そうなら、VIPはかなり強硬にクレームを着けるでしょう。

それに、6月末までには売れる状態になるという、噂が流れているが、これも、私は信じない。早くて、10月、来年にもつれ込んでも、不自然ではないと思っている。というのには、私だけが知っている、決定的な理由があるからです。

 今日 午前中にフィリピンへ向かったS氏と昨日の夜、ムナラスナヤンで会食をした。スタンダードのH氏を含めて、6名。皆さん、一癖も二癖もありそうな面々です。私は、日本食のレストランはかなり、久しぶりなので、話なんてどうでも良かった。お寿司や刺身その他、普段こちらでは食べる機会が無い(自分で払ってまで食べにはいかない)物ばかり、何度も、食品が置いてるところと往復した。私が頻繁に席を立って食べ物を持ってくるので、ちょっと、カムフラージュで、S氏の隣に私が座ったのをいいことに、S氏が自分で取りに行く人ではないので、それを利用し、あたかも、わたしが、ワイン用の摘み?ワインでも、つまみというのかどうか知らないが、小皿に盛ってある、つまみの様なもの各種S氏の前にさりげなく並べて置いた。S氏は、皆さんと話をしながら、ワインを飲み、上機嫌だったと思う。私が持ってきた、摘まみも、いつの間にかなくなっていた。私は席を立って、食べ物を取りに行って、摘まみをまた並べた。それを三回やった。

 いつも言われることをこの日も言われた。何度も知っている。私が自分で言った話ではないが、私を知っている人から聞いたのでしょう。太田君は、会社を二つも作ってしこたま儲けて、もうけを退職金として全部ふんだくった。しかし、譲られて二つの会社は今でも、しっかり自立してやっているからすごいよな。ふんだくったわけではないが、残した会社は二社とも、無借金の自社手形は使ったことが無い会社でした。その他にも、退職金をうまいこと運用しているから、まったく、金には不自由してない。とも言われる。ごもっともだから、笑っているだけだが、そのお金を使ってどういうことをしているとか、今働いている会社は殆ど、ボランティアのような報酬しか貰っていないということを付け加えてほしいが、それは、承知しているが、皆さんに披露はしない。どうでもいいことだけれど、それにしても、元気な爺さん、失礼!大きな声で、話をするので、回りの、お客さんがちらちら、こちらを見る。ご本人、それでも、押さえているようだが。
 まだ、会社である。眠いがもう二時間ほどかかる。インドネシアの私の子供達が二シフトと三シフトの引き継ぎのミーティングをしている。その向こうで、私を含めた残業組が、試作をしている。
カリマンタンのマハカム川
 疲労 試作 納期 日本食
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社長交代

2010-04-28 17:40:41 | 喜び

 日本からVIP来社。日本に帰った時には、ゴルフを一緒に誘われる仲なのだが、PT,NANBUとしては、あくまでも、私の重大上司であり、尊敬する方の一人なので、緊張をする。真剣な会話をするしかなく、冗談交じりに話などできない。早く、軌道に乗せて、安心させてあげたい。
予告はあったが、4月1日K社の社長が交代し、若社長になった。おめでとうございます。会長とは40年以上のお付き合いで、若社長とは20年くらいのお付き合いになるでしょうか。両方の方から、親しくしていただき、それぞれに、違った意味で、大変、お世話になっていました。今も、太田化工がお世話になっています。これからも、日本へ帰った時、機会があれば、訪問して、世間話でもしたいと思っています。
押出エッジング、グロメットでは40年前からのお手伝いで、超ロングヒット商品です。大当たりの商品です。もっとも、若いころ、私も、大いにこの製品で利益を上げさせていただきます。私が、こうして今インドネシアで生活しているのも、インドネシアの若者に、技術指導をしているのも、このおかげだと思っています。
K社もこの商品を持って、大手家電メーカー、IT産業に入り込む手段、武器にしたのでした。K社の基礎を築いたのです。お互い様です。
若社長には、副社長として、インドネシアへ見えられた時には、BLOKMのカラオケに招待してもらいました。今後は、そんな感じではいられないでしょうし、これからの時代を引っ張って行かなければなりません。困難な仕事でしょうが、人に安心を与える接し方を生来持っていると思っています。多くの知識を生かせて、K社の先頭で、走っていただきたいと思います。ひそかに応援をします。
フレーフレー三三七拍子!!!!

