南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆また、パンガンダラン

2011-06-03 23:13:37 | 旅行

朝06:00に家を出て、パンガンダランへ向かった。途中、バンドンのバイパスを降りて、タフスメダンの店を過ぎたあたりから渋滞が始まった。とにかく二車線が三車線や四車線になっているので、進まない。この渋滞の手前までが2時間の08:00渋滞を抜けたのが、タシクマラヤ県の入口の門辺り、その前で、コンクリート舗装をしていて二車線が一車線になっていたのが原因でした。たったの5km程を一時間掛ってしまった。

後は順調に流れて、13:00に目的のパンガンダラン、西海岸のウミおばさんのワルンへ到着した。途中、速度的にはそう落ちなかったが、バンジーャルサリというバンジャールの南の町の道路が完全に壊れてしまっていて、未だ、雨季の名残で頻繁に雨が降るらしく、車の道は水が10cmほど溜まってしまっていた。両側の歩道はちょっと高いので冠水していない、排水が出来ないので、水の蒸発を待つばかりの様で、手の打ちようが無いらしい。そこで、車がくしゃくしゃの汚れてしまった。

待ちあわせの其のワルンで食事をし、14:00に半島のジャングル(チャガールアラム)へ出発、今日の私の付き添いはイワン君とアア君の兄弟、オーストラリアへ二年の契約で英語の勉強をしにいっているラシッド(元、私のガイド)君の弟たちで、ウミさんの息子達です。彼らに初めて会ったのが、14年ほど前ですから、その時は小学校の低学年で可愛い男の子たちだったのが、今は、いかつい顔をし、色も黒い、サーファーになっていて、ガイドとサーフィンのインストラクターをしている。主に欧米やオーストラリア人が彼らの相手です。私が来た時だけ、日本人の相手、かと、思っていたら、先週一週間ほど日本人の若者が一人で来ていて、今朝、ジャクジャカルタへ出発していたという。その相手も、イワン君がしたとか。皆、自立ができて、立派になってきたと思う。この家族、子供が11人、ウミさんが、皆、生んだのです。子供たちに私のガイドをしてもらって、その報酬をガイドをした子供たちに渡すのでは無く、ウミさんに渡すならわしになっている。子供たちに渡すと、ガイドをした子だけが貰えて、貰った子たちは自分の為だけに使ってしまう。だから、皆に、ウミさんに渡すからウミさんは当然、全員の為に使うから、という話をして、そうしている。今もそうだ。

 

ところで、残念ながら、パチャール サヤ(私の恋人)に会うことが出来なかった。蕾は沢山あったが、開いているラフレシアが無かった。最近は、私がジャングル入る時は必ず開いている恋人に会えていたのに、今日が落胆でした。

5日にもう一度ジャングルへ入るが、その前日に、ウミさんの今ここにいる息子達、全員の四人で、ジャングルの中へ入って手わけをして、ラフレシアを探して置いてくれること云っていた。期待をしたい。

今回は一人で来ているが、ここにいると、常に数人が集まるところに私はいることになる。ウミさんの子供たちだけでは無く、ガイド仲間やライフガードの連中がウミさんのワルンへ集まってくる。

 GOA JEPANゴアジャパンと云って、インドネシア中至る所にある日本兵の隠れ家というか陣地になっていたほら穴がジャングルの入口近くいにある。その地下道の上にそびえている大木。

 パンガンダラン 一人 ラフレシア

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