K社のインドネシア工場は解散になりましたが、若社長が一番、応援をしていたし、私はそれに従っていた、私の部門は、インドネシア国内売りで、十分利益を上げていたが、射出の方が、親におんぶにだっこされていて、社内で権力をもった、ある人物(現在はいない)が、強烈にそれを支持し、インドネシア国内売りはまかりならぬと、足を引っ張り続けていたのが、致命傷でした。もし、当時副社長がインドネシア工場全体をまかせられていれば、解散する状態にならなかったでしょう。
世代交代 買収 解散 いつ?
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ご近所情景

2010-04-27 18:45:13 | 喜び
 トライの結果が思うようにならず、今日も先ほどまで会社にいて仕事でした。何とかしなければならないという焦りで、いいアイディアが浮かんでこない。起死回生のひらめきがあるのだが、今回は、なかなか、それが出てこない。参った。
 こんなときにブログどこころではないだろうと思うが、金型の修正をしているので、明日の10時過ぎまで、トライができない。今は、何もできない状態なので、気分転換に、ブログを書いているのです。
 
引っ越したばかりの我が家の殺風景な様子です。壁が接している建売住宅です。完全にインドネシアの典型的な分譲住宅です。40平方メートル位のメインの部屋です。この部屋の隅は台所になっている。冷蔵庫や水のディスペンサーもこの部屋の中にある。写真の、向かって左右に一部屋ずつ15平方メートル位の寝室がある。トイレ、水浴、洗面所兼用の部屋は、5平方メートルの部屋がある。
床はこの様に、全面、30cm四角の白いタイルが敷き詰められている。日本の畳部屋、木の床は、インドネシアでは全部タイルです。板の間という考えは貧乏人の家という印象なのでしょうか、全くと言って新興分譲住宅にはまったく採用されていない。
ご近所は若い夫婦と小さい子供の家族が多く、あちらこちらから、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。中流の上、この程度の住宅に住む人は皆さんメイドやベビーシッターを使っているようです。朝、車を洗ったり、ちいさな子供と公園で遊んだりしているのはそういう人たちです。私が出勤時刻にそういう姿を良く見ます。のどかな風景です。
小学校が近くにあり、毎日、学校の前を通りましが、子供達は自転車通学が多い。勿論、親が車で送り迎えする姿も多いが、自転車を一所懸命漕いで、校門へ向かっている子も多い。日本の様に集団登校という姿はない。
朝、勉強の前だと思うが、一クラスの子供たちだと思うが、学校から外に出て、集団でランニングをしている風景にも会う。女の子が一人、集団から抜け出して、2.30m先を必死で走っているのがほほえましい。
私が子供のころの姿を思い浮かべてしまう。
何よりの喜び、モスジッド(イスラム教会)からのスピーカーからのお祈りの声が全く聞こえてこないのが一番心地よい。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page101.html
エッセー集です。大まかな項目別に分けました。
小学校  お祈り  くつろぎ
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日本人の心構え

2010-04-26 21:41:15 | 環境
Main golf でCapekの一日でした。
昨日土曜日はOver time(lembur)で、工場レイアウトのペンキ塗りを終わらせた。月曜日にエリアの上に看板を吊り下げるつもりだ。次第に、一目、見た目で、工場全体のレイアウトが分かるようになってきた。日本からの出張者の当り前のレポートを読ませてもらったが、これは気がつかなかったとか、もっともだ、新鮮だな、若者らしくていいな、というものはなかった。教えられたこと、他人から与えられたことではなく、自分で考えたことを提案してほしかった。しかし、一般的には、こんなものだろうと思う。だから、次のことが必要なのです。
 射出の技術者も品質管理、セールスの責任者も、インドネシアへ早く赴任してきて、仕事、商売が始まる前に、インドネシアの商売環境やインドネシア人の能力や自分の能力の確認をし、足りないところを自分も強化しなければならない。自分がいきなり教えてやるとか、自分のやり方を一方的に押し付けるとか、そういった態度は反発を招くし、外部からも、軽視されるでしょう。とにかく、早く来て、早き状況を知ることです。いきなり生産、いきなり注文を取るということは100%できない。半年はこちらで助走が必要です。
 会社の形態を整えるという点ではスタートダッシュが必要と書きましたが、それには失敗していると思う。これを感じているのは私だけではない。
 スタートダッシュのやり直しをする必要があると思うが、それには、そのチームを整えることです。射出技術、品管、経理、営業の専門家を最低一人ずつ、社長と設立責任の副社長と合計6人が整ったところで、スタートダッシュを掛けたらいいと思う。他の余計な、日本人はいらない。いるだけ、厄介が増えてしまう。

 インドネシア人と意見交換の場を持たなければ、なにも始まらないことを感じなければならない。そして、やらせるのではなく、自分が先頭に立って、言いたいことは、態度で、示さなければならない。分からないことは、インドネシア人に教えてもらうとうい姿勢が必要です。インドネシアのことはインドネシア人にまず聞くことが必要です。
 ミーティングを日本人だけでやってはならない。最初から、インドネシア語でやらなければならない。覚えたくない人は通訳を使えば良い。私は、次の日のミーティングで話したいことは前の晩、辞書を見ながら、ノートに書いて覚えて発言をした。最初は一行だけだったが、どんどん増えて、半年後には、予習が必要無くなっていた。53歳の時でした。
日系のコンサルタントやエージェントを頼る気持ちは理解できるが、インドネシア人社員は全員が納得しない、その方法がいいと思わない。実際、外部に頼むより、安く、迅速にできることが多いし、インドネシア人の気持ちを尊重することになるし、日本人が彼らを頼りにしてくれているということで、誇りや遣り甲斐を感じてもらうことになる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 インドネシア語  教えられる  立ち上げ隊
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喧嘩しない方針

2010-04-25 19:32:14 | 日記
最終組み立て会社(大企業)一次下請け(最終会社のグループが多い)二次下請け、三次下請け、という具合の構造になっている。一次下請けまでは日系企業が大部分である。二次下請けは日系企業とばかりとは限らない、というより、ローカル企業が製造可能なものはローカル企業から調達する量の方がはるかに多いが、ローカル企業からだけということはなく、日系企業からも一部調達する。ローカル企業の品質と価格次第で、その比率は変わる。三次下請けは、殆ど100%ローカル企業である。
原材料の調達は、ローカル企業のほぼ100%がローカル企業から、一次二次の日系企業はローカルから全て調達したいが、指定材料の関係で、その比率は示さないで、出来るだけ多くローカルから調達している。
どの会社も、価格が安い方から購入したいので、ローカル企業の品質を高めることに力を注いでいるし、ローカル企業は日系企業に売りたいので、それなりの努力はする。一次的には日本人に手伝ってもらい、製造や品質管理や営業の能力を高めることもする。
年を追うごとに、日系の二次三次下請けは、ローカル企業と価格競争を強いられ、負けることになる、その分生産量が増えて行けば比率は減っても受注量は横ばいになる。増えた分はローカル企業に注文が行くというシステムになっている。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 私の処は、其のローカルが、出来ない仕事を引き受けるのが原則ですが、そうばかり言っていられない部分がある。10年前にローカル企業でできなかった押出製品が今ではできるようになっていて、やはり、増えた分だけローカル企業に注文が流れているが、そのお客さんは、それを公表しないで、日系企業からしか調達していないと言っている。というケースもある。
 客先から頼まれない限り、ローカル企業が作れるものに手を出さない。例えば、軟質PVCについてはこちらから仕事を欲しいということはない。
 ローカルと争うということではなく、客先へのサービスとして、原料安価調達以外の方法で、ローカル企業に負けないような安価で高品質の製品を作ることができるようにあらゆる点で、節約しなければならないと思っている。
 もう一つは、二年間、温めていたオリジナル商品の開発である。したうけばかりでは日系企業への手伝いだけでなく、インドネシアでなら売れるという押出製品を自社ブランドで売り出したいと思っている。これなら、無理な安値競争に参加する必要はないし、びくびくする必要はないし、産地偽装も、原料偽装もない、指定があるわけではないから、自分が使いたい原材料を使えば良い。まもなく、その開発が始まる。

イスラムのお祈り風景、モスジットに入れない人は、道を封鎖して、お祈りをする。道のわきにどこでも見られるイスラムの人たちのお墓、焼かないで、そのまま掘って寝かせて埋める、一人一お墓なので、日本よりはるかに面積が人様になる。タイル製の長四角い囲いが載せてある。教会やお寺といった施設が仕切っているのではないようで、自分の家の前や横に埋葬している家も多い。
非競争 開発 営業力
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嫌われないように

2010-04-24 20:32:07 | 試練
 新規参入しようとする日系企業メーカーの売り込み担当者も製造担当者も、こういう暗黙の了解の中にいきなり入って行くことはできない。あたかも、真面目な、ごまかしは絶対許せないと、前任者を批判する後任者の様な状態になっているのですから、戸惑うというより、現状を批判する。しかし、だれからもどこからも相手にされない、というより、余計なことを言って、波風を立たせるなという逆批判の対象になってしまう。全てが問題なく、うまくいっているのに、今さら、余計なことを言われても、やっかいもの扱いにするしかない。その中に、溶け込まなければ、商売にならないことを早く納得しなければならない
大企業の担当者も、見ないふりをする。とにかく、価格が安いことが大優先ですから、なんだかんだと言って、値上げを頼まれたり、値下げの依頼をしているのに、現状維持でしかできないという返事をされることを一番嫌う人種です。産地偽装でも、製造者偽装でも、なんでもいい、とにかく、黙って、値下げのことだけ考えてくれればいい、という世界です。

それでも、日系企業の下請けには、定期的に監査に入る。それは、突然、明日ということはないので、混ぜているような規格外の材料や原料は、目に着かないところに移動し、監査の人に見て見ぬふりをさせないための心使いと準備が必要です。万が一にも、なぜ、この材料がここにあるのですか?などという、質問をされることは避けなければなりません。それが、サプライヤーとしての作法です。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

車やバイクの走行中のコントロールが効かなくなるような重大な問題が発生し、リコールなどということになれば、一斉に、下請け、下請けへと、監査が回ってきます。その監査は、システムについてで、現実に何が使われているかは、そこまで、突っ込んでチェックはしない。お互いに見逃してきたのだから、今さら、突っついても、天井を向いて唾を吐くようなことになってしまうので、しない。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0002.html
この会社の射出部門は、二三カ月先にインドネシアのこんな状況の中に突入する。勿論、まだ、状況を感じていない。言っても仕方がないことで、担当者が、体で感じるまで、成果は上がらないでしょう。しかし、応援はします。

名前変更 ABAがTOYOTA BOSYOKU
     MakroがLOTTE Martになった。
  
バイクの使い方の典型的な例である。三人以上は当り前で5人という場合もある。
作法 ルール 安値優先
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暗黙の知らぬふり

2010-04-23 21:22:03 | 仕事
 規模の大小にかかわらず、全ての産業で、暗黙の了解がなされている、原材料、部品の調達ルートが存在する。ローカル企業は最初だけ、日系企業から指定された材料を日系企業から購入し、材料のスペックと安全に関する書類を受け取り、それを、製品納入先に示す。日系の納入先は、それ以降、使用材料についての確認はしないのが決まり。ローカル企業は次から使う材料についてはできるだけ安い原料を使うことになる。
 ISOなどの品質管理や環境管理のシステム導入などは全く問わない。仕入価格が超安値だから、何も言えない。まともでは、そんな安い価格が出るわけがないと自覚しているからです。
 日系企業は其のローカル企業から部品を購入していることを公表しないのが原則です。
それでは、どうするかというと、日系企業からスペック通りに指定した材料から作られているであろう部品を購入し、最終納入先にはそれを公表し、内はこの会社からこういう材料を使って製品を部品として購入しています、と、届けるのです。

ですから、二社以上から購買し、一社は必ず日系企業にするのです。そして、其の、日系企業にはローカルからの仕入れ値を伝え、値下げ圧力を掛けるのです。圧力をかけられた日系企業は、ローカル企業ほどではないが、安い材料を混ぜるのです。それも、発注元は了解済みです。
そういうカラクリについて行けない日本人が、どこの会社にもいるものです。許せないという人です。なにか、問題が発生した時に自分のサラリーマン人生を台無しにしてしまうという恐怖感を持っている人です。そういう人が、交代してくると、ひと騒動が起きます。使ってはいけない原料を使って生産している状態を痛烈に批判して、直ちに証人材料に戻させます。前任者はこっぴどく批判されます。それから、売り値をチェックします。それを、見て、交代してきた人は、余りの価格の安さで、大赤字になることを知り、また、怒ります。何故、こんな安い価格で引受けたのかと。その次の行動は、客先に価格の引き上げの交渉を持ちかけます。客先は、そうですかと言って、その後、注文を、よこさなくなります。
客先は、ローカル企業から大部分を買っているのですから、其の値上げ交渉にまともに応対する気は全くなしで、他の、日系企業を探すでしょう。
暗黙の知らぬふりからはみ出る人は、融通が利かない人は、そこまで行って、初めて、状態を知るのです。しかし、もう遅いし、損をし続けなければならなくなるのです。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
インドネシアの山岳地帯なら、どこでも見られる水田、実りの秋?は年三回。パンガンダランの半島の西海岸、逆光のパンタイパシールプティー(白砂ビーチ)
どこも 大企業 先頭 
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超安値のカラクリ

2010-04-22 21:37:31 | 体験
三年ほど前からPT.MAKUTAでリサイクルペレットを作る仕事を始めた。そのころから、感じだしたことだが、リサイクルプラスチックの仕事は、マフィアと呼ばれているいくつかのグループが独占しているようです。そういうことを知らないで、その、縄張りを争うとすると、必ず暴力的なひと騒動があるという。ですから、日系企業はこの業界に参入することはできない。そこで、日系企業の技術力と信頼で、いくつかのマフィアと仲良くするしかない。ローカルのリサイクル業者ができない製品のリサイクルをしてあげると言うことです。そんなことで、付き合うと、安い出物を廻して貰うことができる。ということを、横に置いて、
新規に進出した企業の営業の方が売り込みしようとすると、一番戸惑うのは、価格の安さである。既に、多くの部品はインドネシア国内で調達され組み立てられ、最終製品になっている。その、部品のメーカーが、進出してきて、現存メーカーに割って入ろうとすると、異常な安さの価格を目標として示されることです。
ローカル企業ができるものはローカル企業から購入する。そして、それは安くて、使えればよい。其の、材質や外観にはこだわらないし、最低、押さえる寸法が出ていれば他の寸法は外れていてもいい。材質証明やスペック表は提出させるが、その物を使っているかはチェックしない。リサイクルであろうと、規格外品であろうと、どこから購入しようと構わない。チェックしない。それが暗黙の了解で超安値が出てくるのです。
 日系企業が手配する材料費で、製品が出来上がってくるのです。ということは、半値で原料が手にはいっていると考えられる。
 実際にPVCは私でも原料を日系メーカーからの半値で入手することができる。原料に限らず、装置は新品なら三分の一以下ではいる。ということは、ローカル装置メーカーは部品を三分の一以下で仕入れていることになる。
 
また、私たちが準備した装置は、全部380V仕様で、メイドインインドネシアですが、ほとんどはメイドインマクタであり、メイドインナンブである。その、部品は全て、日本メーカー以外を使っている。勿論、部品の価格は三分の一以下であり、220V仕様ではないので、変圧設備もいらない。
 日本人は私一人でそれも、一般的日本人にかかる費用の五分の一程度に抑えてある。
ですから、私の部門はローカル企業と同じ価格でできるのです。ただし、原料を客先の指定の日系メーカーからのもの以外の同等品と目されるものを使うという条件があります。
 ブログのタイトルから、インドネシアで楽しく暮らす、を、なくし、主題だけに簡素化した。
最近の製品PP製、と、やっと、オリエンタルからナンブに変わったメイン看板と門の看板、こちらは真っ正面からしか読むことができない。この写真では何と書いてあるか分からない。ごめんなさい。
 安値 不思議 競争力
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注文の出し方

2010-04-21 21:56:19 | 

風邪も下痢も治った。健康体に戻って元気に仕事をしている。
気が早い会社があるし、遅い会社がある。なかなか注文が入らない、フォーキャストは三か月分以上来ているのだが、直近の納入以来というか注文書をなかなか、よこさない会社がある。そういう会社に、幾らしつこく請求してもなんだかんだと理由を言って、なかなかよこさない。ある日突然、明日納品という注文書が入る。こういうことが毎月のように繰り返される。
かと思うと、逆に、早々と注文書をよこし、今か今かと納品の催促をしてくる会社もある。使う数量がそう増えているわけでもなく、一日に使う量は殆ど決まっているのに、催促をしてくる。よっぽど、心配性に担当者なのでしょう。どちらも、こちらの担当者から、私に、先方に日本人に話をして、一般的には10日位の余裕のある注文を出すようにしてくださいと、懇願される。
 先方のそういう担当者は、別に、内へだけのやり方ではないので、特別意地悪をしているわけではない。聞くところによると、どの、注文先へも同じような出し方で、困らされているという。

引っ越しの後、やはり何かと、手を加えなければならないことがあって、家を買って、そのままでは、足りない物がある。一番急ぐものは、窓という窓に鉄格子というわけではないが、金属に飾り格子を着けなければならない。それに、蚊やハエが入ってこないように網を張らなければならない。インドネシアでは必須事項である。中流以上の家屋には必ず着けられている。このことは、その地区の警備員からも強く依頼まれることである。盗み対する予防である。プラス其の無粋が中から見えないようにカーテンが必要です。それだけで10万円くらいはかかる。快適に安全に暮らすには最低必要である。
その他に、日本人の私にとっては、温水器は必要。インドネシア人は基本的に水浴を普通の水です。
それと、もう一つ、卓袱台の様な足が短いテーブルが必要だと私は思う。インドネシアは床に座って食事をしたりテレビを見たりする大きめな部屋がある。私がテレビなしの子供のころ経験したスタイルに似ているが、折りたたみの卓袱台と座布団を使っていた点が大きく違う。そこで、卓袱台を買ってきた。座イスは日本から持ってきたものがあるので、丁度良い。
インドネシアの風景から、一変して、ニュールンベルグの孫たち、最近の様子。
卓袱台 鉄格子 注文
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落ち着いた日

2010-04-20 20:34:52 | 生活
元気に会社へいったはいいが、下痢の状態が改善されておらず、大変、難しい状態になっている。それでも、朝から、ミーティングや会社訪問が続いて、多忙な、一日でした。商売につながるような話はあるのだが、いずれも、価格が問題で、可能性が低いことが分かった。多分、客先は、現在の製造会社に対する値下げ圧力の材料に使うに違いない。そんなことは百も承知で、安い値段をぶっつけようと思う。どこの会社も、目標価格は原料費の1.2倍くらいの価格である。とんでもなく安い価格でまともに相手をしていられない。そっちがそっちならこっちもこっちである。
 
 新製品の金型の発注をした。確実にできる方法で進めることにする。余計な苦労をしたくないから、斬新的で実験的な方法は避けた。これが、10日位で完成したら、改めて、生産速度や寸法公差の改善を考えようと思う。

 今週は私の担当以外の部署での来客が多いようで、日本からも、インドネシアのちょっと離れた場所からも来るそうで、多いときに9人一遍に来るそうで、迎える側は大変だと思う。印象を良くするために、あちこちの手入れや、整備を進めているが、何せ、かなり、手入れの悪い環境のまま、引き継がれてしまっているので、ちっとやそっとではつくろいきれない。整備が若干進んだ場所を遠くから見てもらうしかない。引率する人は、そういう処に気を使う必要がある。なかなか大変だと思う。

 来週もVIPの訪問を受けることになる。会社の名前は変わっていることを願う。私の存在は控えめに、そして、尋ねられれば、速やかに正確な情報を提供する準備はある。

今でも盛んに行われている地曳網、日本であるようなショー見世物ではありません。
パパンダヤン(バントゥンの南の山、エーデルライズの一種が群生している、温泉保養地も近くにある)
遅延、他人事、安価勝負
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ピンダーハン

2010-04-19 21:56:15 | 体験
 ピーターパンではありません。引っ越しという意味です。1996年インドネシアへ初めて引っ越してきて、二日後に覚えた言葉です。
予定通り新しい家にいる。住所はチカラン(cikarang)とだけにして置きます。インドネシアで四回目くらいになるでしょうか、ピンダーハンが、最初の時には、友人に、転居案内を出しましたが、方法はハガキでした。今回は、メールで案内をしています。グログやウェブサイトでは公表しません。
 昨日今日に引っ越しすることは公表しました。面白いことに、車が二台、後を追っていたそうです。私の移転先を知らされない人で、どうしても、知りたい人がいたのでした。一台は、引っ越し先を通り過ぎた処で、停車し、30分ほど、止まっていて、立ち去ったそうです。もう、一台は、三回の往復で三回とも、引っ越しの車の後を着いてきたそうです。止まれば止まり、動き出せば動き出したそうです。わざわざ、土日で、二台も使って、私の移転先を知りたがって人がいたことが興味深い。

 今晩から、この家の住人です。KITASの住所はここに変えてあります。イミグレもいい加減だと思います。日本でいる住民登録をするときに、実際にそこに住んでいるかどうか確認しない。イミグレの管轄外ではまずいが、管轄内なら、どこか、好きな住所で申請すればそれで通ってしまう。そして、選挙権が与えられるわけでもないし、町から、何かの知らせや案内が来るわけではないので、その後、何の不都合も生じない。
日本の場合はどうでしょう、幾ら外国人でも、住民票と実際の住所が違っていれば、数々の恩恵を受けることができないし、権利を行使することができないので、一致させなくても構わないでしょうが、自分の利益のために一致させる必要がある。
 
 私が好きな写真で、私は大傑作だと思っています。パンガンダランの宣伝写真に使ったら、多くの皆さん誘うことができる写真だと思います。
 最近の製品です。樹脂名は書きませんが、この樹脂で、この形状は、インドネシアでは私の部下しかいない事を断言できます。バリを取ってないなどと無粋な上げ足を取る人は其の人にはできないはずです。

引っ越し 新居 追跡 技術

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一つの最終日

2010-04-18 20:07:37 | インドネシア

 今日のカラワンは暑かった。日本では雪が降ったと言うのにカラワンはむし返る暑さ、まいった。例のクラブコンペなのだが、カラワンでしかやらないことになってしまっている。というのも、参加者のほとんどがカラワンのメンバーだからでる。今日、メンバーの人と一緒に支払いをして確認したが、カートは使っていないで、メンバーは8万Rp(800円)私が払った金額は80万Rp(8000円)でした。茶店で何も買っていないし、朝のレストランでも何も食べていない。大きな違いである。だから、アクラブでカラワンを使うだけです。もったいない。逆にカラワンのメンバーでもジャバベカでやれば、120万Rpかかってしまう。お互い様だが、メンバー、ノンメンバーの支払いの格差は大きすぎる。多分、これからも、殆どカラワンでプレーすることはないでしょう。
 カラワンは暑い。そろそろ、雨季が終わる時期です。この時期の空は一年中で一番済んでいる、日光が一番、きつい季節です。勿論、どなたも、多き日傘をさしているが、お太陽からの直射を避けても、足元の芝からの照り返しがきつい。アスファルトの照り返しがきついというのは日本の夏でも有るが、芝からの照り返しはインドネシアの雨期明けの時期ならではであり、カラワンならではである。これが、スダナやジャバベカではこれほどひどくない。

 引っ越し作業は順調のようであり、手伝いの人が2人、今晩は泊るらしい。明日の朝05:30出発、私が、ゴルフをやって、その後,散髪をしてその場でマッサージをしてもらって、15:00過ぎに迎えに来てもらって、新居の方に帰る。だから、今晩が、この家で練るのは最後になる。数時間の睡眠である。

 日本食レストランが必ずしも、雑菌に関して安全ではないということを書いたが、今日、証明することになってしまった。ゴルフの打ち上げで、日本食レストランで、食事をした。多分、原因は、生野菜だと思う、パセリやキュウリのサラダが原因だったと思う。大変な、ムンチュレット(下痢)になってしまった。水状態の腸特急状態。今晩、眠れるかどうか心配。

 フランクフルトの娘から、フィンランドの火山の噴煙による空港閉鎖についての説明が入った。再開の見通しはないそうです。経済的、影響を心配される。ユーロやUS$が弱くなるのではないか。
会社が落ち着いたら、ドイツへ行ってきたいと思う、8月に行けるチャンスがあることを願って、仕事をする。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page10.html
 人任せ、下痢、照り返し、欠航
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この頃のこと

2010-04-17 21:07:25 | 体験
  頭が痛くなる状態が続いている。日本でもう生産をやめてしまった製品の試作が思うようにいかずに、客先に大迷惑をかけそうな状態まで追い込まれている。解決方法を考えてはいるが、私の決断が遅かったのかもしれない。もっと、早く、他の方法に切り変えていれば、こんなに悩まなくてもよかったかもしれないし、客先の方にも余計な心配をかけなくて済んだかもしれない。とにかく、やるしかない、明日も、明後日も、この製品の新しい成形方法での金型の設計をしなければならない。Capek!!!

引っ越しは明日と明後日の二日間で完了する予定らしい。というのも、ここへきて、私の方が引っ越しどころではなくなってしまった。仕事をしなければならなくなってしまった。全て、マリアさん任せである。会社の部下で休日出勤のない人たちが数人、応援にトラックを持って、来てくれるらしい。それも、マリアさんが仕切ってくれているので、どういう段取りになっているのか私は知らない。18日の夜から、新しい家で寝泊まりすることになるらしい。呑気なもんです、ではなくて、私は私で忙しいから仕方が無いと思っている。皆が私を応援してくれる。嬉しい限りです。
マリアさんに、一緒に住んでもらっているおかげで、昨日も書いたが、パニック障害の症状は出ないし、もし、でても、必要なら、彼女が、いつでも、病院へ連れて行ってくれるという安心感がある。家で一人ではないということがどれだけ私に安心を与えてくれているか、計り知れない。その上に、家のことは全部やってくれているので、まったくの、大助かりで感謝している。ご主人にも感謝している。運転手も秘書役もお手伝いさん役もナースの役もしてくれる。今回の家を購入する手続きは彼女が全部やってくれた。だから、私は、売り手の人とも、弁理士にも会っていない。お金を出しただけである。契約書や登記簿は結果を確認しているだけです。
これに限っては、値段の交渉も最初から彼女にやってもらったのは、私の作戦でもある。日本人の私が顔を見せては、売主が高く吹っ掛けてくることは間違いないからです。
何でもそうです。果物、野菜、魚、衣類などなど、道端で買い物をするときは、私は車から降りない。私が、降りようとすると彼女に叱られる。買い物が終わってから、降りて、その店の人と話をすることができる。私自身も、私が買うときは高く吹きかけられていると思う。
パンガンダランの西海岸とちょっと海岸から反対の山の方へ行くとこういう滝がいくつかある。これは、ジャンビの滝と言います。30m×20mくらいの規模です。
忙しい、準備、作戦、買い物

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知っている、知らない

2010-04-16 21:20:10 | 体験
努力はしない、頑張らない、一所懸命やったことが無いと言ったって、それは、自分の意識に内のことで、実際には、おそらく、1000人いても上から五番目以内に入る位の、動きと、頭を使ってきたと思う。それも、いつも、何人かの部下を置いて、私が社長だった時以外は、何人かの分からず屋の上司に気を使って、分けの分からないことを言っている人に、頭を下げなければならなかった。典型的なパニック障害になりやすい環境と性格のように思う。60過ぎまで顕著な発病をしなかったのがラッキーだったような気がする。
この病気は男女比でいくと、女性の方が多いらしい。それも、二十歳頃から発病する人もいるときいている。私の場合はハーフタイムどころかスリークオーター(三分の四)タイムと行ってもいいくらいに遅い休憩になったが、それでも、もっと年を取ってからよりの良かったのかもしれない。といっても、私の休憩タイムは一年足らずでした。そしてまた、普通の人ならストレスたっぷりの世界へ舞い戻っている次第です。

 ネットでパニック障害を検索して、どんな病気かチェックしてみてください。知っているといないとでは人の見方や自分の状態の見方が違うと思います。あなたの身の回りにも、程度の差あれ、何人かのパニック障害の人がいるはずです。
 症状も、感覚も、順番も、全く、個人個人で異なるようです。私の症状についてはパニック障害の項目で読んでもらえれば全て書いてありますが、その気持ちの上で、多くのパニック障害の皆さんと、大きく違う点があります。それは、私は、電車に乗ることはありませんが、飛行機や新幹線には良く乗ります。その、不特定多数の人が一緒にいるときには何も不安を感じません、症状もあらわれませんでした。もし症状があらわれても、どなたかが何とかしてくれると思っているからです。一人の時が、一番不安で、一人の時にかぎって症状が現れ、その程度も、ひどかったように思う。だから、病院では不特定多数が大勢いるし、ましてや何の専門か知らないが、医者がいるわけですから、症状はあらわれない時の方が多かった。だから、医者に説明するのが難しかった。体のあちこちでちくちくして、其のたびに脈が無くなって失神しそうになると、説明しても、医者は、全然、深刻には聞いてくれない。むしろ、三半規管がどうのこうのとか、脳波を取って見たら、とか、今から、思えば、的はずれの事を言っていただけだった。
 いわんや、普通の人に話しても、分かってもらえない。ですから、パニック障害の人は意外に大勢、身近にいると考えて、知識を持っていただきたいと思います。知らないのに知ったかぶりして、いろいろ、アドバイスをしようとする人が、一番たちが悪い。いちいち、受け答えをするのも面倒だし、受け答えしても、頓珍漢な的外れの思い込みを口に出すだけなので、始末が悪い。この病気の人に対しては、無知で何か言うのは罪です。どうか、私のように、ひどい目に会わないように、会わせないようにしていただきたいと思います。
  早起きは三文の徳、ジャングルの中に分け入って素晴らしい滝に出会う。その途中で、私の恋人ラルレシアに会うことができる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
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